百葉箱での過去の展覧会
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過去の展覧会(2006年12月〜)
・青野文昭 展『「蛇のいる景色」−無縁の記録−』2006年12月2日〜2007年1月27日
・城戸みゆき 展『これはジャックの 建てた家 ーThisi is the
house that Jaack builtー』 2007年2月1日〜2月25日
・山本あまよかしむ 展『ふみ』 2007年4月1日〜5月26日
・飯倉恭子 展『物語のはじまり 〜Birthdya〜』 2007年6月3日〜7月27日
・ピコピコ 展『怪獣販売機』 2007年8月1日〜9月28日
・河村塔王 展『秘密の対話』 2007年10月1日〜12月25日
青野文昭 展「蛇のいる景色」 箱の扉を開くと、白いハードカバーの写真アルバムが1冊と、地図をコピーしたA4大の紙2枚が置かれている。アルバムにはキャビネサイズのカラー写真が計31枚貼られているが、風景を撮ったこれらの写真をよく見ると、青野が造形として制作した、長さ1mほどの「ヘビ」の姿がそれぞれ写し込まれている。 |
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青野 文昭 1968年生まれ。 個展:真木田村画廊(1999年)、リアスアーク美術館(2000年)、Gallery ART SPACE (2000年)他。グループ展:『崇高と労働展』(板橋区美術館.2000年)、『VOCA展』(上野の森美術館,2001年)、『今日の日本現代美術展「共生する美術」』(宇徳文化院 Wooduk Gallery/韓国日本大使館文化 Silk Gallery[ソウル].2004年)他。 |
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2006年9月、青野の個展を見るために仙台・ギャラリー青城に向かった。展示は、青野がさまざまな場所で集めた何かの断片に造形的な手法と素材で「付けたし」を施すことでレリーフ状とした22点の作品で構成されているが、それぞれに付けられたタイトルに心が引かれた。羅列してみよう。 「なおす・延長」「なおす・集積」「なおす・合体・侵入」「なおす・合体・乗っ取り」「なおす・合体・融合」(それぞれのタイトルの末尾には「2000-15」など制作年と作品番号が記される)。たとえば「なおす・合体・侵入.2005-12」では、ところどころにひょうたん型の窪みがある何かの台の一部に布を張った上でパネルが付け足され、その部分には同じひょうたん型のイメージが、さらに両者にまたがる部分には格子のラインが描かれているが、「合体・侵入」というタイトルは、絵画として描かれた部分のイメージが拾われたモノを浸食してゆく様を的確に表わしているように思われる。 また、食品などを販売する際のプラスチックのトレーに付け足しをして、もとの四角形から外にはみ出した5辺の不定形とした小作品「なおす・合体・融合.2005-4」では、拾われたモノのイメージを造形物としてコピーし、それがモノ自身と合体して一つとなることで新たなイメージが生まれる、いわばイメージを的確に表わしているといえる。 このように、青野の作品と作品に付けられたタイトルは、私たちにとっては、モチーフとなったモノと造形として現れた作品との関係を知る一つの手がかりになっているが、青野自身はこれらのことばをどのような意図をもって付けたのであろうか。 青野の作品では、拾ってきた実在するモノに、主に近似した素材が付け足され、それが造形という新たなモノとして再び現実の場に引き戻されることになるが、それぞれ互いに異物であるはずのモノが一つ場所で重なり合う様からは、付け足しの境界を目印に両者を見比べ互いの関係を探ることで、ここに現れた作品としてのモノの正体を見出すことができるのではないだろうか。 「合体」「侵入」「融合」といったことばは、二つの異物の関係を示す符丁として使われているわけだが、この使い分けのニュアンスは青野本人が知るだけであって、私たちにとっては想像をめぐらすことしかできない部分である。そしてこれらタイトルのことばは、同義あるようにも対向するようにも取れるが、しかしだからこそ、そうしたことばが当てはめられた全ての作品は、青野の意識の内の視えない部分を感知させつつも、その内なる領域から離脱して現実の中に現れたものとして、展示空間の中でそれぞれの存在感を放っているように思われてならないのだ。 |
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篠原 今、一通り展示(仙台・ギャラリー青城での個展)を見ましたけれども、作品のタイトルが、「なおす」という語の後に「侵入」「乗っ取り」「融合」というような語が続いて数種類に分かれていますけれども、どのように使い分けているんでしょう。 青野 「合体」は、二つの断片しか使っていなくて、そのせめぎ合いの中で、小さい方の断片が大きい方に入ってくる場合です。それがプロセスの段階で入ってくると「侵入」で、小さい方の性質が大きい方を飲み込んでしまう場合は「乗っ取り」、両方がせめぎ合って性質が混ざり合った状態が「融合」というようになっていまして、自分と他者でもあるんですけれども、二つの別のものが交わるときに、いろいろな交わり方があるんじゃないかということで、これらが出てきたんです。 篠原 これを区別するのは難しくて、青野さんのみが知るということですよね。 青野 本当は自分としてはわかって欲しいんですけれども。 篠原 その読み解きの際に、解かる、解からないの境界線がありますよね。その境界線の左右にいて、作品のタイトルと読み合わせてゆく作業が難解だからこそ、作品が何か特別なモノに見えてくるという印象があるんです。つまり、作品としてのモノが展示の段階で、すでに青野さんの意識の及ばないところにあって、青野さんの意識から離れた一個の特別なモノになっているという印象を感じています。一つ一つが、同じ価値を持った独立したモノとなっていて、タイトルのことも、だんだんと頭の中から消えてくるんですね。 ところで、今回の個展の中で「なおす−侵入.52」という作品があって、この作品は「侵入」という状況を明確に表わしているような気がしますが、格子状にグレ−で描かれたイメージは、実際のもとのモノにはないイメージですよね。 青野 モノの中の格子から発生したわけですけれども、二つがドッキングするところから浮上し来たという・・・ 篠原 確かにイメージがどこからか浮上してきたという感じがととも強いんですね。だから、解かりやすいという言い方も変ですけれども、面白い作品と思ったんです。 青野 二つの性質が重なることで、より際だってくるイメージがあるのかと。 篠原 制作にあたって、素材となるモノを「拾う」という言い方をされていますよね。それは、本当に「拾う」という意識なのか、それとも「見い出す」という意識なのかということが、モノによって異なってくると思うんですけれども。 青野 「見い出す」というほど多くの中から選べる感じではなくて、だからといってたまたま「拾う」というものでもないですね。 篠原 「拾う」ということばのニュアンスはとても難しいですよね。 青野 最近だと、わざわざいろいろなところに行って、やっとあったというような。 篠原 拾った段階で作品のイメージが見えていることもあるんですか。 青野 あまりその場では考えないですね。拾ってきてアトリエに持って帰って、これは使えそうだなとか、これはまだ何ともしようがないからそのままにしておこうとか、そのときにはっきりとしてゆくんですね。 篠原 作品は平面、レリーフ、立体の造形物にかたちが分かれますよね。その違いには何か規則性はあるんですか。 青野 今回の個展では、最初にレリーフから入っていろいろと実験したんです。平面でやると、どうしてもコラージュ作品になったり、きれいな絵柄に惑わされて絵画的になってしまうんですけ。レリーフだと、例えばトレーの作品だと、既製品のイメージが強いので、同じトレー同士をくっつけたりしたんですけれども、レリーフからやって、やれそうなのは平らなものでやってみようということになって。平らですと、板とか厚みのあるものはそのままなんですが、厚みのないものはパネルにしました。 篠原 自立する立体になる要因はどういったところにあるんですか。 青野 立体は、平らなものではないやつですよね。 篠原 平らなものじゃないと立体になってしまうんですね。 青野 そうです。 篠原 「付け足す」素材が拾ったモノと同じ場合と全然違う場合がありますけれども、それは偶然なんでしょうか。 青野 「なおす−延長」と「なおす−復元」というものの中で、「延長」は一つの塊として延ばしてゆくもので、「復元」は結果的に実際にあるモノがわかるような方向でやっています。車なら車に見えるようにという。 篠原 その場合は素材が違うということでしょうか。 青野 素材は同じなんですけれども、拾った断片の状態によるんですね。たとえばそれが、車の断片のほんの一部だとすると、それを強引に車まで延ばすと無理が出てきて車にはならない。でも、ある程度車っぽいものですと、車のかたちに合わせて延ばした方がいいかなということになって、結果的なところなんですね。拾ったもとの断片が生かされるにはどっちがいいのかなというところで分かれてくるんです。 篠原 百葉箱についてはどのようなイメージを持っていますか。 青野 いろいろな切り口があると思うんです。祠のようでもあり、鳥の巣箱のようでもあり。でもあそこの場所にあるわけですから、場所自体を問題にせざるを得ないと思うんです。今のところ考えている作品は、動物か何かのオブジェをいろいろなところに置いて写真にして、それをまとめて見れるようにして、箱の辺りでもそれをやって、箱の中に現物を入れて、その本も見れるようにしたいなと考えています。 |
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城戸みゆき 展「これはジャックの建てた家 床には、芝生を思わせる8cm角の黄緑色の敷物(濃い目と薄目2色の組み合わせ)を5×5列、計25枚敷き詰め、その上に、厚いボール紙に生成りの和紙を貼ってつくった、「城」のような建物をかたどった幅16cm、奥行24cm、高さ16cmのオブジェ作品が一つ置かれている。この作品の正面には、ドアに使うような覗き穴が取り付けられ、来場者は作品を手に取って穴から内部を覗き見ることができる。作品上部の屋根にあたる部分では、光取り用の天窓を思わせる4つの丸い穴(2〜3cm)のほか、小さな穴が並び、そこに光が当たることで、箱内部の様子が伺い知れる。穴の中を覗くと、天井部の構造と共に、閉じた「ふすま」の手前に、「ふすま」が開かれた二間続きの部屋の床に何かの植物が猛々しく生え、奥の部屋には開かれた2冊の本が、手前の部屋には台の上に猫が一匹乗った情景が見て取れるが、これは極小のペーパー・クラフトでつくられたものである。 |
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1972年生まれ。独特の曲線によるイラストのほか、「教会」「銭湯」などさまざまな街の情景を小さな組み立て式の立体イラストに仕立て、それらを多数並べて架空の街をつくる作品を発表。 | |
城戸みゆきの作品の中で最も記憶に残っているのは、今はなきトイレの展示スペース・ART
SPACE LAVATORYで2001年に行われた個展『ユラユラノ家家』での展示だ。当時記したテキストでその様子を振り返ってみよう。 ー占い屋、病院、ガソリンスタンド、銭湯、映画館、テント、レストラン、民家、五重の塔など、紙でできた2〜3cmほどの小さな「家」が、同様のきわめて小さな車や木立ちなどを伴い、それぞれ 5×5×2.5cmの紙の台座に乗ってトイレの空間の床や天井、中空などにぎっしりと立ち並んでいる。 これらは、作者がイラスト作品として展開図を描きそれを紙にプリントした上で切り抜き組み立てたもので、そのすべてが、彼女がイメージした独特の色やかたちで彩られている。展示は、便器を囲むように孤を描いて床に並ぶ 120個ほどの家々を乗せた台座の角から伸びる4本の竹ひごの先の中空に、さらに家が乗った台座が取り付けられ、天井には天地を逆にして 400軒近くの家々がぎっしりと密集し、さらにトイレの配管には、豆つぶほどの小さな車が行き交っている。そしてこれら 700軒の家々によって、トイレの空間は架空の「街」へと一時その姿を変えたのである。ー 独特のイラストレーションで描かれる世界が、小さなピースの複製によって無限の広がりを持ち得ること。これが、彼女のつくる「家」シリーズが示す強いオリジナリティーの源だが、その後、ドアの覗き穴などが付いた家型のオブジェの内部を覗き込むことで、そこに同じく独特のイラストレーションによる世界が立体として立ち上がる「のぞきボックス」のシリーズへと向かい、表現の幅は厚みを増してゆく。ここで、家型のものではないが、近年制作したのぞきボックスの作品『時間からこぼれる光が私たちを照らす』についてのテキストをもとにこのシリーズを紹介しよう。 ー板に茶色の布を張った立体の内側に、数十枚の和紙がぎっしりと挟み込まれ、前後にはレンズをはめ込んだ小さな穴がそれぞれ開けられて、内部を覗き見ることができる。重なる和紙の束の中央に穴を開けてつくったその内部には、紙でできた小さな家々が立ち並び、素焼きの陶製の老人が立っているが、箱を光にさらして前後の穴を覗き見ると、作者の意識の中の空想を表すような小さな世界の光景が、覗き穴のレンズにデフォルメされて目の前に浮かび上がる。ー この箱形オブジェは手に取れるほどの小さなものだが、中を覗き込むことで、私たちはイメージの大きな広がりを見て取ることができる。つまりここでは、手に取るという触覚と、中を覗き見て架空の世界の広がりを想像するという知覚が結び付くことで、手の内に収まりなおかつ広大であるという、不思議なスケール感を持った空想世界を体感することができるのだ。そしてそれは、作品の実寸こそは大きく違えども、「家」が無数に増殖するシリーズが私たちの空想力をかき立てることとの共通性を強く感じさせる。 今回の展覧会では「覗きボックス」の作品が「百葉箱」の中に展示されるが、「百葉箱」というそれ自体が家のかたちを思わせる箱の中に、広大な空想世界を内に秘めたもう一つの「家」が収められるという、さながらイメージとしての「家」を入れ子にした状況は、私たちの知覚にどのような感覚をもたらしてくれるだろうか。 |
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篠原 家が増殖するシリーズと、のぞきボックスのシリーズでは、どちらが先に制作が始まりましたか。また、それはどのような経緯で表現が展開していったんですか。そし
て、この2つの関係を今はどのように考えていますか。 城戸 家が増殖するシリーズが先でした。ドアスコープは前から漠然と面白いなと思って持ち歩いてみたり作品の一部に使ったりしていましたが、今のような形で使い始めたのは5〜6年前です。最初はブックオブジェで使ってみたんですが、のぞいてしか見られない閉鎖された空間というのが、家に使ったらもっと面白いと思いました。もともと家についているものですし中と外を逆転させることで入れ子になる世界が楽しかった。 使っていくうちに「私対世界」という構図が一瞬で作れるというところにはまっていった感じです。 増殖とのぞきの二つのイメージは実はそんなに離れてなくて、ベクトルの違い。増殖シリーズは拡散の方向へ、のぞきボックスは凝縮の方向へ。 のぞきボックスの方が、視線ということに対してより意識的にはなりました。 篠原 「家」のイメージを作品化することについて、その源はどのようなところにあると思いますか。 城戸 居場所ってなんだろうかということから出発していると思います。あと、何でも飲み込んでくれる器であるという。また、父の職業が建築関係だったことも影響しているかもしれません。 篠原 紙を主な素材にしていますが、それについて一言。 城戸 今のところベストな素材です。触感とか、軽さとか。雑誌のおまけのイメージ。印刷できる=増殖できるということなどなど。 篠原 家が増殖するシリーズと、一般的なオリジナル・ペーパークラフトとの、違いと関わりはそれぞれどこにあると思い生ますか。 城戸 紙を使う時に平面から立体が立ち上がる面白さというのがあって、その点は一般的なオリジナル・ペーパークラフトと同じだと思います。違いは何でしょう、個人的なものである点でしょうか? 例えば実在の建物や生物など「こんなものまでが紙で」的な普遍性のある驚きはない。リアルなものを指向しない。 篠原 「個人的なもの」に関して、建物など、城戸さんが今までに実際に見たもの が モデルになっていることもありますか。そう だとしたら、リアルにはならないという、そのアレンジのし方が、オリジナリティーとして作品に現れているということでしょうか。 城戸 実際に見たものを作る場合はそれを忘れかけてから、細部を自分の印象で補ったようなものを作るようにしています。自分の記憶の中で作り替えられた現実というか、現実からちょっとずれた所にあるようなものです。そのずれには個人差があると思うので、それがある種のオリジナリ ティーではあるかと思います。 篠原 今回の展覧会のタイトルは、そのようなイメージがもとになって付けられています か。 城戸 タイトルはマザーグースから来ています。「これはジャックが建てた家 にあるモルトを食べたネズミを殺した猫を虐めた犬を放り上げたねじれた角の牛の乳を搾った寄る辺のない少女にキスをした…」というふうにことばが積み上げられて、世界の見え方が拡大していく感じが好きで使いました。あと、調べていたら、不格好な建物とかいう意味もあるらしいのでそれもいいかなと。 篠原 白い家型の百葉箱の中に、入れ子のようにもう一つの白い「家」が 収められることについては、どのようなイメージがもとに なっていますか。 城戸 家の中に別の家があるという夢をたまに見るので、そのイメージです。 篠原 その夢では、内側に入っている家の中に入っていったり、中を覗 いたりすることもありますか。また、あえて夢判断をしてみるなら、どうしてそのような夢を見るん だと思いますか。 城戸 たいていの場合はどんどん入って行きます。例えば入ってみたくなるような建物があって、ドアを開けたら池があって、奥にある小さな家の扉までボートでこいで行って…と展開していきます。夢判断。難しいですが、現実に対する好奇心と恐怖心、とかですかね。 篠原 「百葉箱」自体にはどのようなイメージを持っていましたか。また、そこで展示す ることについて一言。 城戸 小学生の頃百葉箱は中ににわとりが住んでいると思っていました。なんでそう思ったのか謎ですが。何かひとつの「気分」を閉じ込めてしまったような展示になればいいと思います。 篠原 自分の中では、どのような「気分」を想定もしくはイメージして いますか。 城戸 おばあちゃんの若い頃の話を聞いている時のような気分です。 |
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山本あまよかしむ 展 「ふみ」 2007年4月1日〜5月26日 |
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化繊や自然素材など、さまざまなファイバー素材に金属線を織り交ぜてつくったテキスタイルをベースに、そこから鼻や口、目などの顔の造作をつくり出したレリーフ作品を制作。このオリジナルの手法でできた「布」は、指で粘土をこねてかたちをつくるように、自由自在にかたちが変化し、自分の手の中からものが創られてゆく感覚を体験することができる。 | |
山本あまよかしむは、ある日突然、面をかぶってギャラりーに現れた。それが彼女との最初の出会いだった。その時の模様を、私は当時以下のように記している。 ある曇りがちの日の午後、自作の「仮面」で顔を覆って彼女は現われた。その時ギャラリーには私を含めて5〜6名ほどいたが、入口のドアのガラス窓から白っぽい塊が覗き見えることで、そして次にはドアを開けて入ってきた全身を見て取ることで、その場の誰もが一瞬間小さく息をのみ、しかしそこをピークにして、誰かが「仮面」を被って入ってきたのだとわかった後には彼女の姿は場に馴染み始め、私たちを包んだ緊張感は徐々に薄らいでいったのである。 山本の作品は、さまざまな繊維素材の内に細い金属線を編み込むことで、あたかも指で粘土をこねるようにしてかたちを変えることができる、適度な固さを持った布素材をもとに、目、口を開けた顔をかたどる仮面をつくり、その表情を随意に変えることができるという独特なものである。 これを能面と比べると、能では場面場面に応じて怒りや笑い、哀しみといったさまざまな感情を表す面が各種用意されており、演者は舞台の進行に応じた面をかぶるが、山本がつくる面の表情の可変性は、能で表されるさまざまな面の表情を一つの物体に集約させるようなものなのかもしれないと私は考えている。 ところで、山本の展覧会では、展示されている面の内の一部を、来場者が実際にかぶることができる場合が多く、私も実際に面をかぶってみたことが何度かある。たとえば、笑ったような表情の面を身につけたとすると、その瞬間笑いの表情を他者にさらす想像をし、哀しみの表情をかぶった際には同じく哀しみをさらす自分が想像される。また、能の場合には、演者はかぶった面が示す役割を演じることになりが、山本の作品では、表に現れる面の表情を、山本もしくは私たち自身が変えることができるが故に(展示の際に観客が作品を手にして面の表情を変えることができる場合もある)、自身の感情に合わせて面の表情をつくり変えたくなる気分が湧き上がるのである。 今回山本が展示する作品は、竹薮に落ちている竹や筍の皮を素材とした「顔」をポストに見立て、その「口」に何かが書かれた丸まった竹の皮をくわえさせ、来場者はそれを受け取って持ち帰る代わりに、用意された何も書かれていない竹の皮に返信をしたためて「口」に「投函」し、次に訪れた人は前の人が書いたものを受け取ってさらにその返信を「投函」するという、リレーのような連鎖的な返信によって成り立つ、来場者だけの間でやり取りがなされるコミュニケーションをもとにしたものである。 山本がこれまで制作してきた「面」も、彼女と私たちとのコミュニケーションを取り持つ役割りを果たしてきたが、今回展示されるものは、山本を核としながらも、そこから離れ、観客である私たち同士の間にある関係を生み出すという点で、作品自体は小さいけれども見えない部分に大きな広がりを持ったものである。そして、そうした見えない連鎖に加わることで、私たちは、他者あるいは山本自身からどのようなメッセージを受け取ることになるだろうか。 |
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篠原 はじめは語学をやっていましたよね。そこから染織に移ったのはいつで、そのきっかけは何ですか。 山本 大学2年生くらいのときに、街の染料屋の教室に、大学の講義がないときに通い始めたんですが、もともと小さい頃から、布を使ってものをつくるのが好きだったんです。変な服をつくってみて、着れないんだけれども無理矢理着てみたりとか。語学をやるからそれをしないというような二者択一ではなく、大学というのはお勉強するところだと思っていたので、ものをつくったり絵を描いたりというのは、大学に行ってアカデミックなこととしてやることだと知らなかったんです。 篠原 お面の作品をつくり始めたきっかけは何ですか。 山本 大学を卒業した後の2年間、夜学で織物を勉強したんですけれども、卒業の直後にはもうお面が出てきているんですよね。その時は、布を糊でぎゅっと押し付けて固めたものだったんですけれども。 篠原 もともとお面が好きだったんでしょうか。 山本 お面に限らずに、人間のかたちにするという事自体に、すごく興味がありますね。 篠原 金属線を織り込んでいく作品をはじめたきっかけは何ですか。 山本 糊でテキスタイルを固めただけだと、そのかたちだけにしかならないじゃないですか。それだとすごく弱い。アイデアとして考えていくと、金属線に織り込むというのは一番いいやり方だと最初に思っていたんですけれども、やっぱり面倒くさいんですよ。だから、もっと簡単な方法はないかと思って、糊で固めるとか、ぱっとつくれるものを考えていたんです。でも、時間をかけたものは、それだけ命も長くなると思ったんで、この方法を始めて、そのときからサンプルをつくりためてきました。 篠原 顔のモデルは何かイメージがあるんですか。 山本 出てくるままです。 篠原 何かに影響されたものとか。 山本 最初からはそれをやろうとは思っていなくて、目と鼻と口のバランスだけで、あとは思うがままです。金属を入れた良さというのは、後でも変えることができるということで、ある日雑誌やテレビで見た顔が自分にすごく印象に残った場合に、このお面と似ているからもうちょっと似せてみようとかいうのはありますけれども、最初からこの人に似せようというのは、だいたい失敗するんでやらないんです。 篠原 作品の中で実際にかぶれるものがありますよね。作品は全てかぶれることを前提にしてつくっているんですか。展示の中で、かぶれるものをそうでないものとの使い分けもあると思うんですけれども。 山本 かぶりたいですね。一番メインでつくっているものは、顔のサイズほどか、ちょっと大きめでかぶれる位とかです。大きいものをつくるのはすごく気持ちいいんですけれども、どうしても人間の身の丈から離れていってしまうんで。たまにはそういうものもいいんですけれども。 篠原 お客さんがかぶるのと山本さんがかぶるのとでは、同じ作品でも意味は違ってくるんでしょうか。 山本 全然違うでしょうね。最初は、作品の中に入り込んで自分自身がパフォーマンスをするという、お面に限らずに、立体的な人間のかたちをつくって自分も同じ格好をして、自分が感覚的に感じるということを重視していたんです。けれども、たとえばギャラリーという空間を使ってそれを人にお見せするのは、来てくれた人にも同じ楽しさを感じてもらった方が面白いと思ったんです。自分がパフォーマンスをするよりは、人にやってもらった方が自分も楽しめる。自分がかぶってしまうと話もできないんですよね。せっかく来てくれたお客さんと私も接したいので、どちらかというと、あなたたちがやって下さい、ということなんですね。 篠原 今回使う竹の皮は、今までの作品とどう違ってくるんでしょう。 山本 今までの延長線ではあって、素材を変えただけといえばそうなんですが、使うものは、植物にしろ布にしろ、自分が発見したものというところは変えたくないんです。たとえば布でつくっていたのは、東京の下町でアトリエを借りてやっていたときに、自分の身の回りにあった素材なんです。繊維問屋がたくさんあるところでね。要するに、都市のゴミというか、大量に廃棄される布の端切れを拾ってきて、長くつなぐことでつくっていたんですけれども、それはそれで、東京に住んでいる私にとっての自然だったんです。今は房総半島の方で、竹林の中で暮らしていて、そういう環境の自然を使う。たとえば学校で勉強したことは、自分が実際に見つけたり体験したものではなくて、ことばとか本とか、知識として誰かから与えられたものだという感覚があるので、染織の人が普通に使うような、染織屋さんで売っているようなものは、学生の頃から使いたくないというのがあったんです。絹糸とか自然のものであっても、誰かがどこかで織物をするためにつくっているというのが、自分としてはやらされているという感じがあって、それとは違うものを使ってやりたいというところからきているんです。 篠原 竹の皮を使うと、実際にはどういうつくり方になるんですか。 山本 結構簡単で、細く裂いて、今回の場合は2ミリ位ですかね、織り込むだけなんです。それから平たくして、目と鼻と口のところだけスリットを入れて、平たい状態を機からおろした後にモデリングしていくんです。 篠原 百葉箱についてはどいううイメージを持っていますか。 山本 そういえば学校の校庭に白いものが何だかわからないけれどもあるなという記憶だけはあるんですけれども、百葉箱という、箱自体という名前は知らなかったんです。今回初めて認識しました。 篠原 最後に、今回の展覧会について一言。 山本 「ふみ」という題名ですが、家の裏は竹薮で、展示がある4月、5月のちょうどこの季節、雨が降るように竹の皮が降ってくるんですね。孟宗竹の林の中をうろうろしていたときに、地面に落ちているのを拾い上げて、くるくる丸まっているんで、虫がついていないかどうかを見るためなんですけれども、これをきゅきゅきゅきゅっと開く作業が、これは手紙を読んでいるようだなと思ったんです。ここに何かメッセージがあったら嬉しいなと思って、それをもとにして、お客さんと遊びのようなものをやってみたいなと。自分の生活の中から見つけたもの、環境から与えられたものでいかに遊ぶかというのを、すごく大事にしていて、それを皆さんに楽しんでもらえたらいいなと思うんです。 |
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飯倉恭子 展 『物語のはじまり 〜Birthdya〜』 2007年6月3日〜7月27日 |
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飯倉 恭子 1964年生まれ。野外で拾い集めた木の枝や葉など、自然の中のものを素材にしたた立体、インスタレーション作品を発表するほか、それらを紙の上に表現して「本」のかたちにまとめた作品などを制作。 |
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飯倉恭子との出会いは、1988年、今から19年も前のことだ。大学を卒業したばかりの私が当時働いていたギャラリーで彼女が個展を開くことになったのがきっかけで、味わい深い色彩のテキスタイル作品が展示され、その際にいただいた1点の小品が今も私の手元にある。そのころの彼女は(当時は木村恭子)、陶芸作品を扱う近所のギャラリーに勤めていたこともあって、途切れることなく行き来があり、私が関わるギャラリーで個展も何回か行われ、発表された作品のほとんどを私は目の当たりにすることができた。 彼女の作品が、工芸的なものから、木の枝や落ち葉などの自然素材を使った造形的なものへと変化し始めたのは、1992年前後のことだ。その兆候は、テキスタイル作品を野外に設置して写真にすること(個展のDM用のもので、当時彼女が住んでいた近所の小石川植物園などで撮影された)から始まった。 自然素材への志向は徐々に強まり、木の枝などによるオブジェ的な作品を手始めに、こうしたものを組み合わせて、そこにできる会場照明の影ごと合わせて空間を構成するインスタレーション作品へと進み、さらに表現はギャラリー空間を飛び出し、素材自体を自然の中に戻すかのような野外展示にも広がっていった。そして私は、一貫する自然志向と、空間構成力の自在さに刺激され、企画を手がけた展覧会にしばしば登場していただくこととなった。 その中でも忘れてならないものが、私が運営していたGallery ART SPACEに併設するトイレのの展示空間「ART SPACE LAVATORY」と、無印良品製の金属の名刺入れを使用した携帯ギャラリー「ART SPACE LIFE」での個展だ。なぜこれらが私にとって重要であるかというと、この2つのスペースの最初の展示者がいずれも飯倉であり、スペースの立ち上げ自体に、柔軟性を持った彼女の作品を展示することが一例として想定されていたからである。 そして今回の百葉箱での展示となるわけだが、観客が作品と一対一で向かい合うという、前述の2つのスペースと同じ性質を持つこのギャラリーの立ち上げに際しても、樹木に囲まれてたたずむ白い箱の中に、自然素材による彼女の作品が設置されて周囲の緑と呼応し合う姿が想像された。いつか展示をお願いしようと考えつつ、オープンから1年間半を経た今、ようやくそれが実現することになった。この小さな白い箱の中に、私たちは、彼女がイメージしたどのような「風景」を覗き見ることができるだろうか。 |
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篠原 最初はテキスタイルの作品をつくっていましたけれども、そういったものにはいつ頃から興味を持っていたんですか。 飯倉 テキスタイルは、小さいときから刺繍とか縫い物とか布とか糸とか、手芸がすごく好きで、繊維を扱うことには、小学校くらいからずっと興味を持っていて、「染織」ということばもそのときに頭に入っていて、将来やりたいなと思っていたんです。 篠原 染織をずっとやってきて、今展示しているような、自然素材の作品をつくるようになったきっかけは何だと思いますか。 飯倉 繊維もすごく好きだったんだけれども、同時に小さいときから、ドライフラワーとか、どんんぐりとか、茶色い感じの乾いた質感のものもすごく好きで、そういうものにもともと興味はあったんです。でも、こういう作品になった直接のきっかけは、染織の展覧会をするときに流木の木の枝をちょっと使ってみたら、その風合いがすごく好きで。もともとそのときの展示の作品も、生地がコーヒー豆袋みたいなものを使っていて、全体に茶色っぽい感じの展示だったんだけれども、それから徐々に変化していって、コーヒー豆袋が実際の枯れた草に変わったりとか、そういう風にして、だんだん作品が変わっていたんだと思います。 篠原 そのあと野外展示をいくつかやりますよね。それは、野外から持ってきた素材を、さらにかたちを変えて自然に戻すような意識はあるんでしょうか。野外の作品と、屋内の作品との意識の違いはどこにあると思いますか。 飯倉 自然のものをもとにして、できるだけ自然に近いものをつくってそれを手元に置いておきたいといつも思っていて、室内での展示は、自然に近いものを自分の手で再現して、外とは違う空間に置いて眺めたりいて、何となく部屋の雰囲気をつくったりする事だと思います。外に戻すというのは・・・。 篠原 外に自分の作品を置いたときに、印象にどのような違いが出るかということでもいいんですけれども。 飯倉 違和感なくそのまま戻すような気分なんです。 篠原 作品を外に置いたときの発見は何かありますか。 飯倉 実際に作品を外に置いてみると、やっぱりつくりものだなあと思ったり、実際の自然に比べたら貧弱だなとか思ったりすることはあるけれども。外の空間はもともと好きな空間だから、そこに置ける幸せは感じます。 篠原 今の百葉箱の展示は、一応は箱に守られているけれども半分外ですよね。それでそういう質問をしたんですけれども。百葉箱自体については、もともとどういうイメージを持っていましたか。 飯倉 小さいお家みたいなイメージで、鳥の巣箱のような印象もあったので、今回の展覧会の依頼を受けたときには、すぐに鳥の巣みたいなものを中につくることを、話を受けた瞬間から思って。もともとそういう作品もつくっていましたけれども。作品はすぐに決まりました。 篠原 今回の展覧会のタイトルは「物語のはじまり」ですけれども、作品はテーマについて一言。 飯倉 最初は「おかえりなさい」という題名を考えていたんです。作品は鳥の巣という鳥の家で、扉を開けるという行為もあるから、家に帰るというイメージだったんです。私的なことなんだけれども、自分の子供に対するメッセージのような部分があって。自分の子供には愛情もすごくあるし、すごく大事に思っていて、いつでも私たちは待っているからという意味を込めた作品なんです。何か困ったことがあたらいつでも受け入れますよという気持ちなんです。それがおおもとのテーマで、それは、誰でも持っている気持ちだから、皆に共通する気持ちなのかなと。「おかえりなさい」という題名はあまりにストレートなので、生まれてきた人の人生を尊重するという意味で、人生を物語に置き換えて、「物語のはじまり」を大事にしたいなというように思ったんです。 篠原 展示を終わってみて、百葉箱の周囲の環境と合わせてみて、どういう印象を感じましたか。 飯倉 ここに来る途中の道すがらも緑が多くて、駅の周りかしてすごく静かで、歩くごとに緑が多くなっていく狭い坂道を来て。ここにたどり着いて、風があり緑がありの風景と白い百葉箱がすごくマッチしていて、すごくすてきなところだなと思って。自分の作品は自然素材のものだから、そういう意味でもあまり違和感なくて、何の引っかかりもなくすっと入れて良かったなと感じています。 篠原 今、一番緑が多い時期ですからね。 飯倉 今日はすごく風も気持ちが良かったので、気持ちよく入れたような気がします。 |
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ピコピコ 展 『怪獣販売機』 2007年8月1日(水)〜9月28日(金) |
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ピコピコ(トムラアツシ) 1968年生まれ。空想から生まれたさまざまな怪獣や、不思議な生き物のキャラクターをもとにしてつくった、布や粘土による人形、イラスト、CG、ゲームなどを発表。 |
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ピコピコとの出会いは12年前、毎年企画・開催している「本」形式の展覧会『THE
LIBRARY』に出品してきたことがきっかけだった。カラフルな布素材でできた「ブタ」のような奇妙な生き物の腹部分が蛇腹状の「本」になった作品だが、その中のあるページの落書きのような絵と、そこに記された「これでぶっ刺すの」ということばが、「かわいらしさ」と「毒」と混ぜ合わせたような作者の魅力を強く印象付け、それからピコピコとの長い付き合いが始まった。 あくまでも私の記憶の中でのことだが、その間にピコピコの作品は、奇妙な生き物から架空の怪獣へとシフトしていった。ピコピコがつくる「怪獣」の面白さは、カラフルな色彩やコミカルにも見える姿に加えて、作品に書き添えられる身長や体重、性格などのプロフィールが、それが怪獣ではなく一人の人間の人格を表すかのようにリアルで、姿の奇妙さとプロフィールのこのリアルさとの大きなギャッップが、これら怪獣たちの存在を身近なものとさせ、作品一点一点の印象を強めているように思われてならない。 今回は、「百葉箱」の中の、いわゆる「ガチャポン」の装置をベースにつくった怪獣型のオブジェの中に、小さな怪獣の作品を収めたカプセルが多数入れられ(計6種類)、100円で実際に「ガチャポン」を動かして買うことができるという展示が行われる。ただ見るだけで十分楽しめるが、100円という安価で作品を買って持ち帰ることもできるという体験は、アートを身近に感じさせながら、ピコピコの作品世界を私たちに強く印象付けるに違いない。 |
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篠原 ものづくりを始めたきっかけは何ですか。 トムラ 物心が付いたときから粘土をいじったりするのが好きだったんです。 篠原 ものづくりを意識し始めた最初の頃は、どんなものをつくっていたんですか。 トムラ 子供の頃を除いて、何かを表現をしようと思ったのは・・・ 篠原 人形はどんなきっかけでつくり始めたんですか。 トムラ 粘土は子供の頃からずっといじっていたんですが、最初の作品はたぶん縫いぐるみですね。子供の頃から縫いぐるみは好きで、小学生の頃は見本をまねてつくっていたんだけれども、男はちゃんとした縫い物なんかできないだろうと思っていたんです。大人になってからやってみたら意外とできてしまって。粘土だと乾燥時間がかかるけれども、縫いぐるみだとミシンで縫ってしまえばあっという間にできるので、それが面白くて、結構縫いぐるみにはまりました。 篠原 縫いぐるみのモチーフは、最初から怪獣なんですか。 トムラ 最初からへんてこな生き物です。 篠原 怪獣を意識したのはいつですか。 トムラ ずっと子供の頃から好きだったんだけれども、最初は、怪獣を表現にするのはくだらな過ぎるんじゃないかという照れが無意識にあったと思うんです。けれどもある時、これだけ好きなんだから本気でやってみてもいいんじゃないかと思って。 篠原 それぞれの怪獣の作品にはオリジナルのストーリーが付いていますけれども、それは、ストーリーが先なんでしょうか。それとも怪獣が先で後からストーリーを付けるんですか。 トムラ 怪獣のかたちが先です。 篠原 それぞれのストーリーはどこから出てくるんですか。トムラさんの作品では重要な部分ですよね。 トムラ 自分にとってはどうでもいいんですよ。どうでもいい、でっち上げ的なものだからこそ、自動書記のように湧いてきたものを、どこかで調べてきたもののようにストーリーにしていけるんです。 篠原 怪獣はもちろん子供の頃から好きですよね。その頃一番好きなものは何でした。 トムラ やはりウルトラマンの怪獣ですね。 篠原 世代的には、ウルトラマンだとリアルタイムでは後期からですよね。 トムラ 「帰ってきたウルトラマン」からです。 篠原 作品に付いてくるストーリーは、やはりウルトラ怪獣の性格付けに影響されているんでしょうか。 トムラ そうですね。 篠原 怪獣そのものについてどう考えていますか。 トムラ 怪獣は、世界の外側の境界線にいるものだと思うんです。ものを表現するというのは、境界線を表現しないことには意味がなくて、その向こう側を目指さなければならないと考えているんです。 篠原 それは、実際には見えないけれども絶対に存在する部分だということですよね。 トムラ アートという言葉は好きではないですけれども、アートと怪獣とはすごく親和性があると思うんです。 篠原 架空のものだけれども絶対にあるという部分が共通していますよね。今回はガチャポンの作品ですけれども、どこで機械を見つけたんですか。 トムラ 最近売り出されたんです。ものとして面白そうで、展示に使えたなら思って持っていたんだけれども、ちょうど今回の展覧会の話があったんで、サイズ的にもいいだろうと。 篠原 百葉箱にはどんな印象を持っていましたか。 トムラ 百葉箱での展示については、今までのGallery ART SPACEがやってきたトイレや棚のギャラリーのバリエーションだなと思いました。百葉箱自体については、小学校にあったなと。でかい鳥小屋のようでありながら、小さな飼育小屋のようで、小さい家みたいでもあって、ものとしては好きでしたね。 篠原 今回の展覧会について一言。 トムラ 何が出るかわからない面白さがありますね。あえてそれぞれの怪獣には名前を付けずに、どの位の種類があるかもわからないようにしているので、来た人はガチャポンを是非回してもらって、その面白さを楽しんでいただきたいと思います。 |
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河村 塔王 展 『秘密の対話』 2007年10月1日〜12月25日 |
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河村塔王の近作には、コミック等に使われる「ふき出し」が多数登場するが、ここには本来あるべきはずのことばが記されず、空白のままとなっている。これは沈黙を意味するのか。 河村はこれまで、文字として現れたことばをオブジェ化させるような作品を発表してきた。その中で私に強い印象を残したものは、あるテキストを小さな透明フィルムに印字し、それを無数の医薬用透明カプセルに一枚ずつ封入してビンに収めた作品だ。ここで扱われるテキストは短く、一つのカプセルの中でそれぞれの意味を完結させるが、それらは透明であるが故に視覚の中で互いが重なり合い、ビンの中で異なる意味が混在しながら、一個のオブジェとして提示される。 ところでテキストとは、作者の意識の内のイメージあるいは思念がことばを通して実体化したものである。河村は、自身の思念を文字(=ことば)としながらも、それをあえて一つのモノとして扱うことで、テキストそれぞれがまとう意味を越えた、河村自身の思念の総体として表現している。つまり、カプセルに封入されたことばの集合体は、河村の意識の内にある思念を、オブジェの姿を借りて抽象化させ私たちに語りかけるのである。 さらにことばの無い「ふき出し」も、こうしたオブジェ作品がそのまま二次元化された同様の存在であると私は考えている。ここではことば自体が完全に消失しているが、ことがが記されてはじめて成り立つ「ふき出し」が空白となることは、そこに在ったであろう、もしくはこれから現れるかもしれない「何か」を想像させ、その正体をことさら気がかりなものとさせる。 そして、その「何か」とは、河村の意識の領域に在るものだけではなく、もしかしたら私たち自身の思念であるかもしれず、想像を介して交わされるであろう視えないやり取りをもって、河村と私たちとの間に「対話」が生まれるのだ。 |
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篠原 ことばを作品化しようと思ったのはいつごろで、そのきっかけは何だと思いますか。 河村 厳密に「ことば」を扱い始めたのは13歳の時です。切っ掛けは自分の目指す絵(漫画)が描けなかったから、という単純な理由で。そこから小説を書く事を通じて、「ことば」でしか表現出来ないものに対する追求を始めました。このスタンスは昔も今も変わりません。美術作品に「ことば」を用いる様になったのは2001年、25歳の時です。知人からの依頼で、「ことば」を基にした7点組みのオブジェ作品を作ったのが切っ掛けです。 篠原 自身の文章とオブジェ作品はどのような関係にあると思いますか。 河村 表現媒体(最終的な出力先)の差でしかなく、基本的な概念は変わりません。なので、余り関係を気にした事は無いです。いずれにしても、「ことば」だから出来る事、「ことば」でしか出来ない事、というのを大切にしています。 篠原 「ことば」とは本質的にどのような存在だと思いますか。また、「ことば」と文字は本質的にどのような関係にあると思いますか。 河村 「ことば」はあらゆるものの根底にある概念と考えています。つまり、世界は「ことば」である、と言う訳です。ちょっと人間理論的な極論ではありますが。でも、それ=「ことば」が全てではありません。非言語的思考というものもある訳で、且つその重要性を忘れてはいけないと思います。「ことば」はあくまでも世界の一つの様相を表しているに過ぎないのです。「ことば」と文字は一般に、視覚的(触覚を含む)には不可分の関係だと思います。また「ことば」と「文字」は思考の表現としても不可分の関係にあると思います。ですが、「ことば」とは無関係に「文字」の「かたち」が人の記憶・感情を左右する事があります。例を挙げると、海外向け輸出商品のフォントに、嘗てナチスが良く用いていた書体があった事で問題になった事がありました。それは書かれている「ことば」とは無関係に「文字」の「かたち」による効果と言えるでしょう。同様に「文字」とは関係無く、「ことば」が一人歩きする事もあります。これは例を挙げるまでも無いでしょう。日常生活、特に報道関係などで良く目にする問題です。「文字」が思想的・歴史的・文化的・政治的背景を含む様に、「ことば」もまた同様の背景を負っています。この二つのギャップ或いはマッチングによって、初めて真の意味での「ことば」は完成すると言っても良いでしょう。尤も、「ことば」を完成させるのは作者ではなく、受け取り手である読者或いは観衆なのですが。 篠原 .作品に使われる「ふき出し」の意味についてひとこと。 河村 「ふき出し」或いは「風船」と言うのは、正に「ことば」の背景にある感情や思想を表す、非言語的記号でしょう。「ことば」と「文字」の様に、不可分の関係と考えています。>漫画的な表現に於いては「ことば」にするだけでは消えてしまう、雲掴む様な思念を凝結させたもの、それが「ふき出し」です。 篠原 .百葉箱についてもともとどのようなイメージを持っていましたか。 河村 気象観測機器と言うイメージを持っていました。雲掴む様なカオスの世界、気象を観測する機器。それ以上でも、それ以下でもありません。ただ、それ故、百葉箱の中は殆ど空洞で出来ているのが不思議でもありました。普通、観測機器と言えばもっとメカニカルなものをイメージしますから。 篠原 今回の展示についてひとこと。 河村 初めての参加型作品と言う事で、皆様に積極的に楽しんで頂けたらと思います。どうぞ臆せず、新たな世界の扉を開け、私を含む(異)世界との秘密の対話を、心より堪能して下さい。(メールによるインタビュー) |
高橋
理加 展 『供物』 上記の期間中、会期を3つに分けて展示替えが行われました。 |
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1963年生まれ。牛乳パックの再生紙でつくった子供の立体を使ってのインスタレーション作品を主に発表。
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2008年1月1日〜1月31日 箱の中央に、台に乗せられた2段の鏡餅が設置され、その周辺に群がるように、白い「ネズミ」が数十匹、餅や床、壁部分に据え付けられている。これらは牛乳パック再生紙によるオブジェ作品で、体長は12cmほど(しっぽまで入れると約25cm)と、実際のネズミとほぼ同サイズである。その手足は、爪の一本一本が再現され、しっぽ部分の曲り方も巧妙で、ネズミのリアルな姿態が表されている。 |
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2008年2月1日〜3月28日 「ネズミ」と同様、牛乳パック再生紙によるお内裏様とお雛様2体一組の雛人形をかたどった立体作品で、 お内裏様は約40cmの立て膝姿で、おひな様は約28cmの座った姿でリアルに再現されている。本来の雛人形は、きらびやかな衣装をまとっているが、ここではそれが真白く表されている。それは、本来はその着衣によって身分のみがクローズ・アップされるのとは異なり、この2体の人そのものを表現しているようにも思われる。 |
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2008年3月29日〜4月6日 箱の床には赤い布が敷かれた上に、直径30cmほどの円形の鏡盤が設置され、牛乳パック再生紙による白いリアルな人の顔が上を向いて置かれている。その口には、上方に向かって伸びる、花や蕾を付けた3本の桜の木の枝を模したものがくわえられ、顔の周囲には、白い薄紙を原寸大の桜の花びらのかたちに切ったものが多数まかれている。 |
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高橋理加がつくる作品の「軽さ」は独特のものだ。この「軽さ」とは文字通り重量のことで、牛乳パック再生紙による彼女の作品は、多くを占める人の等身大というサイズからみると不自然なほど目方が少ないが、それは素材のためだけではないように思われる。 高橋の作品では、身体のプロポーションはリアルに表されてどこかにいる「誰か」の複製となり、顔などの細かな造作は省略されて「誰でもない」匿名の人物を象徴する。牛乳パック再生紙という目の粗い素材によるざらついたような白い表面には、光を当てると細かな陰影が均一に生まれ、モデルとなったであろう人物の細部を消滅させるが、それは、空間に置かれたこの立体作品が、実は何かの「影」として実体なくおぼろげに存在するのではないかという疑念を時として呼び起こす。 高橋の作品は単体で展示されることは少なく、同じ型から取り出されたものが多数反復するように設置されることが多いが、それは「白い影の群れ」とも呼べるもので、これらと相対する私は、モノとしては確かにそこにあるのに、実際には触れることができないのではないかという錯覚にしばしばとらわれ、そこに妙な実体のなさを感じられずにはいられないのだ。 そして、実体を視覚でとらえにくいことによる見かけの「軽さ」は、実際に作品を手に持ってみたときにわかる目方の上での「軽さ」と相まって、高橋の作品の特徴である、希薄な重みともいえる不思議な存在感をつくり出しているのである。 |
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篠原 牛乳パック再生紙という素材を使うようになったきっかけは何ですか。 高橋 もともとは日本画で使っていた和紙に興味があり、学生時代は雲肌麻紙を使って立体を試みたりしていました。現代の日本画の技法では紙の持つ生命感を完全に殺してしまって単なる支持体として使っていることに疑問があり、紙の「呼吸」するイメージを表現に取り込みたいと試行錯誤した結果現在の素材の使用法に至りました。目下の問題は「紙の息の根」を止めずにどう、作品として延命させるか、というところで悩んでいます。 篠原 今回、作品の「軽さ」について考えてみましたが、この素材を使い始めるにあたって、この「軽さ」は何らかのかたちで想定していましたか。また、今考えてみて、この「軽さ」は自分の表現の中でどのような意味を持っていると思いますか。 高橋 素材を使い始めるにあたっては、ある程度の軽さは想定していましたが、作り方によってこれほど軽くできるとは思っていませんでした。「重さがない」という事=「存在感が稀薄」である、ということ。一体一体の個性の無い群像表現にとってはその「希薄さ」が重要なポイントのように思います。 篠原 自分の作品の中に「影」の要素を感じていますか。また、自分の作品をもとに考えて、モノと、モノの影の関係についてどう思いますか。 高橋 感じています。ただし「投影」という意味を含めて。象徴的な意味を含めた「光」(知性や意識など)をモノに照射した際に、浮かび上がってくるもの。 篠原 自分の作品は、現実の空間の中ではどのような存在だと思いますか。 高橋 非現実的な場を作り上げるもの。でも意識体験としては知っている(または見た事があるような気がする)存在。 篠原 作品のモデルを選ぶときに何か決まった基準はありますか。 高橋 特に基準はありませんが、形に関しては、誰もが記憶しているような「形態の持つイメージ」を大事にしています。私の作品の形は現実の存在よりも「記憶」に忠実であろうとしています。自分の「記憶」と他者の「記憶」の中間にあって、そのどちらにもひっかかるかたち。「ことば」と同様に自分と他者との中間にあり、不完全であるが故に、囲い込まれずにはみ出した部分のずれが楽しめるのではないかと思います。 篠原 作品のモデル と作品とはどのような関係にあると思いますか。 高橋 作品のモデル(この場合もチーフと考えて良いのでしょうか?)は個性を持つ「現実の存在」ですが、私の作品は「記憶のなかの存在」です。それを「影」、または「残像」と呼べるのかも知れませんね。 篠原 百葉箱にはもともとどのようなイメージを持っていましたか。 高橋 子供の頃見たイメージは、ひっそりと目立たないところにあって、「わすれさられた小さな祠」のように感じていました。見てはいけないものが鎮座しているかもしれない、イメージ。 篠原 今回の展覧会について、テーマや見所など一言。 高橋 「供物」は神や仏、祖霊などに捧げるもの。太古から存在した交換経済の原初的なかたちだと考えています。具体的な「血」「肉」や「命」のやり取りから遠ざかり、非常に洗練されてきたこの方法のありかたに、日本人と日本の「神々」との関係がよく現れていて、おもしろいものだと感じております。 (メールによるインタビュー) |