THE LIBRARY

展示作品紹介(3)

中野愛子/成平絹子/西尾彩/西田弘英/長谷川迅太/浜田涼/菱山裕子/福田尚代/福本浩子/藤井信孝/藤本京子/古厩久子/森勢津美/森山恒逸/山本基

 

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中野 愛子 
さくらさいた、そのしたで。/14×9.5×20.5cm/カラープリント、アクリル板、マット・ボード、メタルフレーム
 ブックケース型の透明アクリルボックスの内側に、ピンク色のハート型コンタクトレンズを装着した女性モデルの顔のカラー写真が貼られている。ケースの中には、この女性モデルのさまざまなサイズの写真を挟んだマット・ボード計10枚が重ねて収められ、全部を合わせたその側面には、同様の顔のアップ写真の断片が特殊技術によってプリントされている。またケースの中には、これらのマット・ボードのためのメタル額が一つ収められているが、これは、「フレームが付属していてすぐに作品を壁に飾ることのできる写真集」という斬新な発想の提案でもある。

1968年生まれ。人物と部屋、小物でその人らしさを浮かび上がらせるシリーズや、密室の撮影パーティーをカラープリントで展示構成したシリーズなど、自身と被写体となる人々との距離に特別な意味を持たせるような写真作品を発表。
成平 絹子 
Mt.りょーしか/21×21×13cm/銅、木、フェルト、その他
 それぞれが分割できる複数の層で構成された銅製の半球の表面に、ごく小さな家や人、木、神社の鳥居などが彫金で細かく彫り込まれている。その下の層の上部には、マンモス象をはじめとする太古の動物などが火山の火口のような天頂部と共に現れ、下部の半球は、未来都市のような光景で覆われている。この半球は3段に分かれるが、上部では梯子と椅子が、下部では動物などの骨が堆積する地層が表され、これらの下には地底湖のような窪みが現れる。その中央の小さな蓋を外すと、さらに下層へとつながる穴に梯子が取り付けられ、入れ子となったこの作品全体が、時空を越え世界を遡って行く様を空想させるのだ。

1974年生まれ。銅やアルミニウムを素材に、象徴的なかたちの「人型」や建造物、空想の中の景色などを、時にはモチーフの輪郭線に沿ってかたちを切り抜くような手法も用いた彫金作品で表現。
西尾 彩 
Precious Type/7.2×10.1×2.7cm/紙、シープスキン、カーフスキンヴェラム、ホワイトゴールド
 ベッドを思わせるような白いフェルトの台座にオリーブ色の箱が乗せられ、蓋を開くと、箱の窪みには小さな本がぴったりとはまって収められている。この本には数十ページごとに「Ruby」「Emelard」などの宝石の名を示す語が小さな字の活版で印字されており、上部は白金の箔で覆われている。そして、宝石箱をイメージさせるこの外箱全体は、本の上部にちりばめられた1.5mmほどの円形の窪みと連なり、直径3cmの正円9つが互いに重なり合ってつくる幾何学的な模様の一部を担っている。

1972年生まれ。活版・箔押し等の製本の技法をもとに、時にはスクリーン・プリントや写真なども加え、文字そのもの、あるいは日常の中で出会う色やかたちなどが独特のイメージとなるような造本作品を制作。
西田 弘英 
echo/24.5×30×4.7cm/ガーゼ、超軽量紙粘土、綿布、木工用ボンド、ポリファスナー
 生成りの布張りの表紙を開くと、ガーゼに超軽量紙粘土を塗って乾燥させたページが計80枚現れ、これらには、一枚につき一名の人の「耳」のモノクロ写真がインクジェット・プリントで出力されている。それぞれの「耳」はすべて異なる人物のもので、当然ながら大きさやかたち、細部の形状などは異なるが、こうして80名もの耳を連続して見てゆくと、それが単に身体の一部分であるだけでなく、その人物の個性と全身像が想像されるような錯覚を覚えるのである。

1961年生まれ。身体の一部や人体像をモチーフにして、土と布を使ったパネルにほぼ等身大でプリントした巨大な写真作品や、人の「耳」のモノクロ写真によって構成される作品などを発表。
長谷川 迅太 
Look up the sky/8.5×20×16cm/木、カラープリント
 木製の箱の中に、木の板の表面に直にカラー写真を出力したもの計43枚が並んで収められている。空の広がりや飛び交う鳥、空に浮かぶ雲などを撮った画像は、色彩が薄い部分ではその下の板の木目や質感が際立って不思議な質感を宿し、手に触れる板の感触は、写真のイメージと物質としての木が混ざり合う様をことさら強く実感させる。また、この箱の内側全体には、鳥が空を飛び交う写真がプリントされているが、それは、閉じた箱の内部全体が一つの空としてつながる姿を私たちに想像させ、この箱自体がある風景の象徴であることを主張するのである。

1976年生まれ。木の板にさまざまな景観のカラー写真をプリントすることで、板の木目や質感が写真自体のイメージと混ざり合い、そこに新たなイメージが生み出されるような平面およびインスタレーション作品を制作。
浜田 涼 
my way home/15×12×5cm(ケースを含めると20×15×8cm)/トナー、綿、アクリル板
 蓋付き透明アクリルケースの中に、葉書ほどのサイズの白いガーゼ163枚を綴じて厚みを持たせた作品が収められている。繊細に製本されたガーゼ一枚ずつには、薄い墨色と白とのグラデーションによって、何かの光が明滅するような情景が転写によって表現され、それはぺージをめくるごとに延々と続いてゆく。実はそれらは、作者の最寄りの駅から自宅までの道を連続して撮影した写真をもとにしたもので、あたかも歩く時間だけが経過してゆくような日々通い慣れた道の心象風景が、作者固有の時間と空気が内在するこの画像の塊を通して表されているのである。

1966年生まれ。写真をもとにしたイメージを樹脂やトレーシング・ペーパーで覆うことで、記憶の中の光景のような、ぼんやりとした未知のイメージがつくられる平面作品を制作。
菱山 裕子 
LEAVE US ALONE -CHU : * -/22.5×27.5×8.5cm/アルミ、ステンレス、木、その他
 赤いビロードを施して一部にアルミ・メッシュを張り、サテンテープをしおり紐のようにはさんで本のかたちを模した両開きのケースを開けると、アルミ・メッシュを素材とする男性と女性の顔がそれぞれ左右に収められており、それらの顔の造作は大きくデフォルメされながらも、肉付きや眉毛などの細部はリアルで、彫刻的な質感を備えている。ここでは、右側には眼鏡をかけた男性が、左側にはドレッド・ヘアの女性が配されているが、赤く細い金属線による唇は大きく、この箱を閉じた「密室」の中で男女がキスを交わすというユーモアな姿を想像させる。

アルミメッシュを素材とする「人体」などが、独特のデフォルメがなされつつもリアルに表され、さらに金属の色彩や質感と中宙ながらも彫刻的な質感とが相まって、不思議な空間性を感じさせる立体作品を制作。
福田 尚代 
アンナ・カレーニナ/10.5×15.2×2cm/文庫本、刺繍糸
 トルストイの名作「アンナ・カレーニナ」の新潮文庫版・下巻のページから、ところどころを数十ページずつ切り取って4段の階段状にしたものの内、下から1段目、3段目、4段目のページに、黄色や燈色、紫色等の淡い色彩のやわらかな糸で、花のじゅうたんを思い起こさせるような刺繍を施した作品である。作者はこれまで、既成の文庫本を素材とする作品を多く制作してきたが、ここでは、彼女がかつて愛読したかもしれないこの物語にまつわる思い出への追想と、刺繍のやわらかな感触とが相まって、彼女の記憶を文中の物語の断片と共に遡上してゆくような不思議な感覚にとらわれる。

1967年生まれ。文庫本など既成の書物をもとに成形されたモノが新たなイメージを表すような、オブジェおよびインスタレーション作品を制作するほか、「回文」のテキストをもとにした本を発刊。
福本 浩子 
Book of Babel/14×19×2cm(251ページ)/紙(既成の本)
 やや汚れた白いカバーで覆われた本を開くと、目次、本文、ノンブル、柱、奥付等、本来文字が印されているあらゆる部分が線香で焼いて丸い穴をあけられている。こうした、本のすべての情報を手仕事で削除するという作業は、表紙部分のエンボスも削除され、付属のカバー自体の印刷もサンド・ペーパーですべて削り落とすまで徹底している(カバーが汚れて見えるのはこのためである)。そしてこの作品は、作者が一貫してテーマとして掲げている「情報」と「モノ」との関わりを、ことさら強くクローズ・アップさせるのだ。

1971年生まれ。「情報」と「モノ」との関わりをテーマに、雑誌や新聞等の印刷物を水で溶かした後に、ブロックなどのかたちに再成形したもの多数で構築したインスタレーション作品および、書物を素材とするブック・オブジェを制作。
藤井 信孝 
Out of One Minute/22×16×15cm/革、紙
革の表紙でくるまれた、360ページの辞書風のつくりによる2冊の「本」を、革バンドで重ねて留め一組とした作品。青い表紙の「本」の左ページでは、「TODAY」という語を鉛筆の粉で表したものの写真が、ページが進むごとに徐々に濃く見えるように構成され、右ページでは「ONE FUTURE」という語が共通して印字されている。赤い表紙の「本」では、扉の「TODAY」という語から始まり、20:00から8:00からまでの12時間を1分ずつ遡る時刻が左右のページに渡って印字されており、この2冊をもって、本来目には視えないはずの「時間」を読み取る作用が促されるのだ。

1973年生まれ。ヴィトゲンシュタインやサン・テグジュベリなど、文学作品のテキストをもとにして、人が文章を「読む」システムの本質を解き明かすようなインスタレーション作品を発表。
藤本 京子 
空(くう)/18×18×13.5cm/紙
 多数の方形の紙を束ねた黒い塊の上に、内部へと続いてゆく直径3.5cmの穴が開けられている。これは、長さ100mにおよぶ長尺の紙を蛇腹折りにして側面を黒く塗った巨大な「絵巻」で、底まで続く穴は、この「本」の中に独特の空間を生み出している。その表側には「空(くう)」に関するありとあらゆる手書きのことばが、裏側には密教で使われることばが漢字で記されて延々と連なってゆく。そして、「時間と空間の錯誤絵巻」と作者が語るこの作品の、大量の文字やことばを「穴」と共に読み進める内に、私たちは、まさしく「空」の状態でことばを拾おうとしている自身の姿に気付かされるのだ。

1964年生まれ。紙を主な素材したブック・オブジェを制作するほか、書籍の装幀、レイアウト、印刷物のデザインなどを行っている。
古厩 久子 
デジャ・ヴュ/10.5×10.5×1cm/紙、毛糸
 小さな白い紙による本の表紙に、黒の線で左手の絵が描かれ、赤い糸でできた小さな玉が取り付けられている。中を開くと、全てのページの中央に開けられた小さな穴を貫いて、この赤い毛糸が一つにつながっており、さまざまなポーズを黒い線で描いた左右の手の指の、人差指と薬指との間などといった隙間を糸が渡ってゆく。作者はこれまでに、主に映像を用いて人が何かに「触れる」感覚をかたちにしてきたが、この作品でも、手の絵に触れるか触れないという微妙な位置を貫く実物の毛糸と、線で描かれた手との接点が、「触れる」という感覚を私たちの意識に宿らせるのだ。

1963年生まれ。人がモノに「触れる」行為や光が及ぼす作用をもとに、私たちの意識の領域を探り、その奥底に隠された記憶を導き出すような表現を映像、オブジェ、インスタレーション等の形式で発表。
森 勢津美 
煙突/29×10.3×21cm/木、ステイン、アイロンプリント、金属
 厚さ4.5cmの木の板の上部が直角三角形となったもの6個が前後に連なって「工場」をかたどっている。それぞれには通し番号が付され、「屋根」の一部には金属による小さな「煙突」が突き立てられ、最前列と最後尾のパーツには、入口を示す錆びた色合いの金属板がはめ込まれている。これらの内、真中の4個はわずかに横にスライドし、その内側には小さな文字が現れるが、きわめて読みにくいこれらの文字は、木の板に成り代わった本のぺージの存在感をより高めるのである。

1972年生まれ。ペニヤ板を版木にした木版画を和紙に刷る手法をもとに、たとえば「電波塔」などが、曖昧な輪郭やかたちと淡く人工的な色彩で表され、観る人によってイメージが変化するような作品を制作。
森山 恒逸 
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20.8×12.4×15cm/紙、アクリル板
 中央で2分される透明アクリル製ケースの右部分に、9×9cmの紙を多数束ねたものが収められており、一番上の紙には、ある日付を示す数字などと共に、3.3×3.3cmの範囲に「 と 」の2つの記号のみを並べてできる無数のパターンが示される。それ以降の紙では、ノンブルを示す数字と共に現れるこのパターンは一枚あたり4個ずつ現れ、計252枚、501ページ目まで延々と続いてゆく。これらを順送りにめくって、「 」の組み合わせがつくる無限のパターンを目で追う内に、これが単なる記号ではなく、それ自体が紙の上に生息して進化と退化を繰り返す、一つの生物種であるような錯覚にしばしとらわれるのである。

1951年生まれ。虫が樹木を食した跡やその排泄物など、虫の痕跡をもとにした平面、立体作品のほか、記号的なかたちの組み合わせが無限に増殖してあるイメージを発生させるような平面作品を制作。
山本 基 
「あとかた」-1998白書- /16×11×5cm/塩
 上面がガラスの木製ケースの中に、固めた「塩」で開いた「本」のかたちをかたどった白い塊が置かれている。これは、作者がかつて発表した、多数の「塩」のブロックによるインスタレーション作品のピースを保管していたものの中から、「本」のかたちを削り出し成形したものである。この「本」を間近から見ると、会場の照明の光を受けて本来の純白がわずかに黄色がかっているが、それは、「塩」というあらゆる点でニュートラルな存在が、場所固有の環境に感応した末の現象であり、さまざまなイメージをまとい得る「塩」の在り方を語る一例としてもとらえられるだろう。

1966年生まれ。自身の死生観を起点に、塩を素材として階段や部屋などを象徴的に構築したものや「迷路」をかたどったものなど、人の存在の本質を暗示させながら、塩の白い色彩と独特の質感が際立つインスタレーション作品を発表。