百葉箱での過去の展覧会 -1

 

 

過去の展覧会(2005年12月〜2006年11月)

小林雅子展『出発の記憶』2005年12月10日〜2006年1月29日
・ありんこ天国 展『啓蟄』 2006年2月1日〜2006年3月30日
・福本浩子 展『LETTER LEAF』 2006年4月1日〜2006年5月29日
・中野愛子 展『A Hundred Blue Roses』 2006年6月1日〜7月28日
・タカユキオバナ 展『わそよみひ』 2006年8月1日〜9月28日
・川上和歌子 展『こんにちは、さようなら』 2006年11月1日〜11月28日

(2006年12月〜)

小林雅子展『出発の記憶』
2005年12月10日〜2006年1月29日

 扉を開くと、金属のワイヤーによる骨格の上から飴色の油紙を張って成形した、頭のない「くま」のような4つ足の動物が計9体、床に置かれたり壁に取り付けられたりして空間を構成している。それぞれの体長は10cmほどで(高さは9cmほど)、首に当たる部分が大きく口を開けており、そこから裂けるような切り込みが入った背中には、同じく飴色のボタンが3つ付けられており、この小さなオブジェ自体が、何かの生き物であると同時に、「服」の象徴であることを示している。さらに床の左奥には、白色をベースに黄色や青色が薄く入った布が多数重ねられ、あたかも「巣」のように塊となっているが、これらは実は、乳児の「おくるみ」をかたどったもので、中にいる9体の着衣を暗に表している。
 これらは短絡的にみれば、小林にとって、かつて自身が幼かった頃に身にまとっていた衣服の、その身体感覚に対する記憶がかたちとなったものだといえるのではなかろうか。

小林雅子作品
小林雅子
1971年生まれ。布団、電気スタンド、ぬいぐるみが一体となって表された「部屋」や五段飾りの雛人形など、過去の思い出が鉄を素材にかたちとなったものや、コンクリートの「布団」から油紙の「ぬいぐるみ」が這い出てきたもの、油紙で彼女自身の服を油紙でかたどったものなど、様々な素材や形態による立体作品を発表。
個展:那覇市民ギャラリー(2000)、ギャラリーK(2000〜2003)、鹿児島・旧遠矢産婦人科病院(2002年)他。
グループ展:『南大東島石彫シンポジウム』(沖縄.1997年)、『2000・日本・25人展』(ギャラリーK.2000年)、『小林雅子・佐伯陽子 展 「The Second contact」』(Gallery ART SPACE,2004年)他。
小林雅子作品
 私たちは、永遠の時空に浮かぶはかない存在である。そんな私たちの実体は、「意識」そのものだともいえるが、目には視えないこの実体は「身体」という容れ物で覆われ、さらにその最も外側は、外界と直に接する「皮膚」で包まれている。この「皮膚」は、人の姿かたちの輪郭として存在するが、それと同時にこの皮膜は、私たちの「意識」を外界から守って分け隔てる、いわば「自我」を成り立たせるものの一翼を担っているといえるのではなかろうか。
 なぜなら、私たちの「意識」の内側は、外界との関わりの中で芽生えたさまざまな「思考」と、生まれては消える「思考」が成り代わった無数の「記憶」で埋め尽くされているが、私たちを覆う皮膜は、こうした「意識」の内の堆積物を包んで自己と他者との境界となり、人を「個」とならせる存在としてもとらえられるからである。
 今回行われる小林雅子展には、「出発の記憶」というタイトルが付けられている。「記憶」とは、彼女の表現に一貫して現れる重要なテーマであるが、それは、主に油紙を素材とするさまざまなものの「抜け殻」というかたちで現実の世界に姿を表し、服や蝉、何かの生き物などといった多様なモチーフは、素材の地色である飴色で覆われている。短絡的な見方をすれば、この色は古い記憶を象徴するセピア色を連想させるが、コントラストの弱い飴色で印象付けられる展示空間は、観る者の視線をひとところに定まらせず、それは、個々のモチーフが彼女にとっての具体的な記憶を示すわけではなく、意識の内に沈殿する無数の記憶の総体そのものを暗に表しているような気がしてならない。
 そして、飴色に浸食されてモチーフをかたちづくる「抜け殻」は、小林自身の意識の容れ物となって外界との境い目となる皮膜を象徴しており、そうやって目に視えるかたちとなった彼女の「記憶たち」と出会うことで、私たちも、自身の意識の内にある、普段は気に留めることもないけれども大切なその深淵の領域を、思い返すようにしばし揺すぶられるのである。
篠原 最初は素材として鉄を使っていましたけれども、油紙を使うようになるまでの過程を教えて下さい。
小林 金属を使っていた時も、薄い板を加工して中身の無いものをつくってはいたんです。金属という素材が好きだったのも、鉄の持っている血のような匂いとか、工業製品だけれども人間に近いようなものがあって使っていたんです。油紙にも皮膚感覚といったものがありますけれども、それが金属を使うときに感じていたに人体的な部分とつながってきて、あるとき「ぽこん」と油紙の方に移動したんです。
篠原 油紙で最初に出てきたかたちは何ですか。
小林 最初は、蝉の抜け殻をそのまま細かくつくったんです。その後はぬいぐるみとか座蒲団みたいな立体的なものを油紙でつくるようになってきました。
篠原 油紙の中でもいろいろなかたちのものをつくっていますけれども、モチ−フのかたちが違っても、作品のテーマ自体は同じなんですか。
小林 自分が実際に着ていた服になるときと、蝉のようにもう少し抽象的なイメージに近づけたいときと、今回のようなころっとした立体にするときと、自分の皮膚ということではそんなに違いはないんです。
篠原 皮膚感覚というのものが前提にあるんですね。
小林 そうですね。ころっとしたときの方が、たとえば赤ちゃんの服のイメージとか、覚えていないけれどもたぶんあるだろうといった、より幼少の頃の思い出とつながっているんです。
篠原 そうしたイメージとしての思い出は、小林さんが幼い頃の何か具体的な記憶がもとになっているんですか。
小林 記憶がない子供の頃の写真をあるとき発見して見たときの気持ちとか。覚えていないんですけれども、母が洋服を手づくりしてくれたんですね。その型紙を見つけて、そこに型を取った後のようなものを見たんです。その時に、私は覚えていないけれども、そうした洋服を着て、愛されていた、大事にされていた頃の時代があったんだという・・・
篠原 「抜け殻」というものについてどんなイメージを持っていますか。
小林 中身の本体はどこかにいってしまっていて、そこにあるのは残骸だけだけれども、中にいたものの存在を感じさせる、空洞であるけれども存在感があるというイメージです。空っぽだけれども意味のある存在というものに魅かれています。変化していった後の象徴とでもいいましょうか。
篠原 油紙だと、色は必然的に地色の飴色になりますよね。こうした飴色に対する何か特別なイメージはあるんですか。
小林 蝉の抜け殻の「人間バージョン」をつくろうと思った時に、「この質感とこの色」って、素材の方から近寄ってきたんです。実際の蝉の抜け殻とはちょっと違う色なんですが、感覚的にはこの色が、自分にとっての抜け殻になり得る素材だなって。実は油紙は、白っぽいものとか、クリーム色っぽいものとか、もっと茶色っぽいものもあるんですですけれども。
篠原 小林さんのトレードマークのような色ですよね。
小林 実際の蝉の抜け殻はもっと茶色っぽいんですけれども、光を発しているような色の方がいいんじゃないかと思って、いくつかの案の中からだんだん選んでいって、あの色になったんです。
篠原 油紙を素材にしたもののほかにも、おがくずや砂、今回では布を使ったものを組み合わせた展示をしていますけれども、展示の中で、それぞれの役割分担は設定しているんですか。それとも、どちらも同じく記憶をモチーフにしているということでは、特に違いはないんですか。
小林 おがくずの時は、そこから抜け殻が出てくる「巣」のようなイメージを強調していました。今回は、「ロンパース」っていう全部がつながった服がもとになっていて、その中から出てきたものが積み重なっていくというような、「巣」の意味をもう少し強調したものをつくりたかったんです。
篠原 それは、制作のバック・グラウンドの部分を表しているんでしょうか。
小林 油紙によるものは自分の皮膚に一番近い部分で、そうでないものは、さらにその周りにあって自分を守ってくれる、もう一層外の部分ではないでしょうか。
篠原 今回は「百葉箱」の中での展示ですが、特別に考えたことは何かありますか。
小林 子供の頃小学校にあったんですけれども、恐くて近寄れなかったんです。「百」というのにも少し妖怪っぽいイメージがあって。そういった、ちょっと恐いような、見たときに「わっ」となるようなものになるように考えて展示しています。

ありんこ天国 展 『啓蟄』
2006年2月1日〜2006年3月30日 

 箱の中に、高さ約25cm、幅約11cmの、鮮やかな色のやわらかい布でできた「顔」が一つ、上からテグスで吊るされて浮かんでいる。この「顔」の表面のところどころには、1.5cmほどの穴が数十個開いており、それぞれをよく見ると、2つの黒い目と口のようなものが付いた小さな「顔」が奥に埋め込まれている。この小さな「顔」をつまんで引っ張りだすと、短いもので10cm、長いもので30cmほどの、直径約2cmの「へび」のような細長いものが徐々に現れる。
 この展覧会では、「顔」の付いたこの「へび」を(髪の毛が「へび」である「メデゥーサ」を思わせる)、1ヶ月がかりで毎日少しずつ引き出してすべてが姿を表すようにし、また、チャックの付いた口の中に収められた何かの身体のようなものを、同じく1ヶ月かけて少しずつ出し、これを定点から毎日写真に撮って欲しいという指示が作者から私に事前に与えられた。
 この「顔」は、当初は表面が赤色の布によるものだったが、展示33日目の3月5日(タイトルに付けられた「啓蟄」の1日前)に作者が訪れ、内蔵されていたものが全て引き出されたこの「顔」の表裏を完全にひっくり返し(実は裏側が黄緑色のリバーシブルになっている)、再びそれを箱の中に吊るす作業が行われた。そして今度は(ここでは「顔」の下に小さなからだが付けられている)、緑の「顔」の穴から、撮影を伴いながら同様に「へび」を少しずつ引き出し、展覧会最終日にすべてが引き出され、さながら「メデゥーサ」のような姿が再び現れたのである。

ありんこ天国作品

3月30日(最終日)の状態

ありんこ天国
携帯電話ケース、ブックカバーなどの役に立つものから「とげとげさん」「鈴頭」などの役に立たぬものまで取り混ぜ、観た人を「くすっと」笑わせるような奇妙なキャラクターのオブジェや雑貨を制作・販売。
個展:浮遊代理店(2001年)、ART HOUSE(2002年)、ギャラリーそわか(2002年)、Gallery ART SPACE(2003年,2004年,2005年)他。
グループ展:『火星にゆく』(Gallery ART SPACE.1999年)他。
 
 ありんこ天国の作品のとりこになったきっかけは、1999年にGallery ART SPACEで私が企画した3人展『火星にゆく』(他の二人は佐川悟と尾留川幸恵)での出展作品だった。台の上に華やかな色で彩られた「火星」の街が広がり、宇宙船に見立てた透明アクリルの球がギャラリーのところどころに浮き、球の中では黄色い「人」が操縦管を握る。落書きの線のようなかたちの身体なのに目や眉毛などの顔の造作だけはくっきりして個性を主張する黄色い人形の、そのアンバランスさになぜか強く興味をひかれたのだ。そして私の内では、この時の展示を振り出しにして、ありんこ天国の作品世界が際限なく膨張していったような気がする。
 そうした膨張ぶりを最初に目の当りにしたのは、Gallery ART SPACEでの最初の個展『ありんこ天国 展
・女王蟻と6人の働き蟻たち 〜ありんこ天国屋開店〜』の時だった。当時記した文書少し抜き出してみよう。

−ギャラリーの床には妖しげな角をいたるところに生やした水色の寝袋と、天井へと紫の帯が伸びる赤色の寝袋、さらに赤や黄色、燈色、青色、緑色など原色の布でできた平べったい大きな抱き人形が配置されている。壁は、布に黒の線で絵を描いた、天井から床まで届くような大きなタペストリーが計5枚と、「ありんこカラー」の黄色で塗られた11体の厚紙性の人型、まわりに「ひだ」が付いた直径15cmほどの円形のライトが約10個、色とりどりの布でできた「へび」のようなもの、小さな人形、巨大な食虫植物のようなオブジェなど、まさに「ありんこ」そのものといえるさまざまなオブジェ、グッズで埋め尽くされ、さらに天井から釣り下げられた8本の「トローリ頭」、すだれのような飾り、ギャラリーの隅にハンガーで掛けられたTシャツやかぶり物の類の他、会期中ありんこが描き続けたポストカードやマグネット、コースターなどのグッズ等、全部で数百点にもなる大小の作品で埋まることで、ギャラリーの空間は「ありんこ天国」の世界そのものに塗りかえられてしまったのである。−

 さまざまな色の氾濫と、布や粘土という素材をもとにした親密感のある手触り。これがありんこ天国の作品の外見的な魅力を支えているといえる。さらに、それぞれの作品に描かれた「顔」の造作は、ある「個性」を示しつつ次々と増殖し、それらがもとになって、展示が行われる空間には、観る者を包み込む目に視えない「場」のようなものがつくられる。それは、ありんこ天国自身が持つさまざまな個性が細かく枝分かれしてかたちとなったもののようにも思われが、その部分こそが、私たちを魅き付けてやまない、一般的な美術作品ともアート雑貨とも一線を画する魅力の源なのではなかろうか。そして、個々の作品と向かい合うときそこから感じる、その数だけある多数の「個性」は、ありんこ天国の心の内に在る、記憶やイメージがもとになった無数の「何か」の存在を私たちに空想させるのである。
篠原 最初は版画をやっていましたよね。今の作品はキャラクターの花盛りですが、そのときは、そういったものは出ていたんですか。
ありんこ天国 出ていなかったです。人物を描く時は、今みたいな感じの顔だったんですが。
篠原 その顔の輪郭だけが今の作品に残っているんでしょうか。
ありんこ天国 そうではなくて、テキスタイル的なことを銅版画でやっていたんです。紙に模様を刷り込んで、それを使ってストッキングやかつらをくったりしていました。
篠原 それがキャラクターの最初と考えていいんでしょうか。
ありんこ天国 そうでしょうね。
篠原 立体作品の場合は、布を素材に使っていることもあってたくさんの色を使っているけれども、絵の場合は、単色の線だけで描いていますよね。自分の中では使い分けがあるんですか。
ありんこ天国 もともと色を使うのが苦手なんです。それで、ずっと単色でやってきたんですけれども、苦手だからこそあえて使いたくなって色を使い始めたら、友達にとても美術をやってきたとは思えない色の組み合わせだと言われて。それは誉め言葉かなと思って、そのまま色も付くようになったんですけれども、特に平面と立体を分けているわけではないんです。
篠原 素材自体の色に任せるという部分があるんでしょうか。特に布の場合には色を塗っているわけではないですよね。そういう意味では、平面と立体の間の意識の差はないということなんでしょうね。
ありんこ天国 色を使う時は、常に「ぱきっ」とくる色合わせにはしているんです。
篠原 作品のほとんどには「顔」がありますけれども、モデルはあるんですか。
ありんこ天国 多分自分です。
篠原 やはりそうですか。特にキャラクターづくりをしているわけではないんですね。ところでテキストにも書きましたけれども、一個一個が微妙に違う個性を持っているような気がするんです。そういった使い分けや描き分けは意識しているんですか。
ありんこ天国 していないです。
篠原 その時々の気分が微妙に影響するんでしょうか。
ありんこ天国 それはあるでしょうね。
篠原 ありんこ天国自身の個性に、微妙に異なる面がたくさんあって、それが状況に応じて出てくるような気がするんです。
ありんこ天国 それが手書きの良さかもしれないですね。版画をやっていたこともあって、顔や目をプリントでしないのって言われたことがあって。そうしたらおもしろくないなと思ってね。
篠原 一個一個にはそれぞれ個性があって、それがたくさん集まって一つの空間をつくるわけだけれども、そうした時には、個々のものとは別に、全体で一つの個性が生まれているような気がするんです。作品を一個一個つくってゆく時と、全体としての空間をつくってゆくときの考え方の違いはあるんですか。
ありんこ天国 考えたことがないから、多分ないんじゃないかな。
篠原 たくさんの作品が集まって、その組み合わせの中で、空間として別の個性が出来上がってゆくのを見るのが楽しいということになるんでしょうか。
ありんこ天国 大きな空間で展示するときは、大きいものを置きたいということがあるんです。
篠原 小さなものが集まってできた空間というのは、個々の作品とはまた違った受け取られ方をしますよね。そういった意識はないですか。
ありんこ天国 うーん・・・
篠原 空間をつくる場合、作品を次々と足していってイメージを広げてゆく方法と、最初に全体的なイメージがあって、それを埋めるようにどんどん作品を空間に入れてゆくこと方法があると思いますが。
ありんこ天国 埋めてゆくほうが近いかな。
篠原 色とかかたちとか、一つのイメージが最初にあるんですか。
ありんこ天国 どうでしょう。もしかしたら、そうした区別は全くなくて、同じ意識の中でやっているのかもしれません。
篠原 そこがおもしろいところなんですよね。
ありんこ天国 大きな空間を埋めるときは、とにかくそこを、隙がないようにいっぱいにしてしまいたいんです。そればっかり考えています。
篠原 今回「百葉箱」での展示になりますが、「百葉箱」についてどんなイメージを持っていましたか。あと、「百葉箱」の中で展示することについては、どう思いましたか。
ありんこ天国 学校にあったなあ、という。
篠原 かたちだけの思い出ですか。
ありんこ天国 中身を見たことがなかったからどんな中身なんだろうと思っていたんですけれども、ここに来て、こんな風になっているんだなあと。小さくて良いところだとね。篠原 今回の作品について一言。
ありんこ天国 今回は「啓蟄」というテーマが先にあったんで、春になって虫が土の中から出てくるということをもとにして、そうしたものがいっぱい出てくるものをつくりたいなと思って出来上がりました。

福本浩子 展 『LETTER LEAF』
2006年4月1日〜5月29日

 表面に傷を付けた部分が文字のように黒くなることから「葉書」の語源とされる、「タラヨウ(多羅葉)」と呼ばれる緑葉を箱の中に多数設置して行われた展覧会。「タラヨウ」の葉は、会期が始まった当初は32枚を箱に床に敷き詰め、その一ヶ月後には32枚を足して64枚とし、さらに一ヶ月後の会期最終日には26枚を足して100枚とすることで(百葉箱をかけている)展示が完成した。
 葉の一枚は、長さ10〜20cm、幅4〜7cmで、縁はギザギザしている。一枚を取り上げて、葉に刻まれた文字をみてみると、「fstndsijefzlafliulidlhimhjabhsnihamtgsn」などという、ことばの意味をなさない文字が続くが、これは、パソコン内部の乱数表をアルファベットに変換する、「ハイパーカード」という作者自作のプログラムによってつくられたものである。
 ところで、展示は最終的に、100枚の葉が5cmほどの高さで折り重なるものとなったが、それを遠目から見ると、時間の経過にしたがって表面がやや黒ずんだ緑色の色彩がつくる一つのかたまりのところどころに、文字として刻まれた黒い記号が点在する様相を読み取ることができる。ここでは文字は、葉に実際に刻まれてあたかもエンボスのような高さを持つが、それは、ここに「記された」読めないことばそのものにモノとしての質感を与えている。そして、100枚の葉に付随して点在するこれらの「文字」は、葉の折り重なりに伴って、視覚の上では箱の中でひとかたまりとなり、読めないことばを生み出した作者の意識の内の「何か」を、一つの物体として暗に表し、私たちの前に差し出して見せるのである。

福本浩子作品
福本浩子
1971年生まれ。「情報」と「モノ」との関わりの探求を表現に核として、雑誌や新聞などの印刷物を水で溶かした後に、ブロックや石などのかたちに固めて再成形したものを多数組み合わせることで造形空間を構築するようなインスタレーションおよび、書物を素材とするブック・オブジェを主に発表。
個展:ギャラリー16(1994.1997.2001年)、Gallery ART SPACE(1997年)、アートスペース貘/カノーヴァン/川口現代美術館 スタジオ(『ことばの領分』巡回,2000年)他。
グループ展:『紙の世界』(国立国際美術館,1995年)、『THE LIBRARY KANAZAWA(金沢市民芸術村アー ト工房』,1998年)、『メッセージ/ことばの扉をひらく』(せんだいメディアテーク,2001年)他。
福本浩子作品
 「LETTER LEAF」は、タラヨウというモチノキ科の常緑樹の葉を使用した作品である。
 タラヨウは、古代インドで仏教の経文を書いたという「多羅樹」に似ていて、とが ったもので葉の裏に字を書くと、筆記具で書いたように黒くあとが残るため、タラヨ ウ(多羅葉)と呼ばれるようになった。「葉書」の語源になったとも言われる、文字 や情報と縁の深い木である。
 今回の作品では、タラヨウの葉にランダムなアルファベットの文字列の傷を付け て、文字を浮き出させたものを展示することによって、自然物、つまり「もの」の中 にも、さまざまな「情報」が潜んでいることを伝えたい。
 紙のない時代の、古代のメディアを思わせる、興味深い性質を持つ植物・タラヨウ によって「情報を内包する葉(自然物)」を主題に、作品化しようと考えている。(福本浩子)
 「ことば」や「情報」が物体やかたちとなって積み上げられてゆく。それは、本や新聞などといった印刷物を水で溶かした後に、ブロックなどの形状に再形成し、それらを多数組み合わせることで空間がつくられる、福本浩子のインスタレーション作品を見るにつけて一貫して感じる所感である。
 それを身をもって実感したのは、私が2000年に企画した全国巡回の展覧会『ことばの領分』で彼女が行った3つの展示(福岡・アートスペース貘、名古屋・カノーヴァン、埼玉・川口現代美術館スタジオ)の搬入出を手伝った際のことだった。中でも福岡と埼玉での展示は、印刷物の「ブロック」を、円筒の壁をつくるようにして床から2mほど均等に積み上げてゆくというもので、自身の手の内にある、やや凹凸がありながら手触りは意外と滑らかで、想像以上に軽く、表面のところどころにもとの印刷物の文字が浮き出た「ブロック」が、作業の進行と共に身体よりも大きなものとなってゆく様は、大量の本から無数の文字やことばが抜け出して、目の前で一つの塊となる姿を想像させたのである。
 ところで、この「印刷物に含まれることばあるいは情報が一つの塊となる」ということは、福本の表現に一貫する中核の部分だといえる。本来は口伝えのもであったことばや情報は、石や紙に記されることで、「記憶」されるものに加えて「記録」される存在となったが、それらの発信元や意図を無視して解体した後にランダムに混ぜ合わせる表現行為は、ことばや情報、思想をはじめとする、もともとは人の意識の内に在った不可視のものが、紙などと結び付くことで一つの物質になってゆく印刷物の起源を逆に辿りつつ、造形という新たな物質として再生させたものであるように思われてならないのだ。
 また福本は、ある一冊の本のページのすべての文字を線香で焼いて穴を開け、カバーなどの印刷部分もサンド・ペーパーで削り落としたオブジェ作品なども平行して制作してきた。これについても、方法やスケールの違いこそあれ、焼かれて穴の開いた部分が、そこにかつてあった文字およびことばの存在をより際立たせることにおいて、前出の「ブロック」の作品と同様に、その代表的なものである「本」をもとにして、印刷物の起源へのアプローチから情報の物質的な在り方を新たに模索した末のものであると考えられるだろう。 今回行われる『LETTER LEAF』では、かつては葉の裏に傷をつけて文字を記したことから「葉書」の語源になったと言われる、「タラヨウ」の葉を起点とした展示が予定されているが、そこで私たちは、新たにどのような「ことば」あるいは「情報」のかたちと向かい合うことになるだろうか。(Gallery ART SPACE 篠原 誠司)
篠原 福本さんの作品には、ブロックの形状のものしても、小石のものにしても、表面にもとの印刷物の文字が少しずつ浮き出ているものがありますが、それは意図的なものなんですか。
福本 意図的なものです。
篠原 それを消すこともできるけれども、あえて残したんですね。
福本 しっかりとミキサーにかけたら完全に消すことも可能で、その方が楽な場合も多いです。ただ、そこまで消してしまうと、情報であったものというよりは、リサイクルになってしまって、こちらの意図する、情報を持ったものがかたちを変えるということにつながってこないので、あえて文字を残しています。
篠原 もう一つ、文字を残さない方法によるもので、1冊の本の文字をすべて線香で焼く作品がありますよね。私はそれに対して、文字の消えた跡が残されることで、文字の存在感がかえって際立っていると感じているんです。これが一方にあって、もう一方では、ブロックのかたちの作品のように文字が残されるものがあって、それを平行して制作していますけれども、それは、意図的にあるバランスを取って両方のものをつくっているんですか。つまり、2つを別の思考のもとにやっているのか、つながりをもったものの裏表としてやっているのかということなんですが。
福本 自分としては、つながったものの裏表でやっているんだと思います。
篠原 2つは共通点を持ってつながっているとして、では、その間にはどのような違いがあると思いますか。
福本 まず、本のかたちの作品に関しては、文字の跡が際立っているとおっしゃっていたように、文字だとわかることが一つあると共に、本という形態がしっかりと残っている部分でもあります。だから、字がなくなってももとは本であったことが明確に伝わるわけです。ところが、ブロックなどのかたちにした作品は、完全に字をなくしてしまったら、それは元情報であったものというあり様ではなくなってしまって、何かの素材でできた構築物になってしまう。形態を変えることに意味があるか、それとも形態を残して情報を消してしまうかということが、裏表の関係になっていると思います。
篠原 ことばと情報は、深い関わりはあるけれども少し違うものじゃないですか。作品で表すにあたって、その違いをどのようにとらえていますか。
福本 情報はさまざまなものを包括するものであって、ことばもその内の一つだと。
篠原 作品の中では、情報の中の一つの枠組がことばだということですね。
福本 自分の作品の中ではそうですね。情報として意味のないようなことばも存在しますけれども、それもひっくるめてある種の情報であるという考え方を取っています。
篠原 福本さんの作品は、思想やことばがかたちになってゆくという、印刷物の起源であたる部分を解体して、その発生の過程を遡るというところに原点があって、でも完全には遡り切らずに、その途上でできたものが造形のかたちを取っているように思うんです。つまり福本さんは、印刷物の起源の過程を遡りつつ、印刷物とは根が同じ別の存在を造形としてつくろうとしているような気がするんです。もしそうだとしたら、それは印刷物とどのような関係にあるものなんでしょうか。
福本 情報とことばといったときに、モノ性が希薄なことが気になっている点でもありました。私の学生時代にはすでにコンピューターが出だしていて、パソコン通信をやっていたこともあって、情報とことばのモノ性は確かに希薄に見えるかもしれないけれど、これもやはりモノなんじゃないか、モノであるからここにあるのではないかと考えまして、それが作品づくりの出発点になっていると思います。(印刷の起源の過程で)立ち止まってみえるというのは、そういった視座から見てつくっているからではないでしょうか。
篠原 実際には、そういった視座を福本さん自身が自分の中で明らかにするための制作や作品であるような気がしています。ところで今回の作品は、葉書の語源である「タラヨウ」の葉を起点にしていますけれども、物質としての葉書の在り方についてどう思いますか。今回は「タラヨウ」自体がオブジェになっていますよね。それは、物質としての葉書そのものだと思うんですが。
福本 ことばがのっていて、個人なり団体が通信している以上、情報媒体として重要なものじゃないかと思います。個人的には、郵便局で働いていたことがありまして、その体験上、明らかにモノなんです。完全に番号で割り振って、箱に入れて持ち運ぶものなので。そのモノが人の手で移動してゆくということで、最も原始的で、しかし今日でも重要な情報の媒体だと思います。
篠原 百葉箱に対してもともと持っているイメージや、百葉箱での展示についてはいかがでしょう。
福本 ギャラリー空間としてとらえた場合は、前代未聞ですし、それをギャラリーにしようという発想自体がおもしろいです。今回の作品も、百葉箱というイメージに引きずられた部分がかなりあると思います。

中野愛子 展 『A Hundred Blue Roses』
2006年6月1日〜7月28日

 箱の底には白いフェルトが敷きつめられ、正面奥の壁には、四切大の男性のカラーポートレート写真が透明アクリル板に密着されて設置されている。床のフェルトの上には、同じ男性をモデルとしたコンタクトプリント大のカラー写真を、それぞれ46×35mmのプラスチック板に貼ったもの計100枚が、シルバーの鎖にすべて一列につながれる、あるところでは裏返りあるところでは重なり合いながら、鎖の両端を箱の左右の壁に固定して一塊となって置かれている。小さな写真の裏側には、展覧会のタイトルと日程、展示会場名、モデル名、通し番号、作者のサインを記した紙がそれぞれ貼られ、一点ずつが写真作品として成り立つことを示している。
 伊藤主税をモデルとしたこれらの写真は、撮影した時間軸の順に鎖につながれ展示がなされたが、「彼女が来なかったクリスマスの晩の出来事」をモチーフにした一連の作品は、一点ずつを順を追いながら手に取り見てゆくことで、作者の中野とモデルの伊藤がつくり出した架空の冬の夜の濃密な時間を、私たちにも共有させてくれるのである。

中野愛子作品

1968年生まれ。人物と部屋、小物でその人らしさを浮かび上がらせるシリーズや、密室の撮影パーティーをカラープリントで展示構成したシリーズなど、自身と被写体となる人々との距離に特別な意味を持たせるような写真作品を発表。

個展:Guardian Garden(1997年[第8回写真『3.3展』グランプリ受賞者展])、ギャラリーイセヨシB(2000年)、Gallery TEZZ(2004年)他。グループ展:『「日本のニュージェネレーションのフォトグラファー展』(COLETTE[Paris].1997年)、『水戸アニュアル'99「プライベートルーム -新世代の写真表現」』(水戸芸術館現代美術ギャラリー.1999年)、『PRIDE7周年記念・WOMEN MEET PRIDE「女性たちが見たプライド」展』(スパイラル1Fスパイラルガーデン.2004年)他。

中野愛子作品
 中野愛子の展覧会を最初に企画したのは、2002年3月、当時運営していたトイレの展示スペース・ART SPPACE LAVATORYでの個展「fake lovers」だった。トイレの壁面と天井を写真で覆い尽くして行われたこの展覧会は、あるカップルが密室で過ごした二人だけのパーティーを、100枚あまりのカラープリントによって構成したもので、そこでは、彼らが体感したであろう濃密な時間を確かに感じ取ることができた。この二人は、実は本当のカップルではなく、展覧会タイトルが暗に示す通り、撮影の中で架空のカップルを演じていたわけだが、だからこそ、まさしく「かりそめ」の時間はより凝縮され、二人の親密な空気が私たちの心をとらえたように思われてならない。また、トイレという一畳ほどの広さの密室での展示は、観る者と写し出された画像との距離を極度に接近させ、それがこうした効果を助長していたのである。
 ところで中野は、撮影者である自分と、撮られる対象との関わりについて、「自身と、被写体となる人々との間の距離に特別な意味を持たせる」という意味のことを語っている。つまり、撮られる人々と彼女自身との「距離感」がまず作品の根幹にあり、作品と向かい合う私たちは、そこから独特の空気を感じて読み取ることで、被写体との間に生まれる彼女にとっての特別な意味を追体験することが可能となる。そして、こうした過程を経て、中野と私たちとの間にも写真を仲立ちとしたある関係が築かれ、その結果、中野自身と撮られた人々、作品を観る私たちは、ゆるやかな円環のように一つに結ばれるのである。
 今回行われる『A Hundred Blue Roses』は、トイレの展示よりもさらに特殊な、「百葉箱」という43cmの立方体の空間での展示となる。外の光や空気が入ってくるとはいえ、見かけの上では密閉されたこの「箱」の扉を開き中を覗くことによって、トイレの展示で体感したものと同じような「密室」の気配を、時には箱の中に自身の意識が入り込んで周囲の壁を見回す空想を伴いながら、私たちは視覚を通して読み取ることになるだろう。
 そこでは、撮られた人は観る者に何を語りかけ、中野が被写体への視線に込めた意識や感情を、私たちはそれぞれどのように感じ取ることになるだろうか。(Gallery ART SPACE 篠原 誠司)
篠原 展覧会で展示する作品を撮る場合、何か具体的なストーリーを予め設定した上で、撮影のプランを組むんですか。
中野 決めて撮り始める場合もあれば、のりで撮っていって、物語は撮っている途中から少しずつ出来てきてくることもあります。
篠原 モデルになる人との、ストーリーについての打ち合わせは事前にあるんですか。それとも、中野さんが予めすべてを決めておいて指示を出すんですか。
中野 決めている場合と、決めていない場合があります。今回の展覧会は、モデルさんはもう4年間撮っている人なんですけれども、すごく元気でおちゃらけたのは得意なんですが、落ち着いたのとか色っぽい表情は苦手なんです。4年撮っていて、20代後半なんだから、そういういろいろな表情がそろそろ出来ないかな、ということがあって。彼が「じゃあ、やってみる」ということになったところから始まっています。
篠原 今回の展覧会には「A Hundred Blue Roses」というタイトルが付いていますけれども、このタイトルにちなんだストーリーが設定されているんですか。
中野 タイトルは一番最後に決まったんです。
篠原 具体的にどんなストーリーがあるんですか。
中野 一番最初に撮り始めたのがクリスマスのちょっと前だったんで、クリスマスに彼女と会う約束をしたんだけれども彼女は来なくて、一人寂しくしているというストーリーが撮っているときにまず出来てきて、今回の個展が決まったときに、百葉箱を「百の葉っぱ」と解釈して、いくらことばを重ねても届かないものは届かないという切ない想いを表そうと考えたんです。
篠原 テキストに書いた「fake lovers」にはどんなストーリーがあったんですか。
中野 最初にペニス型のパスタを発見して、男性のモデルさんに食べさせたいというところから始まって、女の子と一緒にしてカップルで撮ってみよう考えて。ペニス型のパスタだから、これは絶対「バカップル」だよという・・・
篠原 このときはどれくらいの時間で撮っているんですか。
中野 昼過ぎから始まって、飲みながら、食べながらで半日くらいです。
篠原 半日がかりのパーティーですね。
中野 そうですね。今回は、展覧会が決まる前に撮ったのと、決まった後に撮ったのとの2日間です。
篠原 撮影するときの被写体との「距離感」についてですが、それはどの作品でも共通しているんですか。それとも、一つの作品ごとに距離感を自分で設定して撮るんですか。
中野 モデルになってくれた人とのリアルな距離感ですね。
篠原 中野さんが撮影の時に、そうやってリアルに感じられる距離感が常に統一されているということですよね。ところでこの「距離」は、それぞれの作品ごとのストーリーと関わりがあるんですか。
中野 「距離」というのは人との関係から出来てくるのと同じように、ストーリーの方も、その人とじゃないと出てこないものだと・・・
篠原 百葉箱での展示という特殊な状況についてはどう考えていますか。
中野 外だし、わざわざ来なければいけない場所なので、いつも以上に来た人に楽しんでもらうことに気を付けてみました。

タカユキオバナ 展『わそよみひ』 
2006年8月1日〜9月27日

 オバナが運営・居住する群馬県館林市のギャラリー・SPACE-Uから、展示が行われるGallery ART SPACEまでの100kmあまりを、「鈴」の左右に五十音を刻んだ金属のキューブを配したものを、一部を持ち帰りつつ各所に取り付けながら、野宿によって6日間をかけて歩き通すという行為の末に完成した作品による展覧会。
 この遠大な行為をもとにかたちとなったものは二つある。一つは、「鈴」とローマ字表記の五十音を6面に刻んだ小さなキューブによる小さなオブジェから、Gallery ART SPACEにたどり着く過程で各所に「鈴」を設置してきたその残りのキューブ部分を、順に糸でつないで数珠のかたちにし、その中心にGallery ART SPACEに到達したことを示す鈴とキューブのセットを置いたもの。もう一つは、出発点のSPACE-Uから終着点のGallery ART SPACEまでを歩いてきた道程と「鈴」を設置してきたポイントを示す、A4大に出力したものを縦につなぎ合わせて巻物状にした、23.5cm×直径3.5cmの地図である。
 地図を見てみよう。最終到達点の一つ手前の地点では「YA 7.28 17:24 薬師堂 くもり」、最終点のGallery ART SPACEでは「AI 7.28 18:28 Gallery ART SPACE くもり」というよように、設置した五十音、時刻、場所の名、天候が赤のペンで記されている。
 私たちは、地図上のこの記述を順に見てゆくことで、6日間にわたるオバナの足跡をたどることになるが、それは彼の行為の追体験であるだけではなく、表現行為のそれぞれの瞬間にオバナを取り囲み、五十音を介しての彼の言語感覚と結び付けられたその周囲の光景の有り様を想像させるという、オバナの意識の領域に根ざす内的光景をめぐる旅の体験でもあるのだ。 

タカユキオバナ作品

タカユキオバナ作品

タカユキオバナ

 1958年生まれ。鑑賞者自身の存在の根元を自問せざるを得なくなるような状況を発生させる「装置」としての作品を発表するほか、人の存在と意識の在り方への探索を核としてギャラリー・SPACE-Uを主宰。

 同じ何かの別の側面という考え方を言葉に当てはめると日本語で使われている七十五音は、五つの母音とん(AIUEO+N)に収斂される。文法を解体して、新たな言語を模索する場合、例えば、他者との意識を結い和す場合の具体的な手段となるかも知れない。
 『鼎局』、木術界『わそよみひ』、江尻潔詩波集「るゆいつわ」私読『わそよみひ』などの一連の試みは、この可能性を探るもので、今回の写真は、今年の木術界『わそよみひ』からである。
 概要を言えば、参観者は、袋から出ている紐を引くことで、鈴を伴った母音を表すAIUEOのサイコロを引き当てることが出来る。写真は、尾花なかさんがAのサイコロを引き当て「あ」段の「な」に変換して、桜の木に結って頂いたものである。このように参観者は、引き当てた母音をその段のいずれかに変換して、次々に枝に結っていく。風がそよぐたびに、変換された響きは、枝々の関係性の中で、共鳴しているのが鈴の音によって、具体的に感受できるのである。(タカユキオバナ)

タカユキオバナ作品
 タカユキオバナの表現活動は、彼が運営する群馬県館林のギャラリー・SPACE-Uと、今や切っても切れない関係にあるといえるだろう。
 もともとオバナは、作品と向かい合う者に「何か」を問いかけ、そこで返される「答え」そのものが表現のおおもととなるような活動を行ってきた。たとえば、1999年にGallery ART SPACEのトイレの展示スペース・ART SPACE LAVATORYで開催した個展では、観客は、ギャラリーの入口に積み上げられた色とりどりの包み紙のチューイング・ガムから一つを選び、それを噛みながら、照明を落としたトイレの展示室に入ってゆく。壁面全体には、200ほどの黒い封筒が整然と並んで貼られており、私たちは噛み終えたガムを用意された透明の袋に入れ、そこに何らかの「名前」を付け、壁の黒い封筒と取り替えてそれを壁に貼り、封筒を持ち帰ることが指示されるが、その中には、小さな穴を穿ちそこから向こう側を覗き見ることができる鏡が一枚、布に覆われて入れられている。そして、壁に置いて帰った「名付けられた」ガムは、オバナによる別の展示の中で素材の一つとなるというものだった。
 この作品についての論評は省くが、私たちの意識の中に、感情や思考、記憶などの「何ものか」を引き起こし、それが展示の一部、あるいはその後つくられるだろう作品の一部として、あたかも輪廻するように別の「場」に引き継がれてゆくことが、他の作家にはないタカユキオバナによる表現の特殊性であり、さらに、彼が運営するギャラリー・SPACE-Uの存在は、そうした表現活動の延長線上にあると思われる。
 ところで、SPACE-Uが他の一般的なギャラリーと一線を画するのは、ここで行われるさまざまな展覧会が、オバナとそれぞれの作家との間に交わされる、きわめて密度の濃い対話をもとに成り立ってきたという点である。それは、展示のための打ち合わせを超え、オバナ自身の展示空間に対する思い入れの深さを背景として、各作家の個性を受け入れることで、作家に対するオバナの意志と、オバナの意志が大きく関与するSPACE-Uという「場」の性質、各作家の表現に対する志向が一つとなって重なり合うような、観客との関わり合いを前提に据えた展示が行われる可能性が高まるのだ。
 そして、観客としてそこに足を踏み入れる私たちは、オバナよってつくられた「場」と、そこに在る作品のもととなる作家の意志それぞれと向かい合うことで、それらとの関わりの中から生まれる視えない「何か」を否応なく手渡され、持ち帰ることになるのである。(Gallery ART SPACE 篠原 誠司)
篠原 オバナさんの作品は、観客が何かしら関わって、そこから何かを持ち帰ってくるようなものが主流ですが、今SPACE-Uというギャラリーをやっていて、そのギャラリー自体も、観客に何かを持ち帰ってもらうという意識を強く感じるんですが。
オバナ ここで展覧会をやっていただける作家とコミュニケーションを取りまして、作品に関係するようなものを持ち帰ってもらうということは、皆さんと打ち合わせの段階で話し合っています。
篠原 オバナさんの方からそういう話を持ちかけるんですか。
オバナ いや。作家を決める段階で、そういうタイプの人を選ぶんです。
篠原 SPACE-Uでは、もともと作品をつくってきたわけではない方が多く展覧会をやっていますよね。
オバナ いきなり展覧会をやるというわけではなくて、何回かグループ展に参加することを通してコミュニケーションを図る中で、これぐらいだったらもう個展が出来るかな、ということになったときに誘うわけです。
篠原 展覧会をやる人は、徐々に自分が変わってゆくことを意識するんでしょうか。
オバナ しなくちゃ出来ないでしょう。自分は表現の大事な部分に、「気付き」というものを置いています。何かに気が付くということが非常に重要だと思っています。ここと関わる上で、ちょっとしたことに気が付くようになってゆくんだと思います。気が付くと、いろいろなものが見えてくるんです。
篠原 観客の場合は、気付くことで別の次元に行けるということでしょうか。
オバナ そうですね。そういったことが、その人の中である種の感動とつながってゆくんではないでしょうか。
篠原 それと関連して、オバナさんの作品自体、もともと何かを喚起する部分があると思うんですけれども、このSPACE-Uの活動も同じような性質があって、それぞれ重なり合っている部分としては、どのようなことがあげられますか。
オバナ 自分が作品をつくる上で、自分の自意識を前面に出すと、その自意識がほかのものを排除するようなところにマイナス面を感じることがあって、それが邪魔になって他の人が作品になかなか関われない状況が出てくると思うんです。それを逆転させて、自分の表現のようなものの矛を収めてしまって、極端にいうと作品を無くしてしまう。無くしたところに関わってくれる人たちを動員して、その人たちに何とか光をあてるような仕掛けをつくってゆくことで、その人が自分自身に出会うようなチャンスを生み出してゆくような作品を工夫するんですね。そうすることで、そういう人たちが響き合って意識を結いわす。個人の自意識だけではなくて、たくさんの意識を結いわした状態の中で、新しい言語、あるいは新しいことばがひょっとしたら可能になるかもしれない。
篠原 では、自分の作品の表現と、SPACE-Uでやっている活動との違う部分はどんな点だと思いますか。
オバナ あまり変わらないと思いますけれども、相補うという、つまり自分の得意分野があるのと同時に、ここで展覧会をやって関わってくれる人はそれぞれ個性があるわけで、いろいろな得手不得手がある。みんなが集まって、その人の良い部分が重なって響き合うことで、ひょっとしたら個人の意識では到達できないようなところにシフトする可能性を感じるわけです。
篠原 先日オバナさんは、玉川学園を歩いて一周しましたけれども、今回展示する作品との関わりの中で街の印象はどうでしたか。
オバナ 百葉箱というスペースは非常に狭い。あの中でだけの展示を考えるには難しいと思いまして、隣接する環境との関係性で表現したらおもしろいと思ったんです。それで、自分が最初に発想したのは、響きを象徴するものとしての鈴でした。日本語の75音にリンクさせるように、ある種の、文法を使わないことばの響きの波、たとえば「わそよみひ」といった場合そういったことばがあるわけではなくて響きがあるわけで、そういうものを、隣接する環境との間でつくれないだろうか。具体的には、歩いていくつかのポイントに鈴を設置しながら、何らかの響きを百葉箱に収斂させるようなことはできないだろうかと考えています。
篠原 この街の印象自体はどうですか。
オバナ 非常に坂が多かったり、地形が平坦ではないですね。
篠原 そういった地形の複雑さが、作品と関係してくるんではないかと考えているんですが。
オバナ 自分は、歩くということと、鈴を設置するときにはいったん歩きを止めて、動から静に移って、そこに響きを発生させ、また次の動に移ってゆくという流れの中で、ある種の「詩もどき」みたいな、響きの節のようなものが出来るんではないかと思うんです。それに関係するようなものを箱の中にちょっと設置して、実はそれ以外のものを周りでやる。ここ(SPACE-U)との関係性も考えた、鈴の道のようなイメージを持っています。この場所(SPACE-U)とのつながりや、 自分個人とのつながりというものを意識した上で考えてゆきたいと思います。展覧会会期中、いくつかのポイントに鈴を、つまり響きを設置するつもりです。
篠原 百葉箱というもの自体についての印象はいかがでしょう。
オバナ 祠(ほこら)のような・・・。このスペースの「ユウ(*註:Uの中に−が入る特殊文字)」は、「くち」という意味で、古くは祝詞を入れる器ということもあって、そういうもののイメージを百葉箱に感じます。それから、光との関係性の中で、白くペイントされている百葉箱が、ちょっと高みを意識するようなイメージを持ちます。そういう意味では、自分のギャラリーの「ユウ」と百葉箱のイメージは重なると思います。
川上和歌子 展『こんにちは、さようなら』 
2006年10月1日〜11月28日

 扉を開くと目、鼻、口のない小さな顔が数十個、さまざまな方向を向いてこちらを覗いている。一つの大きさは縦9cm×横6cm×奥行5cmほどで、顔面の部分は白い布で、おかっぱ頭のような髪の毛は濃い緑色の布でつくられている。
 これは作者が「和歌子人形」と呼ぶ、川上自身をモデルにしたもので、実際に彼女に会うと、顔の造作の特徴が実に的確に再現されている。この人形たちが、上にゆくほど狭まる傾斜をつくるように、箱の中にぎっしりと下から積み上げられて。
 そして私たちは、この無数にも見える「和歌子人形」と向かい合うことで、そこには顔の造作がないのになぜだか、川上自身のさまざまな感情や表情と出会ったような不思議な感覚を覚えるのだ。
川上和歌子作品

 1969年生まれ。頭のない人型や、自己の姿を模した人形などが展示空間で無数に増殖し、そこで使われる赤や黄色の鮮明な色彩が強く印象付けられるインスタレーション作品を主に発表。

個展:ギャラリーK(1998年,1999年)、ギャラリー山口(1999年)、藍画廊(1999年)*1999年開催の個展は同時開催、ギャラリーアート倉庫(2000年)他。グループ展;『亜細亜散歩 −CUTE- 』(水戸芸術館現代美術ギャラリー.2001年)、『ART SCOPE』(杉並会館ギャラリー.2002年)他。

川上和歌子作品
 川上和歌子の作品とのはじめての出会いは、1995年に行われたギャラリイKでの個展だった。白い手袋を縫い合せたような、頭部のない無数の布の人型が壁面全体を覆い、さらに小部屋のような箱がいくつか置かれ、その内壁も白い布の人型で覆われている。また、床には鮮明な黄色の布が敷きつめられ、黄色と白とのゆるやかなコントラストは、それが現実の場ではないような不思議な印象を生み出す要因となっていた。この展示を見るにつけて、制作に費やしたであろう膨大な労力への想像と、非現実的な空間の様相は、川上という美術家に対する強い興味を私にもたらし、展示の一部である箱の中に川上自身に入ってもらい、たまたま持っていたカメラで彼女のポートレートを撮影した。
 この展覧会がきっかけとなって、私が1997年にGallery ART SPACEで企画した6名の作家による個展のシリーズ『Language−Material 1997』に、川上も加わってもらうことになり、天上から吊るされた数個のフレームに黄色い布の人型を無数に連ねて付けた展示が行われ、その後10年、彼女のさまざまな展示を見てきたのである。
 川上の作品はその間、展示の規模を増し、自身を象徴する「和歌子人形」ともいえるものや、極小の「枕」など、モチーフのバリエーションも徐々に増え、基調となる色彩にも赤や緑などが加わるようになったが、作品から受ける印象は見事なまでに変わらず、常に一貫している。小さな人型の果てしない増殖と、展示空間を統一する鮮やかな色彩。この2つが、きわめてシンプルな表現でありながらも深遠な「何か」を感じ取らせるが、川上の展示をはじめて見たときから、その「何か」とは、彼女自身の意識の内に在る視えない領域を暗示しているように思われてならなかった。
 その後、川上自身がモチーフとなるいわゆる「和歌子人形」が登場するのにあたって、そうした予感は確信に変わって今に至るが、作品から放たれる不変の個性は、彼女自身の核の部分が作品空間そのものとなって、そこに向かい合う私たちに寄り添うような感覚を与えることが、その源になっているといえるだろう。
 今回行われる展覧会では、胴体のない、のっぺらぼうの顔面が白で髪の毛が黄緑の「和歌子人形」が、43×43×43cmの空間にぎっしりと詰められることになっている。展示空間の扉を開けた瞬間に、私たちは多数の「顔」と出会うことになるが、川上の分身ともいえるこれらの「顔」たちによって、その刹那、彼女と私たちとの間にはどのような関係が結ばれるだろうか。(篠原誠司)
篠原 解説のテキストの中で「和歌子人形」ということばを使ったんですけれども、本当にそういう名称なんですか。
川上 はい。自分自身の人形です。
篠原 いつごろからそういう名前を付けていたんですか。
川上 作品のタイトルには「和歌子人形」と付けたことはないですけれども、自分自身をモチーフにした人形なので、ことばで説明するときにはそのまま「和歌子人形」と言っているんです。
篠原 川上さんの周囲の人はみんなそいう風に認識しているわけですね。
川上 私を知っている人は、見れば「ああ、和歌子さんだなあ」とわかってくれます。
篠原 最初の個展の時から、人形は自分自身を表わしているんですか。
川上 いいえ。最初の人型は自分自身じゃないんです。
篠原 人形が自分自身の象徴として出てきたのはいつごろですか。
川上 展覧会の記録をヴィデオで撮ってもらった時に、自分の姿も映してもらって、そこで初めて客観的に、映像を通して自分自身を見ることができて・・・ 私は子供の時からからかわれたり、しぐさがちょっと変わっているとか、物まねされたりすることが、特に中学生くらいからすごく多くて、面白がられていて。でも自分自身じゃわからないし、それに対しては結構むっとしていたんだけれども、でもあらためて、27、8歳の大人になって展覧会の映像で自分を見たときに、やっぱり滑稽であるとか、「こいつ何なんだろう」と自分自身で思ってしまって、その時に、それを人形というかたちにしてみたかったんです。別にかわいいとか愛しいとかそういう気持ちじゃなく、何か「人形にしてやりたい」ということだったんです。作品として初めて発表したのは4年前です。
篠原 どうして人形の顔がのっぺらぼうなんですか。
川上 別に顔が無くても、髪型とか顔のかたちとかだけで十分私であることが表現できているので。
篠原 いつもものすごく作品の数が多いですよね。それはどうして多くしようと思ったんですか。
川上 たくさんないと自分が満たされないんです。
篠原 こんなにたくさん、いつ、どこでつくっているですか。
川上 自分の家で、毎日毎日つくっています。
篠原 根性でつくっているんでしょうか。それとも習慣としてつくっているんですか。
川上 ご飯を食べるのと同じように、習慣としてつくっています。全く苦じゃないです。つくることで自分のバランスを保っています。
篠原 白や黄色、赤、緑と、作品に使う色が決まっていますよね。それぞれの色に何か思い入れがあるんですか。
川上 自分の引き出しの中に、こういうものを具現化してみたいなあとか、常に考えているイメージはあるけれども、でもやっぱり空間を見たときに、ぱっと見えてきた色とか降ってきたイメージを第一に優先しているので、その時に巡り会ったイメージを現実のものにしているだけなんです。この色にこういう意味があるとかは全くなくて、今回も(表参道画廊での個展)すごくきらきらした空間に憧れてこうなったんです。
篠原 今回の展覧会を行う「百葉箱」自体についてどういう印象がありますか。
川上 まず私が面白いと思ったのは、お客さん自身が鍵の番号を聴いて、自分で開けてまた自分で閉めて見るというところなんです。
篠原 一対一で作品と向かい合うギャラリーなんです。「百葉箱」の中での展示についてはどうですか。
川上 開けて閉めるので、今回の作品のタイトルは「こんにちは、さようなら」としました。
篠原 人形がみんな中からこちらを覗いているというイメージがありますよね。そのほか、展覧会について何か一言お願いします。
川上 玉川学園まで電車に乗って、駅から降りて、篠原さんのお家にてくてく散歩のような感じで来て、「あ、百葉箱だ」って見つけて、何だろうって開けたときに「わっ、こんにちは」っていうような作品になると思います。