「THE LIBRARY 「本」になった美術」出展作家・出展作品紹介
(右側画像は過去の作品です)


荒木珠奈

荒木珠奈
1970年東京都生まれ。「サ−カス」などにまつわるモチーフをもとにして、観る者の心を空想の世界で遊ばせてくれるようなインスタレーション作品を発表。

本の中劇場
180×185×130 ミクストメディア
本を開いたかたちをもとにした立体に、エンジ色の小さなカーテンが吊され、スペイン語の雑誌の切り抜きを壁に貼った内部は、黄色いタングステン球で暗く照らされている。その下には、旗のようなものを下げた針金のフレームや小さな椅子が吊されている。作者は、サーカスの小屋をイメージさせるインスタレーション作品などを発表してきた。照明を落とした中で行われるそれらの展示は、子どもの頃に観た芝居やサーカスの記憶にも似た、懐かしさとあやしさが入り交じった感情を呼び起こす。そして、「開いた本の中に小さな劇場があったら」というようなイメージで制作したという、手に取れるサイズのこの劇場も、同じくそうした気持ちを誘うのである。

飯田啓子
飯田啓子
1954年山梨県生まれ。人と社会とのコミュニケーションを主なテーマに、コンビニ弁当をカラーコピーしたものを使った作品や、大量の切手をもとにした作品などを発表。

ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ
260×160×120 ローマ字ビスケット・鉛筆
  AからZまで26文字のローマ字ビスケットが、4列×5列×12段で計240個積み上げて一かたまりとなり、これが二山、計480個分置かれている。そしてこれらの表面は、黒の鉛筆の線で塗りつぶされている。ビスケットは本来食するためのものだが、こうして塗りつぶされることで、食べ物とは異なる、アルフ ァベットのかたちをもとにした別の存在へと姿を変える。作者は、コンビニ弁当など、現在の「食」をモチーフにして、平面、オブジェ、インス タレーションなどさまざまな手法で作品を発表してきた。この作品では、「文字」と「食」の二つの要素が絡み合い、オブジェとしての新たな意味がつくり出されているといえるだろう。
石上和弘
石上和弘
1966年静岡県生まれ。等身大のリアルな牛をはじめとする動物の像や、巨木を模したものなど、木彫の技法をもとに、木の中に宿る「何か」を想像させる作品を制作。

双子の時間
310×240×55 木材(楠)、鉄、亜麻仁油・鉛筆
蝶番につながれた3ミリ厚の木の板による本を開くと、子牛のような動物が左右対称に描かれたイメージが両ページに現れる。これは、楠を薄くスライスして木目に浮き出る模様から動物の姿を探し出し、一部を鉛筆で補って制作したものである。作者は、100枚ほどスライスした中からこのイメージを見つけ出しており、スライスした反対側の面にも、ほぼ同じ像が反転し存在するために、あたかも双子のように二匹が対称型で左右に並び、自然の中の小さな奇跡が表されている。作者は、木彫の手法をもとに、動物などをモチーフにした作品を制作してきたが、ここでは、あたかも仏師が一本の木に仏を見つけ掘り出すような、深遠な視線が働いているような気がしてならない。
石川雷太
石川雷太
1965年茨城県生まれ。相容れないもの同士のコミュニケーションなどをモチーフに、鉄などの硬質の素材とテキストが交錯するインスタレーション作品を主に発表。

True Romance
300×200×185 ガラス、木、アルミ、その他
板の台座上に13枚のガラス板が整然と並んで立てられ、それらには、赤い文字で文章が印字されている。このテキストは、作者が1996年から度々発表してきた作品のシリーズ『True Romance』に使用されているもので、作者は、ガラスを透して現れる借景としての風景は、私達にとっての他者であり、この作品は「自然」に限らず、自己と他者との関係性、同化の不可能性を、恋文を思わせる「私」「あなた」という二人称のテキストで表現している、と語る。彼は、さまざまなコミュニケーションをテーマに制作を行ってきたが、絶対に同化し得ない他者との対話の中で、同化への願望を捨てた時にこそ、同化の可能性が現れることをこの作品は語っている。
石渡雅子 石渡雅子
1978年神奈川県生まれ。紙に木版画のインクを重ねたものに水分を含ませ、手でインクの層を剥がす独特の手法により、自身の「想い」を見えない日記として表現。

脱皮する本
240×240×45 和紙、ロール紙・油性インク
 鮮やかな色に染まる和紙の本を開くと、ところどころでは破れて小さな穴が開き、ページの端では崩れかかっている。和紙に木版画のインクをのせて刷る工程を数回繰り返した後に、水を含ませた刷毛で紙を湿らせ、手でインクの層をはがしていくと、インクの層の裏側に和紙の繊維が一緒になって付いてくる。ここでは、そうした独特の手法で制作されたページをもとに、本のかたちとしているが、インクが主であるために非常に脆く、ページをめくるごとに少しずつ断片がはがれ落ち、本自体の崩壊を予見させる。作者はこれを、自身の「日記帳」と位置付けているが、消滅へと向かうページは、ことばではない、見えない想いだけが残った日記を象徴している。
稲垣立男
稲垣立男
1962年生まれ。国内外で地域コミュニティと共同のプロジェクトを多数行っている。近年は未就学児の教育プログラムをテーマに研究活動も行っている。現在法政大学国際文化学部教授。

Wat Patumtaram保育園でのワークショップ 2009 vol.7
2007年よりタイ・チェンマイのDoi Saketにあるアーティスト・イン・レジデンス「Compeung」に滞在、研究室の学生とともに「Doi Saket Project」という地域のコミュニティとの共同のプロジェクトを進行している。このプロジェクトの中でWat Patumtaram保育園の子どもたちとのワークショップを毎年実施している。
ワークショップ「手紙をかこう」 2009年の8月から9月にかけて同保育園で計7回のワークショップを実施した。「手紙をかこう」は最終日にワークショップの思い出を絵にしてもらったもの。紙の上だけでなく私たちの着ていたビニールコートにも思い出を描いてもらった。(稲垣立男)
※Doi Saket Project http://www.compeung.org/ARTISTS/Tatsuo.htm
乾久子
乾久子
1958年静岡県生まれ。線、時間、言葉、コミュニケーションなどを創作のためのキーワードにして、内発的な線やかたち、関係性やプロセスなどを作品化している。

蕾 ―tsubomiー
195×125×25 レディメイドブック・インク、色鉛筆
  「アンネの日記」ドイツ語版のペーパーバックをベースにした作品である。表紙は既成の本のままだが、中を開くと、記された文字が一部を除いて白のインクで一文字ずつ薄く塗りつぶされていることがわかる。 塗り残された文字は、青とピンクの色鉛筆でマークされ、それらを順番につなげると、ドイツ語で自由を意味する「Freiheit」 と愛を意味する「Liebe」の単語が交互に現れる。日記の全ての文字をなぞり、自由と愛にまつわる文字を一日一語ずつ淡々と拾い上げていく行為は、日記の背後に存在する、アンネ・フランクの愛や自由への希求を視覚化する試みである。同時、にその作業行為自体も作者の日記となる二重構造を生み出している。
今井紀彰
今井紀彰
1964年石川県生まれ。すでに滅び世界各地で語り継がれる動物たちをモチーフにした、写真による巨大なコラージュ作品のほか、写真の可能性を探るさまざまな造形作品を制作。

本たま
120×100×100 紙、写真
 天地に向かってすぼむようにして、1ミリ厚の紙が100枚束ねられ、タマゴを思わせる楕円状の球体がつくられている。束ねたこれらの紙をめくると、それぞれの表裏の面には写真が貼られている。これは、作者が聖地として知られる和歌山県の「熊野」に度々通う中で撮影してきた、自然や街をとらえた写真である。この作品では、四角いものとして認識されている本の概念がいったん解体され、紙を束ねるという基本に立ち返り、手にもっともなじみやすい、新たなかたちとして表現されている。それによって私たちは、作者がとらえた、「熊野」という地に宿るエッセンスを手の内に収め、垣間見ることができるのだ。
上野慶一
上野慶一
1956年東京都生まれ。架空の生命体を思わせるような有機的なかたちをモチーフとして配した絵画作品のほか、小説の形式によるテキストをもとに本の作品も制作。

他小説
 310×250×25 バインダー(30穴透明ファイル)、紙にインクジェットプリント
 表紙に、作品タイトルと、作者を含む計10名の名前が記されている。作者が「文学の実験的プログラムの記録」と位置付けるこの作品は、以下のような過程を経て制作された。ある小説を翻訳ソフトに投入し、日本語→英語のループ翻訳を繰り返し、16世代目のほぼ意味不明の日本語のテキストを9名に送る。テキストをそれぞれの視点から自由に解読してもらい、修復・翻訳し、日本語として意味の通ったテキストに直して送り返してもらう。返送されたテキスト9編それぞれの世界観を踏まえて、その返信として作者が新しくテキストを書き起し、これらを「他小説」というテキストの複合体として一冊の本にまとめたものである。
内海聖史
内海聖史
1977年茨城県生まれ。無数のドットが重なり合って、色彩をもとにしたイメージがつくられる絵画作品を、展示会場の壁面のサイズや空間の性質に合わせて制作。

三千世界
70×70×150(伸ばした状態で12600) 布、紙・インクジェットプリント
 表紙に「三千世界」と記され、7.0×7.0cmのページを百枚超に折り重ねた小さな折本のページごとに、4×4ミリの大きさの、さまざまな色彩によるイメージが、6×6列で計36個、整然と並んでいる。これは作者が、近年シリーズで発表してきた、小さな色彩のドットをもとに描いた5×5cmの絵画を、数千点壁面に並べて一つの世界を表す作品「三千世界」の中から選んだものの写真を縮小して紙にプリントし、180ページ、6,480点分もの画像をもって制作した、小さいながらも壮大な作品である。そして、無数の色彩をもって構成されるこの作品によって、私たちは、作者が思い描く世界の姿を、手の内に収めながら体験することができるのだ。
内倉ひとみ 内倉ひとみ
1956年鹿児島県生まれ。人が光に包まれた時に感じるさまざまな感覚をもとに、白い紙にエンボス加工したものが光を受けて豊かなイメージとなる平面および立体作品を制作。

文字では伝わらなかったことごと 2009
250×175×100 革、木、鏡、その他
革張りの表紙による、大きさの異なる2冊の本が、角度をややずらして積まれている。これらは実は、上下が蝶番でつながって一体となった、2つの箱によるオブジェ作品で、本型の上部を扉として開き、中を覗き見ることができる。内部は、細かく割った無数の鏡の断片が全面に敷き詰められている。鏡の破片は、モザイクのようにさまざまな大きさ、かたちのものが配され、写り込む光景は無数に分割される。また、鏡は光を受けることで、周囲の壁面に反射光を放射状に美しく投影させる。作者は「光」を介して生まれる光景を、立体作品として表してきた。ここでは、作品から生まれる光と、それを取り巻く空間が一体となって、新たな光景がつくり出されている。
 
勝又豊子 勝又豊子
1949年宮城県生まれ。自分自身の身体の一部を写真に撮り、それを、鉄をはじめとするさまざまな素材と対比させるようして使用した立体、インスタレーション作品を発表。

Panorama Eye
302×247×40 鉄、木、ガラス、既成の本にインクジェットプリント
 ガラス板で蓋をされた黒い鉄のフレームの内側には、白く塗られた木の箱が収められ、一冊の本が固定されている。本の表紙には、女性の頭部の背面を撮ったモノクローム写真がプリントされているが、そこには、顔の正面像が二重写しになっている。それは、作者のセルフ・ポートレートである。作者は、金属板を壁面としてつくった空間に、さまざまな方法で自身の姿を投影した作品を発表してきた。ここではそれが、一冊の本に写し出されて鉄の箱に囲まれている。正面と背面とが重なり合うポートレートは、自己を外から見つめる自身の視線を表しているとも取れるが、それが収められた作品は、その自我を本のかたちとに託して表したものだといえるだろう。
 
金子清美

金子清美
1954年新潟県生まれ。植物の芽やコーヒーフィルターなど、様々なものを素材にして、作品が展示される場所の性質がクローズ・アップされるような表現を展開。

half awake・夢の途中
200×200×15 透明アクリル板、トレーシングペーパー、ユポペーパー・インクジェットプリント
 上下2枚の円形のアクリル板にはさまれて、2種類の半透明の紙素材に画像、文字をプリントしたものが数十枚重ねられている。これらは、作者が日常の中で出会った風景や人物などを撮った画像を表したものや、日常の中でつぶやいたことばを記したものである。ここでは、画像やことばは、かすかに見えるほどの薄いグレーで表されており、素材の不透明感と相まって、あたかも夢の中の光景を思い返すような、おぼろげな印象をかもし出している。それは、夢とは現実の続きであり、同時に人の生自体が夢のようにおぼろげであるという、夢をめぐる一つの真理を象徴しているように思われてならない。

加藤寛子 加藤寛子
1984年埼玉県生まれ。写真と手書きのイラストレーションとを繋げたグラフィックな表現により、子どもの世界を表したものなど、色彩が印象的な作品を制作。

うらしま たろう
284×209×12 和紙、画用紙・クレパス
 日本の昔話「浦島太郎」のストーリーに沿って、写真とイラスト、文章によって構成された折本である。作品は、いじめられているカメを浦島太郎が助ける現実的なシーンがまず写真で表される。そこから滑らかにイラストレーションに移行し、カメと竜宮城におもむく場面となる。最後には再び写真に戻るが、これら色彩とかたちをもとにした表現をもって、私たちはファンタジーの世界へと誘われる。作者は、色彩と線を主にした平面作品を制作するほか、写真と絵のページによって一つの物語が表される折本の作品などを制作してきた。蛇腹を広げれば長い一続きのグラフィックとして見ることがもできるこの作品では、誰もが知る昔話が、新たな装いをもって描き出されている。
河田政樹
河田政樹
1973年東京都生まれ。本などから引用するなどして、写真や映像、テキストなどを素材にし、展示が行われる空間の性質や状況を際立せるような作品を制作。

Voyelles
サイズ可変 CD-R、CDプレイヤー、ヘッドフォン、文庫本・イン ク、水彩
 アルチュール・ランボーの詩「母音(Voyelles)」をもとに制作された作品で、ランボー詩集の文庫本にドゥローイ ングしたものと、同著の原文(仏語)や英訳などによるテキストを機械に読ませた音声を再生する、CDプレイヤーおよびヘッドフォンによって構成されている。来場者はまず、ランボーの詩集を手に取り、本自体に手が加えられていることに気が付いた後、CDプレイヤーで音声をたぐるだろう。そこで伝わるのはどのようなものか。作者は、文学や書物との関わりの中で多くの作品を制作しており、ここでは「詩に色彩を施す」と語っているが、彼によっていろどられた詩集は、音声と相まって、元の本とは微妙に異なる存在感を示し始めるのだ。
倉重光則

倉重光則
1946年福岡県生まれ。赤色、青色などのネオン管を用い、光が人の意識に働きかけることで生まれる視覚的・心理的な空間をインスタレーション作品として表現。

odd present
197×135×22  既成の本、写真
 白い既成の本(アルベルト・カミュ著「幸福な死」高畠正明訳、新潮社1972年刊)の表紙に、目を黒く覆った男性のポートレートが貼られている。本には約7ミリ径の穴が計14個開けられ、同じくポートレートを貼った裏表紙まで貫いている。これは、電動ドリルによって穿たれたもので、表紙では穴の周囲が摩擦熱で黒く焼けこげ、制作時の臨場感を物語る。写真は、作者が35年前に撮影したセルフ・ポートレートである。作者は1974年8月、東京・神田の真木画廊にて、耳と目をふさいでドリルで本や電球を破壊する個展を行った。この作品では、35年の時を経て蘇る作者自身と、カミュに対する思いをドリルで貫き、一冊の本に託している。
倉本麻弓
倉本麻弓
1976年埼玉県生まれ。自身が見たさまざまな夢をモチーフに、紙で箱庭のような小さな箱形のオブジェをつくり、夢の内容を記したテキストをそこに添えた作品を制作。

記憶のアルバム
150×100×50 ボール紙、アクリル板、紙、布、糸・油彩、アクリル絵具
ボール紙でできたパネルを左右に開くと、大小17個の窓のような穴が開けられている。それぞれを覗くと、一人で腰掛けてまわりから大勢が見つめている光景、紐でたくさんの荷物を引く光景、首を吊ろうとしているシーン、ナイフを持って殺人を犯したシーンなどが、影のように見える顔のない人物および、机やこたつ、棚などの小道具と共に、立体的に描き出されている。作者は、実際に見た夢のシーンを緻密にたどり、その情景を箱庭のような立体作品として制作してきた。彼女が「夢の世界に逃げるキッカケとなった現実世界での、心の傷の断片」をテーマにしていると語るこの作品では、その意識の深層にある何かが、かたちとなって表されている。
来島友幸 来島友幸
1969年兵庫県生まれ。デジタルが時を刻む音と観客の心音をリンクさせた作品など、人の身体の固有性をテーマに制作。コンテンポラリー・ダンスの美術も行う。

リズムリレー
218×209×100  木、鉄、ステンレス板、ポンプ、電圧調整器、LED、水、紙、鉛筆、聴診器
 2段重ねの立体の下部は水槽の構造となり、5ミリ径の透明ビニール製チューブによって、水中に常時水泡を噴出させている。この泡は、水を振動させて水面に波紋をつくるが、箱には水泡ポンプの電圧を調整するつまみが付けられ、泡を送り出す量を可変させて波紋の広がる速度を変えるようになっている。そして来場者は、用意された聴診器で自身の心拍数を計り、つまみを調整して、心拍のリズムに波紋の広がりを合わせることを指示される。作者は、人が持つ個々のリズムや時間の感覚をテーマに制作を行ってきた。この作品では、波紋の広がる速度を個々人に由来するリズムとして視覚化し、私たちの時間に対する感覚を普遍化するのである。

 

 
黒須信雄
黒須信雄
1962年東京都生まれ。波あるいは縄文的文様のごとくにも見える形象が無数に続き、それが観る者の記憶の中の何かを揺さぶる絵画作品を制作。

生滅記
322×237×79 紙・木版画
 タイトルが記された黒いケースに、30.3×21.9×6.8cmの黒装、片面500ページほどの本が収められている。最初のページには、約20cm径の白い円が現れる。これは、木版画として彫られた円形を、インクではなく白のアクリル絵具によって刷ったものである。ここでは、ページが進むごとに円の内側に黒い一本線が引かれ、徐々に黒の線は白い円形を浸食していく。一ページごとに線を一本版木に彫って刷る行為を、ページの数だけ繰り返した末のものであるが、彫られた部分には白の絵具は付かないために黒の部分が増殖し、最後には白の円形は消滅してしまう。ここでは、人や世界の誕生から時を逆算し、最後には「無」となる理が表されているような気がしてならない。
くわたひろよ
くわたひろよ
1968年広島県生まれ。魚の骨や髪の毛など、かつて生き物の一部であったものを素材としてを制作を行う。立体を中心に、映像、写真、インスタレーショ ン作品を手掛ける。

bit by bit ―days of in my thirties
150×135×40 髪、鉄、合成うるし
 黒光りする直方体を手にすると、思いがけなく重いことに虚をつかれる。表面をよく見ると、無数の髪の毛が編み込まれたもので覆われており、その上から透明なうるしでコーティングがほどこされている。髪の毛は、DNAという基本的な個人データが記されながら、休むことなく体の延長として成長し、最後には人体にとって過剰な重金属を体外に出す役割を担って抜け落ちる、生物の中でもヒトだけが持つ特殊な器官の一つであるという。作者は髪の毛を、私的な物語を刻む私文書になぞらえ、この作品では自身の髪の毛を使用している。それはまさしく、彼女が生きた時間の断片をかたちとして表したものなのだ。
小林のりお
小林のりお
1952年秋田県生まれ。都市の郊外の景観をカラーでとらえた写真作品を出発点に、近年は、デジタル写真の特質を生かしたさまざまな表現をWeb上などでも展開。

読書感想文―起業への夢
230×170×30 エポキシ樹脂、写真
 透明エポキシ樹脂の中に、しわのよった写真プリントが閉じこめられている。これは、村上隆が著した「芸術起業論」の表紙写真をウェブ上から取り込み、それを加工してプリントし、さらにそのプ リントを水の中に沈めて再撮影したものを、しわが寄ったまま封入するという過程を経て制作している。作者はかつて、作品が芸術としての価値をまとい商品として取引されることに疑問を呈し、ウェブ上で流布する画像をもとに作品化したり、ウェブ上のみで作品を発表することなども行ってきた。この作品は、芸術のシステム、制度に対する作者の懐疑的意志がオブジェと化したものと言えるかもしれない。
清水晃
清水晃
1936年富山県生まれ。「闇」が触媒となって生まれる記憶や空想を一つのモチーフとして、「黒」の色彩あるいは極彩色で印象付けられる平面、立体作品などを制作。

風のスケッチ
340×250×65 紙、スケッチブック、はさみ・鉛筆、水彩
 紙の箱に、A4サイズのクリアーファイルと、大小のスケッチブックが入れられ、箱の底には実際のはさみが一つ収められている。ファイルの表紙の中央ははさみのかたちに切り抜かれ、ポケットには厚紙をさまざまなかたちに切り抜いて穴を開けたものが収められており、穴の重なりが新たなイメージをつくり出す。スケッチブックでは、それぞれのページの中央部分をくり抜いた穴の重なりをもって、ページをめくるごとにイメージが変化していく。これは「風」にまつわるイメージをもとに、作者の作品に頻繁に登場する「はさみ」をもとに綴られものの一部であるが、それらが収められた作品をもって、私たちは、彼が感じた「風」を追体験することができるのだ。
関野宏子
関野宏子
1977年東京都生まれ。さまざまな色彩のフリースを素材として、未知の生き物にも見えるオブジェや、それらを多数組み合わせ空間のあちこちに取り付ける作品を制作。

チエノハ  
200×130×220 ファスナー、フリース、ポリエステル綿、ナイロン糸
穴の開いた葉っぱをかたどりさまざまな色に彩られた、16個のフリースによるオブジェの縁それぞれに、4つのファスナーが縫い付けられている。これらは、ファスナーによって16枚をすべてつなぎ合わせて一つの立体となるが、ファスナーの閉じ方によって、バナナ型やツノ型など、想像のおもむくままにつなぎ、さまざまなかたちにつくり変えて楽しむこともできる。作者はフリースを素材に、小さなオブジェから、時には人を包み込むほどの大きなものまで、空間に合わせて変幻自在となる作品を発表してきた。ここでは、来場者が想像力を働かせ、葉をつないで新たなかたちをつくり出す過程が、本のページをたぐる楽しみになぞらえられている。
高石麻代 高石麻代
1974年京都府生まれ。身近にありながらも異質なもの同士を組み合わせて、紙と銅や鉄、木などを素材に、心の中の風景をかたちとして表したオブジェ作品を制作。

mi libro
220×300×85 紙、銅、合金、鉄、ニス
 段ボール素材による表紙を開くと、右側には無数の穴が開いた平原を表す土台が、左側には低い壁に囲まれた建築物が現れる。平原には樹木が生えている。建築物には小屋が建ち、クマや昆虫、靴などが置かれている。土台は再生紙を粘土状にして型取りしたものが、樹木は銅を腐蝕させ緑青を出したものが、クマや昆虫などは合金を鋳造したものが使われている。この作品で作者は、「物語を歩くようして見る彫刻」をつくりたかったという。来場者は小さなパーツを自由に動かして、ここに描かれた物語をつくり換えることができる。そうすることで、作者による物語は様相を変え、作品に関わった人の数分だけ、新たなものが生まれるのだ。
高久千奈
高久千奈
1967年埼玉県生まれ。和紙をもとにした作品で空間全体を構築する作品のほか、近年では、モチーフの静かな反復が印象的な映像作品なども発表。

boundary
260×200×180 デジタル処理の実写映像、ハーフミラー、MDボード
 黒いビニール張りの箱の扉を開くと、白く光る多数の線が、規則的に伸び縮みと変形を繰り返しながら、さまざまなかたちに変化していく様が見える。これらは、箱の底面に仕掛けたDVDプレーヤーとモニターによって映し出される映像である。箱の上部は素通しの鏡(ハーフミラー)となり、映像を覗き込む際に、来場者自身の顔がそこに重なり合い、新たなイメージが生まれる。白い線による像は、円形や波形、拡散と収束、交錯など、多様な動きや光の強弱を見せながら展開し、2分間を一サイクルとして脈々と繰り返される。それを見つめる内に私たちは、映像が生む強弱のリズムに呼吸を合わせ、意識をゆだね始めることに気が付くのだ。
高島芳幸
高島芳幸
1953年茨城県生まれ。「線が表わす方向性」自体をモチーフに、観る者が、作品と自分自身との間の空間の存在を強く感じるような絵画、インスタレーション作品を発表。

用意されている絵画(2009.9.1 19:10―22:49) ―絵画という時間―
206×206×57 M画用紙、ポリプロピレンテープ、アクリル板・木炭、鉛筆
 蓋付きの透明アクリルケースの中に、38.4×19.2cmの紙を半分に折りたたんだものが計21枚重ねて収められている。最初の一枚の表側には作品のタイトルが、裏側には作品の主旨が記されている。2枚目以降は、表面の右下端にそれを描いた時刻が手書きで記され、中を開くと、木炭などであるイメージを描いた上からラミネートをほどこしたものに加えて、描いた時刻と手書きのことばを記した薄い紙がはさまっている。作者は、「用意されている絵画」と題して、作品がつくる空間を追求した作品を一貫して発表してきたが、ここでは、制作にまつわる感覚やその時間そのものが、生々しく提示されているのである。
高橋理加
高橋理加
1963年東京都生まれ。牛乳パックの再生紙でつくった、等身サイズのリアルな人体などの立体をもとにして、それらが空間を構成するインスタレーション作品を発表。

ヒトの種(たね)
290×210×10 紙、石膏、ドールアイ、付け爪、レース糸、アクリルミラー・アクリル絵具
本型のケースを開くと、赤い地に無数の白線の円による模様が描かれた4層のフレームが現れる。それぞれの層には網のように見える赤いレース糸がはりめぐらされ、各層を仕切りつつ繋げている。その中に、赤い付け爪を生やした 指、唇といった、人の身体パーツをモチーフにしたものを埋め込んだ白い球体が数個、赤い糸に絡まるようにして収められている。作者は、牛乳パック再生紙を素材にした、等身大でリアルなかたちの人体をもとにした展示を行ってきたが、ここでは、「近未来の人間はカタログで商品を選ぶように身体をコントロールするかもしれないというSF的な恐怖を表現した」、と語っている。
多田由美子 多田由美子
1965年東京都生まれ。ある光景の輪郭をなぞるように、アクリル絵具や色鉛筆などの線で、壁面と同化するようにも見えるイメージを表した絵画作品を制作。

私小説
270×205×66 シープスキン紙、ケントボード、ボイル地、アクリル板、ユポ電飾用紙・水彩、アクリル絵具、色鉛筆
 透明アクリル板による容器に、「私小説」と題された2冊の折本が収められている。一冊は、原稿用紙73枚半にわたる自作の小説のページに、線と色彩の表現を中心にしたドゥローイングが加えられたもので、もう一冊は、ユポ電飾用紙というプラスティックに紙の性質を持たせた化学的な合成紙に、絵画が描かれている。作者は2009年に行った個展で、ユポ電飾用紙に描く絵画作品と小説による展示を行った。今回の本は、その展覧会を一つのオブジェとしてまとめたものだが、ここでは、作者が「見えない現代の私に触れるストラッグルの痕跡」と呼ぶ、現代における多層な「私」の在り方への模索が行われている。
田邉晴子 田邉晴子
1972年栃木県生まれ。カラーで撮られた光景にデジタル加工を加えることで、それがあたかも夢の中の景色であるよう に表わされた写真作品などを制作。

Garden×Garden
64×82×31 紙、OHPフィルム、ポリプロピレン・インクジェットプリント
 半透明の容器に、作者が日常の中で撮影した、各6.1×8.1×1.3cmの小さな写真集が2冊収められている。一冊は「green grass」(vol.1)と題され、二人の小さな少女が森の小道を歩いていく連続写真で構成されたもので、もう一冊は、「empty room」(vol.2)と題され、作者がかつて住んでいた空き部屋を中心に、時折少女たちが現れながら、部屋の内と外をめぐって光景が展開していく作品である。作者は、「慣れ親しんだ風景の重なりを眼の前にし、手の中に溜めていくことは、自分が確かにその地に立ったことをこの上なく実感させてくれる」と語るが、ここでは、彼女が過ごしたある一日を、時間を追って追体験することができるのだ。
戸泉啓徳
戸泉恵徳
1979年大阪府生まれ。大量に消費される現代の「食」をテーマに、コンビニ弁当を湯たんぽに描くなど、ジャンクフードのモチーフが実にリアルに表される作品を発表。

I'm lovi'n it
228×167×16 紙、布・アクリル絵具、インクジェットプリント
 布の表紙に、巨大なハンバーガーのリアルな絵と、それをほおばろうとする手のシルエットが描かれている。本を開くと、ハンバーガーのパーツ、子どもたちの姿、ハンバーガー店の看板を背景にした街角の光景などの絵が28ページ分続くが、ページの端が、あたかもハンバーガーをかじった跡のように切り抜かれている。作者は、現代のジャンク・フードを主なモチーフにした絵画作品を発表してきたが、その中には、ハンバーガーも頻繁に登場する。今や子どもの頃から身近にあり、小さな食べ物だけれども、私たちを虜にして飲み込んでしまう、その大きな存在感が、作品を通じて表されている。
栃木美保
栃木美保
1947年栃木県生まれ。ハーブなどを原料とする自作の香料や精油を表現に組み込むことで、視覚だけではなく、嗅覚を通じてある記憶や感覚を呼び起こす作品を発表。

水詩(みこと)
206×206×54  和紙、ガラス瓶、アクリル板、蜜蝋、ホホバ油、精油・岩絵具、水彩  
 透明アクリルケースに、顔料などで薄緑色に染められた和紙が多数重ねられて束となっている。この束には、4.5cm径にくり抜いた穴が9つ整然と並び、蓋の付いた透明のガラス瓶がそれぞれに埋め込まれている。この蓋の表と内側には和紙が貼られ、小さな文字で「海、天、響、日、結、月、水、星、翠」と各瓶一文字ずつが印字されている。瓶には、白色、乳白色、黄色、薄水色の、それぞれ種類が異なる植物をもとにした精油が詰められ、蓋を外すと香りを周囲に放つ。作者はこれまで、「香り」をテーマに制作を続けてきた。ここでは、さまざまなことばが持つイメージが、文字ではなく、命の源である「水」にちなんでつくられた精油の香りをもって表されているのである。
豊嶋康子 豊嶋康子
1967年埼玉県生まれ。身近にあって興味が引かれるモノや出来事をもとに、それらが持つ本来の性質を、作者独自の視点で異なる存在に置き換えた作品を制作。
豊嶋康子
固定/動
19.0×19.0×3.0 紙
 紙のケースに、大相撲の一場所分で行われた取り口をテキストで表したものと、白紙に黒い線で引かれたマス目に、手書きによる相撲の力士の名と、その星取を示す白・黒丸が並んでいる。作者はここ数年、人生と制作の心構えを「相撲」のアナロジーでとらえているという。この作品では、2009年秋場所の記録が作品のおおもとになる。彼女は、15日間の取組を記憶に留めるために、今まではテレビの録画をし続けてきた。しかしそれでは。「動き」の主体になり切れない歯痒さがあり、力士達の動きを彼女自身が解釈できる範囲の「ことば」に置き換えて入力し、一場所分を「本」としてまとめて保存する試みを今回の作品で行っている。
 
中西晴世
中西晴世
1963年北海道生まれ。モノタイプの版画の手法をもとに、「水」の動きを目に見えるかたちで表すなど、何かの気配を象徴するような平面作品などを制作。

月夜に海を見る
230×203×226 和紙、竹、アクリル板、LED・木版画、リトグラフ、アクリル絵具
 透明アクリル板による容器の中に、竹ひごの枠に和紙を貼った21.5×20.5cmの平面作品が、上部の枠を容器の上端にかけて並べられている。和紙には、木版画とリトグラフの混合技法で、海の波の動きと、海上に浮かぶ月の移動をモチーフにした絵が描き出されている。作者は、近年「水」の動きに強い興味を抱いて制作を続けてきた。ここでは、海は深い蒼色で、月は黄色で表されている。海と月は、容器の底面に仕掛けられたLED光源に照らされて、半透明に透過し重なり合うが、それは、月が波越しに動くゆっくりとした時間と、波の満ち引きが表す時間の経過を画面の中で溶け合わせ、作者が思い描いた「海」の心象景色を表すのである。
原田さやか 原田さやか 
1979年愛知県生まれ。写真を、自身と世界とを結ぶ媒体として位置付け、写真によって人間の存在を確認することを目指し、主にモノクロによるドキュメントを行う。

血縁
295×230×20 和紙、糸、布、アートエマルジョン・墨、ゼラチンシルバープリント
 さまざまな人物を正面から撮影したモノクロ写真が和紙にプリントされ、各左ページに貼られている。これらは、作者自身と血縁関係にある方たちで、各ページには氏名と作者との続柄、生年月日が記されている。人の命について考える時、もっとも深い縁で結ばれているのが家族、血族であり、その出会いに思いをはせると、全ては網のような糸でつながっているような気がする、と作者は語る。ページをたぐって次々と現れる肖像を見るにつけて、半ば偶然の出会いがつくった血縁が、実は必然的に脈々と続いてきたのではないかと思わずにはいられない。この作品は、作者の「家系図」を示すだけではない、人の血縁を普遍化する何かを感じ取らせてくれる。
 
ピコピコ
ピコピコ
1968年神奈川県生まれ。空想をもとに奇妙奇天烈なぬいぐるみや怪獣人形、怪獣の着ぐるみを続々と生み出し、「怪獣系造形」という表現のジャンルを確立すべく制作。

怪獣図書館 
290×130×120 石粉粘土、紙
 ページを開いた本をかたどった顔から大きな眼がのぞき、さまざまな大きさの本が合体しているように見える身体の怪獣が、両手を広げて立つ姿の立体作品である。この怪獣は「怪獣図書館ボルヘス」と名付けられ、「古今東西の怪獣図鑑が合体して生まれた怪獣で、怪獣に関するありとあらゆる情報を持っており、世界中の軍隊と怪獣マニアに狙われている」という物語が付されている。この作品の背中には、作者の創作による約100体の怪獣を収めた、A7版サイズの「怪獣図鑑」が収められ、自由に手に取ることがでるきるが、この図鑑を見ることで、身体を構成する本一冊一冊の存在が、よりリアルなものとして感じられるようになるのだ。
菱刈俊作 菱刈俊作
1952年神奈川県生まれ。新聞紙から切り抜いた人物像をもとに、顔を消し去った上でコラージュし、架空のアルバム写真の形態をとった平面作品を主に制作。

まなざしの庭
275×205×55 新聞紙、ボール紙、写真、印刷物
 表裏各18ページの折本の一面は、顔の部分が消された人物のポートレートが、時には複数人を撮ったものとなって続いていく。もう一面では、同様の人物写真が、あたかもアルバムに貼られた記念写真のように続くページで構成されている、これらは、人物が写った実際の写真をもとに、新聞紙のコラージュで再構成したものである。ここでは、複数の人物の断片がコラージュによって寄せ集められ一つの表情がつくられているが、それぞれの画面では、元の写真に写る顔の細部が消され、特定の誰かではないがゆえに、誰もが自分自身を投影することができる像が表されているのである。 
前本彰子 前本彰子
1957年石川県生まれ。時としてイコン画にも見えるような人物像を主体に、きらびやかで重厚な色彩と装飾性の強い素材で表した平面、レリーフ作品などを制作。

イナーニの物語
290×215×123 木、石塑土、布、ラメ、ラインストーン・アクリル絵具
 毛の長いピンクのファーに覆われた本の表紙を開くと、板をくり抜き深い森の入り口を表した扉が現れ、その奧には、アーチ型の大きな窓が垣間見える。扉を開くと、窓には「Do not disturb」という小さな札がかけられ、窓枠には銀の鎖が巻き付いている。室内には銀のレース・カーテンが吊られ、マリア像を思わせる女性の姿が、教会のステンドグラスのように表されている。本の束の部分には、小さな金色の手書き文字で「イナーニ」に向けたことばが記されている。これは、作者がある親しい人の死に面して綴ったことばだ。そして、扉の中に収められた女性の姿は、彼女に対する深い想いを普遍の存在とするためのものであるような気がしてならない。
 
松永亨子 松永亨子
1981年兵庫県生まれ。情報として得られる世界の様相と、個人が認識する世界を行き来する感覚をテーマに、スナップ写真がベースの平面作品やブックアートを制作。

External reading #1 斜陽  
180×180×100 イエローポプラ、文庫本、和紙、蜜蝋
白地にさまざまな色の模様が浮かぶ、4.0×4.0×4.0cmの小さな立方体が、 32個箱に収められている。これは太宰治の小説「斜陽」からランダムに抜き出したことばを、写真共有サイトで検索し、得られた画像を部分的に白い絵具で塗り、スキャニングとプリントを経て立方体に貼った上から、蜜蝋で覆ったものである。下からは「斜陽」のテキストが断片的にうっすらと透けているが、これらの文字と色彩によるイメージが重なり合うことで、作者独自の「斜陽」が造形として新たに創り出されている。「本」との関わりの中で制作を続けてきた作者にとって、この作品は、外部記憶が入り交じる現代の読書体験そのものを、かたちとして表したものだといえる。
三田村光土里
三田村光土里
1964年愛知県生まれ。個人の記憶、日常の中で引き出される感覚など、自身の意識の内にあるさまざまなものをもとに、写真、映像、オブジェ等によるインスタレーション作品を展開。

NUOVO DIZIONARIO(新しい辞書)
170×120×30 辞書、新聞切り抜き
 既成のイタリア語辞典のページをたぐると、ところどころに、ローマ法王などの写真が載る新聞記事の切り抜き写真が貼られている。これは、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の死去と葬儀から、時期教皇選出選挙、コンクラーヴェを経て、ベネディクト16世が即位するまでの新聞のスクラップ写真を、作者が自宅の本棚で見つけたイタリア語辞典に、時系列を追って無作為に貼り付けたものである。「思いつきで貼り付けた後、ページをよく見ると、偶然にも、それぞれの写真を暗示するような意味深な言葉が並んでいることに気づいた」と彼女は語るが、写真とことばとの偶然の出会いは、そこに新たな意味を宿し、単なる辞書とは別の存在に生まれ変わるのである。
ミツイタカシ
ミツイタカシ
1966年東京都生まれ。コミュニケーションをテーマに、ある状況を自身の意識の内のフィルターを通して、立体やインスタレーション作品などに転換させた作品を発表。

Inner Space Books
217×307×138(厚さ115と25の2冊組) 紙、ファイバー・ボード、布、蝶番、ネジ切りスチール・バー、ナット
 2冊の異なる厚さの本による作品である。400枚の紙によるBook-1を開くと、小さな不定形の穴が二つ開けられており、ページをたぐるごとに、あたかも地中を彫り進むように穴は拡大していく。穴はそれぞれ途中で分かれて4つとなり掘り進められていくが、徐々に小さくなりながら再び二つに統合され、最後には消滅する。50枚の紙で構成されるBook-2では、3D−CGによってつくられたBook-1と似たような空洞空間の中を架空のカメラがたどる光景が、ページをめくるごとに連続的に表される。2冊の本は、実際には同一の環状空洞空間を示すが、 双方を体験してこれが同じものであることに気付いた瞬間、Book-1の内部は、広大な空間として意識の中に描き出されるのである。
本原玲子 本原玲子
1963年静岡県生まれ。土と人間との長い関係に思いをはせ、土を素材にした作品により、見る人や使う人とどのような関係を築くかということに注目して作品を制作。

bits&pieces
100×69×69を3点組  糸、磁土に上絵転写
 果実を思わせるかたちの白い立体が3つ並べて置かれ、すぼまった部分と台座は紐でつながれている。それぞれの立体の表面には、広がりのある部分から左回りの渦を描くように、和文と英文の入り交じったテキストが全体に印字されている。この白い立体は、磁土に上絵転写を焼きつけたもので、テキストは、かつてイギリスに滞在していた作者が、その当時から帰国後の約20年間にわたって、日記的に残してきたメモがもとになっている。ここでは、走り書きであるがゆえに、場所や時間、言語が交錯しているが、「土」をもとに表現の可能性を追求してきた作者が、その過程で思考してきたさまざまな断片を、土の手触りを感じながら読み進めることができるのである。
森妙子 森妙子
1952年静岡県生まれ。和紙を素材に、展示空間と作品とが一体となるような作品を主に発表。他のジャンルとのコラボレーションや、舞台美術、衣装等の制作も行う。

MYSELF(私の中の宇宙)
137×192×180 楮手漉き和紙、紙紐、アクリルケース・アクリル絵具、墨、ワックスクレヨン
 自作の和紙による円形や四角形のものが、U字型の透明アクリルケースに渡した木の軸に中央の穴を通して大小多数収められ、それぞれは回転をさせることができる。皮膚を象徴するというそれらの和紙には、血管をイメージした赤い紙紐がその表面と一体化するようにして漉き込まれている。ここでは、ドゥローイングを伴う円形の和紙、あるいは和紙のコラージュは、作者自身を取り巻く自然界の要素の土、水、火、空気、風、太陽、月などを表している。作者はこれまで、和紙をもとにした作品を一貫して発表してきたが、独特の手触りを持つこの作品には、彼女が歩んできたさまざまな経験のかけらがちりばめられている。

 

山本あまよかしむ
山本あまよかしむ
1970年東京都生まれ。自然の中で採取したさまざまな植物からテキスタイルの素材をつくり、それをベースに、顔の造作を持ったレリーフ形式の作品などを制作。

草暦(くさごよみ) 
210×220×200 苧麻、ちがや、すずめのかたびら、ひめこばんそう、まだけのかわ、しなだれすずめがや、えのころぐさ、きんえのころ、おぎ、すすき、あし、かれあし、かれおぎ、かれすすき
 草の匂いが強く香る、さまざまな植物を織り込んで素材とした本である。表紙を開くと左右のページに、織りながらスリットを入れることで目、鼻、口など顔の造作をつくったものが現れる。怒りや笑いなど、表情を変えながら12ページ分続くが、それぞれは手触りや色などが異なり、一ページごとに種類の違う植物をもとにしていることがわかる。これらは、タイトルが示す通り、「えのころぐさ」「すすき」「あし」など、春から冬まで季節ごとの植物をもとにしており、草を刈り取って数ヶ月程度乾燥させた後に、縄を綯って織るという長い工程を経て、制作がなされている。そして植物の匂いは、作者が草を刈る姿を、その周囲に広がる季節ごとの風景と共に空想させる。
山本耕一
山本耕一
1949年京都府生まれ。視覚など、人がものを感知するシステムを問い直すことを出発点に、平面、文字よる絵画、インスタレーション作品などをさまざまな手法で制作。

Die 6 Elemente
280×212×49 木、布、紙、ガラス、ゴム、金属、石、砂、水
 古い書物の形式を模した木製ケースの扉を開くと、箱の側にはそれぞれ異なる要素を象徴する物質を詰めてゴム栓をした試験管が6本並び、扉の側には、それら6つを和文と独文で記した表が貼られている。この6つとは「砂」「水」「測地線」「放射線」「ゲニウス・ロキ」「人」で、地球を構成するものの代表として作者が挙げた要素である。これについて作者は、近代以降の哲学が定義する世界の構成要素とは「思惟」と「延長」であり、「延長」の最小単位の「アトム(原子)」は徹底的に追求されたが、「思惟」の最小単位の「モナド」については未開拓のままであり、そこに言及することで、地球のエレメントについてとらえ直すのだと語っている。
ワタリドリ計画 ワタリドリ計画
 日本各地を旅してその場所のものを題材とした作品をつくり、その場所で展覧会をしていくために、2009年、麻生知子と武内明子が「ワタリドリ計画」を結成。

ワタリドリ旅の絵はがき 〜日本全国売り歩き〜
235×300×110 手彩色絵はがき、木、皮、金具・油彩、アクリル絵具
 札幌、青森、新潟、名古屋など、日本各地を旅しながら2人展を行っている「ワタリドリ計画」の麻生知子と武内明子による共同制作作品。旅先で2人が見つけた風景を撮影したモノクロ写真に、油絵具で手彩色して、絵具の手触りと匂いが印象的なオリジナル一点物の絵ハガキとしたもので、これまでに約50種類を制作している。今回の作品は、これまで作成してきた各地の絵はがきと、ハガキを旅先で売り歩くための肩掛けの箱(昔の「駅弁売り」を思い起こす)によってつくられる。その写真の中には、どこかに2人の姿が写っているが、それは単なる記念写真ではなく、旅先で二人が過ごしてさまざまなことを感じた、時間の証でもあるといえる。


麻生知子


武内明子