こ と ば の 領 分


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 2000年の夏から秋にかけて開催される、《ことば》もしくは《本》をテーマとするインスタレーションの公募展です。全国数都市のギャラリーが《ことば》もしくは《本》をテーマとするインスタレーション作品を同時 に公募し、 審査の上で各ギャラリーがそれぞれ一名ずつ作家を選び、下記の日程でこれらの個展が連鎖的に開催されるというものです。

 

【東京】Gallery ART SPACE   2000年6月27日(火)〜7月8日(土)
      150-0001 東京都渋谷区神宮前3-7-5-4F  Tel/Fax 03-3402-7385   
       12:00〜19:00 月曜日休廊 地下鉄銀座線外苑駅前3番出口より徒歩5分
      ・内藤絹子(1970年生まれ、兵庫県在住) [応募数:18]
     ART SPACE LAVATORY(ART SPACE内のトイレの展示室)
      ・石川雷太(1965年生まれ、茨城県在住)[応募数:9]
     ART SPACE bis(ART SPACE内のトイレの本棚の展示室)
      ・稲永寛(1974年生まれ、東京都在住)
【福岡】アートスペース貘      7月17日(月)〜7月23日(日)
       810-0001 福岡県福岡市中央区天神3-4-14
        Tel 092-781-7597 Fax 771-2653
        11:00〜20:00  地下鉄天神駅・西鉄福岡駅より徒歩5分

      ・福本浩子(1971年生まれ、京都府在住) [応募数:11]
【京都】ギャラリーそわか      7月18日(火)〜7月30日(日) 
       601-8428 京都府京都市南区東寺東門前町90  Tel/Fax 075-691-7074  
       13:00〜20:00 月曜日休廊 市バス18・71・207系統[東寺東門前〕下車すぐ
       JR京都駅八条口より徒歩15分 近鉄東寺駅より徒歩7分  
   
     [そわか1]
      ・高島芳幸(1954年生まれ、埼玉県在住) [応募数:13]
     [地下室]
      ・高橋理加(1963年生まれ、埼玉県在住) [応募数:11]
     [1階通路]
      ・岡博美(1976年生まれ、京都府在住)
【東京】TOKI Art Space      8月7日(月)〜8月13日(日)
       150-0001 東京都渋谷区神宮前3-42-5-1F  Tel/Fax 03-3479-0332   
       11:30〜19:00 水曜日休廊  地下鉄銀座線外苑駅前3番出口より徒歩5分

      ・高橋理加(1963年生まれ、埼玉県在住) [応募数:18]
【名古屋】カノーヴァン       9月5日(火)〜9月17日(日)
      460-0007 愛知県名古屋市中区新栄2-2-19  
       Tel 052-262-3628 Fax 242-5862     
       11:00〜20:00 月曜日休廊     地下鉄東山線新栄駅2番出口より徒歩5分

      ・福本浩子(1971年生まれ、京都府在住) [応募数:6]
【埼玉】川口現代美術館スタジオ   9月21日(木)〜10月1日(日)
      333-0851 埼玉県川口市芝新町7-20 ローザ゙第2ビル
       Tel 048-261-7878 Fax 268-1012           
        JR京浜東北線蕨駅東口より徒歩3分

      ・福本浩子(1971年生まれ、京都府在住) [応募数:12]

[応募総数:98]

 

 ことばは芸術をつかさどる。
  ことばが単に声帯の起こした空気の振動などではなく、人の意識の発露そのものだとすれば、意識あるいは無意識の領域から産出される芸術作品は、ことばに よって初めて生を受け、他者が共有するための普遍性を身に付けることができるのではないだろうか。そして芸術作品は、空想や思考をはじめとする意識の奥底 に隠された感覚や感情を、芸術的技法や概念および、造形的な訓練がなされた身体を通して、芸術家が世界という現実の中に生み落としたものであり、人の意識 の領域に可視のかたちを与えることが、その役割の一つであると考えても差し支えないのではなかろうか。
  ところで、無意識の領域も含めて人の意識がつかさどる範囲は、思考・感情・知覚・言語・コミュニケーション・身体の制御など、私たちの生のかなりの部分 を包括するほど幅広いものである。それゆえに、人の意識の働きそのものを作品のテ−マとするときには、その範囲の幅広さの影響を受けて、作品は単に概念的 であるという範ちゅうを大きく逸脱し、非常に多様な種類のものが創られる可能性がある。
  インスタレーション作品の公募展『ことばの領分』は、実際には《意識の領域》と言い換えることができるような意図をもって企画された。今回個展を行う7 名は、ことば・記号・文字などをもとにした作品、あるいは概念・知覚・思考など人の意識に関することから着想を得た作品、ことばや思想が記される対象とし ての《本》をテ−マとした作品のいずれかに該当すること、という公募規定に沿って提出されたインスタレーションの展示プランの中から、全国6カ所のギャラ リーの審査によってそれぞれ選ばれた。
 この7名の作品は、《ことばもしくは意識の領域にあるもの》という共通のテ−マに括られてはいるが、ジャンル・技法 ・コンセプト共に、それぞれ大きな隔たりを持っている。しかし《意識》という実に多様な存在を芸術が追求するためには、それは当然起こりうることであり、 個々の作品の間に横たわる大きな差異は、私たちに、人の意識と芸術との関わりを、より広く深く鮮やかに見せてくれるであろう。


【東京】Gallery ART SPACE   2000年6月27日(火)〜7月8日(土)
内藤 絹子展 『祈りの言葉』
2000年6月27日(火)〜7月8日(土)
(Gallery ART SPACE)
 この展示の中心となるのは、無数のことばや文字を表面に刻みさらにその上から焼いた炭を押し当てて丸い焦げ跡を全面に残した、主に長さ約2mで幅20cmほどの、20本余りの板である。これらは、遠目からは黒色と木肌の色のまだら模様に見えるだけだが、近寄ると表面にびっしりと文字が彫り込まれていることに気が付く。しかしそれらの文字は、記されている方向が上下左右ばらばらであることや互いが複雑に重なり合っていることで、文字であることは判別できてもその内容自体を理解することは容易ではなく、解読することが拒絶されているような疎外感に包まれるのである。
 「板の中に埋没し隠されようとすることば」。これがこの作品に対する率直な感想だった。しかもこの板は、廃屋の民家の床板を剥がしてきたものだという。これらの文字は何を意味するのだろうか。
 作者は展示プランの説明の中で、「滅びゆく日本文化の象徴でもある民家の廃材に文字を刻むことで、今日において失われつつあるものを確認し、自身の存在をあえて認識し直す行為である」という趣旨のことを述べているが、そこに解読を拒絶しているとも取れることばを刻むことには、作者自身のある意識や思いを、コミュニケーションのための手段としてではなく、普遍的な力を伴って現実の中に存在させようとする意図を見て取ることができるのではないだろうか。そして、文字を刻むために選んだのが、それ自体が長い時間や多くの意味を背負って強い存在感を放つ民家の廃材であることも、そうした力を最大限まで強めようとしてのことであろう。
 またこの作品では、文字を刻んだ廃材一枚一枚からとった「拓本」を天井や壁から吊り下げたものがもう一つの重要な要素になっているが、一見すると紙に線描で表現した白と黒のイメージとしか目に映らないようなこれらの「拓本」は、空間に造形的なボリュームを与えるだけではなく、刻まれた文字やことばを意識や情緒の領域から解き放ち、物質としての生を与える役割を果たすのである。
 「物質と化したことばは、普遍的な意味をまとうことができるであろうか」。廃材に刻まれた誰にあてたものでもないメッセージには、ことばと造形との間に横たわるこうした問いが含まれているような気がしてならないのである。
内藤絹子 作品写真
内藤絹子 作品写真2
石川 雷太 展 『アクション ダイレクト 3』
2000年6月27日(火)〜7月8日(土)
(ART SPACE LAVATORY )
 展示空間であるトイレのドアを開けると、壁面全体が赤い色で覆われ(赤く塗った板と赤テープが壁面と天井に張られた)、密室の中の唯一の光である天井のボール電球が赤い影を落としそこに入った者の目をくらませる。  部屋に入ると左手の壁面には、1960年代の山谷暴動の先導者による「やられたらやり返せ」で有名なアジテーションのテキストが、作者自身の手で白チョークで記された。また、会期が始まる時点では残りの壁面は3面とも空白の赤い板であったが、会場内に用意された白いパステルペンを使って来場者が自由に文字やことば、絵などを書き込んでゆくことで、展示空間は次々と様相を変化させてゆく。そしてここには、その場で浮かんだ何気ないことばやイラスト、内面を露吐するような重いものから、いわゆるトイレの落書き的なものまで、さまざまなことばが大小の文字で記され、最終的には赤い壁面全体が白い線で埋め尽くされることになった。
 ところで壁には最初、作者自身が記した左翼思想的なテキストが記された。もちろんそうした思想が今にいたって無力になっていることもあるが、この展示空間の中でそれは、ことばの力を持たない一つの記号と化してしまったという印象を受けたのである。その理由を考えてみたが、よくよく見てみると壁に残されたその他のことばも、当初の意味が著しく薄れて「文字という物体」にすり替えられているということに気が付いたのである。それは、さまざまな人の手になることばが重なり合って互いの意味を相殺させてしまったことが要因であると推測できるが、見かけの上での意味がたとえ失われてしまったとしても、ことばそのものが消えて無くなってしまったわけではない。そして、多数の人々のことばが一つの塊になってどこかに隠されているとすれば、この赤い壁こそは、ここを訪れことばを記した人たちの意識そのものを物質化しようとしたものであると考えることもできるのではないだろうか。
石川雷太 作品写真
石川雷太 作品写真2
稲永 寛 展 『彼の経済、彼女の経済』
2000年6月27日(火)〜7月8日(土)
(ART SPACE bis)
 幅70cmほどの白い本棚の扉を開けると、中央の仕切りに分けられた左右の空間に、さまざまな商品のパッケージの表面を白い絵具で塗りつぶしたものが詰め込まれている。それは例えば、缶コーヒーや缶ビール、スナック菓子、文庫本、カップ麺などであるが、それぞれは、パッケージの一部分のみが塗り残されている。さらに棚には、各企業がつくったこれらの商品のPR用のリーフレットをまとめたものが、テキストとして設置された。
 この展覧会には「彼の経済、彼女の経済」というタイトルが冠されているが、ここにある『ドンタコス』『Volvic』『スジャータ』『キリン一番搾り』『ライオン歯みがき』『鉄道員』等の商品に対して、パッケージのどの部分が気になって購入を決めたのかということをさまざまな人に聞いてリサーチし、その理由となった部分のみを残して白く塗りつぶし、さらに聞いた相手を男性と女性に分けて展示することでこの展覧会は構成された。
 しかし男女に分かれているといっても、作品を一見した限りでは、どちらが男性の側でどちらが女性の側であるかはとうとう特定することができなかった。つまり、商品購入に絡む経済原理においては明確な性差は無いということがこの作品から私が読み取った結論であったのだが、もちろん現実にそんなことはなく、彼の作品が見せる経済に対するコンセプトと実際の経済原理との間に横たわる微妙な溝が、観る者に「自分にとっての経済とは一体どういったものであろうか」ということを考えさせるのである。
稲永寛 作品写真1
稲永寛 作品写真2
福本 浩子
【福岡]アートスペース 貘  【名古屋】カノーヴァン  【埼玉】川口現代美術館スタジオ
【福岡】アートスペース貘          2000年7月17日(月)〜7月23日(日)
 福本浩子展 『La Biblioteca』
2000年7月17日(月)〜7月23日(日)
 新聞や雑誌を溶かして11×8×4.5cmのブロックの形に再形成したもの約 940個を、ギャラリーの正面の壁を背にして、直径 170cmの半円を描くように天井まで積み上げて半円筒型の立体を構築した作品と、文庫本30冊分を同様に溶かしてたものを、一冊につき30×30cmの正方形となるように床に敷きつめ、それを縦6列、横5列分並べてグリッド状にした作品で構成した展覧会である。
 素焼きのレンガでできたサイロを思わせるような半円筒型の立体の表面には、あえて溶 かし切らずに残した文字やページの破片がところどころで微かに見えており、これらのブ ロックがかつては印刷物であったことを思い出させるが、間近に近寄らなければこうした 痕跡を発見することはできず、作品の外観は、元の印刷物がほぼ完全に別の物体へと転化 させられたことを示しているといえるだろう。床につくられた文庫本のグリッドでは、そ の特徴はさらに顕著となる。これら30個の正方形は粒が微少であるだけに、近づいても 素材を特定することはできず、それが印刷物であった事実を知ることは困難である。さら に、アイボリーを基調としてさまざまな発色を示すグリッドが整然と並ぶ様は、幾何学的 な絵画のようにも見え、そうした外観も印刷物としての印象を払拭させる役割を担ってい るといえるだろう。を背にして、直径 170cmの半円を描くように天井まで積み上げて半 円筒型 ところで、福本の作品における外観上の共通点は、アイボリーを基調とする地色 であろう。彼女が素材にしているのは、雑誌や新聞紙、文庫本などのあまり上質ではない 紙を用いた印刷物であるが、それらの紙の地色がそのまま作品の色彩となって現れ、特に 文字が完全に消し去られた作品では、元は印刷物であったことを示す最後の砦となるので ある。同時に、今回展示された文庫本のグリッドに見られるように、たとえ全ての文字が 消し去られてしまっても、もともとそこに記されていた文字やことばは完全に抹消されて しまうわけではなく、かつて本であった記憶として、その痕跡がインクと共に紙の素地の 中に残されているはずである。そう考えると彼女の作品がつくる展示空間は、印刷物の抜 け殻をただ単に物質化させて集積したものではなく、それらの中にもとから含まれていた さまざまなことばや思想が解体されて永遠に眠る、化石の発掘現場にも似たものであると 考える、ことができるのではないだろうか。発色を示すグリッドが整然と並ぶ様は、幾何 学的な絵画のようにも見え、そうした外観も印刷物としての印象を払拭させる役割を担っ ているといえるだろう。
 ところで、福本の作品における外観上の共通点は、アイボリーを基調とする地色であろ う。彼女が素材にしているのは、雑誌や新聞紙、文庫本などのあまり上質ではない紙を用 いた印刷物であるが、それらの紙の地色がそのまま作品の色彩となって現れ、特に文字が 完全に消し去られた作品では、元は印刷物であったことを示す最後の砦となるのである。 同時に、今回展示された文庫本のグリッドに見られるように、たとえ全ての文字が消し去 られてしまっても、もともとそこに記されていた文字やことばは完全に抹消されてしまう わけではなく、かつて本であった記憶として、その痕跡がインクと共に紙の素地の中に残 されているはずである。そう考えると彼女の作品がつくる展示空間は、印刷物の抜け殻を ただ単に物質化させて集積したものではなく、それらの中にもとから含まれていたさまざ まなことばや思想が解体されて永遠に眠る、化石の発掘現場にも似たものであると考える ことができるのではないだろうか。
福本浩子福岡展 作品写真1
福本浩子福岡展 作品写真2
【京都】ギャラリーそわか         2000年7月18日(火)〜7月30日(日)
 高島 芳幸 展 『用意されている絵画』
2000年7月18日(火)〜7月30日(日)
(そわか1)

 木綿の素地である濃いクリーム色の地色の綿布に、黄色の油絵具で「亀裂」のような短 い線を黒いコンテの線を添えて描いた、大小4点の絵画作品と、それぞれの絵と並置させ て、黒のICテープで同サイズの矩形の輪郭を表したもの、さらに絵とテープの組み合わ せを額に収めた2点の小作品で構成した展覧会である。
 展示の中心となるのは、会場の正面と左右に見える、213cm×213cmの正方形を基調と する3組の作品である。正面には四隅に小さな石を置いた綿布が壁際に沿って敷かれ、そ の上方の壁には黒いテープによる方形の輪郭がつくられている。また向かって右サイドの 壁には、左に綿布を右にテープを配置したものが、左サイドの壁には、同様に左に配した 綿布の右端を固定せずに、一部分が丸まって垂れ下がった状態にしたものが展示された。 それぞれの綿布には、長さ40〜50cmほど、幅2〜3cmほどの線が黄色の絵具によって数本 描かれているのみで、綿布のほとんどの部分が「余白」であるといっても良い状態である。
 ところでこれらの3点は、全く同じサイズであるはずなのに、観る位置によって異なっ た大きさに見えることがある。その理由としては、遠近感を崩すような設置の仕方がなさ れていることや、左サイドの綿布の一部を垂らしたことでその部分にだけ立体としての空 間が生まれ、この作品のみが一際大きく見えるような目の錯覚を生むこと、会場全体が大 光量の蛍光灯で照らされ、やや白くとんでみえる空間がやはり目の錯覚を助長することな どがあげられる。そして、綿布の余白部分の大きさに加えて、テープが囲う四角の内側も 下地となるギャラリーの壁面がつくる余白であり、さらにつきつめて考えれば、これらの 矩形は空間を仕切る境界線でしかなく、その外側にある壁面自体が矩形の余白であるとす れば、展示空間そのものが作品の「余白」として機能しており、観客である私たちもこの 空間に足を踏み入れることで、作品の空間の中に取り込まれてゆくのではないだろうか。
  この展示は平面作品をもとにしたものであるが、そこから立ち上がる周囲の空間そのもの も作品の一部であることは明らかであり、それに気が付いた後に再び描かれた線に視線を 向けると、それは制作行為の痕跡であるだけではなく、この空間に浮遊する、造形的な側 面のみでは語り切れない、作者の意識の総体が描く「航跡」のようなものであるような印 象を感じるのである。
高島芳幸 作品写真1
高島芳幸 作品写真2
 岡 博美 展 『その想いは、粒となって』
2000年7月18日(火)〜7月30日(日)
(1階通路)

 通路でもある展示室の左右の壁を渡すように、23本のテグスが張りめぐらされ、そこ には6mmと8mmの2種類の色とりどりのビーズが、ある間隔を空けて無数に固定されて いる。スポットライトの光を受けてところどころで輝きを放つこれらのビーズは、あるこ とばをモールス信号で表したものだということだが、そのことばの内容は観客には知らさ れない。 ビーズを付けたテグスは、人の目の高さから頭の高さにかけて張られており、 観客はやや腰を屈めながら、背の低いトンネルをくぐり抜けるようにしてこの展示空間を 通過しなければならない。その際ちょうど目や頭上の高さすれすれにビーズを見上げなが ら歩むことになるが、前に進むごとにビーズの輝き方は目まぐるしく移り変わり、途中で 足を止めて来た道を振り返ってみると、全く違った「景色」をそこに見い出すことになり、 さらに「トンネル」の中間にさしかかると、遠近感が失われつつある事に気が付くのであ る。また、壁際では小さく、床に近づくにつれて大きくなってゆくことで視覚を惑わせる ビーズの影は、作品がつくる空間を豊かなものとする役割を助長している。
 ところで、モールス信号をビーズで表すことに話を戻すが、視界を横切り頭上を飛び交 うものがすべてことばのエレメントであることを考えると、ビーズの下をくぐり抜けてゆ くことは、読むことや聴く事のできないことばと対面し包み込まれることでもあるといえ るだろう。そして、知ることができないが故に、そのことばの意味を「感じ取らせようと する」ことを促す、「言霊の迷宮」とも言えるようなこの作品は、ことばが疲弊あるいは 摩耗してゆくしかない日常の中で、ことばが持つ本来の豊かさを見直すためのささやかな きっかけになるかもしれない。
岡博美 作品写真1
岡博美 作品写真2
高橋 理加
【京都]ギャラリーそわか・地下室  【東京】TOKI Art Space
 高橋 理加 展
『言葉の壁〜Word Barrier〜』

2000年7月18日(火)〜7月30日(日)
(ギャラリーそわか地下室)

 地下の展示室に向かう階段を下りると、顔に開いた状態の本をかぶせた牛乳パックの再 生紙を素材とする小学生ほどの大きさの人体が、木の椅子に腰掛けて出迎える。右側には 視界を完全に遮るように白い壁が設置されているが、壁の左右は狭い通路になっており、 自由に通行することができる。  こうした壁は、展示室を4つの部屋に等分するように、平行に計3枚立てかけれている が、2番目と3番目の部屋には、目かくしをされ、この作品のテ−マである「あなたのこ とばはわたしにつたわらない」という指文字(聴覚障害者が使うコミュニケーションのた めの手段の一つ)を一体が一文字ずつ示す、上半身だけが上を向いた形で壁に取り付けら れた白いパルプ素材による人たちが、からだを持たないパルプによる多数の腕と共に、壁 一面に計28体分設置されている。また一番置の部屋の仮設の壁には、同様の上半身のみ の人体4体が、ギャラリーの本来の壁からは、同様の指文字を解読できるような順番で示 す、計20体分のからだの無い腕が突き出しており、この部屋のさらに奥にある死角の部 分には、「あなたのことばはわたしにつたわらない」という文字がレタリングされている。
 ところでこの展覧会は、「あなたのことばはわたしにつたわらない」というキーワード が示すように、コミュニケーションの不自由さをテーマとしているわけだが、この作品と 対面して感じたことは、その意味を知ることは確かにできないが、設置された人体の一人 一人が伝えようとしている様々なことばがこの空間に充満しているということである。何 かを語ろうとする彼らの切実な表情がそう思わせるのであろうが、再生パルプという立体 としての存在感の希薄な素材が使われていることも、一体一体の内面にある「ことば」に 観客の意識をより集中させる役割を果たしているのではないだろうか。
高橋理加京都展 作品写真1
高橋理加京都展 作品写真2
【東京】TOKI Art Space          8月7日(月)〜8月13日(日)
 高橋 理加 展
『言葉の壁〜Word Barrier〜』

2000年8月7日(月)〜8月13日(日)
 遮光を施したギャラリ−に足を踏み入れると、通路となった壁の右側には、京都・ギャ ラリ−そわかで展示されたものと同様の、牛乳パックの再生紙による人体の上半身4体が、 壁から並んで突き出しているように設置され、向かいにある右側壁には、この作品のキー ワードである「あなたのことばはわたしにつたわらない」ということばを一体が一音節ず つ指文字で示す腕が、やはり壁から突き出すようにして並んで設置されている。
 その通路の奥には、厚手の白いカーてんんが吊り下げられており、そこをめくって先に 進むと、同様の上半身や腕数十体分が極少数のスポットライトに照らされて壁に設置され た、照明を落としたもう一つの部屋が現れる。まず部屋の中央には、開いた状態の本で顔 を覆われた小学生ほどの大きさのパルプの人体が、その後ろの壁にレタリングされた「あ なたのことばはわたしにつたわらない」というキーワードを背にして、白く塗られた台に 腰掛けている。向かって左側の壁には、約40体の目隠しをされた上半身のみの人体が壁 一面に設置され、右側の壁には、やはり数十体分の腕のみが、ひとところに固まるように 取り付けられている。これらの人体の手はそれぞれ、キーワードのことばの内のいずれか の音節を指文字で表しているとのことだが、ことばを表すことなくランダムに設置された 第2室の彼らは、物言いたげなその表情の中に全てのことばを飲み込み、まさに「ことば はつたわらない」というテ−マを体現しているといえるだろう。
 そして、この部屋を出て最初の通路の部分に戻り、未知のことばの「指文字」であると はいえ具体的なことばを表している者たちと再び対面した私たちは、ことばが混沌として 飛び交う前の部屋で感じたもどかしさから救い出され、ある一つのことばの壁を乗り越え た自分自身をここで発見することができるのである。
高橋理加東京展 作品写真1
高橋理加東京展 作品写真2
【名古屋】カノーヴァン          2000年9月5日(火)〜9月17日(日)
 福本浩子展
『Bibliophile Biblioteca』

2000年9月5日(火)〜9月17日(日)
 ギャラリーの壁面3面に幅 8.5cmの白い棚が取り付けられ、その上には、文庫本を水 分に溶かし、それを一冊に付き一個ブロックの形に再成型したもの73個が整然と並べら れており、それらは元の本の頁数や紙質の違いを示すように、厚みはばらばらで地色も異 なっている。すべてのブロックの下端には、バーコードのようにも見える磁気テープが貼 られているが、これは「スキャントーク・リーダー」という、磁気に録音された音声を読 み取るためのシステムで、来場者は付属されたペン型の読み取り装置を使って、記録され た音声を読み取ることができる。
 ところでここに展示されたブロックは、皆かつて発禁処分を受けたことのある書物をもとにしており、音声は、各書物の一節を約7秒間ずつ読み上げたものである。この 展覧会では、政治や社会状況がかつて隠蔽した禁書における「禁じられた情報」を読み解 くことがテ−マとなっているが、ここでは、書名と朗読文の内容を記した資料が会場に設 置されているとはいえ、並べられたブロックの外見からその内容を知ることは不可能であ り、実際には収められた情報は、73冊の断片同士が展示空間の中で混ぜ合わされた状態 になっている。そう考えるとこの空間は、知識の隠蔽や禁書という行為そのものを 象徴しながら、書物や情報と人との関係の一つの断面を示す場であるといえるだろう。
福本浩子 作品写真1
福本浩子 作品写真2
福本浩子 作品写真3
【埼玉】川口現代美術館スタジオ     9月21日(木)〜10月1日(日)
 福本浩子展 『 Biblioteca』
2000年7月17日(月)〜7月23日(日)
 入り口の近くの正面には、新聞や雑誌を溶かして11×8×4.5cmのブロックの形に再形成したものを約1800個を積み重ねてつくった、直径約1.5mの円柱を型取った立体が置かれ、さらに背後の床には、同じく古紙による小石状の粒が約3×4mの範囲で鉄骨をまたぐようにして敷かれて、鉄骨で二分された空間をつなぎ合わせている。その脇に置かれたヴィデオ・モニターには、ランダムに並んだ文字が読み取ることの不可能なスピードで次々と現れる映像が映し出される。奥の空間には、文庫本30冊分を溶かしたもので一冊につき30×30cmの正方形をつくり、それを縦6列、横5列分並べてグリッド状にした作品(福岡・アートスペース貘で展示された)が床の一部を覆い、部屋の突き当たりには、テープに記録された音声を読み取る「スキャン・トークリーダー」というシステムのための読み取り用テープが貼られた古紙のブロックが、かつて「禁書」であった書物の文庫本を一個につき一冊表すというオブジェ72個を、隣り合わせる2面の壁面に取り付けた2段の白い棚に置き、このシステムを使って来場者がそれぞれの書物の一節を自由に聞くことが出来る作品(名古屋・カノーヴァンで展示された)が設置された。
 素通しの鉄骨が中央で部屋を二分する構造の空間を効果的に使った今回の展示では、その鉄骨をまたいで床を埋める大量の紙の「砂利」が福岡、名古屋での作品に加えて新たに登場したが、これは同様の制作方法による文庫本の欠片のグリッドに比べると、多種多様な印刷物の断片が混在しさらに不定形であるという点で、古紙ブロックの塔が持つ「書物の墓碑」としてのイメ−ジをことさら強調しており、展示空間全体を「本」という概念そのものの総体として見せる役割を果たしているといえるだろう。
 また今回の展覧会は、企画展『ことばの領分』のもとに3会場で開催された「福本浩子展」を包括する大きな規模の展示でだったが、作品から受ける印象は、アイボリーを基調とする印刷物の地色が空間全体を静かに覆っているという、他の会場での作品と全く等しいものであった。そのような印象は、印刷物が生成する「情報」あるいは「思考」を象徴する物体に取り囲まれているという感覚を各会場で私たちにもたらしたが、今回のように展示空間が拡大しすることで、そこに点在する作品同士が相互に影響し合い、こうした感覚は飛躍的に強められている。その結果私たちは、書物の記憶を宿したこの構築物を通じて、書物および情報の本質についてより深く意識する機会を与えられたのではないだろうか。
福本浩子 作品写真2


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