『Collaborators』テキスト紹介


 『Collaborators』では各展示についてそれぞれ、展覧会開催前にはテーマを表す2,000〜3,000字の評論文が、開催後には1,500〜2,000字程度の展評がGallery ART SPACEによって作成・公表されました。



*以下の文は、それぞれ上段が評論文、下段が展評です。

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Vol:1 阿部尊美(インスタレーション)×大塚明美(映像)『やすらぎの根』(2001年5月)
Vol:2 三浦謙樹(平面)×村田香(オブジェ)『ゆるやかなかたち』(2001年9月)
Vol:3 中西晴世×(絵画)×平原辰夫(絵画)『絵画という痕跡』(2001年12月)
Vol:4 木村あや子(平面)×多田いほ子(平面)『空の重さ』(2002年2月)
Vol:5 七字純子(絵画)×新家裕子(イラスト)『やわらかな色つぶ』(2002年3月)
Vol:6 MAKOTO(映像)×関野宏子(布のオブジェ) 『光の時計』2003年2月
Vol:7 曽田朋子(ファイバー)×三森早苗(ファイバー)『another sight』 2003年4月
Vol:8 越田滋(写真)×瀧本裕子(オブジェ)『metalscape』 2003年5月
Vol:9 白京子(平面)×高塚健(立体)『認識点』 2003年5月
Vol:10島村美紀(写真)×長瀬達治(写真)『Solid Time』 2002年5月
Vol:11高橋究歩(オブジェ)×ツルヤタダシ(オブジェ)『宙芯』 2003年5月
Vol:12佐藤由美子(版画)×藤井信孝(立体)『サーカス物語』 2003年6月
Vol:13佐々木環(版画)×高島彩夏(平面)『CROSSTALK』 2003年6月
Vol:14高草木裕子(絵画)×永瀬恭一(絵画)『形景』 2003年7月
Vol:15木村史子(イラストレーション)×古瀬えり子(イラストレーション)『かがやける闇〜なしくずしの死〜』 2003年8月
vol:16 高橋理加(インスタレーション) × 田通営一(インスタレーション) 『影の劇場』 2003年9月
vol:17 後藤充宏 (立体)×shin-ya.b(映像) 『blind_matter』 2003年9月
vol:18 吉井千裕 (平面)× 矢田辺寛恵(版画) 『夢のかたちは』 (2003年10月
vol:19 金武明子(オブジェ) × 中川るな(インスタレーション) 『ふたつの部屋』 2003年10月
vol:20 城戸みゆき(オブジェ) × 武田眞由美(平面) 『妄想編集室』 2003年11月
vol:21 成平絹子(彫金)× 森勢津美(版画) 『land』  2003年12月
vol:22 こまちまり (オブジェ)×廣瀬剛(オブジェ) 『名前のなまえ』 2003年12月
vol:23 大坪紀久子(版画) × 酒匂あい(イラストレーション) 『kirunugu工房』 2003年12月
vol:24 秋元珠江 (インスタレーション)× さいとううらら(インスタレーション) 『内なる水』 (2004年1月6日〜1月11日)
vol:25 加藤直子(オブジェ) × 藤原靖子(インスタレーション) 『objec/communication』 『(2004年1月13日〜1月18日)
vol:26 陳瑞二 (インスタレーション)× 増田千恵(インスタレーション) 『場所』 (2004年1月20日〜1月25日)
vol:27 相原康宏(絵画) × 横田愛子(絵画) 『闇のメルヘン』 (2004年1月27日〜2月1日)
vol:28 大橋亮(写真) × 鈴木恒成(平面) 『spiral note』 (2004年2月3日〜2月8日)
vol:29 一樂恭子 (絵画)× 小藤郁子(イラストレーション) 『あるひ』 (2004年2月10日〜2月15日)
vol:30 古賀昭子(イラストレーション) × 滝みつる(写真) 『liquid mirror』 (2004年2月17日〜2月24日)
vol:31 平田ユミ(写真) × 本田涼子(絵画) 『plants Planet』  (2004年3月2日〜3月7日)
vol:32 青野文昭 (インスタレーション)× くわたひろよ(インスタレーション) 『re-』 (2004年3月9日〜3月14日)
vol:33 石田敦子 (版画)× 小林真理(版画) 『はこやのやま園』 (2004年3月16日〜3月21日)
Vol:34 小林雅子(立体)×佐伯陽子(版画)『The second contact』 (2004年3月23日〜3月28日)
Vol:35水野圭介(オブジェ)×矢尾伸哉(写真)『resonance room』 (2004年3月30日〜4月4日)
Vol:36久保透子(オブジェ)×洞野志保(版画)『森の天上』 (2004年4月6日〜4月11日)
vol.:37林瑞穂(版画) × 福永佳代子(版画)『カタチにまつわる言の葉』 (2004年4月13日〜4月18日)
Vol:38安藤順健(インスタレーション)×森村誠(オブジェ)『trans-(Eidos/Hile)』 (2004年5月4日〜5月9日)
Vol:39高久千奈(立体)×古厩久子(映像・立体)『語らう皮膜』(映像・立体) 2004年5月11日〜5月16日)
vol:40ミツイタカシ(立体) × ジルケ・フォス(立体)『City Hopping 〜Frankflut-Tokyo』 2004年5月25日〜5月30日)
Vol:41阿蘇山晴子(インスタレーション)×篠原誠司(写真) 『時連れの形相』 2004年7月13日〜18日
vol:42尾形かなみ(ガラス) × 吉田チロル(平面) 『渡り鳥の夢想』 2004年7月20日〜25日
vol:43大野明代(平面) × 玉岡あかね(版画) 『in/out 感覚の呼吸』 2004年8月3日〜8日
vol:44中村通孝(立体) × 丸山陽子(平面) 『赤にひそむ黒』 2004年8月17日〜22日
vol:45浅野敦司(平面) × 三溝利恵(版画) 『裏日和』 2004年8月24日〜29日
vol:46内海聖史(絵画) × 田尻幸子 『界を縒る』(インスタレーション) 2005年1月11日〜16日

 

vol.1 阿部尊美 × 大塚明美 『やすらぎの根』(2001年5月に開催済み)   【目次に戻る】
 「家」ということばから、私たちはどのようなことを想像するだろうか。まず「住居としての家」が思い浮かぶかもしれないが、さらに思いを深く進めてゆくと、「家」とは精神的な拠所であることも含めて、自分自身の居場所を象徴する存在であり、そうした在り方こそが「家」の本質なのではないだろうかということに気付かされるのである。今回の『やすらぎの根』は、概念の上での「家」をテーマに行われる展覧会であり、「家」というキーワードをもとに制作された阿部 尊美と大塚 明美 の二人の作品がオーバー・ラップすることによって、概念としての「家」は形あるものとしてギャラリーの空間に現れるのである。

 阿部 尊美 は、部屋の床と天井を逆転させた空間や、センサーが来場者の動きに反応して光や音が会場内に放たれる空間をインスタレ−ションとしてつくり出すことの他に、ある特定のことばに対す来場者の感じ方とをもとに展示を構成することなど、観客の意識に対して非日常的な働きかけを行うことで、人の知覚の本質についての疑問を自然と呼び起こすような作品を発表している。
 一方大塚 明美 は、前方と左右の3方向にヴィデオ・カメラのレンズを仕込んだ帽子をかぶって街などを歩き、そこで撮影した映像に編集を加えた上で、3台のプロジェクターを使ってギャラリ−の3方向の壁にそれぞれシンクロさせて同時に投影するなど、自身が外界に向ける知覚をもとに制作を行なうことで、自己の意識の在り方の本質を探るような作品を発表している。
 この二人が制作のテーマとしているものは、他者の意識と自己の意識という違いこそあれ、人の意識の在り方を根本にすえているという点では、同じ根を持つ表裏一体の関係にあるように思われてならない。今回の展覧会は、暗に「家」をテ−マとして行われるものであるが、家は住居という人の具体的な居場所の代名詞であると同時に、前に述べた通り私たちの精神的な拠り所を概念の上で象徴する存在でもあり、個人と強い結びつきを伴って成立するこの限定された空間は、彼女達の制作に対する意識を少なからず変革させるに違いない、
 二人がそれぞれつくる作品としての「家」重なり合うことで生まれる、彼女達自身も今まで体験しえなかった空間に対する新しい感覚を味わえることを、この展覧会に期待したいと思う。
 「家」ということばから、私たちはどのようなことを想像するだろうか。まず「住居としての家」が思い浮かぶかもしれないが、さらに思いを深く進めてゆくと、「家」とは精神的な拠所であることも含めて、自分自身の居場所を象徴する存在であり、そうした在り方こそが「家」の本質なのではないだろうかということに気付かされるのである。今回の『やすらぎの根』は、概念の上での「家」をテーマに行われた展覧会であり、「家」というキーワードをもとに制作された阿部 尊美と大塚 明美 の二人の作品がオーバー・ラップすることによって、概念としての「家」を形あるものとしてギャラリーの空間に出現させることを主旨としている。
 阿部尊美は、A4ほどの透明フィルムに家具などのイメ−ジをもとになった画像をプリントしたもの計37枚を、一辺2mほどの逆三角形を型取るような形で壁面にランダムに貼り、さらに直径12mmほどの透明の中にビニールチューブに血液をイメ−ジさせるような赤く細いチューブを通したものを、フィルム群の上から立体的に配置して構成した作品および、ギャラリーの壁際に5台のMDプレーヤーを点在させて置き、一台につき各2個の小型スピーカーを垂れ下がる黒いコードと共に壁面の上方に取付け、作者の自宅やその周辺で採取した物音やテレビの音声などがスピーカーから小さな音量で漏れ聞こえてくる作品を展示した。
 一方大塚明美は、アメ色のFRPを素材とする、頂点に向かって緩やかな傾斜を描く底辺30×30cm、高さ75cmのピラミッド形の立体の中に、下の層から順に作者が一歳の時から現在の30歳の時までの一年につき一個の思い出の品(例えば、母親から書いてもらった格言の色紙やスクール水着など)計30層分納めたものの頂点に、12×10cmほどの透明樹脂による家を型取ったオブジェを乗せた作品を高さ55cmの木製の台座に置いたものおよび、発泡スチロールの表面にに紙粘土と石膏を混ぜてクリーム色に彩色したものをコーティングしてつくった、前記の積層する立体のモデルとなるような10〜20cmほどの小さなオブジェ10点を、高さ 105cmの同様の木製の台座に並べたもの、さらに、作者が幼い頃から家に取ってあったトランクやかご、はがき、置き物、その他のさまざまなものを4カ所に分けてギャラリーの床に点在させたものによる展示を行った。
 前にも述べたが、この展覧会は、二人がそれぞれイメ−ジする「家」のかたちを空間に配置することで、概念としての「家」をギャラリーに出現させるというものであり、そうした中で、やや無機質的な阿部尊美の作品と、きわめてプライヴェートな大塚明美の作品が並置された展示が行われたのであるが、阿部の作品で使われた「音」における、無機的ではあるが他人の家を覗くようなプライヴェートな部分が、大塚の作品が醸し出す雰囲気と重層的に重なり合うことで、決して力強くはなく空気のように漂うものではあるが、概念としての「家」のイメ−ジが形ある存在として空間に立ち現れていたのではないだろうか。
vol.2 三浦謙樹 × 村田香 『ゆるやかなかたち』(2001年9月に開催済み)   【目次に戻る】
 「かたち」とは、人の想像力と結び付いたときに実に不思議な力を発揮する。例えば、紙に黒のボールペンで◯を描いたとする。これは実際には、黒のインクによってできた円でしかないが、ここから丸い池や目玉などを想像することも可能である。つまり「かたち」は、それ自体がさまざまなモノやコトを象徴するのである。では、明確な「かたち」を持たないものは何も象徴しないのか。例えば、周囲との境界線が定かではないものや、一目ではその全体像を知ることができないようなものについて考えてみると、それらは、具体的なものを想起させることは力はきわめて弱いかもしれないけれども、結び付くべきイメージが曖昧な分、一つの「かたち」が実に多様なモノを想像させる可能性を秘めているのである。
 考えてみれば人の意識は、ヴェールに包まれたものや全体の内の一部しか見えないものに興味をかき立てられることも多く、これを造形作品に当てはめてみると、「かたち」が曖昧な作品は、それが作者の意志を強く訴えかけることは確かにないかもしれないけれども、観る側の想像力に負う部分が大きいだけに、希薄ではあるにせよほとんど無限ともいえるようなイメージの広がりを一つの作品が得ることも可能なのである。
この「ゆるやかなかたち」は、かたちの曖昧さがイメージの多様性を生むということを身をもって示すような作品を制作している三浦謙樹、村田香の二人によって行われる展覧会である。
 三浦謙樹は、ポストカード大の和紙に細い黒の水性ペンを使って無数の点を穿つことで、点の集合体が樹木の枝や木の実などのかたちを想像させるような作品を大量に制作し、さらにそれらを規則的に配置することで壁面を覆って構成する展示を行っている。村田香は、小さなボートのおもちゃなどさまざまなものを素材として取り付けつたパネルの上から蝋をコーティングし、その半透明の膜を通して中のモノの輪郭がぼやけて見えるレリーフ作品や、ハンマーなど具体的なかたちを象徴するペインティングが同様に蝋でコーティングされた作品のほか、さまざまなイメージをかき立てるような小さな立体作品などを制作している。
二人の作品に共通して感じられることは、そこに確かな「かたち」を見て取ることはできないけれども、実際に目に映る部分だけではない、もっと重要なイメージがその下に隠されているのではなかろうかという感情が、作品と接する際に常に付きまとう点である。この展覧会でギャラリーに点在して置かれる二人の「ゆるやかなかたち」は、私たちにどのような未知のイメージを見せてくれるだろうか。
 この「ゆるやかなかたち」は、かたちの曖昧さがイメージの多様性を生むということを身をもって示すような作品を制作している三浦謙樹、村田香の二人によって行われた展覧会である。
 三浦謙樹は、ポストカード大の和紙に黒の水性ペンで小さな点を延々と穿つことで、「樹木の枝」や「木の実」を象徴するような長細および丸のかたちを表わした作品を、壁にタテ17×ヨコ6列グリッド状に貼ったものや横一列数枚を並べたもの、黒い台紙に何枚かを一組に貼ったもの、多数を1m×2mほどの範囲で床に敷きつめたものなど、数百枚にもおよぶ点描の葉書によって展示を構成した。
 一方村田香は、「家」を模して型取りでつくった黄色などのパラフィンのオブジェ数点と、同様のものを白い布で包んだり、裏返したパネルの内側にパラフィンを塗ったものと「家型」を組み合わせた作品、同じくパラフィンを表面に塗布して架空の景色を象徴するようなイメ−ジを表わしたパネル作品、白の背景を主体に赤い絵具によるイメ−ジがわずかに見え隠れする2点一組のパネル作品、B5版のルーズリーフノートを破り取ったものにペンなどで絵やことばなどを走り書きしたもの21枚を壁に並べた作品、同様のイメ−ジを18頁の本にまとめ赤で塗ったキャンバスの表紙で綴じた作品などで展示を構成した。
 両者が作品の中で表現しているイメージは、あるものを象徴しているようにも見えるがそれが何であるかははっきりと確定できないような、不明瞭な「かたち」によって主に表されているが、それは作品を観る私たちに、創作の一部に参加して作品のイメージを完成させるといっても過言でないほどの、自由な想像の力を与えてくれるのである。
vol.3 中西晴世 × 平原辰夫 『絵画という痕跡』(2001年12月に開催済み)   【目次に戻る】
 つまるところ絵画は、制作者のイメ−ジを二次元上に表した存在である。しかしそのイメ−ジも、支持体と絵具にかたちを与えられてはじめて可視のものになることを考えると、それ自体が物質としての特性を併せ持っているといえるのではなかろうか。たとえば、ある意図をもってキャンバス上に数本の線が描かれたとしよう。この線の集まりは、描いた者の思考や意志、身体のうごきなどを表すと共に、油絵具やアクリル絵具であるにせよ顔料や鉛筆であるにせよ、そこに使われた絵具の粒子が集積して「線」がかたちづくられているという点では、キャンバス上に定着した一つの物質として認られるのである。
 制作者の意識の中にあるイメ−ジの発露と、絵具自体が担う物質性。絵画におけるこの主要な要素を、制作者の多くは無意識の内に、場合によっては恣意的にコントロールしながら制作にあたっており、とりわけ抽象絵画では、絵具の物質性をどうとらえ、どの程度の比重で作品に取り入れるかによって、その作品の在り方が大きく左右されることがある。今回の展示を行う中西晴世と平原辰夫の作品では、この二つの要素がほぼ同等の比重を保ちながら制作がなされていると私は考えており、さらに二人の作品に共通する重要な点としては、制作者自身の「身体性」がはっきりと表れているということが挙がられるだろう。 ところで、ここで述べている制作における身体性とは、手や上体などの動きをもとにしたストロークが何らかのかたちをつくることにとどまらず、制作者自身の身体と支持体、制作や展示が行われる空間の三者の関係性をも指しているのだが、こうした要素が独特の色彩表現と結びつき、それが仲立ちとなって、絵画におけるイメ−ジと物質性の両者を不可分の存在として画面上に同居させているところに、二人の作品の特質があるように思われるのである。
 次に、それぞれの作品についてみてゆくことにしよう。中西晴世は、扇形をもとにした不定形の布や木に、円運動から生まれるイメ−ジや絵具がしみ込んだ様にも見えるイメージを主に油絵具で描いた作品を手はじめに、円運動の痕跡が画面を引っ掻いたように白く残る線と、赤、黄、青などのあざやかかつ深味のある色彩、何かの気配を象徴するような白を中心とした絵具のストロークとが絡み合って一つのイメ−ジが生成されるモノタイプの版による平面作品や、墨を流したような黒のインクによるイメ−ジが、ところどころで渦を巻ながら和紙による支持体上に混沌とした二次元的世界をつくる、木版を中心とした作品、黄色や青などのアクリル絵具であるイメ−ジを塗り込めた大画面のキャンバスの上に重ね合わせるようにして同サイズの透明ビニールを設置し、そこに同じく円運動をもとにした線のイメ−ジを力強いストロークで描いた作品などを制作してきた。
 彼女の作品には弧を描く動きをもとにしたイメ−ジが一貫して見受けられるが、その背景をつくる色彩やかたちは、「描かれている」というよりもむしろ、支持体を覆うように絵具が自立して「貼り付いている」といった印象を感じさせるものであり、この両者が絡み合ってつくられる画面は、あるイメ−ジを力強く表わしながらもその存在自体は物質的であるという特性を帯びているのである。
 一方平原辰夫は、パネルや紙などの通常のものに加え、厚手の和紙を何層にも貼り合わせてつくった大画面の支持体に、ストローク等の身体の動きをもとにアクリル絵具を塗り重ねてゆくことで、たとえば「人体」を象徴するようなかたちが生成されるような絵画作品を、時には支持体を不定形にしたり丸めたりしてレリーフや立体の形式を取りながら制作しているほか、小さな方形の紙に、緑や青、黄、赤などの系統のあざやかかつ渋味のある色彩のアクリル絵具を厚塗りして、象徴性のあるかたちと共に表した作品や、地面のひび割れ、錆で覆われた外壁などをモチーフとする絵画的なイメ−ジの強い写真作品などを併せて制作している。
 これらの作品は、表現法方や作品サイズの違いに関わらず、それ自体が現実の場に置かれた一個の物体であると思わせるほどの強い物質性を一様に放っているが、色彩やかたちに対する細やかなコントロールが画面全体に行き渡っていることが、作品を「物質」の側に近づけ過ぎずに、作者のイメ−ジや身体性を作品の中に巧みに共存させているのである。 前にも述べたが、支持体に絵画が描かれるということは、制作者が意識の中でつくり上げたイメージに可視のかたちを与えることを意味すると共に、同様に作者の意識の下に統御された制作のための身体の動きや制作に費やされた時間など、造形性とは異なる範疇にあってなおかつ作品が生まれるためには必要不可欠な要素が、画面に「痕跡」として刻まれることを同時に意味するといえるだろう。自己のイメ−ジを主張しながらも絵画の自立性を目指していると考ええられる中西晴世と平原辰夫の二人の作品によって、絵画の本質を支えるこうした事実を私たちは改めて確認することができるに違いない。
 支持体に絵画が描かれるということは、制作者が意識の中でつくり上げたイメージに可視のかたちを与えることを意味すると共に、同様に作者の意識の下に統御された制作のための身体の動きや制作に費やされた時間など、造形性とは異なる範疇にあってなおかつ作品が生まれるためには必要不可欠な要素が、画面に「痕跡」として刻まれることを同時に意味するといえるだろう。今回の『絵画という痕跡』は、自己のイメ−ジを主張しながらも絵画の自立性を目指していると考ええられる中西晴世と平原辰夫の二人の作品によって構成された展覧会である
 中西は、14.5×18.5タテ長で4.5cm厚 のにかわで地塗りした綿布のキャンバスに、アクリルがっシュを主体に日本画や油彩画用の顔料を併用した絵画の小作品39点を、壁や床にレイアウトするという展示を行なった。赤や黄、オレンジ、緑など多種多様な色彩を使用したそれぞれの作品の多くは、画面のほぼ中央に円形に似た色の塊を配し、そこから何かがしみ出すように色彩が拡散してゆくような印象を感じさせる。そしてそれらは、キャンバスの厚みがつくる存在感に助けられながら、その枠からもはみ出して観る者の視覚の中で混ざり合い、作者の意識の中にありながらも一つの画面には描き切れなかったであろう彼女の「絵画」に対するトータルなイメ−ジをかたちづくるのである。
 一方平原は、数枚を貼り合わせて厚みを持たせた和紙を素材にして、周囲を切り取るなどして不定形の支持体をつくり、そこにスポンジを使ってアクリル絵具を塗布する手法で制作した、60〜120cm ほどの大小のレリーフあるいは壁掛けの立体にも見えるような7点の作品による展示を行った。それぞれの作品は黄色や赤の絵具で覆われているが、その色面は均一でありながらも、所々でスポンジ特有の「ぼかし」がほどこされており、紙ではなく布や時には錆びた金属にも見えるような独特の物質感を創出している。さらに、単に壁に設置されるだけではなく、作品によっては筒状に丸めることでその裏面も見せたり、壁に対してゆるやかなカーブを付けた展示は、絵画と彫刻を併せ持つような性質を作品に与えているのである。
 両名の作品は、絵画としてのイメ−ジをもとにしながらも、支持体自体がそのイメ−ジと一体となって一つのモノとして成り立っているという共通点を担っている。そしてさらに、二人の作品が一つの空間を共有する姿を目の当りにすることで、「絵画」は色彩やかたちだけに表されるのではなく、支持体を含めたその存在自体もイメ−ジを表し得るという事実を発見できたのである。
vol.4 木村あや子 × 多田いほ子  『空の重さ』(2002年2月に開催済み)   【目次に戻る】
 「絵画」は、キャンバスをはじめとする支持体に絵具などが塗布されることではじめて成り立つ表現媒体であるが、一般的に絵画におけるイメ−ジとは、絵具などによってつくられるかたちや色層などを指しており、これらが何も描かれなかった部分は、もちろんそれが作品の一部として考えられてはいるにせよ、あくまでもイメ−ジを支える「余白」の部分としてしかとらえられることはない。
 確かに、欧米におけるミニマリズムの絵画のように「余白」を主たる要素とする表現も見られるが、それは支持体そのものの在り方をクローズ・アップするためのものであるという点では、「絵画」よりもむしろ「彫刻」に近い存在であるといえるだろう。
 では、絵画における「余白」は何らかのイメ−ジを強く主張することはないのか。木村あや子と多田 いほ子 による今回の『空の重さ』は、そうした問いに対する模索をはらんで開催される展覧会である。
 木村 あや子 は、彩度の低い青や黄色の絵具による線や面と、同様の色彩が下に塗り込まれてその痕跡がかすかに残る白の絵具による大きな色面とが互いに拮抗し合うことで、塗り込められた絵具の下に隠され実際には目に触れることのないイメ−ジが発するある「気配」が、画面の中で膨張するような印象を感じさせる油彩の作品などを制作している。
 多田 いほ子 は、「人体」を象徴するようなかたちに白など存在感の希薄な絵具を塗り重ねてゆくことで、そのイメ−ジ自体を消滅させてしまうぎりぎりのところまで押さえ込んだり、あるかたちを散りばめた画面に同じく白の絵具を重ねてイメ−ジの存在を覆い隠そうとすることで、そのヴェールの下のイメ−ジが放つ気配がかえって強まるような作品を、顔料を主体に制作している。
 色彩やかたち、あるいはタッチやテクスチャーなどがつくるイメ−ジを、画面の中に閉じ込めるように覆い隠そうとする末に生まれる両者の作品では、その余白は「描き残された」ものではなく強い意志を伴って「生成された」ものであり、それによって画面の中の隠されたイメ−ジは、可視の状態よりもさらに強い存在感を放って、作品と向かい合う私たちの意識の領域に、ある「気配」として深く浸透してくるのである。
 絵画における「余白」の在り方をテーマにして企画された、木村あや子および多田いほ子の絵画作品による展覧会。
木村は、130×195cmヨコ長のアクリル絵具による作品2点および、22×27cmヨコ長の小作品を展示した。『風を感じる部屋』と題した120号大の作品では、薄い桃色と白色の絵具を、円心をもとにしたストロークで塗り重ねることで、目立たないながらも力強い「動き」が画面の横方向に表現されている。もう一つの120号大の作品『あたたかな追い風』でもこうした「動」の力は表されており、絵の中心をなす赤系の絵具による色のかたまりの縁の部分を、黄色や紫などが混じり合ったストロークがつくる「流れ」が覆い包むことで、「動き」を含みながら画面が構成されているのである。
ところでこれらは、作者が空想した何らかのイメージを象徴しているのではなく、彼女の身体が絵具で画面を埋めてゆく過程で生まれたある「空気」を表したものであると私は考えている。そして、そうした「空気」の生成を意識下でコントロールしようをする姿勢が、木村の絵画表現を特徴付けているといえるのではないだろうか。
一方多田は、和紙の上に不定形の「かたち」を残してその周囲を白の絵具で塗りつぶし、「かたち」の内側に岩絵具や水彩、色鉛筆などを使って線や面による描写を行った、大小の絵画作品5点を展示した。
『filament:繊条』(114×163cmヨコ長)では、「人」を象徴するかのような「かたち」が青や緑色の色鉛筆で淡く描かれ、20個近くのそうした「かたち」が唯一緑色の絵具で描かれたイメージも含めて互いに手をつなぐように絡み合うことで、ある「世界」が表されている。また、「犬」や「椅子」を象徴するような「かたち」が白の地の上にぽつんと描かれた『flozen chair:霜椅子』や、「地」と「雲」「人」のようにも思える「かたち」が同様にぽつんと描かれた『smoke:煙』(共116×91cmタテ長)では、下地を「描き」図像を「描き残す」という独特の手法によって両者の境界がことさら強く認識されることに加えて、大きな「余白」が画面を占めることで、「かたち」として残されたイメージは、さながら「空気」のように希薄な描写に反して、強い存在感を伴って画面上に表されているのである。
vol.5 七字純子 × 新家裕子 『やわらかな色つぶ』 (2002年3月に開催済み)  【目次に戻る】
 パステルや鉛筆を使って描かれる絵には、ほかの画材には無い独特の味わいがある。油絵具やアクリル絵具などペースト状のものでは、色彩は「かたまり」として表わされるのに対して、たとえばパステルのように、絵具の粒子をスティック状に固めた画材では、さまざまな色の「つぶ」が降り積もるように定着して画面で混ざり合い、作家が意識の中で思い描いたイメ−ジをかたちにして見せるのである。またそれは、作者の「からだ」と密接に結び付いた表現でもあり、あたかもその手の軌跡を画面の上に示すかのように、微妙な力加減が作品の細やかな表情をつくり上げるのである。

 今回の『やわらかな色つぶ』は、主にパステルを使って制作を行っている七字純子と新家裕子の作品で構成される展覧会である。
 1967年生まれの七字純子は、夢か幻かとも思える不思議な風景を、人や、架空の動物とも妖精ともつかぬ「人物」を時として登場させ、大きな画面のすみずみに渡って濃密に塗り込んだパステルによって描き出している。たとえば、一本の巨木を中心にして創られた世界を表した『イメ−ジの箱』(2001年)。蜂の巣もしくは細胞のような文様の空を背景にしたがえた樹の幹からのぞく、宇宙空間にも見える「窓」からは、さまざまな色の「惑星」が抜け出して浮遊し、やはり幹の中に開けかれた空間を蒸気機関車が貫いて飛んでゆく。その一方で、樹の枝の股には煙突から煙を漂わせる小さな家が立ち並び、さらに汽車の煙やヘッドライト、空にかかる虹などによって、幻想と相対する「現実の世界」が語られている。この作品では、空想と現実とが混ざり合った景色が、あたたかな写実によって画面の中に同居しているが、それは、彼女の作品全般に共通する特徴としてとらえられるだろう。
 1972年生まれの新家裕子は、パステルを中心にして、時には水性マーカーや鉛筆などを用いながら、日常の中でふと心が動かされたできごとや場面を描いている。
 メロンを盛った皿が並べられた紫紅のテーブルを背もたれの高い椅子たちが囲む光景を、円と四角を使って幾何学的に表した『メロン会議』(2000年)や、ふくらはぎから下を描いた両足の周りに4種の履物を扇状に配した『迷い足』(2000年)、そして、遠くを思いやるような表情の女性が、白と黒2匹の猫と微妙な距離を取ってくつろぐ『黒猫・白猫』(2000年)。モチーフの独特な配置を特徴とするこれらの作品は、パステル特有の淡い色彩をもとにしているが、モチーフは、それよりもやや色調を濃くした輪郭線でところどころが縁取られることで、おぼろげな彩色からは思いもよらないような存在感を醸し出し、さらに、単彩の色面による背景は、描く対象の周囲の「空気」を表す重要な役割を担っている。そしてその「空気」は、絵を創る動機を感じた瞬間の彼女の心情を、まるでささやくように物語っているのである。

 二人の作品には、テ−マや描き方、空間のつくり方など、同様の画材を使いながらも随所に大きな違いが見られる。しかし、二人の中で等しく一致する、色の粒子でもあるパステル特有の在り方を十分に生かして自分が思い描くイメ−ジを表そうとする意志は、画材の持ち味である色のあたたか味や、制作中の作者の心情を表わすような繊細な描写を生むだけではなく、彼女たちのものの考え方や人柄をも、どことなく共通する一種の「空気」として画面の中に溶け込ませている。そして、二人の作品が発するそうした「空気」に包まれることで、私たちは、作者の心の中にある静かな世界に触れることができるのである。
 パステルや鉛筆を使って描かれる絵には、ほかの画材には無い独特の味わいがある。油絵具やアクリル絵具などペースト状のものでは、色彩は「かたまり」として表わされるのに対して、たとえばパステルのように、絵具の粒子をスティック状に固めた画材では、さまざまな色の「つぶ」が降り積もるように定着して画面で混ざり合い、作家が意識の中で思い描いたイメ−ジをかたちにして見せるのである。またそれは、作者の「からだ」と密接に結び付いた表現でもあり、あたかもその手の軌跡を画面の上に示すかのように、微妙な力加減が作品の細やかな表情をつくり上げるのである。
 今回の『やわらかな色つぶ』は、主にパステルを使って制作を行っている七字純子と新家裕子の作品で構成された展覧会である。
 七字は、103×73cm タテ長3枚のパネルを横に並べたものに細部まで濃密にパステルで描くことで、一本の巨木を中心に広がる世界を、細胞のような文様を背景にして空飛ぶ蒸気機関車や木の股に密集する家々などを印象的に表した『イメージの箱』や、空を覆う木の枝の隙間に見える空を縫うように3匹の「エイ」が飛び交う『春を待つ』および、羽根の生えた自動車たちがヘッドライトを灯けてハイウエィを疾走する『何処へ』の、各73×103cm の2点の作品、24×30cmの小品および、白い背景にぼかしてみせるような青の線で架空の人をモチーフとして描いた35×30cmヨコ長2点の作品を出品した。
 一方新家は、からだのラインを強調するようなコスチュウームをまとった女性をモチーフとして、上のざらつきを生かすような密ではない塗りつぶしで着衣の部分を描き、はっきりしているけれども存在感を主張しない輪郭線を使って肌の部分を塗り残して表わした、それぞれ緑、紫、青、水色を基調としつつ花や蝶などをアクセントとして添えた、51.5×36.5cmの4点の作品および、42×30cmタテ長のパネルに淡い水色や緑色の楕円を描き、そこに素朴な線と白の塗り残しで女性の日常の姿を描いた5点の作品、そして白の背景を十分に生かしながら、やはりあたたか味のある線でお茶のセットや花、女性を描いた30cm四方の3点の作品を展示した。
 七字の作品は濃密に描き込まれた画面が作者の意識の奥深い部分を暗示し、新家の作品は背景を描かずにできる限り地の白を生かすことで、線など作者の手の痕跡を素のままに残しながら、モチーフの人物の微妙な心持ちを表わしているように思われるのである。
vol.6 関野宏子 × MAKOTO  『光の時計』 (2003年2月に開催済み)  【目次に戻る】
 光とは、直接手に触れたりつかんだりすることができないにも関わらず、照射された物の面に沿って「かたち」が現れるという、きわめて特異な存在である。たとえば、ある雑然とした暗闇の部屋の隅に懐中電灯の光があてられるとしよう。そこにある机や積み上げられた本、食器の類は明るく照らし出されるが、本来正円となるはずの懐中電灯の光は、物と物との間にしのびこんで所々で陰影をつくりながら、実に複雑な「かたち」となって、照らされたすべての部分に貼り付くのである。
 次に同じ条件で、懐中電灯の光をヴィデオ・プロジェクターから放たれる映像に置き換えてみることにしよう。映像の光は、家具などの形状に沿って著しく歪められるが、そこに現れる「かたち」は、次々と移り変わる場面を描く色彩やかたちの要素が加わることで、瞬間ごとの無限の変化を繰り返してゆく。
 ところで、スクリーンに投影される映像を観るとき、私たちは、時間を追いながら作中の場面に含まれるさまざまな要素に集中しているため、そのおおもとである「光」そのものを感じることは稀である。しかしさきほどのたとえのように、それがある現実の空間に向かって映し出されるとき、光の向こう側に透けて得る実際の光景と映像とが重なり合う様は、「光」の存在をことさら強く感じさせるとともに、映像の中の時間を追いつつも同時に現実の場に流れる時間にも意識を向かわせるという、映像の鑑賞としては実に不思議な感覚を体験させる。そしてそれは、光の中には時間が内在しているかもしれないという空想を私たちの意識に芽生えさせるのである。
 今回展示を行う作家の一人、MAKOTOは、用意された数種類のキーを観客が選んで押すことでプロジェクターによるCG映像が切り変わってゆく作品や、たとえば巨大な電球のかたちの発泡スチロール製のオブジェを、さながら立体スクリーンに見立てて暗闇の中に置き、ストライプの模様が高速で回転しているような映像をヴィデオ・プロジェクターでそこに投影することで、オブジェ自体が激しく回転しているように錯覚を起こさせる作品など、単にスクリーンに映像を投影するのではなく、観客が「光」を感じそれを操ることを楽しめるような装置をヴィデオ・インスタレーションとしてギャラリーの中に出現させるという展覧会を行っている。
 こうした作品のもととなる映像は、単純なかたちの組み合わせで成り立つ立体が激しい動きと変容を延々と繰り返すというものだが、物語的な要素を極力排除して視覚的な効果を追求したこれらの映像は、先ほど述べたような、現実の場に流れる時間を映像の中の時間とミックスさせて観客に意識させるという特徴を作品に与えるのである。
 一方関野宏子は、赤や黄色、青、橙などさまざまな色彩のフリース等を素材として、たとえば「へび」や未知の生き物にも見える丸細のオブジェを多数つくり、それらを床や壁、天井から生えているように取り付けて空間を満たすような展示のほか、こうしたオブジェを観客が自由に組み合わせて遊ぶことができるような作品の制作を行っている。
 これらのオブジェは、遠目ではさまざまな色彩が混ざり合うことで、あたかもテキスタイルの模様や抽象絵画のようにも見え、間際まで近づいてみると、未知の生物が互いにからだを絡ませ合ってかたちができた、楽しげな「架空の森」のようにも見えるのである。
 今回行われる「光の時計」は、関野のオブジェを映像の中で生き物のように実際に動かしてみたらきっと楽しいに違いない、という発想が出発点になっており、関野の作品を使って動画をつくり、MAKOTOが制作する不定形のオブジェを暗闇におかれた立体スクリーンに見立てて、そこにヴィデオ・プロジェクターでその動画を投影することで展示が構成される。
 関野のオブジェが生き物のように自由に動き回る映像は、スピードとリズムを伴ってループによって延々と繰り返されることになるが、これまでMAKOTOが自己の作品で行ってきたのと同様の、不定形のオブジェに映像が投影されるという手法が取り入れられることにより、鮮やかな色彩を伴う映像の中のオブジェのスピーディな動きは、ただ単にオブジェが動き回る様を見せるだけではなく、さながら「光」が刻むリズムとなって私たちの視覚をとらえ、ギャラリーの空間という現実の場を満たし震わすのである。
 照明の落とされたギャラリーに入ると、そのほぼ中央部に小さな白い立方体を積み上げてつくった塊および、白い円形のカッティング・シートが貼られた透明素材の「ついたて」(110×高さ140cm)が組み合わさったものが見える。そして立方体の塊と白い円には、二台のヴィデオ・プロジェクターによってそれぞれ映像が投影されている。白い円(直径66cm)に映し出されているのは、関野宏子がつくったフリースを素材とするカラフルなオブジェを、内部に仕込んだ針金によって少しずつ変化を付けながらデジタル・カメラでコマ撮りしたものをデジタル編集でつないだ、いわゆる「クレイ・アニメ」のような映像であり、それはかなりの高速で画面を切り替えながら、約2分30秒を一サイクルとしてループで延々と繰り返される。そのモデルとなるオブジェは、10〜15cmほどのもの数種類だが、手足の生えた動物やかわいらしげな架空の生き物にも見えるこれらの作品は、映像の中での動きを得ることによって、単純な繰り返しの映像であるにもかかわらず、あたかもそこに生命が吹き込まれたかのような躍動感を伴っていつまでも飽きることなく私たちの目をとらえ続けるのである。
 一方、白い立方体の塊(10cm角の発泡スチロールを72個積み上げたもの)にはMAKOTOの映像作品が映し出されている。これは、四角形や円形を組み合わせたオレンジ系統の色の図形が立方体の面とぴったり合わさって、あるところでは消えあるところでは現れながら、さまざまなパターンを一秒刻みで変化させてゆくというもので、まず制作過程で、ひときわ小さな立方体をギャラリーでの展示の状況と全く同様に積み上げて、さまざまな図形のパターンを投影したものを撮影・編集し、立方体への角度を完全に保ちながらカメラのあった位置の延長線上にプロジェクターを置き、焦点までの距離を遠ざけつつ立方体のサイズをスケール・アップさせる方法で制作がなされている。
 この展覧会は、「光」と「時間」をテ−マに含んで制作された関野とMAKOTO両名のコラボレーションとして開催されたのだが、関野のオブジェをコマ撮りで動かして映像をつくるというアイデアは、映像作家であるMAKOTOによってまず提案された。映像の制作を初めて体験する関野に、MAKOTOは自身のスタジオで編集ソフトの使い方など初歩からを教え、そうした共同作業を経てまず関野の映像作品が完成に向かい、さらにそれを投影するためのスクリーンを含めたシステムをMAKOTOが制作して、はじめてこの展示が完成したのである。
 今回MAKOTOが構築した投影のシステムは、光を吸い込んでそれ自体が発光しているかのような、「かたち」と映像とが一体と化した物体としてとらえることもできるが、これはMAKOTO本来の作品の重要な特徴の一つでもあり、あくまでも関野の映像を中心に据えた今回の展示の中にあっても、MAKOTOのオリジナリティーは、その映像と絡み合って一つとなり展示に盛り込まれているのである。またさきほど、関野の映像の中に宿る躍動感について触れたが、それは、立方体に映されたMAKOTOの映像があたかも時計のように刻む一秒間隔の一定のリズムが大きな役割を果たしていることは明らかだろう。そういった点でも、互いの作品の領分を示しながらもさまざまな面で補い合ってつくり上げられたこの展示空間は、他の何ものでもない二人の共有の場になり得ていると考えられるのである。
vol.7 曽田朋子 × 三森早苗 『another sight 〜視えざる世界の情景〜(2003年4月に開催済み)【目次に戻る】
 ギャラリーの空間は、何も置かれていなければただの「部屋」だが、そこに作品が展示されることで、もとの空間とは別の「場」へと変わり始める。そうした「場」の変化は、作品の展示に際しては程度の差こそあれ自然発生的にすべからく起こり得る現象だが、作品の性質によっては、ギャラリ−の空間が拡大してゆく、あるいはギャラリーの中の空気が入れ替わり新たなもう一つの空間が現れると感じられるほどの大きな変化が生み出されることもある。
 では、もう一つの「場」を出現させる作品とは、いかなる性質を帯びているのだろうか。たとえば、平面や立体に限らず、ある意図をもって空間の中に複数の作品を配置することで、それらのモノたち同士の関係性や空間自体との関係性を提示する、一般的に「インスタレーション」と呼ばれる手法も、「場」をつくるための表現として近年盛んに行われている。しかし、実際には視えない部分にまでギャラリ−の空間を拡大させる、あるいはギャラリーの空気を組み替えるような作品とは、「場」の生成を強く意識することをもとにしたこのような「手法」を通じてではなく、作者自身の意識の奥底にあって目には視えない、創作の種ともいえる「何か」を、作品の制作を通じてかたちあるものとして表わそうとする明確な意志がもとになってはじめて生み出されるような気がしてならないのである。

 共に繊維を素材とする曽田朋子と三森早苗の作品によって構成される『another sight 〜観えざる世界の情景〜』は、本来は作者にしか視えない意識下の情景へとつながる窓や扉を展示空間に設けるようにそれぞれの作品を展示し、それを通じて感知される「もう一つの場」をかたちとして表すというテ−マをもって行われる展覧会である。
 曽田朋子は、綿やウールの糸を数本束ねた長い糸を芯として、ミシン糸でそれらを編み込むように一段ずつ縫い付けて層を積み上げてゆき、縫い固めたミシン糸の縫い目が表面や色彩となってゆくオブジェ作品を制作している。緩やかな曲線を描きながら、帽子や袋、あるいは舟底などさまさざまなモノのかたちを想起させ、また時には大小の輪のかたちに成型されて空間に置かれることでそれがあたかも中空に描かれた色の帯であるかのような錯覚を覚えさせたりもする曽田の作品は、糸を縫い固めただけでつくられているとは思えないような硬質な質感を特徴としているが、さまざまな色彩で彩られたかたち、あるいは輪の内側には、視覚と触覚の両方が感知させる新たな空間およびイメ−ジが生み出されるのである。
 一方三森早苗は、主に羊毛やパルプを素材としてベースとなる支持体をつくり、その上から色鉛筆を使ってドゥロ−イングを施したり、時には顔料やカラーインクで支持体を染めるように彩色する手法によって、レリーフ的な性格を感じさせる平面作品を主に制作している。かすかに残る制作時の手の軌跡がイメ−ジのもととなる作品の表面は、淡いながらも深みのある色彩のグラデーションで覆われているが、それは、画面の上で陰影をつくりながら何層にも重なり合う皮膜のようにも見え、そのイリュージョンは、画面を見つめ続ける内に、その奥にあるかもしれないさらに奥深い空間に引き込まれてしまうような錯覚を、観る者に時としてもたらすのである。
 
 繊維の質感が前面に表されていること、色彩が重要な要素の一つになっていること、そして、作品の内部に確として一つ空間が生成されること。両者の作品は形態やサイズ、手法など多くの異なる要素を越えて、本質的にはさまざまな共通性を見い出すことができるが、その中核にあるのは、糸を縫い固めてゆく、あるいは手の軌跡が色彩の層を紡ぎ出してゆくような、創作に費やされた時間の積み重ねを「かたち」として表わすということなのではなかろうか。つまり両者の作品では、制作の過程でそこに織り込まれた時間は、彼女たちがそれぞれ意識の奥底で感知した情景を伴いつつ「かたち」となって私たちの前に現れ、展示空間は、その情景が醸し出す空気に満たされるのである。

 今回の展覧会では、三森の作品によって壁面が覆われ、空間のところどころには、まるでそれ自体が浮遊するかのように曽田のオブジェ作品が設置される展示が予定されている。そこでは、平面でありながら観る者の意識をその奥へと誘う三森の作品と、立体でありながら色彩とかたちの要素をもとにした平面性を持つ曽田の作品という、それぞれ相反する性質をまといまがら互いの作品の内側に隠された観えない部分を補い合うような二つの存在を併せて、一つの空間がつくられることになるが、両者が響き合ってギャラリーの中に生まれたこの新たな「場」で、私たちはどのような情景を覗き見ることができるだろうか。
 共に繊維を素材とする曽田朋子と三森早苗の作品によって構成される『another sight 〜観えざる世界の情景〜』は、本来は作者にしか視えない意識下の情景へとつながる窓や扉を展示空間に設けるようにそれぞれの作品を展示し、それを通じて感知される「もう一つの場」をかたちとして表すというテ−マをもって行われる展覧会である。
 展示は、ギャラリ−の壁面を三森の平面作品が覆い、それに囲まれた空間の宙空に曽田のオブジェ作品が浮かぶように設置されるという構成で行われた。
 まず壁面の三森の作品だが、約260×220cm、220×180cm、140×180cmの大画面の作品3点のほか、24×24cm、24×25cm、41×41cm、41×48cmサイズの4点の小作品、計7点が展示された。これらの作品は、パルプと羊毛を素材として作者自身が支持体をつくり、そこに淡い色彩の色鉛筆で色を塗り重ねてゆくことで制作がなされている。色はピンク、イエロー、薄いグリーン、パープル、ブルーなどが主体となっているが、それらは大きな画面の中で、ゆるやかな弧や円を描くかたちをつくり、細部ではさまざまな色彩が混ざり合いながら、画面を見つめているうちにその奥に引き込まれような錯覚を覚えさせる多層的で深みのあるイメ−ジを生み出している。
 また、素材に羊毛が使われることで表面がややけば立つような支持体自体の質感は、そこに塗り込められた画材である色鉛筆の粒子の質感と合わさることによって、平面的な色面であるのにそこに使われる色彩自体が三次元的な空間を表すような、不思議な絵画的空間をつくり出しているのである。
 一方曽田は、幅6cm、長さ300cmほどの両端が船のへ先のように丸まった薄い青色の細長い立体作品および、幅2cmほどの薄いアイボリーのひも状のものが直径13cmほどの螺旋を巻いた長さ約40cmの筒状の作品や、直径45cm、深さ15cmほどの、中心部に1cmほどの穴が開いた薄緑色のすり鉢状円形の作品、直径35cm、深さ10cmほどの帽子のかたちをしたアイボリー色の作品の計4点を、天井からテグスを使って宙空に吊るし展示した。これらは、綿やウールの糸をもとにミシン糸でそれらを編み込むようにして、一段ずつ縫いつけた層を積み上げることで制作がなされているが、遠目に見ると、それらのかたちがつくるゆるやかな輪郭の曲線が、陰影を伴いながら自重なく浮遊するような不思議な存在感を放ち、近寄ってみると、糸が緊密にびっしりと編み込まれた様が物体としての確かな質量を感じさせ、遠景と近景でのそうした印象のアンバランスさが、立体とも平面ともつかない多層的なこの作品の存在感を支えているのである。
 ところでこの展覧会は、色彩とかたちがつくるイメ−ジが入口となっての、作品の中に観る者の意識が吸い込まれるように入り込んでゆく感覚の体感をテ−マの一つの企画がなされている。この両者の作品には、素材の在り方と色彩およびかたちとの関係性の中で、平面とも立体ともつかない存在感が生まれることを一つの共通項として見い出すことができるが、常に曽田の作品越しに三森の作品が見えることで、三森の平面の中の曲線と曽田のオブジェがつくる曲線とが色彩の類似性をもとに呼応し合い、展示空間の中で二人の作品が視覚を通して重なり合う様は、この場所にしか現れない新たなイメージを生むと共に、平面と立体という形態の違いや制作者の個性の違いを越えて一つの空間を立ち上げるのである。
 また、三森の作品の画面には、曽田の作品によってできた影がところどころに映り込んでいるが、それ自体が不定形のイメ−ジでもあるそれらの影と三森の作品が生むイメ−ジが重なり合う様も、この無二の展示空間をつくり出すためのに一要素を担っているのである。
vol.8 越田滋 × 瀧本裕子 『metalscape』(2003年5月に開催済み)   【目次に戻る】
 人は、目の前の風景を視覚を通してどのように認識し、一つの体験あるいは記憶として意識の中に迎え入れるのだろうか。
 たとえば、街の中に立つ一人の人物を写真に」:収めてみたとしよう。撮られる対象はあくまでもこの人物だが、当然のことながら、写真にはその周囲にあるさまざまなもの −道路や建物、看板、樹木、乗物、他の通行人など− が共に写し込まれるはずである。つまり一つの風景とは、空気や光、影など物質ではないものも含めて、その場に存在するあらゆるものが渾然一体となってかたちづくられるのである。
 ところで、風景の中のこうしたさまざまな要素は、人が意識を向ける向けないに関わらず、いかなる優越もない均等な意味や価値を持って存在しているが、人が風景と相対するとき、その中のある要素へと意識を向けた瞬間、人と風景との間にはある特別な関係が結ばれ、さらに別の要素に意識の方向を移し変えるたびに、そこには新たな関係が次々と生じてゆく。そして、こうした関係が無数に積み重なって、人は一つの風景を細部にわたって認識し記憶することができるのである。一方、ここで人の意識が向けられずに切り捨てられたその他の要素は、無意識の領域にしまいこまれて記憶として現れることは決してないが、意識されたものとされなかったものという二つの要素がこの無意識の領域で無自覚のうちに混ざり合うことで、視覚がとらえた風景は一つの概念としてはじめてその全体像が認識されるのである。
 ここまで、人の視覚が風景をとらえ、認識および記憶するにあたっての意識の在り方についてみてきたが、こうした意識の在り方を逆手に取る、つまりある対象にしぼって意識を向けるのではなく、あえて風景全体に視線を拡散させるという、いわば「視る」よりも「視えてくる」というを姿勢をもって風景と向かい合えるような状況を展示空間の中に設定することで、私たちは思いもよらなかった光景を体験することができるのではなかろうか。越田滋の写真作品と瀧本裕子の立体作品によって展示が構成されるこの『metalscape』は、視覚を通した認識にまつわるそうした問題提起を含んで行われる展覧会である。
 実際に展示されるのは、越田滋が主に台湾の街なかで出会った、「ステンレススティール(以下、ステンレスと記す)」でできた何かを含む風景を撮ったカラー写真および −越田は現在台湾仕事をしているが、街なかにステンレス製のものが目立って多く見られることに強く興味をひかれたことがもとになってこうしたプランとなった− 、瀧本裕子によるステンレスをはじめとする金属素材の針金などを使った立体作品であるが、媒体、素材、形態ともにまったく異なる二人の作品がギャラリーで混ざり合い、私たちの視覚の中で互いにオーバラップすることで、新たな光景が展示空間に生み出されるというプランが予定されている。

 ここで、二人の作家を詳しく紹介しておこう。
 越田滋は、四角い窓から光が入り込むうす暗い室内の光景や、行き止まりとなった暗い通路、屋外においてはトンネルの入口や、視覚の中で徐々にすぼまってゆく下りの階段、遠景に向かうにしたがってやはりかたちがすぼまるコンクリートの塀など、その中に四角形や三角形などの幾何学的なかたちを見出すことができるような構造を持った風景を、ときにはパースペクティブを強調し、また、陰影がつくるさまざまなかたちを取り込みながら撮影し、主に85×85cmサイズのモノクロプリントとしてを制作、発表している。これらの作品では、個々の風景が含むその場所固有の構造がことさら強調され、さらに、薄曇りの下で撮られることでできる陰影の微妙なグラデーションからは、対象となる風景に蓄積されてきたであろうさまざまな記憶の存在を思い描くことさえできるのである。
 一方瀧本裕子は、ヒノキ材を細く割ってつくった「割り箸」のような素材を、格子状や方形、多角形などある規則性をもとにして組み上げたり、それらと幾何学的なかたちの構造と組み合わせたりすることで、あたかもそれが架空の建築物のマケットや、直線だけでつくられた仮構の世界の風景にも見えるような立体作品を制作している。かたちを造形的に構成するというよりも、むしろ「集積」させる行為自体がおおもとにあってそこから構造が紡ぎ出されると推測できるこれらの作品は、そうして生まれた「構造」に作者自身の好奇心が触発されることで、さらに複雑で大きな構造へと増殖してゆくようにも思われるが、それは、意識の奥底に沈殿した記憶の断片を拾い集めて構築し、幾何学的な形態をもとに新たな風景を創出する行為であるともいえるだろう。

 ともに、ある「構造」およびその「余白」につくられる空間を根幹として成り立つ、越田滋と瀧本裕子の作品による今回の展覧会では、まず越田がステンレスを含む写真を撮り集め、その体験が瀧本の造形に引き継がれるかたちで一つの空間が構成されるが、その中では、金属が示すメタルカラーが二人の作品に共通して現れることになる。それ以外の要素である、たとえば越田の写真における街なかの雑多な光景は、彼にとっては無意識のうちに写し込まれたたいわゆる「余白」の部分にあたるが、写されたステンンレスの部分と瀧本の金属素材が展示空間の中でオーバーラップすることにより、また互いの「構造」に含まれる「余白」の要素である、瀧本による金属の構造体の隙間にできる素通しの空間と越田による街の光景とが混ざり合うことも一助となり、写真に取り込まれたステンレスは観る者の視覚および意識の中で現実の場に引き出される。そうした過程を経て、意識の埒外にあったさまざまな要素は、本来の被写体である「ステンレス」と同等の存在感を伴って認識され得るのである。そして、これらすべてのものが渾然一体となってつくり出される展示空間の中にこそ、私たちは、実景と造形とが合体した新たな風景を見い出すことができるのではなかろうか。
 視覚を通した認識にまつわる問題提起をもとに、ステンレスを含んだ風景を撮った越田滋の写真と、瀧本裕子によるオブジェが空間の中でオーバーラップする展覧会。
 越田は、93.5×63.5cmのカラー印画紙(画像サイズは82×52.5cm)に、地下道の両脇の壁面を金属板が覆う光景を撮った3点の写真(内一点は真正面から通路を撮ったもの、他の二点はそれぞれ壁の右側と左側によって撮ったもの)および、住宅の外壁を金属の柵が覆う光景を撮った3点の写真、さらに同様の金属の柵を通して街なかの景色が見える写真(この一点のみが横長であとはすべて縦長)をカラープリントした計7点を、3点は低目に、4点は高目に高低差を付けて設置することで展示を行った。
 これらの写真の題材となっているのは、台湾・台北の街なかで撮影された「ステンレス・スティール(以下ステンレスと表記)」を含む光景によるもので、現在台湾で仕事をしている越田が、街なかでステンレスが非常に多く使われ不思議な景観をつくっていることに深く興味を持ったことがその今回の作品の原点となっており、本来は6×6cm判のモノクロで構築的な風景が写真として切り取られる越田の手法とは一変して、スナップ的な手持ち撮影を使った35mm判のカラーによって制作がなされている。
 一方瀧本は、太さ4mm、長さ10〜20cmほどの細い金属のポール二本が平行を保ってふちに垂直に立てられた、5×15〜20cm、厚さ3mmほどのヒノキ板を一ピースとして、それを18〜46個分縦に長くつないだ上で(18個、28個、42個、46個の4種類)それぞれのポールの上部にワイヤーを通し、あたかも吊橋のようなかたちにしたこれらの立体を、ギャラリーの壁から床に向かって傾斜を付けたり、テグスで中空に吊るして窓の外とや壁に向かって伸びるように設置することで、ギャラリーの空間全体が視覚の中で分割され、照明によって壁につくられる「影」も新たなイメ−ジを生むもとになるような展示を行った。
 計4つの「橋梁」から成る彼女の展示では、主にその両端に現れる「たわみ」の曲線はあたかも巨大生物の骨格を思わせつつ、私たち自身がこのミニチュアの「空中回廊」を歩いてゆく姿を空想させ、それは、造形的にはある構造を示しながらもさまざまなものを象徴するという特異な存在感を生み出している。また、私たちが展示を観るための立ち位置を変えることで、間近に見える部分と遠ざかる部分との組み合わせいかんで極度のパースペクティブが生まれ、視覚の中には実にさまざまな光景が変化しながら次々と現れるのである。
 今回の展覧会は、『metalscape』というタイトルが冠されているように、瀧本の作品でのヒノキ板からのびて等間隔に並ぶスティールのポールと、越田の写真に含まれる鈍く光る金属の質感、とりわけステンレスの柵をモチーフとする4点の写真とは、ギャラリーのどこにいても必ずその一部が目に入いる瀧本の作品越しに見えることで視界の中で混ざり合い、さらに現実の光景であるはずの写真の中のメタル部分は二次元上の抽象的なものとして、造形的な構造物であるはずの瀧本の立体はさまざまな空想を成り立たせながら現実の中に立ち上がる物体として存在するという、モノの意味とイメ−ジとの交錯がこの空間の特殊性を生み出しているのである。
 また、高低差を付けて越田の作品が展示されることで生まれた壁の空白部分は、視覚的には瀧本の作品が埋めているわけだが、ギャラリ−内部を遠目で見渡してみると、約90×60cmサイズの越田の写真は、あたかもそこだけ壁面を切り取ったかのような現実世界の「窓」にも見え、特にステンレスの壁が画面全体を覆う写真においては、メタルの重々しい質感は「二次元的現実」とも言えるような存在感を放っている。
 さらに、中空で交錯する瀧本の作品は、現実の中で空間を分割するだけではなく、意識の中に新たな空想上の空間をつくるが、これは私たちがギャラリ−の中を移動するごとに見た目の全体像が移り変わってゆくという現象を起こさせ、観客は立体の交錯が生むイメ−ジを、自らの意志において視覚の中で次々とつくり換えて楽しむことができるのである。
vol.9 白京子 × 高塚健 『認識点』  (2003年5月に開催済み)   【目次に戻る】
 人は、相対するモノや状況を認識するにあたって、視覚や聴覚、触覚をはじめとする五感を使うことで対象の詳細を意識の中でとらえることができるが、ここではそのうちの一つで、造形表現ともっとも深い関わりがあると思われる「視覚」についてしばし考えてみることにしよう。
 視覚を通してある対象を認識しようとする際には、まず色彩とかたちをもとに、それがいかなるものなのかという判断が下されるが、そこには個々人の記憶が大きな役割を果たしている。つまり人の意識下では、赤い「バラ」と白い「バラ」、「赤い」バラと「赤い」トマトなどというような、数限りない色とかたちの組み合わせの内から一つを選び取ることでその対象は特定されるが、これは、人が現実の中で何かに出会うたびに、一個人が生まれてから現時点までの間に見たり体験してきたあらゆるモノを収めた記憶の領域から、この出会った対象と同一のものあるいは類似したものを検索して照合させるという行程がそのおおもとにあり、それこそが視覚による認識のシステムを成り立たせているとさえいえるのである。
 たとえば、ある企業のマークを10人の人に見せたとしよう。たまたまその中の一人がそれを見知っていたとすれば、その一人にとってこのマークはその企業自体を象徴するものとして認識されるが、その他の9人にとっては単なるパターンにしか見えないかもしない。また、あるスポーツチームのチームカラーで染めたパネルを同じく10人に見せたときに、10人の中にそのチームのファンがいたとすれば、色のパネルはチームの象徴として認識されるが、そのチーム自体を知らない人たちは、ある企業や商品のカラーなど、それぞれが見知った何かをそこから連想するかもしれない。
 こうした例からもわかるように、視覚を通して人がモノを認識する際には人それぞれのの記憶が強く関与しており、さらに視力や色覚の違いなども加わって、たとえ同一のモノを見たとしてもそこにはときとして著しい個人差が現れるのである。

 ここまで、人が視覚を通してモノを認識するシステムについてみてきたが、では、記憶の中に参照するべき事例がまったく無かった場合、あるいは記憶していたはずのものと同一なのに、実際には使われ方や意味がまったく異なる場合、出会った対象について人はどのようなイメ−ジを抱くのだろうか。
 たとえば、日本では一般的に横断歩道といえば白いラインが路面に平行に並んで表されるが、これが路面にひかれた青いラインだったり、ビルの壁面に同様の白いラインが平行に並んで描かれていたら、当然のことながら人はこれを横断歩道とは見なさずに、そこにまったく別の記号性を感じ取るにちがいない。つまり視覚における認識では、現実の中のさまざまな色彩やかたちは、慣習や個人の記憶をもとにした記号性によって定義付けられており、それらの一部でも別のものに置き替わることで、認識の対象となるもの自体の性質も大きく変わってしまう可能性があるといえるのである。
 こうした変化は、「記憶に裏打ちされた認識のトリック」と呼んでも差し支えないかもしれないが、白京子と高塚健によって行われる『認識点』は、このような認識の「トリック」を出発点として企画がなされている。
 白京子は、歩道や駅のホームなどに敷かれている視覚障害者用の「点字ブロック」のある一部分を、それが実際に置かれている現場で正確にスケッチし、それをキャンバス上に実際のサイズよりも縮小して再現した絵画作品を主に制作している。黄色と白の色彩を使って、ブロックの一つ一つのドットまでもが細かく平面上に描かれたパターンは、確かに「点字ブロック」を忠実に表したものではあるが、サイズが縮小されていること、風景の中からその一部のみが切り取られていること、筆で描かれるためにブロックのドットやラインの水平垂直が不揃いなこと、そして何よりも、本来は凹凸を持ち床に置かれるはずのものが壁面にかかげられる平面的な存在として表されることで、「点字ブロック」というモノ自体の意味は完全に解体されているのである。そして、色彩とかたちの面では「点字ブロック」の外観を反芻しながら実際にはまったく別の存在として示されるという、認識の際の要素の置き換えをもとに成り立つ彼女の作品は、絵画の題材とはおよそかけ離れたものを扱いながらもそれに反してことさら強い絵画性を感じさせるという、不思議な魅力をまとっているのである。
 一方高塚健は、赤や青、白、黒などの原色の絵具をもとにしてストライプや幾何学的なパターンを表した平面作品や立体作品のほか、赤と白の正円を使ったいわゆる「道路標識」のパターンの内側を、マクドナルドのマークなどまったく別の記号に置き換えたものや、建物内の「非常口」のマークを、本来の緑と白から赤と白の別のパターンに置き換えて作品としたもの、海岸に設置された数メートルの高さのポールの先に、赤と白の螺旋のストライプで示される「床屋の看板」を取り付けたもの、視力検査の際の円形の記号を大きく拡大して多数床に並べたもの、さらに最近では、ギャラリ−の窓から屋外に向けて監視カメラを設置し、そうして撮られた映像を映し出すモニターと、ギャラリ−内に展示した絵画作品を同様に撮った監視カメラのモニターとを並列させた作品などを発表している。
 高塚の作品について考えてみると、ストライプにおいては色彩とかたちの関係性を絵画として提出し、「道路標識」や「非常口のマーク」、「視力検査表」、「床屋の看板」など既存の記号をもとにした作品においては、ある特定の記号を定義付ける色彩やかたちを一部残しつつ、その中身あるいはそれが置かれる状況をまったく別のものに置き換えてみることで、視覚を通して得られるべき認識は解体され、その先には、私たちがかつて見たこともないような光景がときとして出現するのである。

 今回の展覧会では、「点字ブロック」のパターンもとにした白の作品が壁面に設置されるとともに、やはり「点字ブロック」のパターンから制作される高塚による金属のレリーフ作品が床に置かれ、さらにギャラリ−の外や白の作品に現れる点字のパターンをモニターに映し出す監視カメラが高塚によってギャラリ−の各所に取り付けられることで空間が構成される予定であるが、本来の点字のパターンを絵画という別の意味のものに置き換えた白の作品および、色彩とかたちが結びついてできた既存の記号をまったく別の意味にすり替えた高塚の作品という、「認識のトリック」そのものともいえるような二人の展示によって、私たちは、視覚とは何か、さらに視覚を通してモノを認識することとは何かという、認識のシステムの本質を垣間見ることができるのである。
 街の中の点字ブロックを模写した白京子の作品と、それを映し出す高塚健が設置した監視モニターによって、人が光景を認識するシステムを解き明かすという趣旨をもって展覧会。
 白京子は、B5サイズ4点(タテ長2点、ヨコ長2点)、40×40cm2点、30×30cm、60×60cm、53×53cm、37×51cmヨコ長、61×50cmヨコ長、80×65cm各1点、計12点のキャンバスに、「桜木町駅」「神田駅」「地下鉄外苑前駅」「ムツゴロウ薬局前」など、実際の街なかで路面に敷かれている黄色い「点字ブロック」を作者自身がスケッチし、それを実際のサイズから縮小させてアクリル絵具で描いた絵画作品によって展示を行った。キャンバス上の小さな点字ブロックのパターンは、白い縁取りを伴いながら太さの異なる黄色い色帯を組み合わせてつくった抽象的な文様にも見える。絵具により若干盛り上げられ、さらに陰影が付け加えられた黄色いラインの中に、無数の細かいドットや楕円形のパターンが敷きつめられて並ぶ様は、幾何学的な美しさを感じさせるが、そこには画面に近づくと手書きであることがわかるようなかたちの崩れが見え、抽象的に文様を表しながらも「点字ブロック」という具体的なものをリアルに描くという、抽象と具象の両面にまたがる独特の表現が成立しているのである。
 また、それぞれの作品の背景は、燈色や水色、蒼色の色面およびグレーのストライプ、パープルのドットなど、比較的彩度の低い絵具が時には筆跡を残しつつ単色で塗られているが、これらは、たとえば蒼色の背景の作品は「みずほ銀行前」を、グレーのストライプが背景の作品は「ワタリウム美術館前」というように、作者がスケッチの際にそれぞれの現場で感じた印象を象徴的に表しており、現実の場に含まれる要素が画面に取り込まれることも白の絵画の独自性を支えているのである。
 一方高塚健は、40×40cm、厚さ2cmの磨き上げられ鉄板に点字ブロックの基本的パターンであるドットと楕円のかたちを(各3cm径)彫り込んだもの2点を、1cmの間隔を空けて高さ27cmの台座にのせて並べた作品と、3.5cm角という極小の「監視カメラ」計3台を、ギャラリ−の窓際から外を向けて景色を撮ったものと、ギャラリ−があるビルの屋上の床に敷いた30×30cmサイズの実際の点字ブロック4枚に向けて撮ったもの、壁面に展示された白の作品一点に描かれている点字のパターンに向けてクローズ・アップしたものというように固定して設置し、それを1mほどの高さの台に置かれた、画面サイズ40×30cmのテレビ・モニターの画面を4分割したものにそれぞれ割り当てて映し出すという展示を行った。
 ところで私たちは、屋上のものを除けばカメラが追う実際の光景を目にすることができるが、モニターに定点観測的に映し出された3つの映像を見つめるうちに、カメラを通して取り込まれたリアルタイムの光景を平面上で体験し、特に外の景色の映像では外を車が行き交う実際の音を聞きながら「音」のない映像を見るというように、現実の場と映像として取り込まれた場の間に起こるズレに感応することで、意識の中には一種のイリュージョンを体感したときのような感覚が生み出されるのである。そしてそうした感覚は、ギャラリ−の床に設置された高塚による鉄板の「展示ブロック」とモニターの中に映し込まれた2種類の点字のパターン、そしてギャラリ−の壁を埋める白の作品とが、距離を置いて空間の中に点在しつつも私たちの意識の中で混ざり合うという状況が助長しているのではないだろうか。
vol.10 島村美紀 × 長瀬達治 『Solid Time』 (2003年5月に開催済み)  【目次に戻る】
 写真機を使ってある光景をフィルムに収めるとき、シャッターが押された瞬間にフレームの中のすべてのものは、そこに含まれる時間があたかも凝固したかのように停止し、平面上の画像として永遠に留め置かれる。これは誰にでも理解できる事実であり、それこそが本来は記録のための媒体であった写真の原理でもある。確かに、撮られた写真のプリントからはすべてのものは平等に時間を失っているようにしか見えないだろう。しかし実際には、ある一つの風景あるいは光景に含まれるさまざまな要素は、それぞれが異なる時間の流れを持って複雑に絡み合いながらそうした「場」を成り立たせている。そして、風景などに含まれる時間の流れをどう感じ取り、それを一枚の写真としてどう表すかは、個々の写真家の風景さらには写真そのものに対する考え方が大きく反映するように思われるのである。ここでは、風景と時間との間に横たわる目に視えない関係についてしばし考えてみたいと思う。

 風景に含まれる「時間」とは、当然のことながら一時もその流れを止めることなく、一瞬のうちに視界から消え去り次々と記憶の奥底に埋没してゆく。そうした無数の「瞬間」の中で写真として選ばれた光景やそこに含まれる「時間」は、個々の写真家にとってどのような存在なのだろうか。
 例えば街なかの雑踏の写真を一枚撮ってみたとしよう。おそらく手前には道ゆく人々が、そして背景にはビルなどの建物が写し込まれるはずだが、一枚のフィルムに収められたこれらすべてのものたちは、そこに含まれる時間の流れに関しては均一ではなく、生命を持つ私たちの中には一時も止むことのない時間が、道路や建物など長い期間を経て姿を変えてゆくものの中には、ゆったりとしかも確実に刻まれる時間が流れ、そうした異なる時間の流れを持つさまざまな要素が渾然一体となって、はじめて一つの風景が立ち現れるのではないかと私は考えている。
 こうした時間の流れの差異は、人や動物などを含まない風景に関してもある程度は当てはまることで、例えば草原の風景では、生い茂る植物とそれらを育む土壌は異なる時間を有しているし、人気の途絶えたビル群の景観ですら、長い期間の間には必ず訪れるであろう風景の劇的な変化をもって、ここの要素に内在する時間の流れの差異を語ることは十分に可能であろう。
 風景に内在する時間。これは、ある景観を対象にしてシャッターを押せば否応なくフィルムに刻まれてしまう絶対的な存在であるといえるが、この事実をどう踏まえるかによって、写真表現の在り方は二通りに大別できるのではないだろうか。
 一つは、出会った風景を取り巻く状況や、それが過去に体験したであろう出来事などへの視線も交えて、その風景に向けられる撮影者自身の想いを写真に反映させようとする在り方で −どちらかといえばこの手法が一般的な風景写真であるのかもしれないが−、ここでは、風景に含まれる時間やさまざまな記憶の断片がシャッターを押すことでフィルムの中に取り込まれ、画像として表された景観の裏側には、異なる幾種類かの時間の流れが、差異を含んだままにあたかも残り香のように見え隠れするような気さえするのである。
 もう一つは、風景と対峙した瞬間そのものの記録を、あたかもフィルムやプリント上に凝固させるかのように写し取ろうとする意志をもとにしたもので、ここでは、風景を構成するさまざまな要素が含む異なる時間の流れは、撮影者がその中に何かを感じ取った「瞬間」という固定された時間に一元化され、時間の流れを感じさせないその画面の中には、とられた光景がいかなる性質の場所であるかという本質的な要素が強調されて浮かび上がってくるのである。

 風景の中に流れるさまざまな時間の流れを素のままにとらえてそこに含まれる記憶をも目に視えるかたちとして表すことと、風景を瞬間的に凝固させその実体をあぶり出すこと。もちろん、この対極的な二つの考え方に写真表現が集束されるわけではなく、その中間にも実に多様な表現が含まれるわけだが、今回の『Solid Time』で紹介する島村美紀と長瀬達治の二人は、風景の中の記憶をとらえる島村の写真と、とられる瞬間そのものを風景の中から切り取るがゆえに、時間の存在を感じさせない長瀬の写真というふうに、風景写真におけるそれぞれの対極に位置する写真家であると思われるのである。
 まず島村美紀だが、彼女の作品は、都市の片隅や山中に埋もれたように存在する廃虚あるいは、人から忘れ去られ打ち捨てられたような風景を、6×6cm判のモノクロ写真として一時に集中して撮影したものを、プリント時にしわを寄せたトレーシング・パーパーを印画紙に密着させて露光のフォーカスを部分的にぼかしたり薬品処理で調色するなど、プリント時に特殊な技法を施すことによって制作される。そうやって完成したプリントは、そのロマンティックな見かけとは裏腹に、作品から受ける印象は決して彼女の主観に偏ったものではなく、実在の景観とは大きく異なった様相を示すが、それは、対象となる景観が見せる今現在の姿ではなく、過去から現在までの間にそこに堆積してきたさまざまなものが、プリントという紙の物体に姿を変える過程で生まれた産物としてとらえることもできるだろう。
 一方長瀬達治は、自身が生まれ育った郊外の地をはじめとして、駐車場や雑草が生い茂る空き地、倉庫の建物、校庭、住宅など、街なかや郊外の「隙間」ともいえる場所を対象に、6×4.5cm判のカラーフィルムでドライかつ客観的に景観を切り取ることで写真作品を制作、発表している。主に晴天の下で撮られる彼の写真は、コントラストが高く彩度の高い色彩で表されるが、一般的には見過ごされるようなどこにでもある景色に対して、いわゆる「写真的」描写によって焦点を当てるという彼の手法は、そのアンバランスさゆえに、撮られた景色から私たち観客が何かを感じ取ろうとすることを拒絶し、その結果写真は、本来そこに内在するはずの時間すらも読み取ることができない、「時制」の存在を失ったかのような独特の印象を放つのである。
 以上、島村と長瀬の両者は、手法は大きく違えども風景の中に流れる時間をある一瞬の中に留め置くこと、言い換えれば「凝固」させることを表現の核としているといえるが、今回開催される『Solid Time』では、実に対極的なこの二人の作品によって、写真として表された風景とその中に流れる時間との関係が解き明かされるのである。
 風景の中に含まれ、写真によってその一瞬が永遠にとどめ置かれる「時間」の要素をテーマに、対照的な二人の写真によって構成された展覧会。
 島村美紀は、縁を壁面から2cmほど浮かせたかたちの39cm角の極薄のパネルに、約32cm角の画面サイズで焼き付けられた6×6cm判のモノクロ写真のプリントを密着させたもの計12点による展示を行った。それぞれの写真は、山形県と宮城県の県境の山中に残されたある発電所の廃虚の内部を題材としているが、そこには、有刺鉄線が這う割れた窓ガラスや、細かな廃材が散乱する床、屋内に重々しく鎮座する鉄の機械や計器の類が写し込まれている。これらの作品でとりわけ印象的なのは、ほとんどの画面の中に建物の「窓」が大なり小なり含まれ、そこから覗く外の景色の断片や窓から差し込む弱い陽光が、黒々と表された屋内の造作と強いコントラストをなし、さらに、そのほとんどが垂直・水平の軸を廃棄しカメラを左右に傾けた構図により、写された景観は作者独特の「写真」として二次元上に再現されているのである。また各作品のところどころには、手彩色に近い手法で調色剤によるセピア調色がなされているが、それがモノトーンによる景色と混ざり合って画面がつくられていることも、もとの景色にはない、作者自身が撮影の瞬間に感じた「空気」が表される要因になっていると思われるのである。
 一方長瀬達治は、風景を撮影したカラープリントを29×39cmサイズの黒く細い縁のフレームに額装したもの計12点を、タテ2列×ヨコ6列に並べて展示を行った。これらの写真には、住宅を背後にひかえた空き地や車が停まる駐車場、芝生の張られた庭など、いわゆる都市の「郊外」の典型的な風景と見なすこともできる景観が写し出されている。すべての写真は晴天の下で撮られ、画面の上部には青空がのぞいているが、陽光に照らされた景観はひと気が無く、作者の感情を廃して客観的かつクールに表されることで、撮影の瞬間が画面の中に凍結したような、そして写された光景自体があたかもオブジェや模型のごとく二次元上に定着させられたような印象を感じさせる。
 ところで、ここで題材となっている景観は、現在作者が住む杉並区付近で撮られたものだが、普段彼が見慣れた日常の中の風景からその場所固有の時間や空気が排除されて「匿名化」し、それが非日常的なものに置き換えられる中で生じる、彼自身が現場で体験したそれぞれの風景に対する記憶と、写真として表された景色とのズレは、写真となった景観の性質を大きく変質させ、長瀬の写真にすべからく含まれる、時として風景がモノのようにも見える独特の表現の源になっているのである。
 写真として撮られた風景に含まれる「時間」の在り方をテ−マとして企画がなされた今回の展覧会では、元の景観が別の存在に置き換えられる島村の写真と、相対した風景そのものを画面に凍結させたかのような長瀬の写真という、外見の上ではほぼ正反対にも見える二つの要素が相並んで空間が構成されているわけだが、それにしては展示の中に違和感は感じられないように思われる。それは、作品サイズや額装、レイアウトに関して事前に綿密なすり合わせが行われたことも確かに理由の一つにあげられるが、全く異なる様相の画像が互いに引き合うことで生まれる幅を介して、展覧会のテ−マである写真における「時間」は多様性を見せ、それが展示空間を視覚的に豊かなものにしていることが主な要因なのではないだろうか。
vol.11 高橋究歩 × ツルヤタダシ 『宙芯』(2003年5月に開催済み)  【目次に戻る】
 絵画の展示においては、作品を収めて取りまく「額(フレーム)」が重要な役割を果たすことはよく知られる事実である。たとえばある一枚の絵を白いフレームと黒いフレームに当てはめて壁にかけたとすると、たとえそれが同一の絵であってその印象はかなり異なって感じられるだろうし、白いフレームの中でも、枠の幅が広いかそれとも狭いかということや、材質が木であるか金属であるか、枠の形状が角張っている丸みを帯びているかなどといった要素の違いによって作品自体の印象が変わってくることは、多くの人が体験しているだろう。
 これは絵画に限らず、写真や版画、書、場合によってはレリーフやオブジェなどについても同様のことがいえるが、切っても切り放すことのできない作品とフレームにおけるこうした関係をもとにして、フレームに収められる作品とはまた別の作家が、そのフレーム自体を自身の作品として制作し、一つに合体したこの二人の作品をもって展示を行ってみようという発想から、二人展『宙芯』のプラニングは始まった。
 ここでは、ツルヤタダシによってフレームがつくられ、そこに高橋究歩が制作するオブジェ作品が収められる。つまり、フレームに収められた作品が生むイメ−ジと、その周りと取りまくもう一つの「作品」が生むイメ−ジの両者が、互いの色彩やかたち、さらには作者の意識の奥底にあるメッセージなどを主張して溶け合いながら、一つの作品とし新たなイメ−ジが放たれるのである。

 ここで二人の作家を紹介しよう。
 高橋究歩は、小石や種を並べて撮影した写真をもとにつくったオブジェに、たとえば点灯することのない豆電球が取り付けられた作品など、一見すると互いにつながりのないさまざまな物事をある分類に沿って探し集める作業をもとにしたものや、国語辞典のすべてのページをいったんシュレッダーにかけたかのような細かな紙片にし、それらを集積させて再び元の辞典の形をつくる作品など、固めて集積させることでそれぞれのモノが持つ本来の意味を解体し、同一の見かけでありながら中身はそれぞれまったく別の意味を表すようなものなどを主に制作している。彼女の作品は、箱やときには鳥籠など、限定された小さな空間の中に閉じ込められて展開するものがとりわけ多いが、実際の形態や意味の上で、素材となったものの元の姿がわからなくなるほどまで,文字通り中心に向かい「圧縮」されてつくり出されるこれらの作品は、物体とはとらえ方によってはさまざまなものに姿を変え、人は「本質」などというものを元来知り得ないのではないかという、感慨にも似た感情を私たちの意識の中に芽生えさせるのである。
 ツルヤタダシは、円形や方形などの幾何学的な形態、あるいは矢印や視力検査表の正円などのかたちなどを無彩色で表したものと、主に原色の色面とをさまざまなパターンで組み合わせるなどして、そこからあるイメ−ジや状況が無数に産出されるような平面、立体作品を制作するほか、フレームのコーディネータを生業として活動している。彼の作品の特徴は、デザイン的な要素を多分に含んでいることと、作品としてつくり出されるイメ−ジもさることながら、その背景ともいえるフレームの部分が主となるイメ−ジと同等の比重をもって一つの作品が成り立っているということだといえるだろう。つまり「背景」である外枠は、描かれたイメ−ジを色彩やかたちの面で力強く支え、そのイメ−ジ自体は、さまざまな「意味」を主張することで、デザインと造形の双方の要素を持ち合わせたツルヤ独特の表現が生み出されるのである。

 今回の『宙芯』では、種や食物などさまざまな素材を角砂糖とほぼ同様のかたちに圧縮させてつくった高橋のオブジェ作品一つ一つに対して、それを収めるためのフレームやオブジェが置かれるための台座の役割を果たすような作品をツルヤが制作して両者を組み合わせるという、一種のコラボレーションを主体にした展示が行われるが、中心へと向かう圧縮によって強い求心性を帯びた高橋の作品と、外枠の部分により多くの比重をかけることで外へ外へと向かう拡散性を帯びたツルヤの作品とが組み合わさるこの展覧会では、互いに相反するベクトルをもって引き合うゆるやかな緊張感の中に、どのようなイメ−ジが新たに生成されるのだろうか。
 角砂糖大の高橋究歩のオブジェを収めるフレームおよび台座を、ツルヤタダシが造形としてつくることによって行われたコラボレーション。
 高橋究歩は、たとえば食物などのさまざまなものを、ほぼ1.5cm角の立方体のかたちに圧縮させた極小のオブジェ作品計20点を、木材による同サイズのキャプション(001,002,003・・・020)と番号が振られている)と共に、もう一人の作家・ツルヤタダシの作品がつくる空間に置いて展示を行った。それぞれのもとの素材を番号順に記すと、001:紅茶/002:綿/003:ゴマ/004:パセリ/005:角砂糖/006:コルク/007:石鹸/008:バラ/009:発泡スチロール/010:鉛/011:緑茶/012:羽根/013:ナチュラルチーズ/014:米/015:ろう/016:高野豆腐/017:入浴剤/018:レンゲの種/019:粘土/020:黒こしょう、であるが、これらは色や表面のざらつき、密度がそれぞれ大きく異なりながらも、全て同一のサイズ、かたちで統一されることでもとからあった特徴が覆い隠され、どことなく似通った印象を感じ取ることができる。
 私たちはまず、それぞれのオブジェを目をこらしながら見て回ることになるが、色やかたちにそれぞれ特徴があるにせよ、一目見ただけではそれが何をもとにしているかうかがい知ることはできない。そして、視覚だけでなく嗅覚なども働かせてさらに作品を細かく観察することや会場に掲示されているリストを見ることで、それが何であるかがわかり、オブジェの最初の印象と実際のモノとの落差を感じることで、私たち、はモノを視て識ろうとする意識が新たに切り開かれるという、高橋の作品がうむ独特の感覚を味わうことができるのである。
 一方ツルヤタダシは、発泡スチロールを素材として縁の部分が茶色に、側面が黒に塗られ、中が素通しでギャラリ−の壁の白色が後に見える「フレーム」のかたちを模したオブジェを、サイズや厚みを変えたり枠の部分の幅を変えることでさまざまなバリエーションを派生させ、それを計60個壁面にランダムに設置したものと、木材と金属の金具、ガラス板を組み合わせてつくった47×47×39cmの「椅子」および「テーブル」各2組(テーブルには天板としてガラスがはめ込まれている)を中心とした展示を行った。
 展示全体を遠目に見渡すと、壁面にはツルヤによる「フレーム」の作品が点在し、床にもツルヤの「椅子」「テーブル」の作品が置かれている状況が視界に入ってくるが、ギャラリ−の白い壁面をところどころで四角く切り取ってその存在を強調するように展示された「フレーム」の白い内部や、やはりツルヤによる透明プラスチックでできた8×8×12cmのコの字型の「台座」、さらにはガラス越しの「テーブル」の内部に、高橋による小さなオブジェが実際には点在しており、空間を素通しさせて見せることである種の空虚さを伴うような拡散性を発するツルヤの作品と、視覚的には「点」のようでありながら、照明に照らされることでつくられる影とも相まって強い求心性を伴った存在感を放つ高橋の作品とが、展示を観る私たちの意識の中で混ざり合うことで、視覚にはとらえにくい空間性がギャラリ−の内部に生み出されるのである。
vol.12 佐藤由美子 × 藤井信孝 『サーカス物語』(2003年6月に開催済み)  【目次に戻る】
(ジョジョ)
どこからきたかわからない/どこへ行くかもわからない/何をさがすかわからない/自分がだれかもわからない/いまのわたしにわかるのは/むかしわたしの失った/何かをさがすことばかり/だがわたしにはどこにあるかも/なぜさがすかもよくわからない/いまのわたしにわかるのは/旅路が遠いことばかり
(エリ)
どこからきたか知ってるわ/でももう二度ともどれない/何をさがすか知ってるわ/自分がだれかも知ってるわ/でもそのひとが見つからない/むかしあたしの知っていた/かけがえのないそのひとが/だからあたしはわすれたいのよ/あなたみたいにわすれたいのよ/こころはからになるけれど/きっと楽にはなるでしょう
(ミヒャエル・エンデ 作『サーカス物語』第六景より)

 これは、ドイツの小説家、ミヒャエル・エンデの戯曲『サーカス物語』の一節で、物語の主人公・ジョジョとエリによる歌の掛け合いの場面である。物語は、とある国の工場地帯の空き地にたむろするうらぶれたサーカスの一座を舞台にして、一座の一人・ジョジョの空想が生んだ世界の話 −自分自身のほかには「影」しか存在しないとある国で魔法の鏡・カロファインと暮らす王女・エリが、偶然であった「明日国」の王子・ジョアン(ジョジョの分身)の影を追いかけて国を飛び出しさまよう− と現実とを往き来しながら、もの悲しさの入り交じった哀愁を帯びて淡々と進んでゆくというものである。
 今回行われる『サーカス物語』は、この戯曲から着想を得て制作された佐藤由美子と藤井信孝の作品によって構成される展覧会だが、佐藤および藤井は、それぞれ全く異なる視点と手法で、文字やことば、物語、書物に対する想いを作品に変えて表現し続けてきた。
 ところで、他者が著した書物およびその中のことばをもとになされる造形とは、いかなる意味を持つものなのだろうか。
 そうした表現においては美術家もまた、読者と同じく「受け手」の側にいるわけだが、読者は読み取った文章やことばを、そこに含まれる何らかの「意味」や著者の意志をもとに理解・解読し自身の意識の中に収めようとするのに対して、そこから造形が生み出される場合には、記されたことばを造形へと置き換える作業の中でことばに含まれる意味や著者の意志は解体され、表された個々のことばや文字はそれぞれ一つの物体と化し、それらが本来持つであろうさまざまな力が造形という新しいかたちを伴って顕在化してくるように思われるのである。

 ここで二人の作家を紹介しよう。佐藤由美子は、例えば「PUZZULE」ということばを構成する一つ一つのアルファベットの文字からさまざまなイメージを解き起こした平面作品や、自作のことばをリトグラフによる独特の文字とイメージで絵札と読み札として表した「いろはがるた」を、やはりリトグラフによる同様の装飾をほどこした箱に収めた作品など、あることばや文字をモチーフとして、主に墨で描いたようにも見えるモノトーンのリトグラフによって展開するイメ−ジが、ときには活版の活字の見かけのテキストと折り重って世界がつくられる作品や、それらをもとにしたブック・オブジェ、立体作品を主に発表している。
 ところで今回の展覧会では、ミヒャエル・エンデの戯曲が重要なモチーフとなっているが、佐藤は以前、エンデの代表作『鏡のなかの鏡』に収められた30編の短編一つ一つに対応させて制作した、主にリトグラフの技法による計30点のオブジェおよび平面作品によって空間を構成するという展示を行った。そしてこの展覧会『鏡のなかの鏡の中のワタシ』では、エンデの小説から抜き出したドイツ語のテキストと版によるモノトーンの図像が複雑に絡み合いながら、両者を統合して一つの短編を表す新たなイメ−ジがつくり出され、彼女の手になるそうしたイメ−ジは、エンデの原典自体に含まれる「人の記憶を深く辿る」ストーリーと重なり合い、意識の深遠への私たちの心を誘い込むような効果の源にさえなり得ていたのである。
 藤井信孝は、L・ヴィトゲンシュタインの哲学書『論理学的論考』のすべてのテキストを、直径12cmの透明プラスティックの球526個に別けて収めたものを中心とした展示や、W・サローヤンの小説『我が名はアラム』をもとにして、「My Name is Aram」という文字を印字した14枚の鏡と、砂鉄を使ってこの文をそれぞれ英文と和文で描いた2枚の平面作品を対面させた展示、G・ガルシア=マルケスの小説『百年の孤独』の登場人物の名前を印字した銅板を、彼らの家系図に基づいて壁に配置した作品、A・サン=テグジュペリの『人間の土地』のテキストを断片的に印字した30×10×10cmほどのブロックを集積させ、彼自身が乗っていた飛行機「コードロン・シムーン機」を3分の1サイズで縮小して型取った立体作品をもとに展開した展示など、名作の中のことばや文字をモチーフとして制作を行っているが、このことについて藤井自身は、「「読み(レクチュール)」のシステムを再検討することで、文字や言葉がいかに不確実であるかを再認識」し、「内側(イメージ)の声」を導出すということを述べている。ところで、彼がここで言う「内側(イメージ)の声」とは、テキストとして書かれた文字やことばに対して、私た自身が意識の中で自分なりのイメ−ジを構築し、そこに一種のキャラクター付けをするシステムをそう呼んでいるように思われるが、確かに私たちは、五感や意識を通して、たとえ同一のものに出会っても各人各様の感じ方で外界を知覚するのであり、そういった意味ではこの「内側(イメージ)の声」とは、人が個々に持つ世界の認識のための方法および力の「核」の部分を指しているといえるのではないだろうか。

 今回の展覧会では、原典であるエンデの物語の中でも際だった要素である「鏡」と「影」、そして「サーカス」などを主要なモチーフとして、実際の「鏡」と原典から引用したテキストとを組み合わせた藤井の作品や、「影」を思わせる墨色のイメージや文字をもとにした佐藤の作品、この文の冒頭で引用したジョジョとエリの歌の掛け合いのテキストをもとに佐藤がエリに部分を、藤井がジョジョの部分をそれぞれ担当して制作した作品、さらに、うらぶれた「サーカス小屋」をイメージさせる薄明かりの下での閉鎖的な空間演出をもって展示が構成される予定である。
 あたかも『サーカス物語』の本のページを開くようにしてこの空間に足を踏み入れる私たちは、エンデの物語が放つ、楽しげでありながらもどことなく哀しくて切ない独特の世界に、一時浸ることができるのである。
 ミヒャエル・エンデの戯曲『サーカス物語』のテキストをもとに、佐藤由美子による平面・オブジェ作品と藤井信孝による鏡を主にした立体作品が空間を構成する展覧会である。
 佐藤由美子の展示だが、ギャラリ−のほぼ中央部から、天井と壁際を頂点として三角錐が広がるようにベージュ色の帆布が床に向かって広がるように垂れ下がり、その表面には黒によるなぐり書きのような大小の文字で、ミヒャエル・エンデの『サーカス物語』から引用した、たとえば「自分は誰かも知ってるわ」「でもそれが見つからない〜」などのテキストが散り々に書かれ、布が床に付いた部分には黒々とした墨による大きな「うず」のようなイメ−ジが描かれている。また床には、ギャラリ−を横切るように同様に黒のイメ−ジが描かれた幅1mほどの綿布が6mほどにわたって敷かれ、彼女がつくり出すイメ−ジを大きく増幅させている。さらに天井からは、欠けた月を思い起こさせるような不定形のスチレンボードの両面に和紙を貼り、そこに墨で文字やイメ−ジを描いたものが、縦3連などのかたちに繋いで細いテグスで吊るされた計5組の作品のほか、今回のDMのもとになってる人のかたちをした二つの黒い切り絵の型と、リトグラフをもとにした小作品がギャラリ−の隅に展示された。なお、天井から吊るされ時としてモビールのようにゆっくりと回転を続ける作品の中の文字は、左右逆像のいわゆる「鏡文字」で描かれ、さらに一本のテグスに連なるいくつかの欠片を一つに繋ぎ合わせると「月」のかたちが現われ、それらは、この展覧会の原典である『サーカス物語』に重要なモチーフとして登場する割れて飛散する「鏡」の欠片を暗に象徴しているのである。
 一方藤井信孝は、「影」や「月」を表す佐藤の作品に対して、『サーカス物語』の最も重要なモチーフの一つである「鏡」を実際に素材として用いた展示を行った。彼の展示の中心となるのは、たとえば「もっとしゃべってくれ。いまいったその男のことを」「きみはどうして知った? 一度でも会ったのか?」「むかしむかしの ある思い出をよびさます」など、『サーカス物語』の中のテキストが表面に縦書きで印字された、20×180cmタテ長、鏡面のレリーフ作品を、壁面に等間隔に8枚横並びに設置した作品である。またこの斜め向かいの壁面には、55×29cmヨコ長の鏡2枚をあたかも本が開くようなかたちで両翼にすえ、その中心には今回の展示のおおもとである「どこからきたかわからない〜」で始まる『サーカス物語』第6景のテキストがかすれた小さな文字で印字されており、この鏡は、会場全体の情景や来場者である私たちの姿を歪みを伴って映し出すと共に、天井から吊るされた佐藤の作品の中の「鏡文字」を正しく読み取らせてくれるのである。さらに藤井は、35×29cmヨコ長の白い額に11.5×20cmヨコ長の小さな鏡が収められ、そこには「さあ明日国に ぼくが案内しよう」というテキストが解読が困難な「鏡文字」で記された小作品を展示した。
 ところで、この会場を見回してみたときにまず感じるのは、藤井が設置した鏡の作品によって壁面にはバーチャルな空間の奥行きが生まれ、また鏡に反射する照明光が壁面や床にもたらす光の帯と、佐藤の作品によって壁や床にできる影のかたち、作品自体の中に描かれた影のイメ−ジとが強いコントラストをなして交錯することで、視覚的な「光」と「影」の効果が強調されているということである。それに加えて、藤井の「鏡」に佐藤がつくる「影」や「鏡」のイメ−ジが映し込まれ、さらに両者の作品における『サーカズ物語』のテキストがシンクロすることで一つの空間が完成することにおいて、互いの作品に含まれる「意味」の深化がなされ、私たち観客の意識の中で想像上の空間の拡大が成し遂げられるのである。
vol.13 佐々木環 × 高島彩夏 『CROSSTALK 〜増殖と交錯のかなたに〜(2003年6月に開催済み)【目次に戻る】
 「我−個−存在−死亡−未亡人−笑顔−北朝鮮−フセイン−ブッシュ−アメリカ−戦争−平和−ピース−スピーク−スピーチ−マイク−真木−バラ−花びら−押花−しおり−目次−検索」。これは、今回展示を行なう作家の一人、高島彩夏の作品に現れる「ことばの連鎖」である。ここでは、彼女が無作為に選んだある一つの単語を発端にして、そこから連想に連想を重ねて次々とことばが変化し、ところどころで枝分かれしながら「連鎖」が拡大してゆくが、ことばのこうした連なりが延々と増殖してゆく様は、遠目に見ると樹系図さらにはDNAの塩基配列をも思わせ、ある部分に近寄ってことばの連鎖の中にはまり込んでみると、高島の意識がつくり出した迷宮をさまよい歩きその思考の道筋をたどるような、不思議な感覚を体験することができるのである。
 一方、もう一人の作家・佐々木環は、「くらげ」を中心的なモチーフとした木版画やリトグラフ等の版による作品や、墨色によるドゥロ−イングの作品、ときにはオブジェ作品なども制作しているが、その中でもひときわ異彩を放つのが、幅約1メートル、長さ数メートルにおよぶロール紙の上に墨の線で、互いが重なり合い次々と増殖してゆくような「くらげ」のイメ−ジを描いていった作品である。ここでは、それそれの「くらげ」から伸びる長い足はいたるところで絡み合い、ところどころで複雑かつ奇怪なかたちの塊をつくり、それらは制作が進み増殖が広がるにつれて、支持体である紙の空白を急速に浸食してゆくのである。また、本来は半透明で透き通る「くらげ」の外見を受けて、紙の上の「くらげ」のからだは描き残された余白となっているが、そうした余白同士が重なり合うことで、そこには無数の小さな空間がイリュージョンとして現れ、それらが「足」を示す線の塊とさらに絡み合うことで、どちらが図の部分でどちらが地の部分か判然としないような、オールオーヴァーともいえる画面がつくられているのである。

 今回行われる『CROSSTALK 〜増殖と交錯のかなたで〜』は、高島彩夏による「ことばの連鎖」と佐々木環による「くらげ」のイメ−ジをもとにした巨大なドゥロ−イングを中心に据えて空間が構成される展覧会である。
 まず床は、佐々木のドゥロ−イングが描かれたロール紙が敷かれて覆われる。また壁面には、幅数センチほどに切った細長い和紙に高島による「ことばの連鎖」を記したものが互いに交錯しながら無数に連なり、あたかも巨大な樹系図にも見えるそれらの作品の隙間を埋めるようにして、「くらげ」のかたちをもとにした佐々木による木版画の断片がさらに貼られることで、空間全体が「連鎖」と「増殖」を源とするイメ−ジで覆い尽くされるのである。
 このプランから、展示の状況をさらにこと細かに思い描いてみよう。展示空間を遠目に見ると、ギャラリ−全体が墨色の線の連なりで覆われていることにまず気付かされるだろう。また、細かな線の絡み合いは、その隙間の部分に無数の空白を背景としてつくるが、本来白く塗られたギャラリ−空間の存在感をことさら際立たせるそれらの「空白」は、それ自体が作者の想定外の「間」となって、数限りないイメ−ジを新たに生み出すのである。
 そして、壁面や床に設置された作品に近寄り描かれたイメ−ジを読み取ろうとすると、この空間に対する印象は一変するだろう。まず壁面では、高島による「ことばの連鎖」を順を追って読み進めることに心がとらわれるが、徐々に佐々木による墨色で表された「くらげ」のイメ−ジが、床で展開する細かな線の絡み合いと共に視界に入ってくるようになる。そうしているうちに、ことばの連なりと線のつながりが視覚の中で混ざり合うことで、双方共に同様の印象を放つ存在に見え始め、さらには、高島のことばはなんら固有の意味を持たない「線」の塊に、逆に佐々木の線は、記号のようであるけれどもそこに複雑な意味を多分に含んだ、読むことのできない「言語」にも思えるようになるのではあるまいか。二人の作品が絡み合う姿を思い浮かべると、そうした想像にとらわれてやまないのである。
 線とことば、意味とかたちが増殖し互いに交錯するこのモノクロームの空間の中で、私たちはどのようなイメ−ジを見い出すことができるであろうか。
 高島彩夏による連鎖する言葉が地中の根のように壁面を覆い、その隙間や床面が佐々木環による細かな線を主とした版画作品およびドゥローイング作品で埋められた展覧会。
 ギャラリ−の壁面には、円形を主とする細かな白の線で複雑な文様が縁取られた薄い黒の紙および、多数のきわめて細かい文字が線で繋がり合って描かれているベージュ色の和紙をそれぞれ大小さまざまなかたちに千切ったものが、気流のような流れを構成するように混ざり合いながらランダムに虫ピンで留められている。文様による黒い紙の作品は、佐々木環による「くらげ」のかたちを形象化させたイメージをもとにした60×40cmほどの木版画を、5〜60cmほどのさまざまなサイズに手で千切って計260ピース分つくったもので、そこに描かれた幾重にも重なる円は、互いに連なり合いながら増殖しさらに大きなかたちを生み出してゆく。そして、一枚の不定形の紙片の中に収められた白線の塊は、ギャラリ−の壁面に分散することで、何も作品が貼られていない壁の余白を乗り越えてさらに大きなかたちとなる姿を私たちに空想させるのである。
 一方ベージュ色の紙に描かれているのは、高島彩夏によって、あることばをもとにさまさまな思考の方法を尽くして想像を広げていった末にできあがったもので、たとえば「ちどり足−よっぱらい−酔い−よいどれ−奴隷−帯−着物−ゆかた−そで−ヒラリ−ピロリ−菌−SARS−台風−嵐」というように、ことばの意味だけではなく、語感も含めて次々と自由な発想が飛躍しながら書き込まれていった作品であり、7〜40cmのサイズで千切られた260枚あまりの紙片は、虫ピンでラフに留められライトで照らされることで、壁面にくっきりとした紙の陰影を生み、それは気流の中を細かな雲が移動しつつ浮かぶような不思議なイメ−ジを想起させるのである。
 さらにこの展覧会では、壁面の黒い文様の作品と同様の円形をもとにした無数のかたちを、113cm幅という大画面のロールの水彩紙をびっしりと埋めるように複雑に連なり合うように墨で描き、その中にはさらに、細い触手を多数生やした3 〜15cmほどの無数の「くらげ」のイメ−ジが画面そこかしに加えられた佐々木による作品が、ギャラリ−の床を長さ5m強にわたって横切るように設置された。床を覆うこの作品は、部分的には余白が大きく空けられベージュ色の紙の地色が露出しているが、この色彩は、壁面に取り付けられた高島の作品における和紙の地色と視覚の中で呼応し合い、また、墨で描かれた「くらげ」を含むイメ−ジは、佐々木による壁面の版画のイメ−ジと、ネガ・ポジが反転するように黒の部分と白の部分が互いを補い合いながら視覚の中で重なることで、展示空間の密度を著しく高めているが、これがモノトーンのみで表されていることがさらにイメ−ジの抽象性を高め、空間の中でのイメ−ジの広がりを増幅させている考えられるのである。
 なお今回の展示では、木材による35×45×高さ90cmサイズの自作の棚が2個つくられ、佐々木はその内の一つに35×25cmの木版画作品および作品ファイルを、もう一つに高島は、「ことばの連鎖」ですべてのページを埋めた24.5×21.5×1、22ページのアーティスト・ブックおよび作品ファイルを設置した。
Vol:14高草木裕子 × 永瀬恭一 『形景』 (2003年7月15日〜7月20日)    【目次に戻る】
 一般的に絵画では、紙やキャンバス、パネルなどの支持体の表面にさまざまな種類の絵具などが塗られることで、作者が意図したイメ−ジがはじめて具体的に表される。そういった意味では絵画におけるイメ−ジは、逆説的な見方かもしれないが、「絵具」という物質が作者の意識および描くための身体を通して色やかたちなどの絵画的要素に置き換えられたものであるともいえるだろう。
 ところで、私はこの場で「絵画」という語を半ば意図的に使用してきたが、支持体と絵具などの素材でつくられる作品は時として「平面作品」という名でジャンル分けがなされることがある。この「平面作品」という呼び名は、文字通り二次元的な形態のものを指しもするが、キャンバスや紙などの平面上(二次元上)に何らかのイリュージョンをつくり出す旧来からの作品以外のもの、たとえば何らかリュージョンが表されずに画面そのものが一つの物質と化した作品や、固形物など絵具以外の物質が素材に使われた作品、映像や音響など他のメディアが混合された作品、画面上にさまざまな物質が積み重なることによって、形態の上で二次元からはみ出した「レリーフ」としての作品などに冠されることが多いように思われる。しかし実際に「絵画」と「平面」を分け隔てるのは個々人の美術に対するとらえ方次第であって、そのための確かな基準があるわけではなく、人によっては具象作品を「絵画」、抽象作品を「平面」ととらえるかもしれない。
 冒頭でも少し触れたが、私自身は「絵画」であるための第一の条件として、まず作者の意識の中に何らかの「イメ−ジの素」があり、作者の身体が介在する制作行為(絵具を筆で塗る、コンプレッサーで絵具を吹き付ける、鉛筆やパステルを擦り付けるなど)を通して絵などの「素材」をキャンバスや紙、木材などのさまざまな支持体に密着させ、そうした行為の末に、作者の意識の中に生まれた「イメ−ジの素」がある瞬間に色彩およびかたちに姿を変えて画面上に立ち現れることであると考えている。もちろんここで出現するのは作者のイメ−ジを表すイリュージョンではあるが、それが単に作者の思い描いたイメ−ジの「身代わり」あるいは文字通り「幻影」となるのではなくそこに現れた色やかたち自体がイリュージョンを超え、観る者の意識を揺さぶるような新たなイメ−ジとして再生されてこそ、真の力を伴った絵画作品と呼べるような気がしてならない。
 さらに、これは絵画としての必須の条件ではないが、絵具などによって塗り分けられる、あるいは区分される「図」の部分と「地」の部分とが写真のネガポジのように互いを補完しその存在感を高め合うことも、絵画の制作にあたっての重要な要素であると私は考えている。特に近年の絵画では、通常「図」つまりモチーフと「地」つまり「背景」の二つの描き分けが画面の中ではっきりと他者に示されることはさほど多くはなく、どちらかといえば、それは作者の意識の中で区分けされる部分なのかもしれないが、この「地」と「図」が同一画面の中に含まれる以上、たとえ視覚には映らなかったとしてもそこには必ず両者を別け隔てる「境界」が生まれる。
 たとえばこれはごく単純な例ではあるが、一面緑色の色面の上に青色の正円が描かれる場合と黄色の正円が描かれる場合や、同色の円が描かれるにしてもその直径が明らかに異なる場合、あるいは同色、同サイズであっても一方が正円でもう一方が多角形の場合、また色もサイズもかたちも同じなのに、一方の輪郭は鮮明でもう一方のはぼやけている場合などで、作品から受ける印象は明らかに異なってくるが、この「境界」を色とかたちの組み合わせの中でどのように表すかによって作品自体の性質は時には大きな差異を見せ、さらにそこには制作に対する作者の考え方が色濃く現れると考えられるのである。
 
 物質としての絵具が、作者のイメ−ジを背負ってどのような瞬間に、そしていかように色やかたちに姿を変えて画面の中に現れるか。さらに、色とかたちの関係の中で「地」と「図」はどのような関係を伴って描かれ、両者の関係はいかように表されるか。これらは、私が絵画作品の在り方を決定付ける要素としてとらえているものだが、今回、高草木裕子と永瀬恭一の作品によって構成される『形景 』は、この二つを起点にして絵画の在り方を今一度問い直すという趣旨のもとに企画がなされている。
 高草木裕子は、緑や黄色、赤、パープルなどの原色を、透明度を落とした上でつくったような色彩を主にした油絵具が、陰影や細かな筆致を最小限に押さえてにシンプルかつ平面的に塗られることで、円形や楕円形をもとにしたかたちや植物を思わせるような有機的なフォルムのモチーフが、やはりシンプルな色面が際立つ背景の中に浮かぶように描かれた絵画作品を主に発表しており、近作では、色彩やタッチを重ねながらも単一のイメージを放つ背景の中に、同じく単一のイメ−ジが表されるというようにそのシンプルさが強化されている。曲線の組み合わせによる、あくまでも有機的な印象を放つ彼女の作品の中のフォルムは、前述したように植物の種や実などさまざまな様態を時として思い起こさせるが、絵具を混ぜ合わせて人工的な不透明度を伴う色彩をつくり、さらにそれを塗り重ねてゆく行為の中で画面に現れるこれらのかたちは、たとえば自然物などのイリュージョンとして表されるだけではなく、彼女の意識の中にあるイメ−ジの「素」を、私たちにさまざまなものを想像させる存在へと再生させるのである。
 また、高草木の作品では、「かたち」の背後に置かれた地としての色面も、構図のシンプルさゆえにモチ−フと同等の重要な意味を担っている。つまり、図である描かれたかたちと周囲の地の部分は、その境界線を境にして互いに密着しているわけだが、高草木の作品、中でもとりわけ地と図が一対一の重みを担って塗り分けられることが多い近作では、モチーフであるフォルムは背景の色面の中から時として切り抜かれるようにも表現され、さらに地となる部分は、モチーフを示す「かたち」の空洞を含みつつ、作者が意識の奥底で感じたある「空気」を絵画的な「空間」に置き換えて表し、それらが交錯する様は、どちらが地でどちらが図であるかは容易には特定することのでない多層的なイメ−ジを画面の中に生み出すのである。
 一方永瀬恭一は、四肢や肘、膝の間接から先の部分や顔の造作が省略され、その周囲はまとわり付「影」を思わせるような黒の線やしみで占められた、人体の漆黒のシルエットあるいは身体に密着する衣類をまとう女性などをモチーフとする、1m以上もの大きなサイズの銅版画作品を当初は制作していたが、最近行われた個展では作品の外見的な様相は具象的なものから抽象的なものへと一変し、綿キャンバスを裏張りした後ジェッソで下地をつくり、その上からアクリル絵具で「しみ」のようなイメ−ジを表した横幅3m近くの大画面の絵画作品を発表している。
 これらの近作は、燈色、朱色、黄色などの絵具をキャンバスの布地にしみ込ませるように薄く伸ばし、段階的に数種類の濃度差を付けながら刷毛などで塗布することで制作がなされているが、そうすることで生まれる環礁もしくは等高線のようにも見える色彩の濃い部分は、絵具の「しみ込み」がつくる半ばぼやけた境界線を境にして、その周囲に広がる薄い色彩の部分と時にはどちらが上でどちらが下か判別できないような重なり方で交錯し、それは、地と図の差異が存在せずに、絵具による「色」のみがキャンバス上にあって確かな「かたち」が現れないような、独特の表現を成り立たせている。そして、色を表すための物質である絵具と支持体であるキャンバスとが「しみ込み」を通して渾然一体となったものと、制作者が生んだイリュージョンとしての「イメ−ジ」という二つの存在が相並び立つ永瀬の作品では、通常は制作者のみが感じ取ることができるはずの「絵具」が「イメ−ジ」へと生まれ変わる瞬間を、作品を観る私たちにも何とはなしに感じ取らせてくれるのである。

 有機的ともいえる不定形とそれらを取り巻く背景における色彩の微妙なバランスが、地と図の両方の要素にそれぞれ固有のイメ−ジを与えることで、実にシンプルな色やかたちをもとにしながらも多層的な画面がつくられる高草木裕子の作品と、独特の手法によってキャンバスに生み出された絵具の「しみ」が、地と図の交錯の中でつくられる一つのイメ−ジを表しつつ、絵具と支持体という絵画にとってはなくてはならない二つの「物質」の存在を思い出させる永瀬恭一の作品。これらは、もとは単なる物質である「絵具」が、制作者の意識の中で思い描かれたものを表す「かたち」や「色彩」へと変容する過程の中でそこに新たなイメ−ジがつくり出されるという共通項をもって語ることができると私は考えているが、この二人の作品がそれぞれ放つイメ−ジが交わる展示空間の中で、私たちは絵画におけるイメ−ジの在り方についてその本質をしばし垣間見ることができるだろう。
 絵画における地と図の両方を持ち合わせた作品の創出および、絵の具という物質が絵画の制作を通してイメ−ジに変わる瞬間について考えることを主旨として、高草木裕子と永瀬恭一によって行われた展覧会である。
 高草木は、F50号タテ長のキャンバスに油彩で、渦を巻くようなかたちを描いた作品4点をメインの展示とした。これらに描かれたかたちは、あたかも「巻き貝」のように天の方向に向かって渦を巻く三次元的な形象がモチーフとなっているが、4点の内の2点は薄いピンク色に、残りの2点は朱に近い色彩がもとになっている。そして、それぞれの渦を巻く部分や輪郭に近い部分には陰影がつけられ立体感が強調されているが、その一方で渦の先端に向かうにつれて描写は平面的なものへと移行し、さらに、画面の下部に描かれた円形をもとにする「台座」のような形象も同様に平面的に表され、この組み合わせは、二次元的な要素と三次元的な要素を併せたような特異な外観をモチーフにもたらしている。
 ところでこれらのかたちは、朱あるいはパープルをもとにした色彩による背景の上にのせられているが、比較的薄い色のモチーフには濃い色の背景が、濃い色のモチーフには薄い色の背景が置かれるというように、それぞれが趣きが微妙に異なる4点の中で、二点ずつ二組がちょうどネガとポジの関係になるような色彩のバランスが取られて展示がなされたのである。
 この展覧会では、絵画における「地」と「図」の関係についての言及がテ−マとなっているが、彼女の作品の中でも、濃い色彩によるモチーフの作品では、背景は青とパープルを併用したような色彩を重ね合わせ、いわゆる「絵画的」な筆のタッチがあくまでもフラットに付けられたモチーフは、背景の空間から飛び出したような印象を与え、一方薄い色のモチーフの作品では、背景は1点は赤に、もう1点は濃いパープルで平面的に塗られ、その色の落差によってモチーフは、背景の奥の方で切り抜かれたような印象を放つのである。そして、飛び出して見えるモチーフと切り抜かれて見えるモチーフという、互いの要素を補い合うような関係が見い出されるこの4点が横並びになることで、4つずつあるモチーフと背景が一作品ずつの枠を逸脱して観客の想像の中で自由に組み合わさるような、イメ−ジの組み替えともいえる不思議な感覚を時として体験することができるのである。
 永瀬は、縦は90cmで、左側の一枚は横幅250cm(「コトバの粒子」と題された)に、右側の一枚は280cmサイズ(「気象」と題された)につくったパネルに綿キャンバスを張り、そこにアクリル絵具で、薄いイエローからやや薄いオレンジまで色彩を数段階変えながら、縦6cm、横4cmほどの楕円形のイメ−ジが何層にも積み重なるようにして画面につくられた2点の横長の作品を、2面の壁に沿って90°開くように設置したものがメインの展示となった。
 彼の作品は、裏張りした綿キャンバスにジェッソで下地を塗り、その上からアクリル絵具で「染み」のようなイメ−ジをつくったものをパネル張りするという方法で制作がなされる。今回の作品の画面は、きわめて色彩の似通った小さな楕円形が無数に重なり合って一つのイメ−ジが生み出されるという点描にも似た技法がとられているが、それによって、やや離れて見ると、楕円同士のエッジの重なりが浮かび上がって同系色ながらも多種の色が使われていることがわかり、イメ−ジがつくる「かたち」を明確に認識することができきる。一方画面に近寄ってみると、それぞれの楕円が表す色彩は視覚の中で膨れ上がったように感じられ、個々のかたちから沸き上がったようにも見える色が視界で混ざり合うことで、そこにはどことなくぼんやりとしたイメ−ジが発見される。つまり永瀬の作品においては、色彩によってかたちが表されるのではなく、かたちが色彩を表すということが重要な特徴となっていると思われるのである。
 これをこの展覧会の主旨である絵画の「地」と「図」の関係性に沿っていえば、モチーフを構成するべきかたちは、絵具で塗られた色彩が重なり合ってつくる全体のイメ−ジをもって表され、背景を表すべき色彩はモチーフのかたちの中から浮かび上がるという、モチーフとしての「地」と背景としての「図」は、区別されることなく、互いに補い合って画面の中で一つのイメ−ジを生み出すことにおいて、「地」と「図」の二つの要素の逆転と交流が同時に行われているといえるのではなかろうか。
 ところで二人の作品が並ぶ空間では、左側には永瀬の作品が、右側には高草木の作品が展示されたが、永瀬の展示では横長の大きなパネルの上下には60〜70cmほどの余白がそれぞれ開けられ、作品に含まれるイメ−ジを視覚が一目でとらえられ易くなっていることで、視覚の中でかたちと色が混ざり合い新たなイメ−ジが生まれるための手助けをすると共に、この余白は、高草木の作品(117×91cm)の縦部分よりも永瀬の作品の縦部分(90cm)の方が短いことも相まって、50号大とそれほど大きくはない高草木の作品を実際のサイズ以上に大きく見せる役割を果たしている。また、それぞれの作品の「地」と「図」の関係においては、色彩とかたちとが互いにネガとポジがの役割をもって反転するような性質を含んでいるという点で、共通の要素を見い出すことができるのである。
 なお、両者ここで述べたメインの作品のほかに、高草木は「渦」を巻くイメ−ジを小さな画面に収めた、朱とピンクあるいは青とピンクの組み合わせによる、F5号縦長のもの5点を、永瀬は楕円形のような明確なかたちは現れず、枠の内側で全体の中の一部分を表すような、F5号縦長4点および30×30cm4点を併せて展示した。
Vol:15 木村史子 × 古瀬えり子 『かがやける闇 〜なしくずしの死〜(2003年8月26日〜8月31日)    【目次に戻る】
 1970年代を駆け抜けるようにして早逝した伝説のジャズプレーヤー・阿部薫の音をはじめて聴いたのは、彼が没してから6年後の1984年、私が19歳の時だった。その前年にいなかから上京してきた私は、ちょっとしたきっかけから新宿・ピットインに足を運ぶようになり、山下洋輔や富樫雅彦等インプロビゼーションの洗礼を既に受けてはいたが、阿部薫の音は、レコードによる再現であるという点を差し引いてもそれらのどれとも異なり、音楽に限らず他のどのようなものにも例えることのできない衝撃を内に含んでいた。
 そのとき聴いたのは『なしくずしの死』、場所は、入学したての美大で何とはなしに親しくなった5歳年上の同級生が住むアパートの一室で、たった一本のアルト・サックスの咆哮が部屋の空気を覆いつくし、その合間にときおり流れる繊細なメロディーに心を打たれた。かろうじて1970年代・東京のアンダーグラウンド・シーンを浪人中に体験した彼が、その中でも特別な想いを持って精神的拠り所としていたのが阿部薫のアルバム『なしくずしの死』であり、彼の存在と阿部薫の音を通して、「1970年代」というどことなく暗く、そして私にとってはその中にまばゆいばかりの「生」の発露を秘めた時代への憧憬が一気に押し寄せてきたのである。
 ところで、日本の1970年代とはどのような時代だったのだろうか。一般的には、1970年の大阪万博から加速する高度経済成長によって日々の生活が飛躍邸に豊かになってゆく傍ら、その代償でもある公害の拡大や、1960年代の安保闘争に端を発する政治犯罪の武装・凶悪化に伴う治安の悪化、外に目を向けると米ソ冷戦をもとに1960年代に始まったベトナム戦争に続き、カンボジア内戦、中東戦争をはじめとする国際情勢に対する不安など、繁栄と破滅への予感がない混ぜになっての大いなる混沌に支配されていた時代であったとされる。そしてこの混沌は芸術・文化の中に、寺山修司や唐十郎らの演劇、さらには前衛美術、舞踏、フリージャズなどに代表される「アンダーグラウンド」という暗く尖った異種を産んだ。その中でもひときわ暗く、しかし輝きを放っていたのが阿部薫によるジャズ・インプロビゼーションなのではないかと、レコードの音源のみによる乏しいながらも衝撃的な体験の中で私は確信しているのだ。

 今回企画された『かがやける闇 〜なしくずしの死〜』は、イラストレーションを主に制作する木村史子と古瀬えり子の二人が「阿部薫」という存在にスポットを当てつつ、すでに四半世紀が過ぎた1970年代という時代を個々の作品をもとに現在に甦らせようという趣旨を含んで行われる展覧会である。しかし、実際には当時を体験していない私よりさらに7歳若い、1972年生まれの古瀬にとっての1970年代は幼少の記憶でしかなく、さらに1977年生まれの木村にいたっては一片の記憶すら残っていないはずである。そんな彼女たちが表す「1970年代」とはいかなる様相のものになるのだろうか。
 この企画の発端を語ると、古瀬は本来、1960〜70年代のカルチャーの中で使われたテキストを、その時代の暗さを背負った若者たちの姿をもとにしたイラストレーションと併せて描いており、その作品をまとまったかたちで見てみたいという希望がまず私の中にあった。一方の木村は、美しく繊細な線をもとに女性の姿などを描いているが、そこに登場するキャラクターに暗い陰りが加わることで生まれるであろう画面の深みを見てみたいという気持ちから、このテ−マによる二人の組み合わせを思い立ったのである。そして1970年代のシーンの中で、おそらくこの時代をリアルタイムで過ごした者でも、ジャズやアングラにことさら強い興味がなければほとんど見知らぬ人物であったはずの「阿部薫」を主題とするというプランは、初期のミーティングの場に参考資料として私が『なしくずしの死』のテープを持ち込んだことも関係しているかもしれないが、最初は古瀬からもたらされた。その時点では、木村にとって阿部薫は全く未知の存在であった。しかし最終的には、阿部薫のパートナーであり彼の死後そのあとを追うように自死した詩人・鈴木いづみの姿が、木村独特の描写で作品の中に描かれるようになり、それは阿部薫という存在を含めた当時の時代の暗さやかがやきが描き出されるであろう古瀬の作品と対照をなし、この時代の気配を感じ取れるような深みのある展示を予感させるのである。
 では再び、今の時代になぜ阿部薫を表そうとするのか。これは私自身の意識の中に常に巣くっている想いでもあるが、彼が発した音、彼がまとっていたであろう破滅の気配は、「死」の縁に在るときこそなおさら激しく輝く「生」を実感させるものであり、その普遍性は四半世紀を隔てた現在においてもなお損なわれず、生の実感を追い求めようとする者たちに強い衝撃を与え続けるのである。そしてそれは、木村や古瀬にとっても体感し得る感覚であるはずで、もとより危うい繊細さを含んで成り立っている両者の作品は、決して1970年代という過ぎ去った時代を回顧するだけにはとどまらす、「死」に裏打ちされた「生」のかがやきという普遍的なテ−マを表すことができる可能性を十分に秘めていると思われるのである。

 最後になったが、二人の作家をあらためて紹介しよう。
 木村史子は、からだの輪郭や衣服のしわなどがペンによる必要最小限に近い線で描かれ、しばしばガッシュによる淡い色彩の背景が添えられた、主に女性の姿をモチーフとするイラストレーションを制作しているが、その姿は常にどことなくはかなげで、繊細にゆれ動く女性の内面を表しているようにも思われる。また彼女の作品には、ソファーや無造作に本が積み上げられたテーブルなどの室内の光景や、さまざまな植物が登場することがあるが、それらはあくまでも無機質かつ端正に表され、画面に流れる繊細で張りつめた気配を増幅させるのである。
 古瀬えり子は、インクやアクリル絵具、サインペン等によって、1960〜70年代の文学や映画、音楽などから着装を得た人物中心のイラストレーションを、ときには原典から抜き出したテキストも添えながら、主にモノトーンの色彩をもとに制作を行っている。細い線を丹念に重ねてつくり出した深い陰影は、描かれた人物の心の陰りを表しているようでもあり、簡潔なフォルムの輪郭線にときおり幾何学的な文様を加えたこの時代独特ともいえる衣服デザインの描写は、過ぎ去った時代の気配だけではなく、古瀬独特の審美感を強く打ち出す役割を果たしている。また、何かを見据え問いつめるような「眼」の表現も、絵の中に一個の人格を宿すようなリアリティーを感じさせるのである。

 主にモノトーンの繊細な線による人物の姿。その中に渦巻く心情を冷静に見据えるような抑制の効いた描写。木村と古瀬の作品に共通するこうした特徴をもって浮かび上がる「阿部薫」さらに「1970年代」は、私たちの心にどのような衝動を呼び起こしてくれるだろうか。この展覧会で作品の中に描き出されるであろう人の心の暗闇に明滅する光を探しつつ、今甦る過ぎ去った時代の気配を体験していただきたいと思う。
  (Gallery ART SPACE 篠原誠司)
 1970年代を駆け抜けて散った伝説のジャズ・プレーヤー「阿部薫」を題材に、木村史子と古瀬えり子のイラストレーションによって構成された展覧会。
 木村の展示は、B3サイズ1点、B5サイズ6点、A1サイズ2点、A3サイズ1点、A4サイズ14点、A5サイズ5点、A5サイズ2点を縦につないだもの1点の計23点で構成されたが、そこには、さまざまなサイズのパネルや紙に、ペンによる繊細な輪郭線と、ガッシュによるピンクや青など彩度の強い色あるいはつや消し黒の彩色をもとに、さまざまな姿態、さまざまな表情の女性のポートレートが主に描かれている。この女性は、今回の展覧会のテ−マである「阿部薫」の妻・鈴木いづみを暗にモデルとしていると思われるが、長く伸びた黒髪は絵具を塗り重ね、からだの部分は輪郭線で囲むように描かれ、強い意志を宿したような眼は、木村が想像する「鈴木いづみ」という女性を性格を強く印象付けるのである。
 またこれらの作品は、彩度の高い絵具による色彩のかたまりにも見える部分と、繊細な線描を伴う空白をうまく使った部分が、画面の中で絡み合うようなバランスによって現れているが、その対比も、描かれた人物やイメ−ジを際立てる一つの要素になっているのである。
 一方古瀬は、A4サイズの水彩紙に主に黒のペンやインクによる繊細な描写で、「阿部薫」の姿をイメ−ジさせる男性を表わす9枚一組の作品のほか、1970年代のものと思われるファッションをまとう女性の姿、その当時の世相を示すような新宿を思わせる街の光景などを、濃い陰影を伴う精緻な写実で描いたもの計30点によって展示を構成した。
 画面に表わされたそれぞれの人物は、顔のみが描かれたものや全身が描かれたもの、あるいは街並みを背負って描かれたものに別れるが、それれの人物の眼は一様に影を宿したような、そしてどこか一点を虚ろに見つめるような様相を表し、それはこの展覧会のテ−マとなっている1970年代をイメ−ジさせる、どこか影をひきずったような独特の雰囲気をそこはかとなく漂わせている。
 また、白の地に黒を乗せて表わされたこれらの作品の多くは、あたかもネガとポジに別れれるように強いコントラストをもって画面を構成しているが、視覚的にも強い印象を生むこうした表現が、そこに描かれた人物のキャラクターにことさら強い存在感を与えていると思われるのである。
 ところで、「阿部薫」をモチーフとしたこの展覧会は、かれが1976年に発表した代表的アルバム「なしくずしの死」を一つのキーワードとしているが、ここでは、二人が制作したイラストレ−ション作品のほか、このアルバムの音源となったコンサートのポスターを模した作品をそれぞれがつくり、それはDMの一部に使われたほか、ギャラリ−の中央に置いた60×90cmほどの立て看板に表裏で貼られ、さらにそれ以外のアルバム「NORD」「1972 Winter」も加えて当時発売されたLPレコードを二人それぞれのイメ−ジで、30×30cmのジャケットの絵と10cm円形のレコードレーベルを模したものとを、作品として新たに描き起こすという試みが行われた(「なしくずしの死」は古瀬が、その他は木村が描いた)。
 また、二人が今回制作した作品は、個々で選び絵に添えた阿部薫あるいは鈴木いづみにまつわるテキストと合わせたものなどをカラーコピーを使い印刷・製本した、A5版60頁あまりの本としてまとめられ展示・即売された。
 ギャラリ−に足を踏み入れると、会場にはCDによって阿部薫が吹くサキソフォーンの音楽が常に鳴り響き、その音に浸されながら観る二人の作品が一面に展示された壁面は、モチーフとなった1970年代と現在とを繋いで同列とする役割を果たし、そうした空間に身を置くうちに、そこに展示された作品の中のイメ−ジや、そしてスピーカーから流れる阿部薫の音さえも、今ここに在る以外の何ものでもない、時代を超えた普遍的な存在としてい感じられるようになるのである。
vol.16 高橋理加 × 田通営一 『影の劇場』 (2003年9月16日〜9月21日に開催済み)  【目次に戻る】
 モノが光に照らされるとき、たとえそれが微弱な光量だったとしてもそこには必ず「影」ができる。そうしてみると、光がなければ生まれ得ない影とは光の一部であり、光がモノと結び付いて姿を変えた存在だとすることもできるが、私たち自身の影について考えてみると、その性質はやや趣きを異にする。
 確かに「人」も突きつめれば一個のモノに過ぎず、そこにできる影も 他のあらゆるモノの影や、同じ生き物である動物や虫のそれとなんら異なるところがないはずだが、明確な意識や意志をもって行動する私たちは、他者の影については一個人の意志が含まれる分身として、自己の影については自身の身体の延長として、その存在を無視しの内に受け容れているのだ。
 ところで私たちは、「光」がある限り、すなわち現実世界の中にいる限り、切っても切れない存在であるはずの「影」に対して、「あって当たり前」という観念も手伝ってあまりに無頓着である。それは、「太陽は東から昇って西に沈む」「誰にとっても生命の終わりは訪れる」などといった、十二分に承知していながらも日常の中では忘れられがちな真理に相通じる部分もあるが、私にとっての影は、たとえば暗闇に街灯が灯る夜道を歩いているときに自身の足下から路面に短くのびる影に、それ自体が自身の分身であるかのような非常にリアルな存在感を感じることがしばしばある。それは、視界を覆う薄暗闇の中に浮かぶ影が視覚の上では劇的な効果を助長しているという面もあるが、自身の身体の動きと完全に同一化して現実の中にある影が、鏡や映像などのイリュージョンではなくして、「私」そのものの存在を視覚によって客観的に表わすほぼ唯一の方法であるということがその根拠にあるのではなかろうか。つまり、光が現実の中に落とした自身の影を通して、意識の中に築き上げられた自分自身の実像のリアリティーを実感することができるのである。

 高橋理加と田通営一の作品によって構成される『影の劇場』は、「影」およびその大もとにある「光」によって表されるイメ−ジが展覧会のテ−マとして全面に打ち出されているが、その根本的な部分では、「影」の主体である私たち自身の在り方を問うことを暗に趣旨としている。
 高橋理加は、最初は日本画に使われる岩絵具による平面作品をつくることから出発したが、近年は、牛乳パックの再生紙をもとにして、小学生くらいのこどもや歩行期前の乳児をかたどった立体作品および、それを多数並べて空間を構成したインスタレーション作品へと移行した。これらの作品は、ときには実在のこどもをモデルにしてポーズを微妙に違えた数種類の型をつくり、そこから紙の「こども」たちを増殖させていったものだが、身体のサイズやプロポーション等がリアルに再現されながらも全身は紙の白色に覆われ、自家製の再生紙を素材とするがゆえに表面には粗目の凹凸が広がっており、その外見からは、あたかも人の抜け殻のようにも見える空虚な存在感が醸し出されている。また、作品全体を周囲を照らす光を吸い込むようにして色彩に染まり、その色彩あるいは質感も光の性質質を受けてさまざまな姿を見せてくれるが、それはさながら、本来光によって成り立つ私たちの影が実体をもって空感に現れた姿を想像させる。そして、高橋の作品におけるどこの誰とも知れない白い「影」の群れは、移ろいゆく時空の中に在るはかない私たちの「生」を、一瞬間凍結させたかのような、不思議な質感を示すのである。
 一方田通営一は、銅を素材とする器などの形状の立体の内部に水を張った作品を最初は制作していたが、近年は、たとえばギャラリーの照明のための電線をギャラリー内に引き込んで、床と天井を結んで垂直に立つ白い支柱にそのスイッチを組み込み来場者が自由にそれを操作できる作品や、同様にギャラリーの壁面に沿って付設された白い電線を、室内のコンセントから取った電流が流れる作品など、展示空間に含まれるある実質的な機能を取り込んで作品化することで、その中にもう一つの異空間を生み出すようなインスタレーションへと移行したが、そうやってつくられた二重の空間は、もはやギャラリーでもなく現実でもないというある意味空虚な場を観客に体感させる。
 田通が現在発表している作品では、色彩はほとんど白一色に統一されているが、もとよりその多くでギャラリー本来の壁面がむきだしにされ空間自体を露にするような彼の展示では、照明として使われる蛍光灯の光に照らされた空間の「白さ」は、紀和だった特徴として観客に記憶されることになる。そして、確かに田通がつくる空間は、視覚の上では空虚さが前面に打ち出されるが、しかし実際にその中にたたずんで見ると、周囲の空虚さゆえに、自分自身の存在感をきわめて強く感じ取ることができるのである。そしてそれは、作品がつくる白い空間そのものが、あたかも自己の姿が現実の場に投影された「影」の代わりになってその存在を支えているような、不思議な感覚の源になっているのではなかろうか。

 高橋理加と田通営一の作品共通性は、白色が際立った色彩とそこにつくられる空虚な空間性をもって語ることができるが、今回の展覧会では、本来は全身の立像として現れる高橋による紙の人体が、ところどころで影のように平面的な存在として床や壁の一部に貼り付き、田通が壁面に設置する大量の蛍光灯の光にそれらが照らされて、ギャラリーの空間自体と共に白く浮かび上がるという展示が予定されている。ここでは、高橋がつくる人型は、誰のものでもない影、ひいては「人」という存在そのものを象徴しているともいえるが、田通による蛍光灯が照らすギャラリーの空間自体も、彼本来の表現と同様に、その中に立つ者 −この場合は高橋による人体と私たち自身を指すが− の影としての意味を担っているように思われるのである。
 白い「人型」の影と、それを取り囲む「空間」としての影という、かたちとなって現れた二種の影が共有する場の中で、私たちは自身の存在をどのようにとらえることができるだろうか。
 互いに無彩色のドライなイメージを感じさせる両者の作品によって、「影」をテーマにした一種の劇場的な空間をつくるだすことを目指した展覧会。
 ギャラリーに入るとまず目に飛び込んでくるのは、入口右側の壁とその向かいの奥の壁に田通により設置された、計数十本の昼光色20W蛍光灯である。これらは、入口側には縦長に横5列×縦3列、奥には横長に横4列×縦5列、計35本取り付けられており、それが設置された壁面やその付近の床を白く、明るく照らし出している。この蛍光灯群は壁に直に設置されるのではなく、それぞれをの器具は、ギャラリーの実際の天井とまったく同じ材質・模様の石膏ボードを壁面にピッタリと敷きつめたものの上に取り付けられており器具の表面は、手前と奥でほとんど判別できないほどに微妙に色彩を違えた、同じ模様の花をあしらった布地で覆われている。また、壁面のボードは、蛍光灯が設置された方向(手前のものは上下方向、奥は左右方向)に模様の目の方向が合わせられ、その表面に刻まれ模様となった無数のくぼみやボードのつなぎ目は、手前の壁では黒く、奥の壁では朱色に塗られている。このように微妙に外見の異なる二つの壁は、一見するとほとんど違いがなく見えるが、空間全体を見渡しているうちに、同じ蛍光灯が使われているはずなのにどことなく光の色自体が異なっているように見えるという、観客の心理を知らずのうちに変える作用を果たしているのである
 一方、ギャラリーに入って正面の壁面および床には、牛乳パックの再生紙を素材として高橋が制作した、リアルな「人体」の立体作品が展示された。まず壁面では、壁から上半身のみ反り返るように飛び出したものが5体と(各140cmほど)、薄皮のような人型が3体設置されたがこれらは、高橋本来の、小学生をモチーフにややベージュがかった白色(牛乳パックの地色)で表面が覆われたものであるに対して、肘と膝を床に付けるようにして横並で床に置かれた5体と(約1m)、互いの頭部と足が重なり合い三つ巴になった薄皮の人型3体(約70cm)は炭墨のような色に着色され、それは、地面に現れる「影」がそのまま実体を伴って立ち上がるようなイメ−ジを観るものに感じさせるのである。そして、これらの黒い人体と対比されることで壁面の人型はより白い印象を強め、さらに天に舞うようなそのポーズと相まって、これらの作品は「人」や「影」を象徴するだけではなく、「天国」と「地獄」あるいは「善」と「悪」などといった相対して引き合う二つの要素を際立たせるのだ。
 ところで、密閉されたギャラリーに置かれたこれらの人型は、田通が設置した蛍光灯の光に照らし出されることではじめてその姿を露にするわけだが、ギャラリーの通常の光源とは異なるこの光は、高橋の立体にそれとはにはかに判別できないほどの微量な影を落とし、どことなくぶ茫洋とした存在感をそこに発生させている。
 「影」主要なテ−マとするこの展覧会では、高橋の立体は「影」そのものとして表されているわけだが、田通の作品が放つ光を浴びてはじめて可視のものとなる、人をかたどったこれらの「影」は、裏を返せばその光そのものの存在をかたちをもって示すことにおいて、高橋の立体は「光」と「影」という二つの要素を同時に担う不思議な存在としてとらえることもできるのではなかろうか。
vol.17 後藤充宏 × shin-ya.b 『blind_matter』 (2003年9月23日〜9月28日に開催済み)  【目次に戻る】
 「映像」とは、ある現実の空間の中に、光によって表されるバーチャルな異空間を重ね合わせて見せるための異化装置だといえる。映像が展示空間の中で作品として提示される際には、モニターやスクリーンが用いられ、あたかもそこに架設された「窓枠」の中に収めるように映されることが多くを占めるが、そうした場合であっても、映像を囲む四角い「窓枠」はそれが置かれた室内などの光景とどこかで接点を持ちながら関り合い、映されている映像の現れ方に少なからず影響を与え、その場は観客である私たちを内に含む映像的空間が立ち上がるのである。
 さらに、全く無音のものもしばしば見かけるにせよ、多くの映像作品に付随する「音」も、それが投影される空間と多かれ少なかれ結び付きながら重要な要素として作品を成り立たせている。映像に使われる音とは、撮影の現場で同時に録音されたものである場合や、映像と関連するイメ−ジを表す音楽や音響、あるいはそこに異種のイメ−ジを出会わせるために持ち込んだ音である場合など、その種類や効用はさまざまだが、それらの音も映像と同様に、観客を含んで成り立つ空間に異種の要素を出会わせ変質させる役割を担っており、映像と音が組み合わさり交錯することで互いの効用を相乗的に高め合う「映像空間」の中で、私たちの意識は、時には現実以上のリアルさを持つバーチャルな「現実」を受け入れ、そして時には既存の感覚を解き放って異次元を擬似的に体感するような異空間に取り込まれるのである。

 今回後藤充宏の立体作品とshin-ya.bの映像作品によって行われる『blibn_matter』は、映像と音が支配する空間の中で観客が体感する意識の開放や深化を目指して行われるヴィデオ・インスタレーションの展覧会である。
 後藤充宏は、やわらかく点滅する光を内部に仕込んだ半透明の樹脂による「椅子」をオブジェとしてつくり、観客がそこに座ることで、身体を包む樹脂の触感や樹脂に含まれる淡い色彩を通して光の色そのものを体感することができる作品や、小さな個室のような密閉されたカプセル型の立体の中に入いると、そこに流れる音楽の強弱にセンサーが反応して、カプセル内部の光がさまざまなパターンを踏んで瞬間的に次々と移り変わってゆく作品など、光を体感させることである感情や感覚を観客の意識の中に引き起こすような、いわゆる体感型の立体作品を主に制作している。
 実際に後藤の椅子の作品に座ってみると、身体を下から支えて包み込むような肉厚の樹脂の奥底から沸き上がってくるような光の点滅はある一定のリズムを刻むが、そのリズムは鈍くしかし深く私たちの意識に浸透し、椅子の周囲の空間をも徐々に変質させるのである。
 一方shin-ya.bは、街なかや海岸などさまざまな風景の中で撮られた、あたかも彼自身の心象を表したかのような、淡い色彩やそのグラデーションが際立つカラー写真や、それをもとにして画面のある部分に撮影の際の心情を示すかのような英文の短いテキストを小さき印字した作品などを制作するほか、写真作品と同様の情景が音響の選択やスロモーション等の併用を通して肉付けされることで、彼の心象をより求心的に表すようなヴィデオ映像および、複数のモニターを使ったヴィデオ・インスタレーション作品、さらには、あるミュージシャンによる発声をもとにした音楽の演奏を彼本来の手法によって映像として表現した作品および、実際のライブ演奏を映像と多重的に組み合わせて空間を映像、音響の両面で構成したコラボレーションを行うなど、映像をめぐる実に幅の広い活動を行っている。
 shin-ya.bの作品、とりわけ心象的な映像の本質は、あるシーンと次のシーンとの間が継ぎ目なくゆるやかにつながってゆくような独特の時間の移動にあると思われるが、いつ始まっていつ終わるか定かでないような印象で語られる彼の映像は、ある一瞬の時間と永続する時が同時に感じられるような、不思議な感覚を覚えさせるのである。

 この展覧会では、後藤が制作する前面がスクリーンとなった2mほどのキューブ型の白い立体の中に観客が入いり、そのスクリーンにshin-ya.bによるある光景をもとにした映像がヴィデオ・プロジェクターで投影されるという展示が予定されているが、後藤の立体の内部には、センサーが拾う音に反応してさまざまな色彩やパターンに変化する光源が仕込まれており、中に入いった観客は、shin-ya.bの映像に付随して空間に流れる音響に合わせて移り変わる光を体感できる仕組みになっている。つまりキューブの中では、正面の壁を覆うshin-ya.bの映像と、外部から聴こえてくる音および、その音に合わせて変化する「光」という三つの異なる要素が重なり合って一つの空間がつくり上げられるわけだが、それぞれが意識の開放あるいは空間の異化を目指すこれらの要素が交錯することで、その効用は互いを著しく高め合い、私たちはかつて出会ったことがないような映像空間を体感する機会を与えられるのである。
 shin-ya.bによる音と映像の作品が、後藤充宏による密閉された部屋の内部に投影されることで、光と音による空間を体感させることを目指したコラボレーション。
 暗室のギャラリーに入ると目の前には巨大な白い箱が現れる。それは、後藤が木材を素材として制作した2×2×2mの「部屋」で、この前面は透過性のあるメッシュ地で覆われ、狭い通路を伝った背面には80×90cm横長の引き戸が設けられ、観客はそこから内部に入ることができる。後藤は、この部屋を「茶室」をイメ−ジして制作したと語っているが、そのことばの通り、観客はまず入口の手前で靴を脱ぎ、狭い引き戸(にじり口)を開けて緑の人口芝が敷かれた床に足を踏み入れ、引き戸を閉めた後、部屋の中央に置かれた後藤の手による白いプラスチックの椅子に座り、ギャラリーの中央から奥のほうに向けて設置され、鏡の反射を用いて目の前のメッシュ地のスクリーンに投影される映像(130×100cm横長)を眺めるという一連の流れを踏んで、shin-ya.bが制作した映像作品を体感することになるのである。
 緑の草むらが映されて始まるshin-ya.bの映像は、赤いの車のボディー、電車から見える流れる景色、歩道に降る雨、道に敷かれた視覚障害者のための黄色いタイル、飲食の場面など、日常的な光景が断片的に現れながらつながり、撮影の際の現場の音と景色とが重ねる部分と、光そのものが様々に姿を変えながら、ピアノの音や街の雑音を伴って映像が進行してゆく部分、海辺の地の道を視界がゆっくり大きく左右にゆれながら、ときおり波の音を伴いつつピントをあいまいにして主にモノクロで表されたり、人混みが同様の手法で表された部分というように、おおまかには3つの部分に分かれて1サイクル13分ほどで編集され、最後はモノクロによる草むらのシーンで終わる。リアルなイメ−ジと曖昧なイメ−ジが交錯し、同時に、リズムを刻んでいるようでそれでいて曖昧なトーンを伴ってよどみなく流れる音楽と実際の音とがそこに絡み合いながら進行してゆくその映像は、メッシュのスクリーンを透過して「部屋」の天井部にまで広がり、プロジェクターから光とそれ折り返させる鏡の光、「部屋」を覆う光という、同じ光源ながらも種類を違える3つの光が私たちの視覚の中で混合されることになる。こうして観る者の意識を一方向に集束させないこの投影装置は、密閉された空間でありながらも視界を大きく広げ、「観る」意識が身体の部分にまで延長されたような不思議な感覚を時として体感させるのである。
vol.18 吉井千裕 × 矢田辺寛恵 『夢のかたちは』 (2003年10月21日〜10月26日に開催済み) 【目次に戻る】
 人は誰しも、永遠の自空の中に浮かぶ自分自身の「生」が夢や幻ではなく、本当に実体をもって営まれているのかという疑念を心の奥底で抱いたことがあるのではないだろうか。たしかに、手足を動かしことばを発する「私」の身体は、疑うことなく「私」の実体そのものである。だが、その身体を司る「意識」の実体となると、睡眠中はどのような状態にあるのかとか、さらに話を飛躍させれば、私たちが生まれ出るときにそれはどこからやって来て死した後にはどこに行くのかいった様々な思考に取り付かれ、私自身の意識が「私」そのものを表すという確信を今一つ見い出すことができないのである。そしてこうした疑念は、私たちが就寝中に毎日見る「夢」の在り方について思いをはせたときに、ますます大きくふくれ上がってくる。
 「夢」は、それを見た記憶がなかったとしても物理的には毎日必ず見ているものだとされているが、そうした中でも、朝目覚めたときにその直前まで見ていた夢の中で得た感覚が、映像と共にリアルに残っていることがある。夢とは、かつて体験したことや想像したことも含めて、私たちの無意識の領域に蓄積されている無数の記憶の記憶の産物であり、そうした記憶が様々なかたちを伴って意識の上に姿を現わしたものであると言われているが、それゆえに夢の中では、現実と非現実がないまぜになったような非条理な光景が、あたかもそれが現実であるかのようなリアルな実感をもって「体験」されるのである。ではそうしてなされた夢の中の体験とは、はたして「私」自身の体験だと断じることができるのだろうか。
 個人差はあるとしても、夢の中で見る光景は、現在置かれている生活環境のほか、昔住んでいたところや通っていた学校など、かつて自分自身が深く関わってきた場所がもとになっている場合が多く、その中で会う人々も、家族をはじめとして、現在もしくは昔関わりのあった人がよく現われる。しかし一方では、本やテレビなど二次的情報のみで見知った場所や、一度顔を会わせたことがある、あるいはただすれ違ったことがあるだけで意識の奥底に埋もれている人々、さらには空想によって生まれた景色や人物が現れることもよくあるが、それらの存在は何を意味するのか。
 私は以前、戦時中の南方の島で野戦病院の軍医になった夢から目覚めると、つけ放しのラジオから野戦病院を舞台にしたラジオドラマを放送していたという体験をしたことがある。それは、聴覚を通して現実から意識の中に取り込まれたものが夢として映像化された現象だといえるが、見知らぬものが夢の中に現れることも、リアルタイムの出来事ではないにせよこれと類似しており、現実の中から思考の領域を飛び越して直に無意識の領域にしまい込まれた様々なものが、ある部分無秩序に夢の中に現れたのがその正体なのではないかと思われる。そうした意味では、「夢」は人の意識や無意識の領域、そしてその外側に広がる現実世界の3者をつなぐ架け橋のような存在であると推測できるのである。

 ところで、夢が無意識の中に現れた仮想の世界の光景であるとすれば、覚醒している状態で空想を通してリアルな世界が思い描かれる「白日夢」と言われる現象は、意識の領域に現れた仮想の光景であるという点で、非現実的な要素を多分に含みつつもより現実世界との接触点が多い不可思議な存在であるといえるだろう。その非現実さゆえに、白日夢と妄想は同一線上のものとして語られることもあるが、人の意識の内部につくり出された妄想に対して、意識の領域をもとにしながらもある秩序を伴った客観性をもって表される白日夢は、同じく個人の意識から掘り起こされた「何か」が「かたち」を伴って現れる芸術作品との間に、一種の類似性を指摘することができるのではないだろうか。
 今回矢田辺寛恵と吉井千裕の作品によって構成される『夢のかたちは』、「夢」さらには「白日夢」をもとにしたもの、あるいはそれ自体が「夢」や「白日夢」のイメ−ジを持つ美術表現をテ−マに行われる展覧会である。
 矢田辺寛恵は、細いながらも芯のあるモノトーンの線や、その手触りを空想の中で体感できるかのような不思議な存在感を持つ面によって、たとえば「家」や「テント」などを象徴的に表すかたちの中に、時には「光」「風」「空気」などの存在を感じさせるイメ−ジを加えて画面がつくられた、引き締まった黒のトーンや渋味のある色の線が印象的な銅版画作品のほか、それらをもとにして「本」の形式にまとめた作品を多数制作している。
 彼女の作品の中には、「家」を思わせるものをはじめとして「何処か」の風景が具象的に表される場合もあれば、細い線が積み重ねられて画面を覆う「空気」が抽象的に描かれる場合もある。それらは、風景については矢田辺がいつか見た夢の中の景色がかたちを伴って現れたものとして、抽象的なイメ−ジについては、彼女の意識の奥底に流れるある心情が姿を変えたものとして考えられるが、そうやって平面の中に一つの「現実」として現れたこれらのモチーフは、あたかも「白日夢」のような幻想的な性質とある映像をイメ−ジさせる力を帯びている。また、これらの作品は「本」の形式を取ることもあるが、それを見るために扉を開きページを次々とたどってゆく行為は、様々な夢が現れては消えてゆく様を私たちに思い起こさせるのである。
 一方吉井千裕は、彼女が実際に見た夢をもとにしたことばのない物語を、細いボールペンによる線のドゥロ−イングで、細密画のように濃い密度で「夢日記」として日々描いた作品のほか、「昔話」を下敷きにして彼女の解釈を視覚的な部分に加えたものを、水彩やアクリル絵具による独特の描写で表した作品などを発表している。
 彼女の作品に登場する人物は、頭部や手足が極度に強調されたプロポーションで描かれるが、綿密さとラフさが混ざり合ったような細い線を使い、描かれた全てが同じ密度を持つという独特の表現によるこれらの人物像は、一様に淡々としつつも複雑そうな表情を浮かべており、それはどことなく陰欝なモチーフや一見カリグラフィーを思わせる細かな描写と相まって、観る者の視線が画面の中に吸い込まれるような強烈な求心性を生み出すのである。
 ところで前に述べたように、吉井の作品では彼女が日々見ている夢が主要なモチーフの一つになっているが、「SF的な非条理劇」とでもいえるような内容を伴うそれらの夢は、彼女の無意識の領域で生まれた様々な空想が顕在化したものであり、それが絵としてかたちをもって表されることで、一つの非条理な「現実」となって私たちの心をとらえるのである。
 この展覧会では、「夢日記」としてつくられた吉井による多数のドゥロ−イングが壁面を覆い、あたかも白日夢の中での景色のような矢田辺の銅版画が「本」のかたちにまとめて数点会場内に置かれるという展示プランが予定されているが、イメ−ジ自体の現われ方は大きく異なりながらも同じく意識の深層に潜む光景にかたちを与えたような二人の作品で構成される空間は、人の想像力を介した世界の見え方、さらには人の意識の在り方をどのように示してくれるだろうか。モノトーンの線とイメ−ジが交錯する空間の中で、現実の場に引き出された「夢」の世界にしばし浸りたいと思う。
 「夢」あるいは「白日夢」をテーマに、吉井千裕のドゥローイング作品と矢田辺寛恵の銅版画による「本」の作品をもって空間がつくられた展覧会。
 矢田辺は、銅版画をもとにした20〜25cmのサイズの「本」の作品を、天板が30×30cm、高さ90cmで脚の部分が交差してつくられツヤけしの白で塗られた台座に一冊ずつのせたもの6組を床に配して展示を行った。主に白い表紙(内2点はオレンジとパープル)の6点の本は、各10点ほどの銅版画から構成され布で装丁がなされているが、モチーフはさまざまなかたちの建物、植物、野外の光景などを象徴的に表したもののほか、日常の中の空気もしくは気流を表したものまで多岐にわたる。しかしそれらは、時には繊細に、時には力強い黒色や、緑あるいは燈などをもとにした金属が錆びたような色で、確固した方向性を示してかたちづくられ、そこには一貫したイメ−ジを感じ取ることができる。これらは彼女がかつて夢で見た光景や、意識の中で感じたであろう風景であると思われるが、それが、銅版画という繊細な色彩とかたちを表し得る手法を用い、6冊の「本」というかたちとしてまとめられることで、本の頁をめくりながら彼女の意識の奥底を覗くような、そして作品を観る私たちもかつてどこかで見たような不思議な感覚を味わうことができるのである。
 また、モノトーンあるいは一種セピア調の色彩、さらに細い線の積み重ねによって背景から沸き上がってくるようなかたちは、夢で見たようなおぼろげ、それでいて昼間その断片がふと思い出されるような、「夢」の記憶を象徴しているようにも思われるのである。
 一方吉井は、水彩紙にきわめて細いインクなどの黒の線で、彼女がかつて実際に見た夢をシュールな光景として表した計5点(55×66cm縦長、120×160cm縦長、 80×160cm縦長、80×160cm縦長、65×112cm縦長、55×80cm縦長)の作品を展示した。これらは順に、「蜘蛛亀さま」「エム女学院の悲劇」「バックベアード」「ヒデキ君の秘密部屋とすり下ろしアップルラーメン」「ごにょ、ごにょ」いったタイトルが付けられ、「蜘蛛亀さま」では背中に目玉のある大きな蜘蛛がトイレの天上から多数垂れ下がる光景が、「エム女学院の悲劇」では密室のスクールバスの中で起こるさまざまなできごとが描かれているが、それらのストーリーは日常をもとにしながらも非日常の側に大きく逸脱している。また、ある部分ではきわめて密に、他の部分では激しくデフォルメされた描写はシュールなストーリーと相まって、彼女の夢の中の世界を濃密に展開させる要素となっているのである。
 ところで、これらの作品に登場する人物の手や顔、あるいは眼の部分は、クローズ・アップされたかのようにところどころで克明に表され、その他の部分は線の輪郭のみで描かれるというように、モチーフに対する力加減は画面の中で強いコントラストを持って対比されるが、それは題材となる物語のどの部分が彼女にとって強く印象付けられたかを暗に示しているように思われれる。さらに、これらの人物の表情はすべからく無表情を装って描かれているが、それは、登場するキャラクター自体に私たちが感情移入することを拒み、この「夢」を一つの「物語」として私たちや作者自身が客観的に俯観するという、不可思議な視点を画面につくり出すのである。
vol.19 金武明子 × 中川るな 『ふたつの部屋』(2003年10月28日〜11月2日に開催済み) 【目次に戻る】
 私たちはさまざまなモノ、それも、商品など人が生産した無数ともいえるモノたちに囲まれて生を営んでいる。たとえば、朝起きるとまず洋服に着替え、洗顔するときは水道の付いた洗面台で歯ブラシやタオルを使い、朝食では茶碗や箸を使って食品を食べ、出勤の際には靴を履いて電車に乗り、仕事場に着けば机に向かってペンを使い電話をかけ、夜帰宅すればテレビを見て風呂に入り、寝るときには枕を頭に蒲団に包まるといったように、日常の行動に関わるほとんどのことが何らかの「製品」に支えられており、さらにこれらを購入するための金銭も突き詰めればモノの一種であることを考えると、それぞれが置かれている生活環境の違いによる格差はあるにせよ、私たちの生活がつくられたモノたちといかに深く関わりながら成り立っているかということが容易にわかるだろう。
 ところで、今や日常の中にここまでモノが入り込んできたのは、現代という時代が生活の豊かさをひたすら追い求めてきたからに他ならない。便利に、快適に、効率よく生きること。それが最優先されているといっても過言ではない私たちの日常は、時として私たち自身の意志や意識の在り方を規定する。いや実際には、快適さを求める私たちが、自らの意識を進んでモノに規定されたがっているのかもしれない。
 また、現代に生きる多くの人々は、テレビや新聞、書物などでさまざまな情報を享受し、音響機器で音楽を楽しみ、衣服で自身のパーソナリティーを示し、身の回りに置いたモノのデザインで時には気持ちが強く左右される。自らが選んだモノによって自分自身が「規定」されること。それは裏を返せば、自ら考え行動を決定する意志の自由が抑圧されることにもつながりかねないが、そこに身をゆだねて得られるであろうさまざまな効用が、現代特有のストレスを抑え精神的な安定をもたらしてくれることもまた疑いようのない事実であり、日常の中での精神の自由さと安定とのバランスを推し量った上で、生命を支える以上のモノをも必要不可欠とするという判断が下されたことにおいて、無数のモノに覆われた現在の世界が出来上がったのではないかと推測できるのである。
 ここまで、私たちとモノとが深い関わりを持つにいたった理由についてしばし考えてきたが、両者の夫唱婦随の関係は単なる利便性や効用を超えて、モノ自体に対する愛着を生み、時としてそこに「いのち」が宿ったかのような錯覚すら起こさせることがある。「モノにいのちが宿る」ということばがあるが、それは人形や貴金属、工芸品など、身の回りに在って気持ちを豊かにさせるモノや、仕事のための道具などに使われる場合が多い。こうしたことばは、モノに対する最大限の愛着を表すと共に、そうした愛着によって、モノ自体はあたかも持ち主と共存するような特別な存在へと変わり得ることが暗に示されているといえるだろう。つまりここでは、モノに対する強い愛着は、持ち主の分身にも例えられるような性質をモノに宿らせ、そうやって付加された新たな価値によって人はより強い精神的充足感を得られるという、モノをもとにした絆ともいえる関係が結ばれるのである。
 人は自ら進んでモノに囲まれ意志を「規定」されることで精神的安定を得ようとし、さらに愛着という名のもとにモノ自体に自身の存在を投影しようとする。これが、ここまでの考察で得られた推論であるが、では、モノと美術との間にはどのような関係が横たわっているのだろうか。
 作品が制作されるためには、たとえば絵画においてはキャンバスや絵具という「モノ」が必要不可欠であることを考えても、造形とモノとは切手も切れない関係にあることがわかるが、既成の「製品」が表現に素材として取り込まれる場合には、「レディ・メイド」ということばが特別に使われることがある。1910年代にマルセル・デュシャンが自転車の車輪や便器をもとにした作品を提示することで、既存の芸術の在り方を破壊しようとしたのを発端とするこの概念は、本来はデュシャン独自ものであったが、今や多くの美術家の作品に取り入れられ、スタンダードな表現方法の一つになっている感さえある。しかし、デュシャンによる「レディ・メイド」と現在のそれとでは、同じく既製品をもとにしながらもその意味合いが根本的に異なっているように思われる。つまりデュシャンの時代には、作品とは芸術家自身の世界観や感性を画材などのモノにのり移らせることが最上とされており(もっとも今でも一般的な美術表現はそうかもしれないが)、それをいったん白紙に戻し既成の観念を変革させることを目指しての表現であったわけが、現在では、無数のモノが私たちを取り囲む時代背景が表現に深く関わっており、日常の光景を成り立たせるモノたちを使うことで、芸術と日常との境界を取り除こうとすることや、制作者が自分自身の存在に根差した表現をより強く希求した末に、身近にあるモノを作品の一部に取り入れようとしたことがその目的としてあげられるだろう。それに加えて、現代に生きる私たちが無数のモノに囲まれることで心の安定を得ているように、モノをもとにした展示空間をもって観客がある種の安らぎを感じられる場を提供することや、さらには、普段目にするモノたちをもとにした制作行為を通じて、美術家自身もまた一種の安心感を得ようとしているのではないかとも考えられるのである。
 ここまで、「レディ・メイド」をめぐる私の考えを記してきたが、美術との関係を表すにあたってさらに一般的なことばとしては、「オブジェ」を挙げることができるだろう。英語の「object」は物体などと訳されるが、美術における「オブジェ」はobjectという語に含まれる意味を引き継ぎ、展示空間に作品が「物体」あるいは「モノ」として置かれた姿を表す。ところで、「物体」としての作品といえば「彫刻」が一般的だが、オブジェが彫刻と一線を画すのは、彫刻が物体として存在する状態そのものを指すのに対して、オブジェの場合は、モノとしての作品があるだけではなく、それが置かれる空間や作品と接する人々との関係性をも含んでいることが本来の意味であるという点だ。要するに、彫刻はたとえどんな場に置かれても彫刻としての意味を失うことはないが、オブジェは、空間に置かれることや人の目に触れることがまず制作の前提としてあり、そうやって結ばれるであろうさまざまな関係性をあわせて成り立つ作品は、時として制作者が意図した以上の意味を担ったものとなって、展示空間の中で一個の物体としての存在感を主張するのである。
 そして、同じく美術におけるモノとして存在するレディ・メイドとオブジェであるが、レディ・メイドの場合には、モノ自体ではなくそこに含まれるイメ−ジが表現の源になるのに対して、オブジェの場合には、作品として置かれたモノの存在感やその在り方自体も表現になり得るという性質を持っており、この二つは、モノとしての作品の在り方を二分しながらも時として一つの作品の中に共存し、「作品」という物体の存在を支える一助となるのである。

 金武明子と中川るなの作品によって構成される『ふたつの部屋』は、人とモノとの関わりを起点に、そこにはどのような意味が含まれているのかというその本質をしばし振り返ることを趣旨として企画がなされた。
 この展覧会は、『ふたつの部屋』というタイトルが示すように、金武と中川がそれぞれの表現方法とモノに対する解釈をもとに、ギャラリ−の中に一つずつ部屋をつくることで展示が行われるが、確固たる境界もなく隣接し合うこの二つの「部屋」は、モノに対する両者の意識の違いを表すかのように対照的で、それは、前出の「レディ・メイド」と「オブジェ」との相関も示しており、これらの部屋を見比べることで私たちは、その境目に視えない「壁」を想起し、わずかながらもモノの本質に触れることができるのである。
 ところで、二人の表現の違いとはどのようなことなのか。まず中川の作品について簡単に紹介しよう。中川は、「キューピー人形」や「りかちゃん人形」、あるいは仏像などのかたちをリアルに再現した小さなオブジェ作品を、主に透明のアクリル樹脂によって大量につくり、時には数千体の物量をもって同一の形態のオブジェが展示空間の壁面あるいは床をびっしりと埋めるような表現で知られている。
 私が中川の作品と初めて出会ったのは、透明の「キューピー人形」がギャラリ−の壁面を埋め尽くした展示だったが、スポットライトに照らされその一体一体が等しく小さな光を帯び居並ぶさまにモノ自体に宿る存在感を強く意識させられたことを、今も鮮明に記憶している。その後の彼女の展覧会については、同じく極小ながら微妙にサイズや色彩の違いを加えた「仏像」が床いっぱいに並べられたものや、そうした仏像を「ガチャポン」用の球体のプラスチック容器に収めたものがやはり床一面に並べられた作品、「キューピー人形」をマニュキアで彩色し、それらの頭部を少しずつ不定形に欠けさせたものを、室内のすべてが真紅で統一された壁面の棚にぎっしりと並べた作品、白い「キューピー人形」の頭が水平に欠けてその断面が渦巻き文様となったオブジェが、ギャラリ−の壁面をぐるりと一周取り囲むように手をつないで横一線に並べて設置された作品など、あるモノをもとにした同一のイメ−ジの反復が空間を支配するよな展示を継続して見てきたが、これらの作品から私が感じたことは、最初に出会った「キューピー人形」の印象と同じように、モノ自体が確かに「そこ」に在って何かを主張しているという存在感の強さだったのである。
 なぜ、私をはじめとして彼女の作品と相対した者は、そこに強い存在感を感じるのか。それは、時には数千体が並ぶオブジェの物量やイメ−ジの反復もさることながら、そうした密度の濃い空間が出来上がることになったおおもとは、それが中川自身の真意であるかどうかは別にして、モチーフとなるモノに対する執着ともいえるような愛着であり、反復するイメ−ジがただ大量に並ぶだけではなく、その一つ一つが中川自身もしくはある一人の人格を投影しているという存在感の重みをそこに想像するからではなかろうか。

 一方金武明子は、さまざまな既製品をもとにしたオブジェ、インスタレ−ション作品を発表してきたが、私が彼女の作品を最初に認知したのは、小さな鏡面の円形シールをギャラリ−の壁に貼って並べることで、「WHITE」「YELLOW」「GREEN」などの色を表わす英単語をドットで表し、それを12色相の順に壁面を一回りさせるように12色分横に並べるという展示だった。ドットがつくる色の名は、遠目から見ると色を表す一個のイメ−ジに過ぎないが、ギャラリ−の内部へと足を進めて壁面に取り囲まれることで、観客である私の衣服や肌の色が鏡面に映り込んで、あたかも私自身があるフィルターを通して分解されたかのようにドットはさまざまな色に染まり、そこにいたってはドットが表す色彩のイメ−ジは解体されて、「丸い鏡面」というモノの存在のみが浮かび上がってくるような意識の変換を体感することができたのである。
 その後金武は、ギャラリ−の床に置かれた一台のゼロックス・コピー機のコピーボタンを来場者が押すと、「THE END」という文字がプリントされた白い紙が一枚排出される作品のほか、キューブのアルファベットの積木を数個組み合わせて「AYU」「SAKI」などある女の子の名前を表したものを、とある学校の一学年を構成する124名分用意して床にランダムに設置した作品など、市販されている遊具を使ったもの、さらには同じかたちで色が異なる3種の女性用かつらを来場者が触っているうちに、中に仕込まれた「笑い袋」のスイッチが入って突如機械的な笑い声が鳴り響く作品や、女性の姿や顔の切り抜き写真あるいはコピーをもとにした作品など「女の子」をテ−マにしたものなどを発表してきた。
 彼女の作品の多くは、市販の既成品をもとにしていながらも個々のモノが本来持つ用途や意味、イメ−ジが、時には大きく時には微妙に変質させられ、そこに生まれる実際のモノのイメ−ジと作品として新たに生成されたモノにまつわるイメ−ジとの差異が、モノとはいかに在るべきかという固定観念に対する疑念を沸き上がらせるという点が、私が考える彼女の作品の特徴である。そしてそこでは、モノはほぼ本来の姿で扱われながらも、その抜け殻さながらに固有の意味が排除されることで、時には空虚に感じられるほどのクールさが前面に表されるのである。

 ところで、既成のイメ−ジを起点としながらも、実際の展示にいたっては、モノは本来とは異なる存在として表されるという点で、金武と中川の作品は共通しているが、前出の「オブジェ」の概念を当てはめることができるであろう中川の作品では、彼女自身かもしれないある特定の人物のモノに対する強い愛着を暗に示し、それが観客の意識を拘束しながら大きな充足感を感じさせるような空間の中で、作品としてのモノは大いなる存在感を放つのに対して、同じく「レディ・メイド」の概念を当てはめることができる金武の表現では、あたかも空間に放置されたかのようにも見える作品としてのモノは、本来の意味をすり替えられてある種の空虚さを漂わせながらも、観客の意識の中に自由な想像が生まれる余地をつくることで既成の観念から解き放つということにおいて、両者の作品は、その外観が示す以上に対照的だと思われる。
 『ふたつの部屋』に話を戻すことにしよう。この展示では、既成のモノが点在しその「間」と共に空間が構成される金武の展示に対して、あるイメ−ジをもとにしてそれが「部屋」という空間へと求心的に結実する中川の展示という、二つの対照的な空間が並ぶ姿を想像することができるが、冒頭でも触れたように、モノに対する二人の姿勢に差異がある分、作品として置かれたモノはそれぞれ違った様相を示し、資質が異なる二つの表現が視覚の中で組い合わさることで、モノの在り方の一段面が鮮やかに浮かび上がるのではなかろうか。そして私たちは、この空間の中で、モノに対して何を求めどういった態度を取ろうとしているのかという、自分自身とモノとの関係について、眼前の二人の作家の作品と相対しながらあらためて考える契機を与えられるのである。
 互いに「モノ」を起点に制作を行う金武明子と中川るなの二人が、それぞれの表現を生かしつつ対照的な性質の二つの部屋をギャラリーにつくり出して開催された展覧会。
 金武は、おもちゃのドールハウス「ハッピーファミリー」の中から抜き出した、プラスチック製の極小の家具セット(五点一組、10cmほどのソファーセット/7cmほどの暖炉/8cmほどの電気スタンド/6cmほどの観葉植物/5cmほどのチェスト/5cmほどで「バービー人形用の白いボアのスリッパ)を、140×80cmの範囲内に点在させるように床に直に置き、「リビングルーム」を構成した。天井からは、ちょうどこの「応接セット」の真上にくるように、直径14cm、高さ18cmの、複雑にガラスがカットされたシャンデリアが天井からのびる黒いコードにつながれ、床から18cmの高さに釣り下げられたが、そこから発せられるダイヤ形の光の模様は、真下の家具を中心点とし床から壁面に向かって放射状に広がり、こうした光と影の強いコントラストは、小さいながらも劇的な状況を演出しているのである。
 これらから実際の部屋のスケールを想像してみると、応接セットから極端に離して置かれたチェストと観葉植物、さらにはスリッパの距離感は、広大な空間の広がりを夢想させ、上から釣り下げられたシャンデリアのみが実物サイズであるというそのアンバランスさと相まって創出されたきわめて特殊な「部屋」は、金武の意識の中で生み出された「部屋」のイメージを象徴していると思われる。そして、展示に使われたおもちゃはすべて金武が量販店「トイザラス」で買い求めた既製品ではあるが、それは、彼女独特の非常に個性の強い「場」をつくるもとになっているといえるだろう。
 一方中川の展示では、225×225cmの範囲に45×45cmの白いPタイルを6列×6列で敷きつめ、部屋のコーナーには77×129×70cm(h)の木の机と椅子セットがが置かれ、その周囲の壁面には、10〜30cmほどのさまざまな白いモノがそれぞれ透明プラスチックのケースに入れられ,計80個ほど点在して設置された。これらは,はさみ、額、腕時計、歯ブラシ、歯みがき粉、ペンチ、マグネット、実際に動く掛け時計など、日常の中で使われる多種多様な製品を石膏取りして制作したものだが、さらに壁に取り付けられた棚には「ドラエモン」の貯金箱や小さな石膏像を同様に石膏取りしたものが並べて置かれ、83×64cm横長の白いカーテンやドアノブなども取り付けられ、机の上に目を移せば、電気スタンドや写真立て、ノートや数冊の本などがあり、これらのモノたちによって白い一つの「部屋」がつくり出された。
 この「部屋」は、遠目には白く均一な空間に見えるが、靴を脱ぎ、用意された白い毛のスリッパに履き替え、「部屋」の中を机の方に近づいてゆくと、ここにあるすべてのモノが白い細かな線による模様で覆い尽くされていることに気が付く。これは「牡丹」の花をもとにしたもので、机や椅子、石膏取りされたモノたちにおいてはそのイメ−ジが彫り込まれ、電気スタンドやカーテンなどの実物および床のPタイルには、染色に使われるペンを用いて全面に白い模様が描かれ、唯一机の上のノート類には、カラーコピーによる黒く細い線でイメ−ジが表されている。そして、来場者はこうした様相を認識した瞬間、この部屋のすべてが彼女の思い描く「世界」であり、そこに自身が包まれているという不思議な感覚を体験することができるのだ。
 この展覧会では、金武は最小限のモノでその周囲に空間を想像させる展示を、それとは対極的に中川は、そうした想像が入り込む余地のない、一つの「世界」としてつくり込まれた展示を行ったが、こうして表されたまったく異なる二つの「部屋」のイメ−ジは(唯一「白いスリッパ」のイメ−ジのみが重なり合う)、暗と明、空疎と密集など、対立するさまざまな要素をしたがえつつも互いを引き立て合い、ギャラリーの中に、二人の作品が相並んで生まれる「第三」の新たな空間をつくり出すのである。
vol.20 城戸みゆき × 武田眞由美 『妄想編集室』(2003年11月18日〜11月23日に開催済み)  【目次に戻る】
 架空のファッション雑誌「aHojann」の創刊準備に追われれる「編集室」をギャラリーに出現させるという設定のもとに、城戸みゆきと武田眞由美によって行われた展覧会。
 ギャラリーに入ると、空間を埋める多種多様な作品の量にまず圧倒される。部屋の中央には長いテーブルが置かれ、そこには今回の展覧会のためにつくられた、A4サイズ32頁カラー判の「aHojann」と、その完成を目指して京都に住む城戸と東京に住む武田がファックスを使ってやりとりしたアイデアをもとに編集した、B6サイズ32頁モノクロ判の小冊子「コウフクノフク」(今回の展覧会では「服」が重要なキーワードになっている)が積み上げられ、来場者はこれらを購入することができる(「aHojann」650円、「コウフクノフク」250円)。
 「aHojann」は、城戸と武田がそれぞれこれまでに制作してきた作品をビジュアルとして取り込んだ上で、さらにこの展覧会のために二人が相談しつつアイデアを出し合った「ネタ」や、それをかたちとして実現させる過程をもとに編集したページを加えて構成されているが、ここに登場する多種多様の作品やモノたちは、本が置かれたテーブルを中心にしてギャラリーの手前半分には城戸のものが、奥半分には武田のものが置かれて展示が行われた。雑誌の中で取り上げられた特集の内容と合わせてそれらを見てゆくことにしよう。
 まず城戸の作品だが、テーブルの手前の端にはミシンが一台置かれ、天井から吊るされた紙による白いドレスが縫いかけの状態でミシンの台につながっており、その周囲には箱形の家を模した紙による小さなオブジェが大量に配されている。その背後には丸テーブルと白い服が一体となった「机服」が配置され(「机服古都探訪」)、その上には城戸が自宅で飼っている3匹の猫たちの抜け毛からつくった「猫毛フェルト」による13cmほどの「猫毛服」(「猫毛フェルトをつくろう!」)や、「ふにふに八つ目ボタンバッグ」(「総力特集!ボタングッズがほしい」)などが乗せられている。またギャラリーの入口近くには、もう一着の紙にドレスが天井から吊るされているが、その大きく広がる裾には、彼女独特の太い線のよる、「木」のような道から枝分かれした家々が連なり街をつくる絵がアイロンプリントによってプリントされており、その上に張られた紐には、それらの型紙になったA1サイズ10枚の絵が、洗濯物のように並べてられている。さらにそれを囲む2面の壁面に沿って、サーカスや教会、交番、城など街をかたちづくるさまざまな建物を独特の絵で表し、3〜4cmほどの大きさでペーパークラフトのような立体とした紙のオブジェを、70cmほどの竹ひご4本を取り付け床の土台に付けて数百個並べ、さながら「空中都市」のようにした作品が設置され、入口近くの白いカラーボックスには、服やボタンのかたちをしたクッキーを詰めたビン(一個50円で販売された)などが置かれた(「空腹で食う服」)。
 一方武田の展示だが、テーブルの奥の端にはさまざまな素材や大きさのボタンを模した作品が置かれ、壁面に目を移すと、裾を広げるように掛けられた女性用の服に付けられた8つのビニールポケットに、たとえば「モヒカンも悲観(もひかんもひかん)」「モニターもにたー(もにたーもにたー)」といったことば遊びをもとに文と絵でつくった、10×10cmほどの小さな本がそれぞれ入れられたもののほか(服には「助詞の服」「ジョシノ服」などといった名札が付けられている)、そのまわりには2着のゴムスカートをしたがえた(「ウェストゴムの世界」)さまざまなサイズのパネルに、やはりことば遊びをもとにした20点ほど作品が設置された。それは、51×77cmカラー2点で「墓探」「母嘆」などの語によるもの(「特集 ボタン」)、30〜45cmほどの木枠に糸を渡しそこに1cmほどの人の顔のコピーを貼って「教育」のさまざまな形態を7点一組で表わした作品「キョーイクのゆがみ」(「アホモード学宴」)、91×13cm横長5点一組で、平安時代の藤原氏の絵巻物を記号に変えて表したのをカンなどの光る素材で揃えた作品、1972年に集めたさまざまなもののコラージュや当時発行された雑誌で構成した作品「70年代」、「やぶれたー」「みちあふれたー」など「れたー」がつくことばをもとに45×45cmのもの8点一組で表した作品などだが、そのほかにも、「これがみな 売れれば渋滞 ゴミの山」という川柳と共に車のチラシの切り抜きのコラージュが山をつくるものなど、さまざまなチラシをもとにした「にっぽんのチラシ」をはじめとして、ことば遊びによる発想の転換をもとにつくった、「蚊鯛」「用無しの洋梨」など「本」の形式による6点の作品が併せて展示された。
 今回の出品作品の数々は、雑誌「aHojann」の中に取り込まれ、それが雑誌のためのさまざまなアイデアの結晶といえるオブジェたちと誌上で混ざり合うことで、「雑誌」と「ギャラリー」という互いにリンクした二重の空間を生み出しているといえるが、ここで私たちは、雑誌を見た後にギャラリーの中を眺めたときには、二人の意識の中で生まれた創作の世界を体感し、逆に作品を見た後に雑誌を覗いたときには、そこに付された作品をめぐる注釈やアイデアによって思考の領域を刺激されるという相互作用によって、二次元にも三次元にも広がる二人の表現の迷宮世界にはまり込んでゆくのである。
vol.21 成平絹子 × 森勢津美 『land』 (2003年12月2日〜12月7日に開催済み)  【目次に戻る】
 かつて私は、東欧の国・チェコを旅した際に、首都・プラハから南へ100キロほど下った地に位置する「ターボル」という街に滞在したことがある。14世紀にヤン=フスが宗教闘争を行ったことや、その当時の中世の街並みが随所に保存されていることでかろうじて知られるこの歴史都市への道のりは、ローカル列車でプラハを発ってからほどなくして、小さなハプニングに見舞われた。岩山に囲まれたとある地点で突然列車が止まってしまったのである。当時の公用語であるドイツ語でのアナウンスはまったく聞き取れず、他の乗客に付き随って列車を降り、しばらくして現れたマイクロバスに分乗し、不安な気持ちを抱えながらこの情況に身を預けることになった。しかしこのアクシデントは、転じてすばらしい景色を堪能させてくれた。この一帯は、ボヘミアと呼ばれるヨーロッパでも有数の丘陵地帯であるが、ところどころでは舗装もされていないような道をいくつもの丘を越えながらバスは猛スピードでひた走る。そうやって一時間ほど走った後、丘の彼方に忽然と黒い塊が見え始め、それは近づくにつれ視界の中で徐々にかたちを整え、ついには「ターボル」という一つの都市として目の前に姿を表したのだ。
 ターボルはいわゆる「城壁都市」である。周囲を取り巻くボヘミアの丘陵の風景からは壁によってゆるやかに隔てられ、その内側にいると時おり石の塊の上に身を置いているような不思議な心持ちになることがある。考えてみれば、統一的な近代国家が現れる以前の都市は、外敵の侵入を防ぐ必然性から、東西の区別なく大なり小なり城壁都市の要素を取り入れなければならなかった。私が訪れたターボルもその一つだが、人が集まり壁をつくり、その限られた空間の中で集団が繁栄してゆく姿は、「都市」という存在の原型を表すのではないかとその時感じたのである。
 成平絹子と森勢津美の作品によって構成される『land』は、それぞれの作品の中で彫金および版画によって表される不定形のかたちが色彩や素材の材質と結び付くことで、そこに含まれるイメ−ジがいかように強められるかということを主題としているが、実際の展示にあたっては、私が体験したターボルへの旅の記憶やそこから解き起こされた都市の原型に対する考察がもとになって、その様子がイメ−ジされたといっても差し支えないだろう。そしてそれは、もともと私が森の作品の中に、「都市」のかたちをイメ−ジとして感じてきたことがその出発点になっている。
 まず最初に、彼女の作品について簡単に紹介しよう。森勢津美は、ベニヤ板を版木にして主に和紙に木版画を刷り、それをベニヤ板の支持体に張って展示するという独特の技法をもとに、たとえば「電波塔」や「要塞島」、あるいは「地底の光景」にも見えるようなイメ−ジを表した作品を制作しているが、ベニヤ板の版木に和紙という、いずれもイメ−ジの細やかなコントロールが困難な素材の組み合わせは、輪郭線やかたちそのものの曖昧さを生む。また色彩は、エメラルド・グリーンやシルバー、クリーム・イエローやターコイズ・ブルーなど、自然の中には見かけられない化学的な色彩が淡く使われることが多く、特に最近制作されたほとんどの作品では、背景にこうした色彩が単色で配され、図であるかたちはそこから切り抜かれたかのように薄いクリーム・イエローで平面的に表される場合と、それとは逆にクリーム・イエローの背景の上に淡い単色でかたちが描かれる場合もある。こうして2つの色彩でネガとポジの関係をもって表される画面は、平面的であるのにどことなく立体的な存在感が感じられるという不思議な抽象性を生み、それはモチーフであるかたちの曖昧さと相まって、夢や空想の中でいつか見た建築物あるいは風景にもたとえられるような独特のイメ−ジの源になっているのである。
  一方成平絹子は、銅やアルミニウムを素材とした彫金の打ち出し技法によって、人間や建築物を象徴的に型どったものや、空想の中の景色にもたとえられるようなものを、素材となる金属の色や質感を生かしつつ、時にはモチーフ自体の輪郭線に沿ってかたちを切り抜くように表したレリーフ状の作品を制作している。<BR>
 すでに述べたように、彼女の作品には「人」がモチーフとして頻繁に登場するが、その多くは頭部が円形で、からだは金属の質感を示しつつゆるやかな曲線を描いて半ば抽象的に表現されるが、どこの誰というわけでもない、「人」という存在そのものを象徴的に表すこの「人型」は、巨大な建造物や岩山、火山、あるいは地底都市を思わせるような不思議なイメ−ジの周囲を取り囲むように、小さなものが遠近感を伴ってびっしりと配されることもあり、そこにいたっては、架空の都市が現れそこに無数の人が集うという、20cmほどの空間に凝縮した一つ世界の姿を見て取ることができる。そしてそれは、そこに含まれるすべてのかたちが、背景とモチーフさらには色彩の区別なく緊密につながりつつ作品全体としての一つのイメ−ジが表される、一枚の金属板から打ち出されるた彫金独特の画面の密度の濃さが生かされていることが、そのおおもとにあると思われるのだ。<BR>

 ここまで二人の作品について紹介してきたが、再び『land』に戻ることにしよう。私が成平と森による展示をコーディネートしたいと思い立ったのは、イメ−ジと背景とが互いを補うように緊密に作用し合って一つの画面がつくられていることと、そうやって表されたイメ−ジが、それぞれの色彩や素材の質感と結び付きつつ、あたかも夢や空想の中の光景であるかのような象徴的なかたちを生み出すという共通点を二人の作品から感じ取ったことが出発点になっている。
 かたちの象徴性に関しては、森の作品では輪郭は曖昧に、成平の作品ではエッジを立てて表されるというように、素材や技法からくる外見上の明らかな違いがあり、さらにモチーフ自体もやはり技法の相違と相まって、森の作品では茫洋と遠心的に表されるのに対して、成平の作品では濃厚かつ求心的に表されるが、それが観る者によって異なるさまざまな空想を想起させるという点において、外見の違いを超えた重なりを見い出すことができるのである。また両者の作品には、架空の街や建造物のようなかたちが重要なモチーフとして現れることも共通点の一つにあげられるが、この展覧会では、そこから次のような展示プランが発案された。
 ギャラリ−の一番奥の壁面には、さまざまな建造物のイメ−ジを型どり、不定形の板に貼られることでレリーフ状となった森の作品が大小数十点ランダムに設置されて架空の「都市」のイメ−ジが表され、ギャラリ−の入口部分から奥の壁にいたるまでの壁面には、成平がつくる小さな「人型」の彫金作品が数十点横一線に並ぶように取り付けられ、遙かに見える「都市」に寄り固まって向かう人々の姿が表される。
 このプランが私を含めて三人の中で具体性をもって語られるようになったとき、私は冒頭に記したように、ターボルの街が近づくにつれておぼろげなそのかたちが徐々に明らかになり、ついには目の前に一つの都市の姿になった記憶がなぜか鮮明に蘇ってきたのである。そして、今になってその理由を思い返してみると、森の作品による「街」の光景と成平による「群集」のイメ−ジとが結び付くことで、どことも知れない「都市」の姿が象徴的に表され、それがターボルでの体験で得た「都市」の原型のイメ−ジと何かのはずみで一致したことがきっかけになっているのではないかと思われるのである。
 さらに深く考察を進めると、両者の作品自体にそれぞれ「都市」あるいは「人」の原型を象徴するようなイメ−ジが重要なモチーフとして含まれ、それが私の意識に奥底にある「都市」に対する記憶や想いを強く刺激したことがそのおおもとにあると推測されるが、そうしてみると、私だけでなくこの『land』の展示と相対するであろうあらゆる人々の意識の中にも、「都市」の記憶やイメ−ジが何らかのかたちで想起されることは、十分に想像できるといえるだろう。そして、両者の作品のイメ−ジがぶつかり、混じり合って生まれた、平面上の架空の「都市」に空想を通して迷い込むことで、私たちは意識の内の眼でどのような光景を覗き見ることができるだろうか。
 成平絹子の彫金作品による「人型」あるいは「建物」のイメージと、森勢津美の木版画が表すさまざまな建造物のイメージが合わさって壁面が構成されることで、一つの「都市」の情景を象徴させることを主旨として企画された展覧会。
 まず成平の作品だが、展示されたものは4つの種類に大別できる。一つは、アルミニウムを素材とする15cmほど「人」をかたどったもので、これらは、顔の造作や体の特徴が省略され、ぼってりとした輪郭のみで表されているが、壁面に設置された8体のうち4体は、、背中からビルが大挙して生えていたり、一軒あるいは数軒の民家を背負っていたり、背中から尾びれのように小さな街並みを引き摺っていたりするが、これらはすべて、素材を示すシルバーの色で統一されているために、からだに付着した建物を遠目から見ると不思議なかたちのこぶのように思われ、近寄ってこれが建物だとわかると、それぞれが持つ性格や物語をどことなく推測させ、私たちはそこに感情移入をすることができるのである。
 もう一つは銅の素材による、丸い大きな顔が付いた「走る人型」をイメージさせる作品15体と、その背景に型抜き用の6×4cmの四角い板をそのまま張り付けた25体、色の模様が加えられた6体が設置され、さらに、銅の彫金による5点のレリーフ作品(崖の上に梯子が取り付けられたもの、人が洞窟の奥を覗き見るもの、都市の一部が水平線を境に反転したもの、街並みの上から破壊された二つの塔がそそり立つもの、高い垂直のビルを象徴する11×63cm縦長のもの)のほか、中央の柱をはさんでそれぞれ30cmほどの猿の胴体が前後に分かれて取り付けられたものによって展示が構成された。
 一方森は、アンテナの立つ塔や煙がのぼる工場、クレーン、ガスタンクなどの建造物をはじめとして、ロープウェイや観覧車、あるいは正体不明のかたちのものなど、多種多様な建物をモチーフとして、ベニヤ板を版木とする木版画を和紙に刷り、「建物」の周囲の空間をわずかに残して手で千切ったものに水を含ませた上で、板の目がはっきりと出たさまざまな材質の板を千切った紙のかたちに合せて切ったり削ったりしたものに貼り付けてつくった4〜34cm、大小55点の作品を、成平と同様に壁にランダムに取り付けて展示を構成した。
 これらの版画作品では、建物自体は白が際立つインクで、その周囲の背景は薄いエメラルド・グリーンや藍色、黄緑など、さまざまな色相による比較的淡い色彩で彩られているが、風景の中から切り抜かれたかのようなこれらのイメージが表すかたちは、線の太さや垂直水平などが実に曖昧で、それは、夢の中で見た場面の記憶といってもよいような不思議な印象を醸し出しているが、不定形の板に乗せられたこれらの建物が「島」のごとく壁面に点々と浮かぶイメージの集合体は、「街」という存在そのものを象徴しているようでもあるのだ。
 展示は、ギャラリーの奥の壁面に森の作品が集中して配置され、そこから入口に向かって右へと向かうにつれて、森の作品が減りながら成平の作品が現れ、さらに手前側の壁ではすべてが成平のものとなるように設定された。ここでは、森の作品のかたまりを一つの「街」の象徴とすると、そこから右下方へと続いてゆく一群の成平の作品は、この「街」に向かって進んでゆく群集や(実際、人型はみな左側に向かって進むようにつくられている)、そこに至る過程で点在する郊外の家々を表しているようでもある。そして、成平と森の数多くの作品が、互いを領域を浸食しつつところどころで混ざり合ってつくられた展示空間は、色彩の点では成平の金属色と森による金属が錆びたような背景色が重なることで違和感なく地続きとなり、その壁面自体がどこにもないのにどこかに存在するような世界の姿を表しているようにも感じられる。その一方、材質の相違による存在感の異なりを意識しながら壁に目をやったときには、その違いが空間の立体感を感じさせるという二つの作用が合わさることで、ギャラリー全体は、この不可思議な世界の空気を強調する役割を担うのである。
vol.22 こまちまり × 廣瀬剛 『名前のなまえ』(2003年12月9日〜12月14日に開催済み) 【目次に戻る】
 私たちの身の回りにあるモノには、すべからく固有の名称あるいは名前が付けられている。それは、たとえば「犬」ならば「秋田犬」や「ブルドッグ」など、「水」ならば「真水」や「湖水」など、「人」ならば「男」と「女」の性別からはじまって、「白人」や「黒人」などの人種、「米国人」や「日本人」といった国籍など、さまざまな分類にしたがって細かく枝分かれしながら、あらゆるものに名称があり、そうした名称も「英語」や「日本語」など言語の違いをもってすべてが異なり、さらに犬や猫などのペットや人間には、多くの場合それぞれ個別に名が与えられる。これらのすべての名前は、私たちがモノを識別するために付けたものであるが、名前をモノに付ける必要があるのは言語を持つ人間のみであることから考えると、名前を付ける行為は、モノ自体を言語という抽象的な存在に置き換えることによって、はじめてそれを視覚ではなく意識の中で理知的にとらえ「認識」することができるという、人の意識のシステムの一端が浮かび上がってくるのである。
 では、私たちの身の回りで「名前」が付けられていない存在としては、どのようなものがあげられるだろうか。たとえば樹木は「桜」や「松」などに分類されるが、松林の中の一本一本の木には、私たち人間のような個別の名前はもちろんなく、食卓にのる「ちりめんじゃこ」の一匹ずつにしても当然ながら名前はない。つまり「松」や「ちりめんじゃこ」は、樹木やさかなの一つとして認識はされても、私たちが個別の名前で呼ぶような特別な存在には決してなりえないわけで、普段は名前を持たないそうしたモノたちに名前を付けてみたらどうなるかという探求心から今回の『名前のなまえ』の企画が出発し、そこからさらに進めて、「名前」のおおもとにある「ことば」によって視覚的なイメージはどのように生まれてくるのかという、この展覧会の主題が浮かび上がってきたのである。<BR>
 そもそもここで展示を行なうこまちまりと廣瀬剛の二人は、私たちが日常の中で「当たり前のこと」と思っているさまざまな固定観念に対して、独自の視点を付け加えて視覚化することで、時にはそうした固定観念の落とし穴を私たちに気付かせ、時にはそうした常識を裏返して新しい発想や視点を観る者の意識に沸き上がらせるような作品を制作してきた。
 この点についてもう少し詳しくみてみることにしよう。私たちの日常の中には、イメ−ジとして定着していたことが実際にその場にのぞんでみると大きく異なっており、その違いにはっとさせられる場面が多々ある。たとえば、見るからに酸っぱそうな色や匂いのジュースが実際に飲んでみるととても甘かったり、非常に重そうに見えた塊が実は指でつまみ上げられるほど軽かったり、そんな小さなことも含めて、意識の中のずれに気付き驚く体験の積み重ねが、固定観念にとらわれない新たなイメ−ジを生むための感覚を刺激するのである。
 こうした意識の中のずれはなぜ起こるのか。それは私たち一人一人が生まれてからの間に体験してきた無数のことをもとにして、人によっては同じものに対して全く逆のことがイメ−ジされる場合もしばしば起こるように、各人各様が意識の中に固定観念出来上がっているからであり、そうしたイメ−ジのばらつきを最大公約数的にまとめて個々のモノや出来事の在り方を定義付けることが、「デザイン」の本質ではないかと私は考えている。
 ところで、今や私たちはあらゆる種類の製品をはじめとする無数の「デザインされた」モノたちに囲まれて暮らしており、それらは多大なる利便性や快適さを提供してくれるが、その代償として、あらゆるもののイメ−ジはデザインする側によってそれぞれ予め決められ、それを享受する私たちの意識の中に新たなイメ−ジを芽生えさせる力は抑制されているように思われる。
 その一方で、不特定多数の人々に同一のイメ−ジを与えるためではなく、創作者という一個人が、自身の意識の中にあるイメ−ジを大勢の中の一人一人に語りかけるようにつくり出したものが、「アート」の在り方の本質なのではないだろうか。そしてアートに含まれるイメ−ジとは、何かを定義付けるためのものではなく、それが作者の意図したものであるかどうかは別にして、作品に触れた私たちの意志の中に新しい「何か」沸き上がらせるのである。そういった意味では、冒頭で記した本来名前付けられないものへの「名付け」も、固定観念の裏を探ることと、「名付け親」である一個人のイメ−ジが言語をもとにした特定のかたちになることにおいて、前に述べた「アート」の本質との重なりを見い出すことができるのではなかろうか。

 ここであらためてこまちまりと廣瀬剛の作品について紹介しよう。
 こまちまりは、「卵」の殻をもとにしたオブジェの中にさまざまな人の心臓の鼓動のリズムで点滅する電球を仕込み、それを空間に多数並べることで、複雑にミックスされた光のリズムが視覚の中に刻まれるインスタレーション作品や、装飾的なかたちをしたテーブルの3つの引き出しを開けると中が光り、「雲と空」「水紋」「雪の結晶」のイメ−ジがそれぞれ現れるオブジェ作品、箱の奥にかくされ見ることのできない点字のかたちの立体的な文字に触れることで、「触覚」の存在を強く印象付ける作品などを発表している。これらは、人の身体や感覚に対する彼女自身の興味をかたちにしたものであるのに加えて、卵やテーブルなど既成のイメ−ジを持つものが主要な素材として使われながらも、そこに思いがけないものが組み合わさることで起きる相乗効果でモノたちのイメ−ジは増幅され、私たちは視覚と身体感覚にまたがって新たなイメ−ジを体感することができるのである。
 一方廣瀬剛は、指の断面が実際に使える印鑑になっているオブジェ『ゆびいん』や、立方体のパズルをジグゾーにした『cube puzzle』など既成の商品のもとにしたものや、イラストレーション、アニメーション作品を制作するほか、一日24時間を一秒単位で書き込める『秒刻手帖』と西暦9999年までの予定表をSF上のできごとも含めてつくった『年刻手帖』の2冊を合わせたブック・オブジェや、視力検査表の左眼の部分が点字で記され、それに対応して左眼を覆う目隠しの棒の眼の部分に尖った一本の針山を付け、視覚障害者の感覚を想像させようとする作品などを制作している。彼の表現は、オブジェやイラストレーションにおいては、日常をじっくりと観察する中で気付いたことや、モノが持つ既成のイメ−ジをさらに発展させてそこから新たな感覚を掘り起こすことを、インスタレーション作品においては、時には常識にかくされことで、人の意識に中にありながら普段は気付かず秘められた部分に焦点をあて、私たちの意識を覚醒させるのだ。

今回取り上げる「名付け」や「ことばのイメージ」も含めて、日常の中にあって私たちが普段見過ごしがちなこととは、実際には決して不必要な物事ではなく、その中にこそ既成のイメ−ジにとらわれない新たな価値観の原型がかくされているように思われてならない。そして二人がつくる作品は、時にはデザイン的な思考と手法を駆使して、さまざまなかたちで既成のイメ−ジをまといそれを装うことで、展示空間に「日常」の場を架設し、その上で彼らがイメ−ジしつくり出した新たな価値観をその中に潜ませ、そのトリックに気付いた私たちの意識を、既成のイメ−ジに覆われた日常の中から一時解き放つのである。
 本来名前の無いものに「名付け」をすることを当初のプランとして、視覚表現とことばとの関わりを探究するという主旨によって、こまちまりと廣瀬剛によって行われた展覧会。
 こまちは、以下の3点の作品を出品した。一点は、オレンジ、ブルー、グリーンなど虹のスペクトルを表す色のグラデーションを90×90cmのボードの上につくってそれを壁に貼り、観客がその中から好きな色を示す場所を備え付けのポンチでくり貫き、そうやって採取した直径8mmほどの色の円を、任意の「色の名」を付けて書いてもらった紙と共に、パネルの右側に並べて設置した同じく90×90cmの黒い布のポードにピンで留めてもらうという、「こころの色」と題する作品である。もう一点は、表面にタイルが張られた149×9.5cmの細長い棚が上下に二段並んで壁に設置され、その上には、「このことから足を洗いたい」という質問の回答として寄せられた「不倫」「タバコ」「間食」などといったことばを内部に封入した、オレンジ、パープル、藍色などさまざまな色彩による7×4.5cm、半透明の石鹸が計30個並べられた、「足を洗うための石鹸」と題する作品、そして3点目は、壁面に長さ2〜4mほどの3本のピアノ線が交差して張られ、それを来場が弦楽器のフレットのように指で弾き、そこで出た音がイメージさせる具体的な情景を紙に書いてその地点に貼ってもらうという、「非相対音感」と題する作品だ。
 一方廣瀬は、以下の3点を展示した。一点は、25×25×高さ70cmの木の板による台の天板部分に、下に電熱器を仕込み数十度の熱さになる銅板が敷かれ、その上には、15cmほどの高さで膝を抱えたような姿勢の「子供」をイメージさせる、頭上に「点滴」のセットが設置された石膏の人形が置かれており、この点滴は、30〜40秒間隔で水を頭に一滴落とし、そうやって濡れた部分はじんわりと温まった人形の熱で時間をかけて蒸発してゆく。そしてその脇には、この人形に名前を付けてもらうように促すコメントが貼られており、来場者は、用意された5.5×1cmの水溶性の付箋紙にその名を書き入れ、点滴の水を入れた透明の円筒にその紙を入れるように指示されるが、その紙は徐々に解けながら、もやもやとした正体不明の物質として水の中に沈殿してゆくという、「名付け親プロジェクト」と題する作品である。
 もう一点は、直径9.5cm、高さ11.5cmの土が入った小さな鉢が60cmの間隔を開けて床に置かれ、その頭上には、前出の作品と同様の水が入った直径2cmの円筒をつないだ点滴セットが天井から吊るされており、右の鉢の脇には、来場者に「思い出したくない名前」を書くか想像し、やはり用意された水溶性の付箋紙を点滴の水に溶かしてもらうように指示したキャプシャンが貼られ、左の鉢の脇には、「忘れてはいけない名前」を書くか想像してもらう指示が同じく貼られた、「なまえ力 左・右」で、3点目は、25×25×高さ80cmの板による台の上に、14×9.5cmの白い紙のノートが開いた状態で置かれ、そこにはクジで使われるスクラッチで、今回来場する可能性がある人々の苗字を平仮名で表したもの(2×0.5cm)が、一ページ約50人、計1000名分ほど並べられ、案内状が送られてきたなど心当たりがある来場者は自分の名前をその中から探し出し、用意された10円玉でその名の部分を削ると下から「人」という字が現れるという、「なまえの皮」と題された作品だ。
 ここに展示された6点の作品の内、こまちのものについては、来場者などが体験したある事柄に対して何らかの「ことば」を当てはめる行為がもとになって作品がかたちづくられてゆくが、それは、自己の意識を掘り起こして客観視する作用を促し、廣瀬の作品では、さまざまな装置に促されて人の「なまえ」と関り合い、時にはそれをモノとして扱うという、自身の意識や思考にかたちを与える行為を体験することで、人が名前に対して持つイメージが露にされるが、こうして名前やことばの意味が視覚化された姿を見るにつけて、私たちは、ことばと視覚的イメージとの関わりやことばが持つ力を、身をもって体験することができるのである。
vol.23 大坪紀久子 × 酒匂あい 『kirunugu工房』 (2003年12月16日〜12月21日に開催済み)【目次に戻る】
 「真冬のTシャツ屋」と聞いてどんな服のイメージを思い浮かべるだろう。シックな色合いのものだろうか。少し飛躍して、マフラーとセットになったものかもしれない。Tシャツは比較的安価なこともあって、さまざまな色や図柄のものを取っ替え引っ替え着て楽しむことができる身近なファッションのアイテムである。「Tシャツアート」ということばがあるくらい個性的なデザインのものが、とりわけ夏になるといっせいにショップや街なかに氾濫するように見かけられるが、それをあえて真冬の時期につくってみたらどんなものが考えられるだろうか、冬のモノトーンの景色にはどんなデザインのTシャツが似合うのだろうか、クリスマス・プレゼントになるようなものを考えてみたらきっと楽しいに違いない。そんな発想から今回の『kirunugu工房』が企画された。
 ここでは、大坪紀久子と酒匂あいの二人が無地のTシャツに専用の画材で直に絵を描き、時には刺繍なども交えてつくった、それぞれ三十着ずつほどの作品が展示・即売されることによって、6日間限定の「真冬のTシャツ屋」がギャラリーの中にオープンする。二人を簡単に紹介しよう。
 大坪紀久子は、主に人物をモチーフにして、カッターナイフで塩ビ板にかたちを切り込むという、一部ではエンボスのように紙が彫り込まれたような質感が現れる独特の技法で、手書きのあたたか味の中に鋭利さを含んだ輸郭線と赤や黒の色彩が印象的な版画作品を制作している。この中で描かれる人々の表情は、淡々としつつもどことなくおおらかであたたか味があるが、それは、どこか特別ある場所のようでいて、夢の中でかつて見た光景でもあるような、色面と線によって表される「どこでもないどこか」の景色ともいえる背景と組み合わさって、時間が非常にゆったりと流れる心地のよい物語が画面に描き出されるのである。
 一方酒匂あいは、自身の身の回りの出来事や日々の中で考えたこと、友人など身近な人々とのことなどをもとに、主に水彩絵具や色鉛筆を使い、時にはことぱを添えて「日記形式」表されることもあるイラストレーションのほか、今回展示されるようなTシャツとしての作品も制作している。彼女の作品は、「本」の形式をもって表されることも多いが、たとえば日付のない日記帖のかたちでつくられた作品では、おそらく彼女自身が感じたこと、体験したことであるはずだけれども、もしかしたら架空のキャラクターの体験かもしれないというように、実際の日常に即しながらもどことなく空想が入り交じっているような曖昧な要素が、その大きな魅力になっているのである。
 冬の景色や装いに似合うもの。クリスマス・プレゼントととして贈りたくなるようなもの。普段目にするものとはひと味もふた味も違うTシャツが主役のこの展覧会は、それを着た人の姿を二人が想像しながら楽しんでつくった作品で彩られた空間を訪れた私たちが、「見る」楽しみや「選んで買う」楽しみ、そして「身に付ける」楽しみという、身近なアートのおもしろさ、楽しさを十分に味わえる場になることだろう。
また、この「工房」では、彼女たちがその場で絵を描き実際にTシャツが完成してゆく姿を見たり、希望があれば来場者も自分で絵を描いてTシャツをつくることができるような用意もされる予定だが、それも、「着るアート」ともっと深く関わることができる冬の日の楽しみの一つである。
 大坪紀久子と酒匂あいが、それぞれの絵を無地のTシャツに描いて作った作品で、「真冬のTシャツ屋」をギャラリーに出現させるという主旨の展覧会。図柄となる絵はTシャツ専用の染料を使った画材で表されたが、酒匂の作品ではさらに布や糸による刺繍が加えられた。
 まず大坪の展示作品だが、白や赤、オレンジ、グレーなどのシャツに、藍色や黒、赤、白、金色などの染料をもとに、さまざまな人のかたちや顔等のモチーフが輪郭線で表されている。それは普段彼女が制作する塩ビ板の版木による版画で描かれる、鋭利なかたちと鮮明な赤を生かしたシンプルな人物描写の特徴を引き継ぎ、一筆書きのような線であるにもかかわらず、おそらくその緊張感がかえって描かれる際の手の勢いをそのままの保たせるのか、大坪の作品独特の味をここでも再現しているのである。また、シャツの内の何枚かは、彼女の版画作品に現れる「赤」の色が、リンゴの絵などのかたちで使われているが、それもやはり彼女の作品のエッセンスの一つとなって、Tシャツそれぞれが一つの作品であることを示すための要素となっているのである。
 一方酒匂の作品は、大坪と同様白や赤、グレー、クロなどの無地のTシャツをもとにしながら、白や赤、黒などの染料ペンで、時には緻密に描いた王冠やウサギ、犬(愛犬)、鳥、花、植物などがモチーフとなり、さらにそこにさまざまな柄の布地が縫い付けられたり、その上から色彩を加えるように刺繍したり、染料によるイメージが描き足されることで絵が完成したものもあり、その図柄は多種多様だ。しかしそれらは、ギャラリーの壁面で違和感なく混ざり合い、不思議と統一した印象を感じさせる。それはおそらく、布などを使ってイメージが密に表されている部分では、絵の周りにある程度の余白がバランスよくを取られ、白など比較的目立たない色の線で表される部分では、中央に大きなスペースを取って描かれているというように、シャツの地色とモチーフの描写の仕方の絶妙に調整され、一枚一枚のシャツが彼女の作品として個性を主張すると共に、展示されたもの全部が組み合わさって大きなもう一つ世界ができ上がるような展示がなされているためではなかろうか。
 この展覧会は、二人がそれぞれ会期に合せて30枚ずつつくったTシャツの作品に、「kirunugu kobo」というオリジナルのロゴをによるタグを付け、ハンンガーに掛けて壁面や天井に置くことで「Tシャツ屋」を模し、一枚4000〜5000円ほどで来場者に即売された。また会場内には、二人がシャツを「実演」制作して展示に補充してゆくような、さながら「工房」の形式を取ったコーナーが設けられ、希望があればそこで来場者も1500円で体験制作ができるというプランが実施された。
 大坪と酒匂が制作したTシャツは、展示する壁面の区域こそ分けられているが、シャツのもとの地色は同じために、遠目に見ると視覚の中で混ざり合って「Tシャツ屋」のディスプレイをイメージさせ、一方、実際には描かれる絵のテイストが明らかに異なるこれらのシャツは、二人がつくるキャラクターの魅力をそれぞれに発揮して、私たちが作品を選び買い求める楽しさを倍増させている。また、シャツの作品のほかにも、大坪は5点の版画作品を、酒匂は5点のイラスト作品を展示したが、それは、シャツの中に表されたイメージとつながり合うことで、そこに現れるオリジナリティをことさら高める役割を果たしているのである。
vol.24 秋元珠江 × さいとううらら 『内なる水』 (2004年1月6日〜1月11日に開催済み)  【目次に戻る】
 私たちは、身体はもちろんのこと、自身の意識の中にも「内なる水」と言い表すことができるものを宿して生を営んでいる。この不可視の「水」は、私たちが普段目にする物質としての「水」とどのような関係にあるのか。そして、「水」の実体とは如何なるものなのだろうか。
 
 水は、川や海の水、雨、水道水や市販の飲料水など、見た目で明らかにそれとわかるもののほか、雪や氷、あるいは添加物が混ぜられ生成されたさまざまな飲料や液体など、水がもとになっていると想像できるものも含めて、まさに無限のかたちを得て私たちの回りに存在している。つまり水は、それ自体が質量を持つ一つの物質でありながら、時には他のさまざまなものと混ざり合いながら変幻自在に姿を変える、「かたち」の無い物体であるわけだが、私たちが水の実体を明確なイメージとしてとらえることができない理由は、別のところにあるように思われてならない。
 知っての通り、人間のからだの細胞の約60〜70%は水分でできていると言われている。しかしそれを実感するのは、怪我を負って出血したときくらいで、実際には知識として学習した「事実」であるに過ぎず、私たちは、自身のからだの大部分が水で構成されているかもしれないのにそれを体感できないという不条理を抱えている。それゆえに、通常は決して目にすることのできない体内の水は、単なる物質としてではなく、イメージの産物である「概念としての水」というかたちでしか認識することができないのである。そして、意識の奥底に伏流水のように絶えず隠されて流れる「概念としての水」を心のどこかで感じながら、日常の中で「物質としての水」に触れたり目にしたりすることで、両者は意識の中で重なり合い、はじめて「水」という存在が真にイメージされるのであって、そうしたことが、「水」の実体をとらえどころがないほど広く不透明なものとし、その定義付けをことさら困難にしているのではないかと推測できるのである。

 明確なかたちを持たないのに物体として存在し、さらに私たちの身体そして意識と決して切り放すことのできない重要な要素でもある「水」。そうした「水」の実像はどのような「かたち」をもって表し得るのだろうか。この展覧会は、「概念としての水」をめぐるこうした問題提起を企画の発端としている。ここでは秋元珠江とさいとううららの二人によって、それぞれ「水」を象徴とする作品が展開されるが、まず最初に、私がかねてから作品の中に「概念としての水」の存在を感じてきたさいとう うららの表現について紹介するしたいと思う。
 彼女の作品に「水」の実像を最初に見い出したのは、1997年に私がGallery ART SPACEで企画した個展での展示作品『LINK』に触れときのことである。これは、内部に複雑な構造の仕切りがつくられた、白いロウを素材とする直径15センチメートルほどの球体の中に水と空気を封入し、それをギャラリーの床に計12個並べて直径2メートルほどの正円をかたちづくるというもので、観客は任意の球体を自由に手に取ることができるが、それを持ち上げて傾けた瞬間、中の水は複雑に仕切られた内部をかけ巡り、「コポコポッ」といった音や小刻みに「ブルブルッ」と震えるような振動が球体自身の囁きのように伝わってくるという作品であった。
 作品が発する音や流れに意識を集中させてゆくと、実に落ち着いた心持ちになれるというのが私の得た感想だが、その理由としては、水という存在そのものに人の心を落ち着かせる効用があるというだけではなく、やわらかなロウの質感を経て掌に伝わってくる球体の中の水の存在感が、皮膚という皮膜を境界として、私たちの体内に含まれているであろう「意識の中の水」と呼応し合うような感覚を体感させるのではないかということが挙げられる。そしてこのような印象は、実際の水は使用していない彼女の他の作品でも、イメージとしての「体内の水」とのかかわりとは別の側面からではあるが、おぼろげながら感じ取ることができるのである。
 さいとうの作品では、たとえば小さな円環が反復して連なり外側にさらに大きな連鎖を生み出すなど、ある限定された空間の中での無限の反復が一つの絶対的な世界を表すようなイメージが頻繁に現れる。最初彼女は、小さな白い脱脂綿のリングを連ねて吊すことで中空に大きな円環をつくる立体作品や、リングの連なりが透明樹脂に封入されたオブジェ作品のほか、無数の小さな白い円が互いに連鎖しながら正円や楕円をかたちづくるイメージを透明フィルムやトレーシング・ペーパー、紙、キャンバスなどに孔版で刷ったものや、時にはそれらがパーツとなってある規則性をもって空間に配置されることで閉じられた絶対的な空間を表すような作品を発表してきた。そして近年では、印刷でも使われるCMYKの四色の小さなドットを点描のように重ねてイメージを構築した版画作品や、「ビー玉」をクローズ・アップで撮影した淡くカラフルな正円のイメージをデジタルプリントで表したものなど、色彩の要素を加えることで「連鎖」をもとにした抽象性を背後に隠し、平面上に表現されたイメージ自体の存在感あるいは絶対性を強調するような手法へと拡大している。
 ところで、円環が果てしなく連鎖するイメージは、単に「かたち」が増殖してゆく様子を見せるだけではなく、私たちはその裏側に、不可視の原子が結び付き合って物質さらには世界を構築する様や、星や小宇宙が連なり合って無限の時空をつくる様を空想の中で重ね合わせることができる。無数の細胞の連なりが「私」自身の存在をかたちづくるイメージもその一つであるが、さいとうの手になる水の球体に触れた体験を通して、概念として表される「体内の水」の触感が自身の記憶に刷り込まれたことによって、それ以降、連鎖するリングの固まりは、透明感が際立つ作品の外観が無色透明な水のイメージと重なり合うことも影響して、水を含んだ細胞の総体がつくる私自身の身体の象徴としても感じられるようになったのである。
 また、色彩を使った「ビー玉」の作品等の近作に関しても、やや輪郭がぼやけた正円の内部を満たす淡い色彩のグラデーションは、水に満たされて青く輝く地球や細胞の一片一片のようにも見え、ここでも「概念としての水」のイメージは、より視覚的な強さを伴って引き続き生かされているのだ。
 そして今回の展覧会でさいとうは、水とオリーブオイル、苛性ソーダから成る作品としての石鹸を展示する。この石鹸の内部には「さよなら」という文字が封入されており、観客は購入して持ち帰った石鹸を使い、そのかたちが消失することでしかこの文字を眼にすることができない。彼女はそれを、「物質である作品と別れることで意味としての作品と出会うことになる」と語っており、この作品を取り巻くコンセプトを「みそぎ」ということばで言い表しているが、ここで洗い清められるものは、心の内にあり別れを迎えるべき何かであり、それを洗い流すのは、意識の中の「内なる水」の循環なのである。

 次に、秋元 珠江の表現である。その多くがヴィデオ・プロジェクターによる映像を使ったインスタレーョンとして表される彼女の作品は、ゼリーや泡など物質としての水を含みつつ時間の経過にしたがって形が変化する素材が時には用いられ、実際に水が作品の重要な要素として映像の中に登場することもあるが、「水」が表現に介在するかしないかにかかわらず、それは、私たちの意識の中でイメージされる「水」の中に映ってゆらぐ、不可視の「影」のようなものとして喩えることができるのではないかと私は考えている。
 私が初めて秋元の作品に出会ったのは、一九九九年に横浜ガレリア・ベリーニの丘ギャラリーで開催された個展『あなたということ』だった。これは、彼女自身の顔がヴィデオ・プロジェクターによって暗闇の部屋の壁に大写しで投影され、その映像は時折激しく歪みながら、さまざまな顔の表情をつくってゆくという作品で、プロジェクターの光りを辿ってゆくと、床には多種多様の手鏡を乗せた大きな鏡が置かれ、そこに映像が投影されることで、壁に反射して映る映像の中の顔は激しく歪められるのだと気付かされるのである。
 この空間の中で私が感じたのは、壁は確かに「顔」の映像で占められているのに、それを視覚でとらえようとする意志は働かず作品と相対している実感が何故だか涌かないという、非常に曖昧模糊とした印象だった。後から考えると彼女の心の中のゆらぎを表しているのかもしれないとも思えるのだが、その場では、自分が空間と同化してゆく感覚をわずかに感じるほど、移り変わる映像をただ意識の中で受容するのみで、会場を離れたとたん、そうした感覚は急速に薄らいでいったのである。
 そのすぐ後の萌画廊での個展『think』では、薄暗い会場に組まれたスロープを上がってゆくと突然まばゆいばかりの照明に照らされ、それが消えて徐々に目が暗さに慣れてくると、壁面いっぱいの人の横顔の映像が「think」などの文字と共に壁に現れるが、ほどなくそれが観客自身の横顔をリアルタイムで写したものであることに気付かされるという展示が行われた。そしてここでも、会場から出た後には体験した状況を反芻できるが、展示の現場では何も感情が動かされないという印象は続いた。
 秋元の作品はなぜこのような感覚を呼び起こすのだろうか。たとえばこのスロープの作品では、最初観客は能動的に作品を観ようとして作品と相対するが、壁に投影されているのが自身の姿であると気付いた瞬間「鑑賞」の対象としての作品は消え、その場には二次元に表された自身の「影」のような映像を見つめる「私」だけが残されることで、作品を「観よう」という意志は行き場を失い、そこにいる自分の存在をただ感じるだけで意識の中に何も映り得ないという状況が生まれるからではなかろうか。
 前に紹介した手鏡を使った作品ではどうであろう。手鏡によって不自然に歪められた映像の中の作者の顔は、二次元的であることを差し引いてももちろん彼女の実像には程遠いが、その歪んだ映像から彼女の本当の顔を想像によって伺い知ろうとすることで、私たちの意識はもはや「作品」として投影された映像を離れ、そこにはあろうはずのない彼女自身の実像へと向けられる。そしてそれに集中するするあまり、作品を「観よう」とする意志は解体され、その結果、会場に一人たたずみ彼女の虚像と相対する「私」自身の存在のみが何故だか強く意識され、時間の経過さえも不確かなその空虚なる空間の中で、「私」は、あたかも流れのない水の中に浮かびただそこに漂っているかのような感覚に身をゆだねるのである。そして、こうしたおぼろげな感覚の体感にこそ、秋元の作品の原点が含まれているような気がしてならないのだ。
 こうしてみると、私たちが自身の存在を自覚するための、もしくは作品や展示空間に同化するための補助装置のようなものだともいえる秋元の作品は、そこに含まれる「空虚」と「不透明」さ、さらに意識そのものが空間に漂うような感覚を観る者に体感させることにおいて、前に述べたさいとう うららの作品が表す「概念としての水」とはまた異なった種類の「水」のイメージをもって語ることができるのものであり、それゆえに、どこかに確実に存在するはずなのに目には映らない私たち自身や作者の「影」、それも、私たちの足下から伸びて意識の下に湛えられた「イメージとしての水」の中でゆらいでいるであろう、不可視の「影」という比喩を当てはめることができるのだ。
 今回彼女行う展示の内の一つは、ヴィデオによる作品で、コップに水と油を入れて撹拌させ、時間をおいて両者が分離した後に着火すると油の部分が音を立てて燃え、最後には自然に火が消える過程をエンドレスでリピートする映像を、数台のモニターを使って上映することで構成されるものだが、水に対して油という、本来相容れないものをめぐる激しい変化に囲まれてた「水」の姿は、やはりここでも「水」そのもののイメージとしては現れず、おぼろげで流動的な中に何か確固たる存在が目に視えず潜んでいるような、不思議な感覚を私たちに察知させるのである。

 「概念としての水」を体現するさいとう うららの作品と、意識下の水の中に映る視えざる「影」としてイメージされる秋元 珠江の作品。手に取れるものと意識の中で明滅するもの、空想を呼び起こすものと心に空虚をつくるものというように、両者には根本的に相対する要素が含まれている反面、いずれも人の意識の在り方と深い関わりを持つが、この二人のインスタレーション作品によって展示空間の中に立ち現れた、「概念としての水」という実体なきものに向かい合う体験を通して、私たちは、誰の意識の中にもあるはずの「内なる水」を、どのようなかたちをもって感じ取ることができるだろうか。
 物質としての水から人の意識の中の概念としての水まで、幅広い「水」の在り方から想起されるイメージをもとに、秋元珠江とさいとううららによって行われた展覧会。それぞれ以下のような作品によって展示を構成した。
 秋元珠江は「水と油」と題し、24インチ、20インチ、10インチ、3インチというサイズの異なる4台のモニターに映像作品を映し出したものと、96×98×高さ5cmの背の低いガラスの水槽を使ったインスタレーションを行った。映像では、直径8cmほどの透明のガラス容器に水とホワイトガソリンを混入させてガラス棒で3〜5秒間攪拌し、しばらくおいて両者が分離した後に「チャッカマン」で火を点けると激しく炎が上がり、数分後に容器の内側に黒い煤が残って鎮火する様子が3〜9分でリピートされる。「燃焼」の状況は、モニターサイズの大きな順から住宅地の空き地の草の上、暗がりの中の台の上、住宅の前の砂利の上、白い雪の上の光景が、ギャラリースペースの奥側に扇状に置かれた3つのモニターと入口近くのソファーに置かれた超小型モニターに映し出されるが、4つの微妙に異なる燃焼の状況に囲まれることで私たちは、視覚的には水と炎をめぐって移り変わる光景を、ゆるやかにそして劇的に体験し、「水」と「油」をめぐる意味の点では、秋元が暗に想定した「相容れない存在」同士の反発とカタルシスを読み取らせるのである。
 また、ギャラリーの中央の床には、前記のガラスの水槽に水を張った上にポリエチレン・フィルムでできた皮膜のような「世界地図」が浮かんでいるが、ここでは、それ自体は無色透明ながらも、照明に照らされて水槽の下に敷かれた白いビニール・シートの上に影を落とすことで、地図は脆く流れながらも確かな存在感を放っており、それは、確かに在りながらも実際には目にすることのできない、私たちのイメージの中での「世界」の姿を暗示しているように思われてならないのだ。
 一方さいとううららは、7×6×厚さ6cmの六角柱をかたどった「石鹸」を、25×25×高さ20cmほどの白いネルの布地による、中にポリエステル綿を詰めた小さな「ふとん」に一個乗せ、それを2個のL字金具で壁に設置して展示を行った。この「石鹸」はオリーブ・オイルと華性ソーダ、水を成分としており、表面には作品タイトルでもある「MISOGI」の文字が刻まれている。内部には朱色のパプリカによって「さよなら」という文字が封入されているが、これは、購入するなりして「石鹸」を持ち帰った来場者が日常の中でこれを使い続けることでしか現れることはなく、作者自身が「物質的に作品と別れることで意味としての作品と出会うことになる」と語る、ある別れの状況を、展覧会を訪れた記憶として後に思い起こさせるのである。
 会場構成は、手前にはさいとうの「石鹸」がいたってシンプルに設置され(真下には来場者に持ち帰ってもらうために用意された「石鹸」がいくつか収められた金属の容器が置かれている)、その奥には秋元による水槽および3台のモニターが見えるというものだが、それらのモニターからはそれぞれの撮影の際にマイクが拾った車の音や鳥のさえずりなどが常時会場に流れ、ときおり思い出したように起こる、ガラス棒で容器を攪拌する「カラカラカラッ」という乾いた音や炎が上がる音が突然会場のどこかから聴こえる度に(超小型モニターからの攪拌の音がひときわめだって聴こえる)会場の空気は一瞬切り替わり、映像に映される「日常」へと傾いてゆく私たちの意識を、「水」と「油」をめぐる「場」にしばし引き戻すのである。
 また、さいとうの作品を覆う白もしくは透明色のイメージは、その無彩色さゆえに秋元の映像の中のイメージと相反することなく共存し合うが、それは、二人の意識の中にそれぞれの「水」を感じて想起したものであることにおいて、互いに異なる「水」にまつわるイメージを、緩やかなつながり伴って空間の中に並置させるのである。
vol.25 加藤直子 × 藤原靖子 『objec/communication』 『(2004年1月13日〜1月18日に開催済み)  【目次に戻る】
 私たちのまわりにあるあらゆる「モノ」は、それぞれ固有の意味やイメ−ジを宿してその存在を成り立たせている。そしてその多くは、たとえば石は「固さ」や「重さ」あるいは「永続」など、樹木は「生命力」や「自然」、「緑」など、紙は「白」や「もろさ」、「自在」などといった複数のイメージが組み合わさって象徴されるように、色やかたち、匂いなどの外観や、人がそこに求める意味をはじめとして、個々のモノにまつわるさまざまなイメ−ジが絡み合って一つのモノの像が人の意識の中に浮かび上がってくる。つまり、人がモノの存在を認識する際には、視覚や触覚などの知覚によってそれぞれに含まれるある要素が選び出されてモノの実像が思い描かれるが、そのもとになるのは私たち一人一人の体験や記憶であり、全く同じモノと相対しても人によってその印象が異なるのは、そうした選択を経て意識の中での像の映り方が振り分けられるからである。
 また、さきほど「樹木」のイメージとして「生命力」「自然」「緑」を取り上げたが、もちろんこれは「樹木」にまつわるイメージの一部に過ぎず、一転して立ち枯れの樹木の姿を想像した場合には、「無彩色」や「死」といったネガティブなものが思い描かれる場合もあるというように、一つのモノをもとに,そこに冠されるイメージは無数といえるほど多岐にわたって拡散してゆくのである。
 要するに、私たちを取り巻く現実の中の無数のモノたちは、それ自体が単体で存在してはいるだけではなく、実際にはさまざまな「ことば」によってイメージを当てはめられた結果個人の意識とつながり、認識がなされるといえるが、これを、自然発生的に「かたち」から「概念」が導き出されるて起こる作用であるとすれば、人がある意志をもってモノに「概念」を当てはめることで、相対する者の意識の中にさまざまなイメージを呼び起こすものが、「アート」だといえるのではないだろうか。
 たとえば、絵画で使われるキャンバスや絵具、あるいは彫刻で使われる金属や粘土などのマテリアルは、生のままでは一個のモノに過ぎないが、美術家の意志をもとに制作の過程を経て、そこにあるイメージが付加されることで、素材となったモノたちは、美術家個人の意識の中にあるさまざまなものを背負う一個の「作品」という固有の存在へと生まれ変わり、それ自体が一つの「ことば」として私たちの意識に作用し多様なイメージを発生させるのだ。
 そして私たちは、「作品」としてのモノたちが発する、イメージという名の「ことば」に耳を傾けることを通して、現実の中のモノとの間には生まれ得ないような、人とモノとの一種のコミュニケーションを体験することができるのである。

 ここまで、「ことば」を起点にした人とモノとの関係、さらには「アート」としてのモノをめぐる人とのつながりについてみてきたが、今回加藤直子と藤原靖子によって開催される『objecy/communication 』では、概念とモノとのこうした関わりをクローズ・アップして制作がなされる二人の作品をもとに展示が構成されることで、モノの本質や、そこに現れるイメージの在り方に対する探究が行われる。両者の作品を簡単に紹介しよう。
 加藤直子は、デザイナーとしてさまざまな印刷物や広告のデザインを手がけるかたわら、日常の中でのモノとの関わりを探るようなオブジェ作品を制作してきた。以前行った個展(『TRANSIT INTENTION』 1997年 Gallery ART SPACE)は以下のような展示だった。
 たとえば、列車の切符と馬券を一組にして「つかのま」ということばを印字したキャプションが添えられたものや、同様にパフと砥石を組み合わせて「バケノ皮」と題したもの、猫の首輪とネクタイ、ネックレスで「奴隷」、リトマス紙と付箋紙で「注目の証」、ビー玉とあめ玉で「損得なしの交換」、万華鏡とつつで「覗かれる世界」といったものなど計38組分が、壁面に設置された30cm角の半透明アクリル板の棚や、床の上の台座に置かれたり、直に壁に取り付けられたり、天井から吊るされたりして空間が構成され、さらに会場では、置かれたモノたちのそれぞれの名称を記して正体を明かした10頁ほどのリーフレットが来場者に配布された。
 ほぼ白の色彩で統一された空間全体の無機質な雰囲気は、そこに置かれたモノの個性を背後に押しやり、キャプションに記されたことばを第一の手がかりとしてモノを認識させるということにおいて、その「かたち」からイメージが生まれ拡散してゆくことでなされる、人がモノを知覚する際の手順を逆に辿らせることとなる。そして、モノに対する通常の認識とは異なる体験を経て、私たちは、「人」と「モノ」と「ことば」との深い関わりを探究する意識を、知らずの内にしばし働かせることができるのである。
 一方藤原靖子は、実際に販売されているさまざまな商品のロゴや形態、商品名などを、時にはパロディーも交えて独特の感覚で新たな意味を担う存在に変換させることなど、モノに冠される固有のことばやイメージをすり替えることで、モノとそこにまつわる概念との関わりを浮かび上がらせるような活動を行ってきた。
 たとえば彼女は1998年にGallery ART SPACE で開催した個展において、「阪神タイガース」の応援用グッズが「広辞苑」を丸ごとかたどったケースに収められた『甲子園』、「CAMEL」の煙草の箱のデザインをもとに「ガメラ」の絵がパッケージに刷られた『GAMELA MILD』、「CONVERS」のシューズをもとに漫才コンビの「オール阪神・巨人」の足のサイズに合わせたシューズをディスプレイした『COMEDIES』、「カネヨ・クレンザー」をもとに怪獣「カネゴン」のキャラクターでパッケージをデザインしそれを流し台にディスプレイした『カネゴンクレンザー』(石鹸でできた硬貨が一箱2500円ずつ入れられている)など、さまざまな商品をもとにした作品による展示を行った。さらにその後も、情報雑誌「ぴあ」の表紙イラストをもとに、藤原の知人数名が子供時代に持っていた将来の夢を、原典の表紙と同様の絵で、一冊一名ずつ表紙に描いて表した『ぴゅあ』や、「HERMES」のロゴやイメ−ジをもとに制作したヘルメットを、実際の工事現場で作業員数名にかぶってもらったポートレートと共に展示した『HERMET』などを発表している。これらの多くは、リアルな手書きの絵にデジタル処理も交えた方法で、遠目にはもとになった対象と見紛うほどに、色やかたちなど細部にわたってすべてが緻密につくり込まれており、モノとしての外観はモデルとなった商品そのものであるのに、実際にそこから読み取れるものは、全く別のイメージや彼女自身に関するプライヴェートな物事であるという、一種のはぐらかしに観る者は見舞われる。そして、そういった「ことば」のすり替えがもとになって露にされた、モノの実体とそこにまつわるイメージとのずれは、モノに付されたことばや概念によって大きく影響される人の意識の在り様を、私たちに一瞬気付かせるのである。

 「ことば」を起点に人がモノを認識する道筋を私たちに辿らせることで、モノをめぐるイメージの在り方を解き明かそうとする加藤直子と、モノが持つイメージを別の「ことば」に置き換えることによって、外見は変わらずともそれを全く意味の異なる存在へと生まれ変わらせ、モノにまつわる「ことば」の力を思い出させる藤原靖子。二人の作品が相並ぶ空間は、人の意識とモノをめぐる関係を、どのようなかたちをもって私たちに示してくれるだろうか。
 モノにまつわるイメージやことば、あるいはことばによって規定されるモノの概念など、人の存在をめぐるモノとことばの関係に焦点を当てて、加藤直子と藤原靖子によって行われた展覧会。
 まず、ギャラリーの奥の空間に展示された加藤直子の作品だが、30×30cmの緑の人口芝が5枚組み合わさって90×90cmの十字形をつくったものが壁に45度の角度を付けて床に敷かれ、その一辺に接して同じく30×30cmのもの5枚による十字形のステンレスの鏡板が設置され、そこに置かれた高さ8cmほどのガラス瓶には、表がグリーンで裏は朱色のミラーコート紙による3×3cmの小さな十字が2個入れられ、鏡板の周囲には3×3cmと4.5×4.5cmのものを取り混ぜて、裏表の比率がちょうど同じになるように約200個の小さな十字がばらまかれている。鏡の真上にはやはり90×90cmの段ボールによる十字形が天井からテグスで吊るされているが、その裏面のやわらかな赤いフェイク・ファーとは実に対照的に、緑に塗られた表面は金網で覆われ、そこには約1cm間隔で長さ2cmの釘が先端を外に向けて計4500本ほどびっしりと取り付けられている。さらに奥の壁面には、綿と麻の混毛による270×180cmの布地が張られ、下からは緑の十字形がうっすらと見えるが、その部分には、吊るされた十字から突き出た無数の釘によって穿たれたことを想像させるように小さな穴が無数にあけられている。
 来場者は床の緑の十字の中央に立ったときには、釘で覆われた十字とからだの正面で相対すると共に、人口芝や鏡、その周囲のもの、さらにそれらがつくる影など、主に緑と朱色の色彩をもとにしたさまざな「十字」のイメージを、視覚と身体の両面で受けとめるが、ここでは、「十字」というかたちにまつわるイメージや概念がさまざまな姿で私たちの眼前に現れ、それが釘による「痛み」のイメージと結び付くことで、「十字」の存在を超えてその先に在る「何か」を皮膚で感じるような感覚を体験させてくれるのである。
 一方藤原靖子は、「痛み」を意味する「PAIN」という英単語をキーワードに以下のような展示を行った。藤原に割り当てられたギャラリー手前のスペースには、50×46×高さ31cmの白い台座に、グレーのスチール・パイプによる30×48×高さ58cmの市販の傘立てが置かれており、そこには長さ約70cmの白い半透明による市販の安価なビニール傘が折り畳まれた状態で一本立てかけられている。これは来場者が自由に手にとって開くことができるものだが、開くと直径75cmほどになるこの傘の表面には、1〜4cmほどのさまざまなサイズの正円の穴が作者自身の手作業で約290個開けられており、それを頭の上にかざすと、天井からの照明を浴びて「穴」は強調され、床には円が連なってできる複雑なかたちの影が美しく落とされる。
 また、その背後の壁面には、ある駅のプラットホーム(東急東横線旧高島町駅)のベンチに、展示に使用されたものと同じビニール傘が忘れものように一本立てかけられた光景のカラー写真を、61×119cm横長でインクジェット・プリントしたものが貼られ、その右脇の壁には、22.5×16cm横長のキャンバスに藍色の色鉛筆で「RAIN」という語を描き、その中の「R」の一部を水色の色鉛筆で打ち消して、彼女の今回の展示のテ−マでもある「PAIN」に見せかけたものおよび、22×30cm縦長の水色の布袋の隅に、白い糸の刺繍で傘の模様と共に「RAIN」という語を縫い、やはりその中の「R」の一部の糸をほつれさせて「PAIN」に見せかけたものという、計4点をもって空間が構成された。
 この作品では、傘によって示される「RAIN」=「雨」のイメージが、キャンバスと布袋の上で行われる「PAIN」=「痛み」へと転化することをもとに、二つのことばの意味はグレーゾーンに収束されるように曖昧となる。さらに傘を開いた際には、表面の「穴」によって「雨」と「傘」との関係が解体された結果、壁面の写真の中の虚像の傘は「雨」のイメージをそのまま保持するのに対して、展示の中の実物の傘は「痛み」との関わりを探るための要素となって「雨」のイメージを否定するという、モノが本来持つイメージと展示のとして設定されたイメージは一致せずに展示空間の中で交錯した状況が生まれる、そこに私たちは何か釈然としない違和感を感じ取るが、その「違和感」こそが、藤原がモノとしての傘を作品に転化させるために付加しようとしたイメージの正体なのではなかろうか。
 この展覧会では、ギャラリーの奥には加藤の作品が、手前には藤原のものが周囲に空間の余白を多く残しつつ陣取っているが、「緑十字」と「赤十字」のイメージや十字形から突き出る無数の釘をもとに、ある「痛み」をストレートにかたちとした加藤の作品は、藤原の作品のおおもとにある「PAIN」とつながってゆるやかに統一された造形的空間をつくりながらも、藤原の「痛み」はその先で「雨」というまったく別のイメージにたどり着くことで、「痛み」の空間から救い出されるように私たちの意識の中のイメージは広がり、そこでは、モノが生むだけではない、ことばによっても先導される新たな空間が発生するような気がしてならないのである。
vol.26 陳瑞二 × 増田千恵 『場所』 (2004年1月20日〜1月25日に開催済み)  【目次に戻る】
 人はいかにして自己の存在の意味を見い出すのか。それは、自身の心の拠り所としての「場所」を求め獲得することから始まるといえるが、その「場所」は、現実で出会った光景や人物などと私たち自身との関わりの中から導き出されてくる。では、現実の中での出会いは、どのようにして心の内の「場所」になり得るのか。
 私たちは、自身を取り巻くさまざまな場所との関わりの中で日々を生きている。それは、かつて訪れた地や相対した光景だけでなく、本やテレビで知った風景や、場合によっては夢の中に現れた光景など、ある特定の場をめぐる出会いを指すこともあれば、学校や職場など所属する集団や住む地域、社会の中での身の置き場をはじめとする、周囲との人間関係を指すこともある。それらの場所との出会いは意識の中に記憶として蓄積され、それは時を経て無意識の領域に沈殿してゆくが、意識の奥底で混沌として凝縮する無数の場所の記憶は、かつて関わりを持ったあらゆる場所の総体であるという点で、私たち一人一人にとっての「世界」の実像そのものとしてとらえることもできるだろう。
 ところで人は、かつて出会った光景があるとき唐突に思い出されることがある。たとえばある地を訪れたときに以前ここで体験したことが思い起こされたり、ある場所を共に訪れた人とその後会った際に、その地の記憶が呼び起こされるのは当然あり得ることだが、一見何の脈略もなくある場面の記憶が沸き上がるといったことを、多くの人が体験した覚えがあるだろう。それは、今まさに相対している場所との関わりの中から感じ取ったある要素が、自分にも思いがけず無意識の領域の中のある記憶と結びいた結果、意識の表面に現れるという作用がもとになっていると思われるが、私たちを取り巻くさまざまな「場所」を一つの「世界」だとすれば、そうした「場所」との出会いを経て意識の奥底に収められた記憶は、さらなる体験がなされる際に意識の表面に呼び戻され、そうした作用が繰り返されるたびにそのかたちは確かな輪郭を伴うようになり、意識の中にはもう一つの「世界」の実像と呼べるものが生まれる。そしてそれは、私たちと「世界」との結び付きを明らかにすることにおいて、私たち自身が存在する意味の拠り所としての、心の内の「居場所」の性質を帯びるのである。
 この「居場所」についてさらに考えてみよう。私たちは 自己が存在する意味を無意識であるにせよ常に確認することで自我を確立することができるが、そのためには、自分自身を客観視する対象としての「他者」の存在が不可欠となる。これは、自身と何らかの関わりを持つ人々を指すだけではなく、これまで述べてきたようなさまざまな「場所」との関わりも含めた、「世界」そのものが名前を変えたものといってもよいが、自己をその中心にすえて考えるか、それとも外部の「世界」との関わりをもって自己の存在を導き出すかという考え方の違いによって、この「他者」との関係は二通りに分けられる。
 前者は、自分という存在があるからこそ「世界」は成り立ち認識されるという考え方がもとになっており、そこでは、「世界」に対して働きかけを行う自身の姿を客観視することにおいて、私たちは自己存在の意味を確認することができるといえよう。一方後者は、たとえば風景やモノ、人など、現実の中で出会った対象が意識の中にある感覚や記憶を呼び起こし、さらにその対象には意識の奥底から引き出されたある記憶が投影され、そうした相互のやりとりを経て現実はその人独自のとらえられ方をするという、いわば「世界」との関わりの中で自己の意識が見い出だされるという考え方に基づくものだが、そこでは、特別なものとして意識の中に取り込まれたさまざまな対象は心の内の「居場所」を担う要素となり、私たちの自我を支える手助けをするのである。

 今回陳瑞二と増田千恵によって行われる展覧会『場所』は、意識の中の「内なる場所」ともいえるものを、いかに「かたち」として表すかということをもとに企画がなされている。本来美術は、視えないものを「かたち」に変え、そこから普遍的な意味を導き出すことを本質の一つに含んでいるが、人が存在する意味、あるいは自我を支える心の拠り所としての「居場所」に関しては、哲学がそれを「ことば」として表そうとするのと同様に、美術は「かたち」として表そうとすることにおいて、多くの美術家によって多様な表現がなされてきた。そうした中で、今回展示を行う二人は、現実の中のある特定の「場所」やそこに携わる人々との関わりの中で得られたさまざまな体験を、造形をもとに「かたち」とし、それを他者に提示することで再び現実に戻すという独自の方法で作品を発表してきた。
 二人の作家を簡単に紹介しよう。陳瑞二は、細いワイヤーをギャラリ−の壁面の間に渡すように張り巡らせることで、そこに二次元と三次元双方の性質を併わせ持つような空間を生み出す展示や、トイレット・ペーパーの芯に半透明のカラーセロファンを巻いたものを床や壁に散乱させるように多数点在させ、もとの場所に異なる性質の空間を出現させるような展示を当初は行ってきたが、近年活動の中心としている野外においては、用意したカラーセロファンで来場者に「笹舟」をつくってもらいそれを水面に浮かべることや、農地の隅に打ち捨てられていたさまざまな廃棄物をその片隅のある場所に集積させること、刈り入れの終わった田圃にサッカーゴールを一組分設置し、地元の人たちにそこで実際にサッカーの試合をしてみてもらうことなど、ある特定の場やそこに関わる人々と陳自身との関係性をあるかたちとして表すような作品を発表してきた。彼の表現においては造形的な要素は極力排除され、それを観る者の多くはどこまでが生のままの現実でどこからが作品としてつくられた状況であるかという判別に戸惑いを覚えるが、表現をめぐるそうした境界の曖昧さは、作品によって何が表されるかということではなく、どのような関係性がそこで露にされるかという、陳独特の表現の意味をことさら際立たせるのである。
 一方増田千恵は、わずかながら光が透過するような雁皮紙に、リトグラフによってあるイメージを刷った立方体を天井から糸で多数吊るし、その内の任意の一つを来場者に持ち帰ってもらう展示や、会場内で来場者に任意のある人のことを思い浮かべてもらいながら、用意されたトレーシングペーパーにリトグラフで刷ったものでその場の「空気」を内部に含ませるように一つの直方体をつくってもらい、「思い浮かべた」相手となる人物を増田自身が訪ね歩いてそれを一つ一つ手渡ししてゆく作品など、陳の表現と同様に、野外も含めてある場所や人々との間に何らかの関係性を築いてゆくような作品を発表してきたほか、近年の展覧会では、光が透けるような白いガーゼで底の浅いプレート状のものを大小多数つくり、それを「モビール」の重石として天井から吊るし、それらの上下あるい回転のゆるやかな動きによって、視えないはずの空気があたかもその上に乗ってそこに存在するような錯覚を覚えさせるようなインスタレーションも発表している。版の手法をもとにする増田の作品は、その多くが白の色彩で印象付けられるものをもとに展示がなされるが、彼女がある場所から感じ取った何かを象徴すると思われる作品の中のイメージは、それを観る私たちにも、造形として表されたものとしてだけではとらえ切れない、イメージのもととなる「場所」に特有のある「空気」を感じさせ、そのことにおいて、作品として表される「場所」と増田自身、そして作品と相対する私たちという三つの存在は、時間や空間の枠を超えてゆるやかな関係性の中で結び付けられるのである。
 こうしてみると、ある現実の場からイメージを意識の中に取り込み、その場所にまつわる関係性と共にそれを何らかのかたちとして表す手法において、両者には共通性を見い出すことができるが、今回の展覧会では、実際に展示が行われる現場であるGallery ART SPACEと二人それぞれとの関わりが当面の接点として設定された。その中で共通のイメージとして現れたものは、「凧」である。これは、ギャラリ−があるビルの屋上に強い興味を示した陳の発想がもとになっているが、そこから陳自身はGallery ART SPACEという場所自体への関心と理解を深め、一方増田は、自身では「凧揚げ」の経験はないものの、ある人にまつわる「凧」についてのエピソードおよび、ガブリエル・オルツコの'Kite'をもとに凧をつくり、実際にその「凧」を屋上で揚げたときのわずかな手応えをもとに、、イメージ同士の接点をつなぎながらその幅を拡散させていった。
 ギャラリ−の屋上という「場所」を出発点として凝縮するイメージと拡散するイメージ。「場所」との関わりを源として、作品に相対する者や作者自身の存在の拠り所となるような表現をそれぞれ希求しつつも、互いに対照的な方向性をもって表される二人の作品が交錯する空間の中で、私たちはどのような「場所」と出会い、心の内にどのような記憶を宿すことができるだろうか。
 陳瑞二と増田千恵の二人が、それぞれある固有の「場所」にこだわりつつ制作した作品による展覧会。今回の展示では、「凧」が二人のイメージをゆるやかにつなぐ共通の要素として加えられたが、「場所」と「凧」という二つの条件から、以下のような作品が生み出された。
 まず陳瑞二だが、主にギャラリーの奥の空間の壁二面に、さまざまな展覧会の案内状をもとにつくった「凧」を80個ほど虫ピンで取り付けた展示を行った(4個は天井に吊るされ、ギャラリーの入口や外扉にも一つずつ設置された)。これらの「DM凧」は、まずDMの中央に穴を空けて長さ85cmほどの凧糸を通し、下部には浮力のバランスを取るために、主にカラー面の新聞紙を長さ50cm、幅2cmほどに切ったものを左右二本取り付けるという、「和凧」の伝統的な構造が取り入れられている。それらは、高さを変えながら6〜7cmのほぼ等間隔で壁に刺した虫ピンに凧糸の端を引っかけて設置され、こうした「凧」の群を遠目に見ると、DM自体のデザインと新聞紙の「足」に刷られている色彩が一体となって造形的なイメージをつくり出すのである。また陳は、これらの凧に向かって首を降りつつ風を送る小さな扇風機や、数百枚のDMの束(高さ18cm)に一枚の枯れ葉をくくり付けたもの、幾枚かの枯れ葉を床に設置したが、特に扇風機が起こす風は、微弱ながらも「DM凧」の群を左右に少なからず揺らし、ここにあるものが単に凧の形をしているだけではなく、それが実際に空に舞い上がる姿を想像させもする。
 ところで、「凧」に姿を変えたこれらのDMは、陳自身が展覧会が決まった後の数カ月間、このGallery ART SPACE にほぼ毎週のように通いながら、受付に置かれていたDMを持ち帰ったものや、彼の手許に送られてきたものをもとにしてそのほとんどがつくられているが、陳は、今回の展覧会の題材となる「場所」として、実際に展示がなされるこのGallery ART SPACE自体を選び、毎週DMを持ち帰ると共に、ギャラリーがあるビルの屋上に上がってはそこに集まる「カラス」を観察して帰るということを繰り返した。その中で、彼にとってのイメージが生まれる「場所」=このビルの屋上というこだわりは、作品として設置された「凧」を来場者が任意に選んでそれを屋上で揚げてもらうという発想をもって(会場内には「これは凧です。どうぞ屋上で風を受けてみてください」という貼紙が付けられた)、作品に含まれるイメージと展示が行われる「場」の存在を不可分のものとして強力に結び付け、凧を揚げる、もしくはそれが揚がる姿を想像することにおいて、その関係の中に導き入れられる私たちは、「彼のための場所」の一部が「自分自身の場所」に塗り替えられるような感覚を味わうのである。
 一方増田千恵の展示は、「凧」のかたちを模しながらも「空に揚がることない凧」をイメージして制作した、長方形の枠の内側に格子状に張った糸を風がすり抜けてゆくかたちの立体作品を山中や屋内で撮影したものや、この「凧」の糸に張られた格子を想像させるような野球やゴルフ練習場などのグリーンのネットを撮影したもの、がらんとした白い空間の光景、やはり白のイメージで表される一本の植物が垂れ下がる屋内の壁の情景などをモチーフとする、キャビネ(17.5×12.5cm)から小全紙(38.8×48.8cm)まで大小7点のカラー写真(タイプCプリント)を、透明アクリル板に圧着加工して壁面に設置することで展示を行った。
 「episode」と題されたこれら一群の写真は、「凧」をかたどった作品の断片が写されたもの(小全紙1点、キャビネ2点)、紅葉に染まる山の際を背景に「凧」が写されたもの(キャビネ1点)、ある場所の光景のみが写されたもの(キャビネ3点)に分かれるが、画面に「凧」が含まれるか含まれないかという区別のほかに、白の色彩を前面に出した3点と、小さな窓枠の周囲が黒く塗りつぶされた1点との対比や、緑色の「ネット」を共通の要素とする2点(1点は「凧」の断片の背景としてもう1点は一つの風景として)による区分など、モチーフをもとにしたものと色彩をもとにしたものものが、あるくくりの中で互いに関り合いながらゆるやかにつながり、写真という二次元で表わされる空間を超えた広がりを、おぼろげながらも私たちの意識に感じ取らせてくれる。
 その「くくり」とは、彼女がこの展覧会のために関わったいくつかの「場所」(富山県平村−山景/名古屋近郊・大府/東京・狛江−アトリエおよび緑のネット)であり、その地の固有性との関係の中で「凧」の作品が示すイメージと、色彩によって解き起こされるイメージという二つの要素が結び付くことで、作品を通して現れる彼女の意識と、かつて彼女が立ったある「場所」に対する意識もしくは記憶という、増田自身をめぐる二つの意識がこの展示空間の中で統合され、私たちの前に姿を表すのである。
 ところでこの展覧会では、具体的な展示プランを練るための初動の段階において、ギャラリーのあるビルの屋上で二人がそれぞれ「凧」をつくって持ち寄りそれを揚げようとすることで、この「屋上」とそこに続く「空」に対する記憶や、「凧」から想起されるイメージを掴み、ここから各々の作品に結び付けてゆくということが試みられたが、数ヶ月を経てあたかもその最初の場所に還るように、屋上では以下のような展示が行われた。
 まず陳だが、屋上に上がった右側の手すりには、DMを多数束ねて10cmほの厚みにし、それを市販の黒いゴミ袋で包んだものが取り付けられた。その黒い塊は風を受けることで「ばたばた」と音を立てて激しくはためくが、それは、展示の準備段階で彼が事あるごとに屋上で観察し続けた「カラス」を、「ゴミ袋」と「はためく音」をもって象徴していると思われる。また、その黒い塊からは、屋上のさらに上部に設けられた給水塔に向かって長さ7mほどの黒い一本の木綿糸が張られているが、そこにはほぼ等間隔で小さな赤いビニールテープの断片が巻かれており、それは、ギャラリー内の増田の写真作品に登場する、「凧」をかたどった作品の紐の部分に取り付けられた小さな赤い玉と、イメージの上でオーバーラップするのである。
 一方増田は、陳の黒い塊が取り付けられた部分とは反対側の手すりの中ほどに、凧を揚げる際の凧糸を巻き取るための青いプラスチックによる10cmほどのリールを、十数巻したものから20cmほど糸が解いて出された状態に設置するという展示を行った。これは、その途切れた糸の先端に在ったであろう凧の姿を否応無く想像させるが、ギャラリーに展示された写真の中の「凧」と屋上の凧糸とを頭の中で並べて考え合わせてみると、ある「場所」と結び付いて二次元上に姿を表した虚像の「凧」と、「残された凧糸」をもとに想像される姿なき「凧」の実像という、相反しながら互いを補う二つの異なるイメージが交錯することで、この「視えない凧」に対する興味は私たちの意識の中でさらに大きく膨れ上がり、その存在感がことさら大きく感じられるのである。
 今回の展覧会では、ギャラリーと屋上を合わせて以上のような展示が行われたわけだが、ここであらためて陳と増田の作品の相関について振り返ってみよう。陳がギャラリー内に吊るした多数の「DM凧」は、増田の写真の中でのイリュージョンとしての「凧」に対して、一般的な意味での凧の実像の一部を肩代わりして補うことで、増田の「凧」に含まれるイメージに実感もしくは触感のようなものを伴わせ、屋上においては、増田の凧糸が想像させる「凧」の姿が、同様に手すりにくくり付けられたゴミ袋による陳の「カラス」が空に舞う空想を時として引き出すというように、それぞれが作品に込めたイメージ自体は何の関わりも持たずとも、そこには確かなつながりを見て取ることができる。また、陳の「凧」はそれぞれのDMに刷られた展覧会にまつわる物語の存在を匂わせ、増田の作品では、「episode」というタイトルにも示されるように写真に写された光景が発する共通した空気がある物語を暗示させることにおいても、二人の表現の相関を指摘することができるだろう。
 そして、陳の黒い塊から伸びる糸は、増田の作品に付いた凧糸を模すことで、二人の作品が発するイメージ同士のつながりをより明らかにし、目の前の「場所」と写真の中の「場所」、実物のモノとイリュージョンとしてのモノ、目に視える関係と意識の中で想像される関係など、視覚として捉えられるものが発するイメージと想像の領域から生まれるイメージとがさまざまなかたちで混ざり在った重層的な空間が、Gallery ART SPACEを起点につくり出されているのである。
vol.27 相原康宏 × 横田愛子 『闇のメルヘン』 (2004年1月27日〜2月1日に開催済み)  【目次に戻る】
 「メルヘン」ということばを耳にして、人はどのようなことを思い浮かべるだろう。子供の頃に親しんだ童話の本を思い出すだろうか。それとも、空想の中の情景を描いた心あたたまる絵の世界がイメージされるだろうか。

 空想の中で語られる童話やおとぎ話を意味するドイツ語の「m較chen」をもとにするこのことばは、確かにやわらかで親しみのある語感を感じさせるが、幼い頃から童話や空想上の物語とはあまり縁がなかった私自身にとっての「メルヘン」は、そうしたものとは異なり、たとえば、長い時を経て無数の人々が語り継いできた物語によって心の奥の視えない何かが衝き動かされるような、「伝説」の部類に属する重厚なイメージをもって語られるものだが、それは、私の次のような体験がもとになっていると思われる。

 私は10代の半ば頃に、東ヨーロッパのチェコやハンガリー、北ヨーロッパのフィンランドなど、歴史の重みがいまだ色濃く残る国々で語り継がれる伝説になぜか強い興味を抱くようになった。その入口は、スメタナやシベリウスといった、自国の歴史や伝説の物語をもとに作曲を行った音楽家たちへの傾倒だが、その原典である、魔力や呪術に支配された世界や神々の戦いの中で生まれた神話、血族の歴史に宿る物語など、時には血で血を洗うような凄惨な場面が現れながらも、その中にあって生き続けなければならない人間の強さが表された数々の寓話は、作曲家たちがそこからイメージを膨らませたであろう楽曲と共に、私の心を惹き付けて止まなかった。それから10年後、長い間思いこがれてきた地であるチェコを旅したときのことだ。チェコの伝統芸能といった感さえある人形劇を観たおりに、外国語で何が語られているかはわからないが、そこで演じられている劇が醸し出す雰囲気や人形たちの造形、さらに劇場そのものに満ちた密度の濃い空気そのものが、かつて強く惹かれた伝説の物語と合致して、私の意識の中に「メルヘン」のイメージを植え付けたのである。
 また何年か前に、「グリム童話」などの原典が実は血が噴き出すような凄惨な場面も含んでいるということを解き明かす本が話題になったが、かねてからヨーロッパの古い説話に親しんできた私にとって、そういった内容の本を妙に納得して読むことができたことも、「メルヘン」ということばが、闇の中に濃密な光を放つ熱い塊が宿っているような不思議なイメージを私に連想させるにいたった、一つのきっかけになっているかもしれない。
 ところで、今私が語った「メルヘン」にまつわるイメージは、 ある土地の長い歴史に根付いた「伝説」が放つもので、空想の中の物語を意味する本来の「メルヘン」とは、実質的には遠く離れているといえるだろう。しかし私にとっての「メルヘン」とは、あくまでも人の意識の奥底にある暗闇を掘り起こすような重厚な伝説の物語であって、私がイメージするものと、一般的には親しみをもって語られる「メルヘン」のイメージとの大きなズレを何かのかたちにしてみたいという欲求が、今回の展覧会を企画する発端となった。
 ここでは、相原康宏と横田愛子の二人の作品によって展示が構成されるが、二人が行っている表現には、先ほど語った「人の意識の奥底にある暗闇の中の何か」から掘り起こされるような濃厚なイメージの存在を、私はもとより感じてきた。
 両名を簡単に紹介しよう。相原康宏は、顔の造作がない胎児やマリア像、聖母子像、小熊の縫いぐるみ、さらにはそれを着る人が存在せず着衣だけが抜け出てきたようなドレスなどが、主に、闇を表すような黒の背景の中に漂うように浮かんで描かれた絵画作品を中心にして、マリア像や仏像、胎児などをモチーフに、樹脂をはじめとするさまざまな素材を使ったオブジェ作品も制作するなど、多岐にわたる手法やイメージによる表現を行っているが、これらの作品に一貫しているのは、一つの画面、一つの形態の中に「善」と「悪」、「聖」と「俗」といった相対するイメージが、互いに引き合い張りつめるようにして共存しているという点である。たとえば聖母や胎児は「聖」に属するイメージを持つが、顔がないことや黒い背景に包まれていることで「俗」の要素を併せ持ち、最近の展覧会で私が強い興味を抱いた、「カラス」の姿がモノトーンの画面に浮かぶように描かれた作品では、「俗」のイメージで語られるであろう「カラス」が闇を思わせる背景の中で孤高として浮かび上がる様は、「聖」なるイメージを感じさせ、そうした二つのイメージの重なりは、誰の心にも潜んでいるであろう相対する意識の在り様を象徴しているようにも思われるのである。
 一方横田愛子だが、彼女の作品に強い興味を覚えたのは、私が企画したアーティスト・ブックの展覧会『THE LIBRARY 2003』(2003年 Gallery ART SPACE/Gallery SOWAKA)の出品作品『メリーゴーランドのメリーさん』を見たときのことだった。これは、25×25cmの本の形態のものではあるが、その表紙や中のページには、アクリル絵具やコンテ、クレヨン、油彩絵具などが塗り込められることで、彼女独特の絵画空間がつくり上げられている。そこでは、繊細な白の線で描かれ表紙に現れた「メリーゴーランド」の絵から始まり、具象と抽象を織り交ぜたイメージが、ページをめくるごとにスピードを増しつつ拡散してゆくように表されているが、目が覚めるように鮮やかな青の背景と、そこに浮游するような白の線がつくるイメージ、あるいは黄色や赤などの色彩の氾濫との対比が印象的な画面は、観る者の意識の先端がそこに吸い込まれてゆくような錯覚を覚えるほどの濃密さを持ち、それは、私が考える「メルヘン」のイメージをそのまま体現すると共に、人の意識の奥底に秘められながらも激しく燃える不可視の炎のような、生の輝きに通じる「何か」を感じ取らせるのである。
 人の心の奥底にあって相対する要素の存在を象徴する相原康宏の作品と、意識の奥底に秘められて燃えさかる生の炎を表すかのような横田愛子の作品。これらから私が共通して感じ取るものは、人の心をめぐる真実を描き出した、「夜のメルヘン」もしくは「闇のメルヘン」とでも名付けられるような物語が発するイメージであり、私たちは二人の作品と相対することで、自身の心の奥底にも必ずや秘められているであろう、「不可視の炎」を覗き見る機会を与えられるのだ。
 人の心の奥底にある隠された想いを「メルヘン」ということばに置き換えて、それを絵画として表すことをテーマに、相原康宏と横田愛子の作品によって構成された展覧会。
 相原康宏は、白と黒の絵具のみでつくられる大小6点の作品を展示した。メインとなる作品は、「森の絵」と題された縦100号大の油彩画で、画面右はしの太い木の幹から左上方に向かって森の景色が奥へ奥へと続いてゆく光景が描かれているが、林間や地面の草むらを表す白の絵具は、ところどころで黒で表された部分を薄く覆うことで微妙な階調を生み、深い森の濃い空気を描写すると共に、パースペクティブの消失点に「何か」が巣くうような闇の存在を感じ取らせるのである。また、50号大のアクリル絵画による作品「ドレス」では、顔の造作の無い女性像がドレスのみを白の絵具で描くことで表され、その他にも、「闇」を表すような漆黒の画面に白い小さな「くま」と「スコップ」が浮かぶ10号大の作品、油彩とアクリル絵具の併用で「トカゲ」を描いた「夜(トカゲ)」、プロペラをモチーフにした10号大の作品、山羊をモチーフとした20号大の「闇のメルヒェン」が出品されたが、これらの5点では、画面の背景を覆う深い黒の絵具の中に白の絵具で表されるモチーフが浮かぶように描かれており、それらは表面にやや陰影が付けられることで立体感を獲得し、闇の中に浮かぶものの独特の存在感を私たちに読み取らせるのである。
 一方横田愛子は、120×150cmおよび100×120cm縦長という大画面のキャンバスに、油彩を中心にパステルや色鉛筆を加えて赤や黄、青、緑などさまざまな原色が点描のように細かく打たれることで風景を描いた2点の作品をメインに、その他大小14点の作品を、すべて木枠に張らずにピンで直に壁に留めたものと、2点の絵本形式の作品を加えて展示を構成した。大画面の内の1点「無題(森の絵)」は、画面上半分には大樹が、下半分にはその根から地下に向かって伸びるように、何かの「気」を表す存在が描かれ、もう1点の「旅ガラス」では、中央に描かれた小舟(その上には「チーズ」が乗せられて旅をさまよう姿が表現されている)を取り囲むようにして、上方には森のような情景が描かれ、下方にはさざめく波を表すように無数の波形の重なりが油彩によって描かれている。また、「旅ガラス」の左脇には同じ高さ(120cm)で幅の狭い、同様の技法による4点の縦長の作品が並べられ、さらに10号前後の作品9点が壁に点在させられた(1点は板に描いたもの、1点はパネルに描いたもの、あとはキャンバスの直貼り)。これらはいずれも多種多様な色彩を織り交ぜ、具象的な描写と抽象的な描写が混沌としながらそれぞれのイメージが生み出されているが、画面はどれも隅々まで絵具で覆われ、そこには彼女が意識の中に持つさまざまな想いが濃厚に表されているように思われるのだ。
 今回の展覧会は、ギャラリーの正面の壁面では柱を中心にして右側に相原のメインの作品が、左には横田によるメインの作品が置かれ、その他の小作品が展示される箇所では、二人の作品が交互に混ざり合って設置されたが、そうやって相原と横田の二つのイメージが一つの空間で交差し、互いの持つ「メルヘン」にまつわる意識が組み合わさることで、そこには「心の闇」の中核を象徴するような新たなイメージが見え隠れするのである。
vol.28 大橋亮 × 鈴木恒成 『spiral note』 (2004年2月3日〜2月8日に開催済み) 【目次に戻る】
 風景あるいは光景は常に時間と共に在り、その介在によってかたちづくられる。時間とは、「瞬間」の絶え間ない連続であるが、さらに「瞬間」について辿ってみると、私たちが現実で出会うさまざまな場面をもってその存在を認識することができる。たとえばある風景の中を歩いてゆくとき、街のなかにあっては、視界に多種多様な建物や看板が入っては後方へと消えてゆくように、森の中にあっては次々と樹木の様子が移り変わってゆくように、シームレスに連続するさまざまな場面を否応なく体験することになるが、結果的にはそれが時間の移り変わりを人に体感させ、切っても切り離せない、時間と風景、あるいは人の視覚との関係を浮き彫りにさせるのである。
 ところで、「写真」は時間を表す芸術としてしばしば定義される。思えば、写真によってはその中に現れた光景が「瞬間」そのものを示す場合もあるが、では、一枚の写真として提示された画像は、果たして現実の中に含まれる時間そのものを表すのか、それとも時間を画面の中で凝固させることで「光景」そのものの存在を表すのか、あるいは、私たちが普段接する現実が生むさまざまな記憶や心象を、かつて体験した時間を伴いつつ一つの光景として表すのだろうか。画像として現れる光景の在り方は、「記憶」という意識の多くを占める要素から必然的に影響を受けるだけに、実に多様で、それを決するのは、撮影者が時間あるいは現実に対してどのような姿勢を持って関わろうとしているかによって大きく異なってくるといえるだろう。
 今回行われる『spiral note』は、「時間」という目に視えない存在をかたちとして表すことを主旨として企画がなされているが、ここで試みられるのは、現実の中から時間もしくは光景そのものを切り取りその姿を露にすることではなく、現実の中での体験をもとにしたさまざまな記憶を内に含みながらよどみなく流れる、私たちの「生」の時間そのものを、ある「かたち」として表すということである。この展覧会は大橋亮と鈴木恒成の作品によって構成されるが、リアルな時間が螺旋状に伸びてゆき記憶を形成してゆく様を象徴してタイトルに使われた「spiral」という語をもって語ることができるように、二人は、たとえばかつて向かい合った光景やモノなどの現実の姿と、それが記憶される作用をもとにつくられる、自身の意識の中にねじれたような姿で横たわる心象としての現実との差異を、「時間」との関わりを核にして表すような作品を、それぞれ独自の手法で制作してきた。
 まず大橋亮だが、私が初めて目にした彼の作品は、路上の光景や工事中の建物をはじめとする街なかの風景を、極端なブレを伴いつつ6×6cm判のカラープリントとしたものだった。これらの画像は、それぞれもとの風景の詳細が分からないほどにブレて変質させられているが、被写体の色やかたちのみがことさらクローズ・アップされた画面の中の光景は、出会いの後に意識の内に残された風景の記憶を表しているようでもあり、それは、撮られた瞬間からその印象が意識の中で記憶として形成される時間の流れを読み取らせてくれる。
 また、今回展示を予定している作品の一つである、首都高速道の高架下を走る国道(六本木ST)に沿って、少しずつ撮影区域を横にスライドさせながら撮影行為を積み重ねて制作されたカラー写真のシリーズでは、異なる時間軸を持つ複数の地点をつないでゆくことで、日々同じ道を歩くという毎日の行為が一個人の意識の中での変数として表されるが、いずれの作品も、彼が風景の中で体感した時間がその心象と共に示されるという点において、大橋自身にとっての意識の中のリアルな光景を、写真を通してかたちにしたものだといえるだろう。
 一方、私が最初に知った鈴木恒成の作品は、深夜のコンビニエンス・ストアで原稿を何も置かずにカバーを開け放してコラーコピーを取り、カラー調整や倍率を変えながらそこに何層も重ね刷りすることで現れた色彩の帯を一つのイメージとし、それを自家製本して「本」のかたちにしたものだった。これを鈴木は、「コンビニの空気をスキャニングする行為」と位置付けているが、画面の中に表されているのは、コンビニエンス・ストアで長時間に渡ってコピー機のスキャンの工程を彼が見続けた時間そのものであり、さらに、視えるはずのないこの場所の空気をかたちにしようとする彼の意志を、もろともその中に取り込もうとすることにおいて、この作品は、彼がここで体験した時間や意識の在り様を象徴しているといえるだろう。
 今回の展覧会で鈴木は、普段歩き慣れた道を、写真を撮る地点をスライドさせながら歩いて進み、身近で安価なプリンターによって、撮影した写真を一枚の長尺の紙に分散した時間を追いつつ幾重にも重ねて出力し、その紙自体が、彼が向かい合った光景やそこに含まれる時間を表すようなプリント作品などを展示するが、それは、単に撮影がなされた時の状況を示すだけではなく、それ以前にその道を通るにあたって記憶されたさまざまなものが重層的に重なり合って現れたイメージであることにおいて、この道の光景を通して結ばれる彼の意識と現実との関わりを示すと考えられるのである。
 このように二人の作品は、表現の方法は互いに大きな違いを見せながらも、向かい合った光景にまつわる体験や記憶を要素として含むことで、時にはさまざまな時間軸が渾然一体となって一つの画面がつくり出されるという特徴によって関連付けられるが、これらの作品と相対する私たちは、一個人の記憶のよどみを当たり前のように含んで成り立つ日常の姿を、そこに見て取ることができるだろう。
人がそれぞれ向かい合った風景から感じ取った「時間」を写真として表すことを主旨にして、大橋亮と鈴木恒成の作品によって構成された展覧会。
 大橋は、大伸ばしにした縦長のカラープリントを額装したもの4点と、同じく横長のプリントを額装したもの3点による展示を行ったが、風景を撮影の対象とするこれらの写真は、縦長の4点は彼が近年一貫としたモチーフとする、街の光景の中の「時間」がクローズ・アップされた一連の作品であり、一回りサイズの大きな横長の3点は、郊外にある自然の中の光景を捉えたものである。
 さらに詳しく見てみよう。まず、「daily commmuter」と題された縦長の一連の作品である。いずれも高架の姿を描写する横方向のシャドーの帯の隙間に風景が覗くこれらの作品は、首都高速道路の高架下を走る「六本木通り」に沿って少しずつ撮影の区域を横にスライドさせて撮影を行い、異なる時間軸を持つ視界をつないでゆくことで、対象となる場所を、ある時間を表す光景としてではなく、彼自身が日々そこを歩くことで感じ取るであろう場所にまつわるリアルな存在感を表そうとしているように思われる。また、「our morning」と題された横長の連作では、緑生い茂る山肌やファミリーレストランのチェーン店などが点在するとし近郊の幹線道路、水辺越しに団地をのぞむ風景というように、一見互いに関係性がないような光景がモチーフになっている。「daily commmuter」と同様に、横方向のラインをもとにした上下分割のシンプルな構図を特徴とするこれらの作品は、写されたその場所に住む人々が毎日眺める朝の風景を表現したと作者自身が語るように、早朝の弱い射光で照らし出されたその時間帯独特の大気を共通して含むことで、風景の中の視覚を超えたリアルな触感を何とはなしに感じ取らせるのである。
 一方鈴木恒成は、彼自身が歩き慣れた一本道を、撮影地点をその時間帯も変えながらスライドさせて歩いて進む行為をもとにした風景の写真を、一間の長尺のOA用紙にプリントした、「ヨアルキ(夜歩き)」と題する80×360cmの床面サイズの作品を展示した。この用紙は幅21cm、長さ約14mほどで、21×26cm横長を一つの単位として数十枚の風景写真を連続して出力したものを蛇腹折りにしてそれを再び伸ばし、ギャラリーの中央に置かれた98×45×高さ58cmのテーブルを取り囲むように細長いロ字形をつくって二列になって往復させるかたちで床に設置された(片側ではテーブル上にこの上がかけられている)。そして、両端の折り返し点では、横倒しにされた2台のジャンクのインクジェット・プリンターの内部を通すことで、風景の中の時間がエンドレスに循環するような様が象徴されるのである。
 ところで、写真が出力されたこの用紙は、上下の端に連続して開けられた4mmほどのパンチ穴が延々と連なり、ざらつきのある紙質は撮られた風景の細部を埋没させ、そのイメージがモノに変質させられた姿を強調するのに十分な質感を備えている。また、写真の中の街路樹や道路などの景色は、昼は陽光にさらされて白っぽく表され、夜は黄色く街灯が光り、深夜は闇にそのシルエットが浮かぶというように、モノクロームを基調としながらも大きく異なる様相を見せるが、撮影の際の時間や位置を忠実かつシームレスに再現するのではなく、分散的な短いセンテンストして時には重なり合いながら重層的にプリントされることで生まれるイメージは、鈴木自身の意識の中にあるこの道にまつわる光景、もしくは体験の記憶をリアルに示す存在になり得ていると考えられるのだ。また、鈴木はこれに加えて、開いた「傘」を透かしてさまざまな光や風景が見える写真を、見開き横長各ページ一枚ずつ集めて綴じた54頁、A4大の「本」の作品をテーブルの上に展示した。
 額装されたカラープリントの大橋と、OA用紙にプリントされたモノとしての写真の鈴木。二人の作品は、形態はもちろんそこに現れるイメージも大きくかけ離れたものだが、これらが私たちの視覚の中で重なり合う様には、どうしたわけか違和感は感じられない。それはなぜだろうか。モノクロームを基調とする鈴木の作品に時おり現れる、街灯などを表す黄色や赤の光は、大橋の作品、とりわけ「daily commmuter」シリーズの中の道路および高架の部分を表す単色の背後に、ワンポイントとして現れる燈色や赤の部分と視覚の上で重なりを見せるが、さらにそれぞれの作品が、すべからく横方向に流れるようなラインをもとに画面が分割されている点にも共通性が見られる。そして、こうした表現をもとに作者が関り合おうとした風景の中の「時間」をひとしく表すこれらの作品による空間は、私たち自身が見慣れた場所を歩く際に感じ取るさまざまな「時間」を、その光景の印象と共に思い起こさせるのである。
vol.29 一樂恭子 × 小藤郁子 『あるひ』 (2004年2月10日〜2月15日に開催済み)  【目次に戻る】
 ふいに、以前見た光景や体験した出来事が何の脈略もなく思い出されるということが、時々ある。それは、たとえば旅行の思い出や、何か特別な日のことであるだけではなく、日常の中で交わした会話やふと目にした光景であることも多く、「なぜこの場面でこんなことが突然思い出されたんだろう」という感覚を、誰しも一度は味わった経験があるのではなかろうか。
 実際私たちは、意識の中でこうした記憶のフィード・バックを日々体験しており、それは心を揺さぶるほど強く思い出されるときもあれば、一瞬の内に浮かんでは消えてゆくこともある。そうした記憶は、あるとき体験した無数の出来事がいったん意識の中に仕舞い込まれ、それが今まさに出会った新しい体験をきっかけにして意識の表側に再び現れたものだと考えられるが、私たちの心の中を通り抜けた記憶は、多くの場合最初に見たものとは違う姿で現れる。
 現実の中で出会った光景は、色もかたちもすべてが鮮明に体験されるが、それが心の内に収められる際には、その中でも特に強く印象付けられた事柄や人物、あるいは色彩などはもとの姿で記憶され、その他のことは曖昧であることが多い。このように、実際の出来事や光景と私たち自身の意識が結び付いてつくられるものが記憶の本当の姿だといえるが、無数の出来事の中から何がどのように記憶されるかは、「記憶しよう」という意志が強く働かなければおおかたの場合無意識の内に判断され、特別な日の出来事と同じように、日常の中にあっても体験した数だけの記憶が意識の中に残される。そう考えると、数としては圧倒的に多い日常の中の記憶が、意識の中からこぼれ落ちるようにして何かの拍子に思い返されるのも当然のことだといえるだろう。
 現実の中で出会ったものと記憶として現れる光景。私たちの意識を間にはさんでかかわり合う、いったん離ればなれになった二つの「景色」を混ぜ合わせて、再び一つのかたちとして表すことを暗にテ−マとして行われるのが、一樂恭子と小藤郁子による今回の展覧会『あるひ』だ。ここでタイトルに付けられている「あるひ」とは、「ある日の出来事」のことだが、それは決して特別な日の出来事だけではなく、日常の中で見たこと、出会ったこと、感じたことが、まるで日付の無い日記のように、それぞれの作品としてかたちとなって描き出されることを象徴している。
 二人を簡単に紹介しよう。一樂恭子は、たとえば南方の海辺に巨大なパイナップルやスニーカーが重ね合わせられた光景や、草原に大きなティーポットが置かれ上空にはレモンが浮かぶ風景、雪山にやはり巨大な蜜柑やカラー0を並べた光景など、通常の景色の上にやはり日常の中で見かけるモノたちが配された絵画作品を主に油彩によって制作している。それらのモノは、風景のスケールと比べると極めて大きなサイズで描かれ、そうした構成のアンバランスさは、シュールといってもよいような不思議な印象を放つが、一見水彩画のようにも見える淡い色彩の描写と、画面のところどころに現れる幾何学的な要素が醸し出す絶妙のバランス感覚によって、描かれたモチーフの非合理さは打ち消され、彼女独特の絵画世界に観る者を浸らせてくれるのである。また、白い背景に主にコップや鉛筆、ハサミなど身の回りのものが淡い色彩で描かれる水彩画についても、油彩同様の構図の不思議なバランスは、遠目には抽象表現にも見えるような不思議な感覚を味わせてくれるのである。
 一方小藤郁子は、輪郭線だけのからだと目鼻の造作の無い丸い顔、それぞれ指が描かれた手足を持つ、略図のような人のキャラクターを主人公に、たとえば「種」や「道」をテ−マにしたものなど、日常の中でふと感じたことや不思議に思ったこと、意識の中で生まれた世界などを題材としたイラストレーションを、時には短いことばで淡々とした語り口のストーリーを伴った「本」の形態も取りながら制作している。これらの作品に現れる「人型」のキャラクターは、描写は単純ながらさまざまな表情を持ち、やはり線をもとにしてところどころで幾何学的なかたちとなる背景と組み合わさって、彼女の意識の内側をのぞかせるような一つの世界をつくり出している。また、モチーフの周囲の多くの部分は白い空白で占められているが、そうした余白は、実際にはそこにも何かいろいろな光景やモノが隠されているのではないだろうかという空想の余地を観る者に残し、そうした画面から想像力を触発されることで、私たちは、そこに描かれた世界に深く感情を移入することができるのである。
 今回行われる『あるひ』では、たとえば「十五夜の月見」や「クリスマス」、「誕生日」、「七草」など、季節の暦や何かの記念日にそれぞれ作品の題材を求めることが当初のプランとして提案されたが、そうやって描かれた作品は、二人がある日書き留めた「日記」であると共に、それぞれの日常そのものを制作を通してかたちとしたものなのかもしれない。そしてそこで作品として表されたさまざまな出来事と向かい合うことで、私たちは、自身の日常がもたらしてくれたさまざまな記憶を、あたかもそこから絵を描き起こすように鮮明に追想する想像力を触発されるのである。
 一樂恭子と小藤郁子の二人が、あらかじめ相談して決めた「ある一日」の出来事をテ−マにそれぞれ制作をし、そうして生まれたことばのない「日記」のような作品で構成するという主旨で行われた展覧会。ここで設定された日付自体はとりわけ強い必然性は持たないが、同じ日に着想を得たものとして、以下のような作品がつくられた。
 9月11日(十五夜の月見)一樂:満月を描いた27×27cmの油彩/小藤:満月のような菊の花が月とオーバーラップするB4の絵。10月6日(小藤さんの誕生日)一樂:プレゼントの包みを描いた46×46cmの油彩/小藤:新宿の街で出会ったハプニングを描いたB4の絵。11月11日(一並び)一樂:ブルーべリージャムの瓶を水彩で描いた20×20cmの作品/小藤:火事の現場に向かう消防車が迷子になってしまったところを描いたB4の作品。11月23日(勤労感謝の日)一樂:アヒルを描いた水彩/小藤:アロエの葉を描いた3点の連作。12月7日(暦の「大雪」)一樂:トマトケチャップの瓶を描いた水彩/小藤:鶏が卵から孵って成育し、最後は唐あげになってしまう過程を描いた絵。12月25日(クリスマス)一樂:地球儀を画面いっぱいに描いた32×32cmの油彩/小藤:クリスマスケーキを買って食べる様子を表した絵。1月2日(初夢)一樂:サッカーボールを色彩豊かに描いた水彩/小藤:葉っぱが蓮根になってしまう絵。1月7日(「七草」)一樂:緑の葉を描いた水彩。/鶏、人、猫、ウサギ、アヒルがそれぞれを追いかけ合っている絵。1月12日(成人式)一樂:ジンの瓶を描いた水彩/小藤:靴がバッグを買われる日を待っている絵。1月21日(「大寒」)一樂:ブロッコリーを描いた水彩/小藤:冷たい風にさらされた人を描いた絵。
 二人共通の日を描いたものは以上だが(この内9月11日、12月7日、1月12日のものは日にちごとに二人の作品を並べて展示された)、小藤はその他に、9月6日(亀戸の亀)、9月29日、11月4日、12月8日、12月22日(「冬至」)、12月24日(クリスマスイブ)、12月31日(大みそか)をもとにした作品を制作した。
 それぞれの作品の特徴をみてみよう。一樂は3点の油彩画と9点の水彩画を展示したが、油彩はすべて正方形で、モチーフも地球儀、袋、満月と、正円に近いかたちが画面いっぱいに描かれ、色彩とコントラストの鮮明さがイメージを強めている。また水彩の作品でも、5点は同様に正方形で表されているが、すべからく余白を多く取ってそれを生かし、ガラス容器を題材とした3点では素通しの背景も空気を表現するように微妙なトーンでコントロールされることで、繊細な描写ながらもモチーフの存在感が十分に発揮されているといえる。
 一方小藤は、水彩紙に黒の細いペンで簡易なマンガの絵のように人のかたちを描いたものに、時には水彩絵具や既成の紙のコラージュを加えてつくった20点の作品を展示したが、そこでは、たとえば道ゆく人の服の一部やクリスマス・ツリー、ビア・ジョッキ、ケーキ、ポスト、月など、画面の中の一部のみがワンポイントのように茶色や薄い朱色、水色等の淡い色の水彩で塗られ、それは簡潔な線の絵を画面に細かくちりばめることで地紙の余白いを最大限に生かした彼女の絵の特徴を引き立てると共に、モノトーンの線による描写がきわめてシンプルなだけに、こうして色彩で表された部分はとりわけ強い現実感を帯び、私たちは、彼女が日常の中で読み取った空気を何とはなしに感じることができるのである。
vol.30 古賀昭子 × 滝みつる 『liquid mirror』 (2004年2月17日〜2月24日に開催済み)  【目次に戻る】
 私たちの日常は、日々無数の光景と出会いながらかたちづくられる。たとえば街を歩いているときには、道を往き交いすれ違うさまざまな人々や並び立つ建物、多種多様な看板が目に入る。すれ違った人の顔や店のショーウィンドゥのディスプレィ、信号の点滅など、その中でどこか気に掛かり一瞬見つめたものをはじめとして、その周囲に広がり視界を占めるすべてのものは、一つの光景を構成する要素として瞬間ごとに私たちの前に現れるが、そうした「瞬間」の絶え間ない連続が、私たちが生きる「時間」や目にする「世界」を表し、さらにそれを積み重ねたものが、日々営まれる「日常」だといえるのではないだろうか。
 ところで、「時間」が瞬間ごとに現れる光景の積み重ねであることは、動く電車や車の窓から外の景色を眺めているとより明らかに実感できる。そうした場面では、視界に入ってくる建物は移動の測度に合わせて次々と入れ替わり、沿道は流れる線のように連続して後方に送られ、無数の人々がその表情も定かではなく目の前を瞬間的に通り過ぎてゆくが、自分自身は同じ位置にいながらにして、視界の中の光景だけが極度に時間を密にされ、その中の細かな様子を詳しく読み取ることができないこうした状況では、ある時間の流れの中でさまざまな「色」や「かたち」が組み合わさった一つの塊として風景がかたちづくられるという、視覚がとらえる世界と実在する光景とのズレを、より確かに自覚することができるのである。
 視覚と実景のズレということに関して言えば、私は、今まさに向かい合っている光景が果たして本当に現実そのものを表しているのだろうかという疑念を感じることが時たまある。人の視覚とは、たとえばカメラで写すと実際には緑色に見える蛍光灯の光を白色に補正したり、ほんのわずかな光に照らされたモノでも詳細を判別できるなど、驚くほどの柔軟性を備えて成り立っているが、そうした幅広い機能ゆえに、同じ対象を見ていても色彩や明るさをはじめとするモノの見え方が微妙に異なるといった視覚の上での個人差が、大なり小なり否応なく存在する。そして、見たものや体験したことが意識の中に記憶される段階にいたっては、こうした「見え方」の個人差はさらに大きく広がり、後に思い起こされる光景の姿は、同じ場所にいたもの同士であっても大きく異なる様相を示すことさえある。
 これは、私たちが生まれてから現在までの間に体験し意識の中に積み重ねてきた無数の記憶がものに対する感性をつくり上げ、それが個々人の視覚を規定していることが原因として考えられるが、では、自分だけが感じているかもしれないものの見え方をかたちとして客観的に表し他者に伝えるためには、どのような方法が考えられるだろうか。そして、自分にしか感じ得ないこと、さらには自分自身の世界観とは一体いかなるものなのだろうかということへの探求心こそ、人が何かを表現すること、いわば「アート」の根本の一つであり、それは今回行われる『liquid mirror』の主旨にもなっている。

 この展覧会は、主にイラストレーションを発表する古賀昭子と、写真を発表する滝みつるという、日常の中で出会ったさまざまなものを独自の視点をもとに作品に置き換えるような作品を制作している二人によって開催されるが、まず古賀昭子を紹介することにしよう。
 古賀は、時には淡く時には鮮明な色彩の色鉛筆やアクリル絵具によって、日常で出会う出来事と夢の中の光景が混ざり合ったようなイラストレーション作品や、それらのイメージが立体的になった紙によるオブジェ作品のほか、そうした絵が自家製本で「本」のかたちにまとめられた作品などを制作している。彼女の作品では、人やさまざまな動物、昆虫、植物のほか、たとえば「はかり」など日常の中で見かけるものたちが題材として現れるが、それらはみな、その表情も含めて「手書き」の味を強く感じる輪郭線で実にシンプルに表され、さらに、手足が妙に長く伸ばされたり、プロポーションが大きく歪められるなど、極端なデフォルメがなされることも多く、それは、最低限度の手が入れられただけでその周囲は大きな余白となっている背景の描写と相まって、空虚だけれどもどことなくあたたかい空気が詰まったカプセルの中にいるような、不思議な感覚を体験させてくれるのである。
 また、古賀の作品には手書きの文字による英文がしばしば現われるが、絵に物語を付け加えるようでいて、実は全く別のことを語っているようにも感じられる曖昧さを持ったこのテキストは、日常の中の出来事やその中で考えたことをもとにしながらも、夢の中の情景にも見える作品の中のイメージにもう一つの「現実」を加えて補う存在であるようにも思われるのだ。
 一方滝みつるは、地下鉄の構内や病院、神社、校庭など、日常の中で出会った風景を撮影しながらも、ピントを著しくぼかしたり、プリントの中に小さな文字でテキストを挿入することで、それが彼自身や私たちの記憶の中に収められている光景にも見えるようなカラーの写真作品を発表している。
 ところで、たとえば横長の画面の天地を大きな鳥居の支柱と察せられる朱色の太いラインが貫き、「神の国の予感」というテキストが英訳と共に付されたものや、藍色のビニールクッションが張られた折り畳み式のパイプ椅子が画面を占めるように整然と並べられた光景に、同じく「洗脳の椅子」という文字が添えられたものなど、そこに現れることばには、実際に撮られた光景とは一見無関係の、一種の社会風刺とも取れる要素が含まれている。彼自身はこれらの作品に対して、「社会の中にあって、一瞬心を刺す「気配」のような事象をパズルの断片に見立て、独自の社会的イメージを構成する」(滝自身による作品解説を意訳)という意味を込めて「Social Picture Puzzle」という呼び名を与えているが、かつて滝が向かい合った光景は、彼がその場で感じ取ったであろう、もしくは仕上がったプリントから触発されたであろう、社会の在り方への疑念や問いかけを表すことばと混合されることで、彼の意識の中の核となる部分と結び付いた特別な存在へと生まれ変わったものなのだ。そして、写された対象の子細な様子を容易に判別させない著しいブレやボケは、現実の光景を彼の「意識」と結び付ける作用を助長し、彼の作品と向かい合う私たち自身の意識の中にもある社会への疑念を、時として、さまざまな記憶もろとも呼び起こすのである。
 二人の作品はジャンルもテーマも全く相容れないが、そうした中にあっても、表現の本質的な部分での重なりを私は感じている。それは、出会った光景や出来事が古賀の作品では著しくデフォルメされたかたちで、滝の作品では曖昧模糊とした写真として表されるというように、現実から得たイメージが意識の中を通過することで大きく変質させられたその姿から読み取ることのできる共通性をである。イメージのそうした変質は、対象となる題材が日頃よく見かけるありふれた題材であればあるほど、対象についての私たちの固定観念と作品として現れたイメージとのズレは広がり、その結果「日常」の姿に対する意識は大きく揺さぶられ、「今、目の当たりにしている光景は必ずしも現実そのものを表しているわけではないのではなかろうか」という疑念を沸き上がらせる。つまり、古賀および滝がつくる作品は、現実に向かい合いその中に題材を求めながらも、自分自身の感性や世界観をもとにそれをとらえようと試みた結果かたちづくられたものであり、そうした世界観が独自の描写と結び付いた末にイメージが表されていることが、それぞれの大きな魅力になっているといえる。
 今回の展覧会では、日常の中で日々つくられる双方のイメージがやり取りされ、わずかながらでも互いに影響を受けながら制作が進んでゆくことになるが、そうした二人の作品で構成される空間の中で、私たちはその世界観に触発されることによって、日常の中で得られた自分自身のさまざまな記憶を自分なりの感性をもって呼び起こしてみるという、誰しもが可能な意識を飛翔させる楽しみを知るきっかけを得られるだろう。
 現実の光景と意識の中の記憶との狭間に生まれる、曖昧かつリアルな感覚をかたちとして表すことをテーマに、主にイラストレーションを描く古賀昭子と、カラーの写真作品を制作する滝みつるによって開催された展覧会。
 古賀昭子は、水彩紙にパステル、色鉛筆、鉛筆でイメージを描いたものをパネル張りした15点の作品(A3サイズ5点、B4サイズ4点、30×30cm4点、27×22cm1点、22.5×15.5cm1点)による展示を行った。これらの作品では、着衣の状態がほとんど輪郭線のみで表された人物や、鳥、ウサギ、犬などの動物たちが、木や水辺、山を象徴するような輪郭線主体の風景と重なってイメージがつくり出されているが、作品によっては黄緑や薄い黄色、水色などの絵具で部分的に塗りつぶされた色面こそあるにせよ、モチーフの輪郭線の内側や背景はほとんど塗り残され、画面の大部分を占めるこの余白こそが、彼女の作品の大きな特徴になっている。
 ところで古賀の作品でもう一つ際立った点は、モチーフが人であれ動物であれ静物であれ著しい簡略が行われ、背景となるイメージにいたっては、空間そのものが抽象化されていると思われるほどのデフォルメがなされていることで、そうした傾向は背景の「空白」と重なることでさらに強調して表され、同時にその背景の「余白」自体も画面の構成要素として存在感を主張するという、イメージと背景との実に微妙なバランスを保った絵画空間が私たちの心をとらえるのである。また、描かれる内容は、一見「ストーリーの無い童話」のような、あるいは「空想の中の物語」のような不思議さに満ちており、それは前記の「空白」の表現と組み合わさって、誰とも知れない人が思い描いた空想あるいは夢の中の物語のようにも思われるが、そうした中に現れるこの「空白」の部分は、古賀自身の意識の奥底に在る、隠された不可視の部分を象徴しているようにも思われるのだ。 
 一方滝みつるは、巨大な恐竜の絵がある工事現場の壁、緑色のアザミの群生、大量に並ぶペットボトル、「太陽の塔」の夜景、鳩の群れ、シルバーの車の車体、ビルの谷間の光景、小学生の集団、店の壁にディスプレイされた赤い子供服、青のイメージが印象的な校庭の情景など、さまざまな風景をカラーで撮った写真作品(画面サイズ45×32cm横長3点、縦長2点、32.5×32.5cm4点)を額装した計10点による展示を行った。
 これらは、正方形サイズ(6×6cm判)のものは「HOLGA」という中国性のトイ・カメラで、その他のものは、「鳩の群れ」の写真を除いてデジタルカメラで撮られているが、彼のこれまでの作品がそうであるように、デジタルカメラ等による写真は、画像の鮮明さが全く失われるほどの著しいブレに見舞われ、「HOLGA」によるものでは、レンズの性能の悪さがそうさせるのか、「恐竜」ではシャドー部の色の激しい落ち込みにより、「アザミ」では近景の著しいボケにより、また他の2枚では、二重露光によるイメージの重なりとブルーに大きく偏った色彩の変化によって、それぞれの画面に現れるイメージは、明らかに現実の光景とは異なる様相を示している。
 ところで、滝が撮る写真の最も大きな特徴である曖昧模糊としたイメージは、一つには「ノーファインダー」(カメラのファインダーを覗かずにある程度の偶然性をもって撮影する手法)という撮影方法にも大きく影響を受けていると推測できるが、ここでは、たとえ写真画像としての造形性を犠牲にしたとしても、彼自身が撮られる対象あるいは場所に向かい合った際の視覚や意識が、カメラという工学的な機構を通さない分より直接的に表明され、そうした部分がブレやボケを伴ったプリントとして視覚化されることは、対象となる「場所」との出会いの瞬間に記憶として仕舞い込まれたイメージが、意識の領域でそのほかのさまざまなイメージや記憶と混ざり合った末、再び姿を変えて具体的なイメージを伴って浮上するという、一般的な記憶の在り方そのものを象徴しているように思われてならないのだ。
 イメージのデフォルメと「空白」によって成り立つ古賀の絵と、現実をもとにしながら非現実的な光景として表される滝の写真。曖昧さを前面に打ち出しながら、人の意識の在り方をリアルに表しているような二人の作品だが、今回の展覧会では、そうした両者のイメージをデジタル的に重ね合わせた6点の作品が共同作業によって制作された。これは、画面サイズ24×17.5cm横長4点、17.5×17.5cm2点の計6点を額装したもので、滝が撮った写真のプリントに古賀が色鉛筆で直にイメージを描いた上で、さらに古賀の絵をスキャナーで画像化したものをレイヤーで重ね合わせて、最終的にインクジェット出力するとい方法で制作がなされている。ここでは、写真は色鉛筆のイメージが描き込まれた時点で「現実」からより遠のいた存在となり、そこに黒の線と白の面を基調とする古賀の画像が重ねられた末の様相は、あたかもその部分だけ滝が見た現実が切る抜かれ空白となり、そこにさらに古賀がつくる架空の世界が混ぜ合わされたような、実に不思議な印象が生み出されるのである。
vol.31 平田ユミ × 本田涼子 『plants Planet』  (2004年3月2日〜3月7日に開催済み)  【目次に戻る】
 スーパーマーケットに行くと、色とりどりの果物や野菜がところ狭しと並べられている姿に目を奪われることがある。特に、季節や生産されている地域の区別なくさまざまな品が入荷する近年では、そうした傾向は顕著だ。そこから一つ一つを手に取ってみると、色やかたちの多様さがよくわかり、さらにそれを家に持って帰り中を開いてみると、幾何学的ともいえる複雑な形状がつくる美しさに対して、「どうしてこのようなものが自然とできあがるのだろう」という驚きが沸き上がることがしばしば起こる。
 「自然がつくる造形」ということばがある。それは、小さなものでは雪や鉱物の結晶のかたちから、大きなものではグランドキャニオンやエアーズ・ロックに代表されるような地形の美、さらには惑星が渦巻く銀河宇宙のかたちまで、人智がとうていおよばない自然の永い摂理の中で生み出され、時には人に感動を与えるような造形美を指すことばである。その中には私たち自身の人体の仕組みも数え上げられるが、普段私たちが食している果物や野菜など、自然の中で育まれた植物にも、「自然がつくる造形」ということばがふさわしいと感じられる場合があるのではないだろうか。たとえばキャベツの葉がつくる束ねた波紋のかたちや、ピーマンを切り開いたときに覗く鍾乳洞のように不可思議なかたちの空間、イチジクの実の断面に見る形容のしがたい複雑なかたちと鮮烈な色彩など、それはさながら、マクロの目で見た小宇宙の名を借りて言い表すこともできるのである。
 今回本田涼子と平田ユミによって行われる『plants Planet』は、自然がつくる美の中でも植物、その中でも実際に食すことができる果実などの内部に秘められた、造形美ともいえるようなかたちに焦点をあて、それを作品として平面上に置き換えることで、新たな美のかたちを探ることを主旨とする展覧会である。二人をそれぞれ簡単に紹介しよう。
 本田涼子は、人物や樹木などのモチーフの一部を、あたかもパズルのピースのように細部ごとに細かい断片に区切り、そこに比較的彩度の強い色彩を当てはめることで、組み上げられた断片がさまざまな色彩を放つ塊となって密度の濃い画面が現れるという、具象のかたちと抽象の造形性を併せ持つような油彩による絵画作品を制作してきた。
 彼女は上記の作品のほか、キャベツをはじめとする野菜がモチーフとなった光景を、同様に細部の分割と多彩な色彩描写で組み合わせ、やはり細部まで緻密に表す密度の高い表現をもとに制作した作品を発表しているが、それは、モチーフのもとの姿をある部分に拘わって強調し、著しくその存在感を強めることにおいて、彼女の意識の奥にある、描かれる対象の抽象的な印象を、造形的な行為をもとに具体化させたものだと推測することができるのである。
 一方平田ユミだが、私が最初に見た彼女の作品は、木に棕櫚縄と針金が絡み付く光景をモノクロ写真のクローズ・アップで表したものおよび、アロエなどの植物の葉を同様の手法で撮影したものだった。これらの作品には、モチーフのある部分にピントを合わせて極度のクローズ・アップが行われているが、それ以外の、いわゆるアウト・フォーカスの部分では、一見しただけではそれが具体的には何であるかがわからないほどにかたちや質感が曖昧にされ、時にはそれらがモノトーンの抽象絵画にも見えるような不思議なイメージを画面に含んでいたことを覚えている。
 今回の展示のために彼女がつくる作品では、たとえば「ザクロ」のようにフォルムと色彩に明かな特徴のある果物およびその断面や、ある植物の種などを、以前のモノクロのシリーズよりもさらに被写体に近づいてカラーで撮ることで、画面全体がかつて見たこともない未知の光景ともなるような写真の制作が進行している。

 この展覧会のプラニングの段階では、二人に共通するモチーフとして、ザクロをはじめとしてかたちや色に独特の造形性が見られるようなものが選ばれ、本田は油彩で、平田はカラー写真によって描写を行い、それらをモチーフごとに並置して展示することで、そこに含まれる自然美の魅力をさまざまな角度から掘り起こすという企画の方向性が話し合われた。こうして制作された作品の中で示される造形美は、彼女たちがそれぞれの意識の中で感じ取った美への感動を普遍的なかたちとして表したものだといえるが、私たちは二人の作品と向かい合うことで、身近なものの中に隠されている美しさと共に、そうしたものを見出そうとする作家のたゆまぬ探求心を味わうことができるのである。
植物の中でもとりわけ果実の内部をクローズ・アップしたときに現れる、複雑なかたちの造形物とさえいえるような自然の美を作品として表すことをテーマとして、写真作品を制作する平田ユミと絵画作品を制作する本多涼子によって開催された展覧会。
 平田ユミは、デジタル・カメラでの超近撮撮影によって果物や野菜の内部を撮ったものを、カラーのインクジェット・プリントでA0サイズ(112×84cm)に大伸ばししたもの4点で展示を行った。このうち2点はそれぞれ「ざくろ」の内部を撮った縦長の写真を横並びさせたもので、実にビビッドな朱色の丸い「つぶ」が増殖するかのように密集し、ところどころに見える陰影、あるいは表面にちりばめられたようにして輝く光が、あたかも造形物のような立体感を生み出している。また、ブロッコリーを題材とした横長の作品では、明部は薄い黄緑色に輝き、古い彫像のように黄色くくすんだ暗部は、熱帯の森に密生する植物をどことなく想像させる。そして、「しし唐辛子」を撮った横長の作品では、鮮明な黄緑色で浸されたような球体が画面に浮かぶが、それは、著しくぼやけた近景と組み合わさって、人の体内を顕微鏡で覗いたようなミクロの光景を思い起こさせるのだ。
 一方本田涼子は、「ざくろ」の実を割った断面をクローズ・アップしたものを題材とした2点の大画面の油彩作品(S100号:160×160cmとS80号:130×130cm)を展示した。どちらも彩度の濃厚な赤にグリーン、オレンジ、イエロー、水色、黒などが加わった、4〜15cmほどの円形あるいは楕円形があるところでは重なり合いながら密集してイメージが生成されているが、それぞれの円形は、赤の「つぶ」に対してはオレンジ色や水色などの明度の高い色で縁取られ、オレンジ色や水色の「つぶ」では、赤や黒などといった濃い色彩の縁があたかもその陰影を表すように描き足されている。そうした対比は、同じく「ざくろ」をモチーフにした平田の写真で見られる「つぶ」の陰影もしくは光の輝きを、絵画の手法を用いて抽象的に表したものであるようにも思われ、それは、クローズ・アップされた視野に奥行きと立体感を与えている。
 ところで本田の作品は、小さいほうの一点では「ざくろ」の実を割った情景が、大きい方の一点では、その情景を見るにつけて彼女の意識の中にふつふつと沸き上がったある感情が表されていると自身で語っており、そのことばを裏づけるように、S80号での無数の円形の周囲には実の構造を示すような空間がより薄い色彩で描かれ、S100号では、そうした構造はさらに多くの「つぶ」で覆われてることでより抽象性は増し、彼女が「ざくろ」の自然美から得た印象が見事に造形化されているのである。
 今回の展覧会では、まず二人共通のモチーフとして「ざくろ」が選ばれ、その実が十分に熟した状態に見られる「ブツブツ感」をもって互いに画面をつくることがプラニングの出発点となったが、前に触れたような、「ざくろ」の中の「つぶ」の細かささ色彩の鮮明さを露にする、陰影と光の表現をそれぞれ見比べることで、本来は相容れない写真と絵画という異種のメディアの壁が、さほど違和感を感じさせずに乗り越えられ、自然の造形に対する一つの統一されたイメージが生まれているといえる(平田の写真がマットな質感の紙にプリントされていることも、そのイメージをより絵画的に表して両者の違和感を軽減する要因になっていると思われる)。さらに平田による、イエローおよび黄緑色といった清廉な色彩で表される他の二点の作品は、あまりにも濃密な「ざくろ」のイメージを中和させ、タイトルにもある通りの、植物がつくるミクロの宇宙ともいえるような不思議なイメージを私たちに楽しませてくれる役割を果たしているのである。
vol.32 青野文昭 × くわたひろよ 『re-』 (2004年3月9日〜3月14日に開催済み)  【目次に戻る】
 私たちは、工業製品や手工品、自然物をはじめとして、数限りないほど多種多様なモノに囲まれて生を営んでいる。ここでいう「モノ」とは、さまざまな人工物や自然の中にある石など、生命を持たないすべての存在を指すが、この中でも「モノ」という存在の本質は一元的にはとらえられず、対極的ともいえる以下の二つの考え方に集約できると私は考えている。
 一つは、一人の人間をがモノを認識されることによってはじめてその存在が成り立ち、その中にこそ人とモノとの関係が結ばれるという、モノに対する一般的な見解ともいえる考え方である。その根底には、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に代表される西洋哲学の思想を見い出すこともできるが、そのような思想に沿ってみると、実際にモノとの関係を結ぶのは、たとえば「私が所有するモノ」「私が見たモノ」「私が想像したモノ」など、根本的には「私」という一個人であり、その関係性の中にモノとしての存在意義が生まれるのであって、仮に「私」が死んだとすると、「私」との間に結ばれていたすべてのモノとの関係は解除され、それらはモノとしての意味を失うか、あるいは別の意味へと転化すると考られる。
 もう一方は、人の意識の働きにかかわらず、すべてのモノがもとより固有の存在として世界に散らばっており、ある時ある場所で必然的あるいは偶発的に人と出会うことでそこに関係性が結ばれるという、禅をはじめとする東洋思想にも通じるような、モノの側から見た視点を含んで成り立つ考え方である。ここでは、人という主体がモノの存在を定義付ける前出の思想とは大きく異なり、モノと人、さらにはモノとモノ同士がなぜ出会い、どのように接点を持っているのかというその状況自体が、モノの存在意義を左右すると思われる。そしてそこでは、人はモノに関わるための主体であると同時に、モノの周囲の状況に取り込まれる客体であり、逆にモノの側から見れば、モノは人を受容する主体であると同時に、人との接点の対象となる客体であるというように、互いの主客が入れ替わりながらある固有の状況がつくり出されるのである。
 「モノ」をめぐって対極にあるこれら二つの思想は、はたして相並び得るのか。さらには、こうした状況が生み出された場合、そこに含まれる「モノ」はいったいどのような存在意義を持ち得るのか。こんな問いかけがこの企画の出発点となった。
 二つの考え方について身近な例を出してみよう。「私」の目の前のテーブルに一本のペンが置いてあるとする。前者の場合には、主体である「私」からのアプローチが一切無ければ、ただテーブルとペンが在るという状況でしかく、「私」がペンを手に取って使う、あるいは使う場面を想像することによってペンと「私」との間には特別な関係が結ばれ、そこにはモノとしての存在意義が生じてくるが、後者で示した考え方に照らし合わせると、空間には「私」とテーブルおよび一本のペンが別個に存在を主張しつつ置かれており、「私」がペンを使うにあたって、この時この場でペンが使われるという状況そのものが固有の意味を持つという点において、ペンと「私」との間に関係性が結ばれることになる。
 次に、対象を造形作品に置き換えてみたらどうであろうか。「造形」としてのモノがその他のモノと区別される特殊な部分は、それ自体に制作者の個性が付加されることにおいて、一個のモノ自体が制作者という一個人の主体を表す場合があるという点だといえるだろう。造形とモノとの関わりについていえば、たとえば絵画ではさまざまな種類の絵具やそれが塗られるキャンバスなどの支持体が、立体作品では石や木などのほか金属やプラスチックをはじめとする工業製品等の素材が多くの場合使われるが、それらは、何者にも手を付けられていない状態ではただの工業製品あるいは自然物であり、ある特定の人=一人の美術家に選ばれ使われることによって、はじめて造形作品としての姿をのぞかせる。そうした意味で造形作品とは、モノと作者の個性が融合してこそ成り立つ、二つの主体が重なり合った特異な存在だと思われるのだ。そして、それが他者の前に姿を現す段階にいたっては、作品を観る私たちの主体と作品自体に含まれる制作者の主体が混ざり合った末に展示空間という特異な場がつくられることになるが、ここでは、私たちが認識しようとする作品としてのモノは制作者の意識のもとに支配されているために、私たちと作品自体との関わりと相並び、作品を仲立ちとして観客と制作者自身との関係性が結ばれるという現象が起こるのである。
 一方これとは異なり、制作者と作品、観客とが主客の区別なく混じり合うような、先ほど述べた内では後者の思想をもとにした展示空間を想像したときにまず思い浮かぶのが、石や木などの自然物に最低限度の手を加えた状態で提示することで、自然界あるいは世界そのものの存在を表すことを目指した、菅木志雄や李禹煥らのリードによる1970年代の日本独自の美術的状況である『モノ派』なのではなかろうか。制作行為を極力排除しようとする『モノ派』の思想では、素材である自然物には制作者の主体は注入されず、提示されるモノ自体を「あるがままに放置する」ことと、観客と作品との関係性よりも作品とその周囲の空間との間に「状況」を構築することが優先されているが、作品それ自体に作者の個性や主張ではない別の存在意義を持たせることは、確かに、モノという存在自体の本質、ひいては世界の在り方を見極めるための入口になり得るといえるだろう。しかし『モノ派』においても、作為的に「状況」を出現させる行為が大きな意味を持つ点では、実際に制作者の主体が消失するわけではなく、彼らが真に目指したものは、モノを完全に自立させることや世界の存在を露わにすることに加えて、自己が創出した「状況」の中で、主体でもなく客体でもなくモノと同等の価値を伴って混ざり合いながら、「作品」として提示されたモノ共々、自分自身も世界の一部となることだったのではないかと推測できるのだ。
 いずれにせよ美術家は、自身のイメージあるいは世界観を、制作行為を通して別のかたちに置き換えようとするが、完成した作品として現実の場に現れたモノあるいは空間は、否応なく作者の主体と関わりを持つがゆえに、自身の作品と向かい合う際には、他者と同様の視線で自身の分身を外から見つめるという図式が成り立つことになる。そして、そうした場では、どのようなプロセスを経て制作がなされたかということが、作品が担う意味を決定付けるように思われてならないのである。
 つまり、作品が制作者の個性を背負う場合には、まず自身の意識の領域からイメ−ジの核となるものを掘り起こし、それが適切な素材や手法で肉付けされて「作品」となるが、その際には、なぜそのイメージが選ばれたのかという動機付けが作品の性質に大きく関わってくる。一方、素材となるモノからあるイメージが解き起こされる場合には、制作者は素材から受けるイメージと同調する何かを自身の意識の中から捜し出して最終的には両者を混合させるが、その際には、いかようにして二つを繋ぐかという部分が重要な要素となってくるのである。
 要するに、モノが成り立つにいたった過程を追うのか、それともモノ自体の存在意義を問うのかという違いがそこにあるわけだが、それは、モノやその背後にある世界を美術家がどのようにとらえようとしているのかという意識の在り方がそのままかたちとなって現れる部分であり、その違いが作家各人の作品の本質を見極める指標になりうるのではなかろうか。

 今回青野文昭とくわたひろよの二人によって行われるこの展覧会は、美術家がモノを認識し関係性を結ぼうとする行為についての考察を通して、人とモノとの関わりにおける本質、さらには世界に対する視線の在り方について再考することを趣旨として行われる。まず二人の作家を紹介しよう。
 青野文昭は、船や自動車、大木の切り株、看板など、野に打ち捨てられていたさまざまなモノの欠片を拾い集め、石膏をはじめとするさまざまな素材を使ってそれらの欠片をもとに全体の姿を造形物として最構築した絵画・彫刻作品を制作している。2000年にGallery ART SPACE で開催された展覧会では、自身が生まれ育った場所にほど近い神社の跡地から採取した鳥居や看板の断片から「復元」させた立体・絵画作品による展示を行った。この神社は、作品が制作された7年前に破棄され草に埋もれてしまっていたとのことだが、そこにあった鳥居は腐りかけた2mほどの長さの木に赤いトタンが巻き付けられた状態のもので、このトタンのうち約1mほどの断片に、彼が12年前に撮影したという写真をもとに粘土などで肉付けをして「鳥居」の全体像が再現され、さらにトタンの残りの部分は平らにのばされ、そこに鉄板を継ぎ足して横長の平面作品が制作された。
 ところでこの際に展示された作品は、青野の記憶の中に残る神社の姿をもとに制作されたものであるが、他の作品がすべからくそうであるように、彼がそこに何かを感じ見い出そうとした廃棄物の断片としてのモノたちは、作品の一部となることで結果的には新たな「生」を与えられたことになる。しかし私が彼の表現の中で注目したいのは再生したモノの姿ではなく、素材となるモノを見い出そうとする彼の視線そのものである。青野によって選ばれるモノたちは大小やかたちを問わず種類も多岐におよぶが、それゆえに私の疑問は、「何が選ばれたか」というよりも「何故選ばれたか」という点に向けられる。彼自身は、すべてのモノにはもとより固有の性質がありそれを明確に引き出すための「手助け」として制作を行っているという意味の発言をしているが、自身の主体がかたちになるのでがなく、モノ自体の本当の姿を露にしようとする点では、前に述べた『モノ派』の思想との重なりを少なからず指摘することができるだろう。ただ、両者の表現が異なる点は、『モノ派』が、作者の主体性を排除してモノ自体と周囲の空間との関係性を築くことの重要性を説いたのに対して、青野の作品では、自身の意志で見い出したモノを自身の手で「復元」する手法によってモノ自体の主体を自己の存在と同列に並べ、それらが最後には融合し合うということにおいて、実際には『モノ派』の表現の中にその影が含まれながらも、モノ自身の自立性を強烈に擁護するその論法によってかき消された、造形を通じて築かれる人とモノとの関わりに焦点があてられているという部分ではないだろうか。

 一方くわたひろよは、一片の身も残っていない魚の骨を透明の樹脂に封入したオブジェおよび立体作品や、自身の髪の毛を素材としたものなど、生き物の「名残り」をあたかもモニュメントのように物体化させたような作品を制作しているが、彼女は2001年に開催したART SPACE LAVATORYでの展覧会で、壁面につくり付けた棚の上にそれぞれ種類の異なる5つの魚の骨を細かく分解したものを、計5つの食器をかたどる樹脂のオブジェに閉じ込め、それをあたかも食卓のように並べるという展示を行った。これは、彼女がそれ以前に制作した、タマゴを模した樹脂の中に一匹分の魚の骨を納めた作品『熟卵−ウレタマゴ』、あるいは樹脂で覆われた魚の背骨を縦に長く繋いでギャラリ−の床から天井まで伸ばした作品『テンジク』がもとになっていると思われるが、これらの作品によって表されるものは、単に生き物の「名残り」の姿であるだけではなく、いったん「生」を失ったものとの間に結ばれる新たな関係であるように思われてならない。その部分に関しては、破棄されたモノの断片から再生が行われる青野の作品との重なりを見ることができるが、青野の作品と大きく異なる点としては、彼の表現では自身が何らかのモノを「見い出す」意識がその起点にあり、モノとの間にはほぼ対等ともいえる関係が築かれるのに対して、くわたの作品では、「魚の骨」の作品では実際のリアルな「生」をかつて宿していたモノが、「髪の毛」の作品では、「本体」であるくわた自身は生きており本当に「死」を迎えたのか判別し難い、「名残り」というよりも「生の重み」をイメ−ジさせるモノが素材として使われるが、そこでは自身とモノとの関係性よりも、表された作品自体の存在感やそこに含まれる意味に焦点が当てられているような気がしてならないのだ。
 そして、そのような中で結ばれる彼女とモノとの関係にあえて言及すれば、あたかも自身の「生」の象徴であるかのようなモノに意識下のイメ−ジの原型をゆだねながらも、作品が成立する段階では、樹脂に閉じ込められ外気と完全に遮断されるというその形態によっても示されるように、作品は彼女自身と切り離された一個のモノとして提示されるということにおいて、両者の間には同一視さえできる近しい部分と完全に分離した遠い部分とを併せ持つという二重性が含まれており、それがくわたの作品の特質である一つの生き物の生命、それも、「生」も「死」もない永続する生命を象徴するかのような独特の存在感の源になっているように思われるのである。

 自身が見い出したモノと対等の関係を保ちながらその本質を露にしようとする青野文昭と、モノの姿を借りて自身の意識の中のイメ−ジを表すことで、自身にとっての世界の観え方を普遍化するような作品を制作するくわたひろよ。モノとの関わりを表現の中核にすえその本質を解き明かすことを目指しながらも、一方では主体をモノと融け合わせようとし、他方では主体がモノへと姿を変えるという根本的な相違点を有する二人の作品は、モノの在り方を異なる二つの方向からとらえる視点を示しつつも、独自の存在感とリアリティーを展示空間に放ちながら互いに交錯し引き合うことで、モノが表すイメ−ジの幅広さと強さを見つめる機会を私たちに与えてくれると共に、人とモノとの関わりの本質や、さらには私たち自身の「生」の在り方の一端を示唆してくれるだろう。
 美術家が造形のための素材となりうるモノを認識し、そこに何らかの関係性を見出そうとする行為を通じて、モノと人、あるいはモノとモノとの出会いの中に見られる、モノ自体の存在の本質、さらには「世界」に対する私たちの意識の在り方について考察することを主旨として、青野文昭とくわたひろよによって行われた展覧会。
 青野文昭は、壁掛けのレリーフ作品と床置きの立体作品の計2点を展示した。まず壁面のものだが、約140×65cm横長で、左右方向のほぼ中心線から20cmほどの厚みを伴って、約150°のゆるやかな角度の「くの字」に折れ曲がった形状で、表面は古びた革製品のようなややくすんだブラウン色で覆われ、左端から40cmほどの部分では、ところどころでひび割れや剥離が起こっているが、そこには他の部位に見られないような、長い時間の堆積が醸し出す質感が含まれているように思われる。
 青野は、ある場所に破棄されていたさまざまなモノやその断片に、造形的な素材と手法をもって「継ぎ足し」を施し、彼が推測するモノ本来の姿・状態を再現する(自身では「復元」ということばでそれを言い表している)行為を通じて制作を行なっているが、この作品では、「鳥の海で破棄されたイスの復元から」という題名から、「鳥の海」という地(実際には宮城県内の海辺の名)で拾われた「椅子」をもとに造型物としたものであることが想像できる。そこに破棄された「椅子」の断片が、ここでは作品の左端の部位にあたるが、そこを子細に眺めると、破棄されていた状態を思わせるように溝や凹凸が刻まれた表面のところどころに、かつて「椅子」の内部につめられていたであろうクッションの綿のような材質が覗き、それもやはり、これが「鳥の海」で青野に見出されたときのその姿を想像させる要素となっている。そして、「椅子の断片」から右側には、合板の上にボンドを盛り上げて整形した部分が連なって作品の7割ほどの面積を占めているが、造型として継ぎ足されたこの部位の表面は、「椅子の断片」の部分と比べると明らかに滑らかではあり、全体がブラウン色のアクリル絵具で覆われて統一されることで異なる二つの質感が大きな違和感なく渾然一体となったその姿には、青野に見出される以前の「椅子」が背負ってきた長い時間と、「発見」の瞬間から始まる、造型的思考およぶ制作行為の中の時間という、異なる二つの時間軸のゆるやかにつながりを見て取ることができるのである。
 また、床に置かれたもう一点の作品では、60 50cmcmほどの床の設置面から上方に向かってすぼまるように、高さ146cmの「ロケット」のようなかたちの立体に成型されているが、よく見ると、36 27cmほどの面になった天頂部から40ccmほど下の範囲は、ところどころでひしゃげたような複雑なかたちとなり、その下にはやはり合板を主素材とした造型をもとに継ぎ足された部位が継ぎ目なく連なり、すそを広げるような幾つかの面から形成される全体は、やや黄色がかったような薄いブルーのアクリル絵具で覆われて統一されたイメージを放っている。「鳥の海で破棄された容器の復元から」という題名から、前出の「椅子」と同様に「鳥の海」の地で拾われた「ポリ容器」をもとに「復元」がなされたことを推測させるこの作品でも、「Eizai」という企業名を表す文字が前面に刻まれ、さらに容器の注ぎ口が開いた姿からは、青野がこれと出会う前の時間が読み取れる。そして、壊れてへこんだフォルムをそのまま引き継ぐように造型をもって継ぎ足された1m程の部位は、彼がこの「ポリ容器」と関わりを持った時間を表し、それらが継ぎ目なくつながる姿は、「椅子」の場合と同じく、モノ本来に含まれる時間軸が、青野自身の時間にゆるやかに収束されていゆく過程を視覚化したものであるように思われてならないのだ。

 一方くわたひろよの展示だが、青野の作品が置かれたギャラリー手前の空間とは柱を間にはさんだ左側の壁面のほぼ中央に、周辺部がややぼやけた直径120cmほどの円形の映像を投影することで行われた。この映像は、投影面の向いにあたるギャラリー左手の壁にそって設営された、白く塗った合板による奥行90cm、幅190cm、高さ234cmの密閉した「小部屋」の壁の中央に開けた直径4cmの穴から、ヴィデオ・プロジェクターの光を照射したものだが、映像の中身は、一辺が30cmで幅60cmほどの正六角形を中央に置き、その周辺には同じ正六角形六個が、それぞれの辺を接して円形の周辺部ではぼやけて途切れながら配され、さらにこの中心では、濃いブラウン色を基調に、周りを薄いブラウン(くすんだクリームイエロー)で縁取りしたような三角形、四角形、円形などさまざまなかたちが組み合わさって幾何学的な文様となったものが、絶え間なくその様相を変えながら、ゆるやかにそしてある瞬間には激しく変形して(六つの六角形ではぞれぞれ全く同じかたちが同時に反復される)、無数の姿を生み出してゆくというものである。
 これは、くわたが自作した万華鏡の内部をヴィデオ・カメラでクローズ・アップで撮り、それをヴィデオ・プロジェクターによってリアルタイムで投影したもので、プロジェクター等の機材が隠された「小部屋」の中では(来場者の目から閉ざされた奥手の入口は暗幕で覆われている)、直径5cm、長さ19cmの、半透明のプラスチックによる万華鏡の筒が2個のモーターを使ってゆるやかに回転し(一回転4分ほど)、底の部分にあてたスタンド・ライトで照らされて内部に光を取り込み、筒の先端の接眼部とヴィデオ・カメラのレンズとを直につなぐことで万華鏡の内部がモニタリングされ(ヴィデオ・カメラ付属の小さな液晶モニターでもその様子が確認できる)、その映像がケーブルによってプロジェクターに出力されるというシステムが組まれている。
 くわたは本来、自分自身や他者が食した後の「魚の骨」をもとにした、樹脂を主素材とする立体およびレリーフ作品を発表してきたが、この万華鏡でもやはり、「魚の骨」を筒の内部に仕込んでイメージがつくられている。そこに使われた3mmから5mmほどといった極小の「魚の骨」の断片は、回転する万華鏡の内部で混ざり合って無数のかたちとなり、また筒が回る際に2〜10秒ほどの間隔で起こる、骨が「カサッ」と一気に崩れ落ちる際の瞬間的な変化(この音は来場者には聴こえない)も加わってつくられる、この二度と同じ形態となることのないイメージは、私たちを飽きること魅き付けるのである。
 ところで私たちは、この万華鏡の映像から、あたかも未知の微生物のような動きを見せる「魚の骨」をもとにしたものであることはほとんど知り得ないが、幾何学的な中にもどこか有機的要素を含んだ形態や色彩から、それが生物に関わる何かであることを意識的あるいは無意識的に察知させ、視覚的な面白さを超えて身体もしくは意識の核の部分に何かを働きかけることが、私たちを魅き付けて止まない印象の源になっているように思われるのだ。

 ここまでそれぞれの作品を詳しくみてきたが、さらに各作品の持つ意味について、今回の展覧会のテーマとの関わりの中で考えてみることにしよう。
 まず青野の作品である。私はこの展覧会のために記した解説文の中で、素材となるモノを彼が見出そうとする視線そのものが制作を支える源であり、そうやって見出されたモノを、自身の造形的思考と手法をもって「復元」することで、モノ自体を彼自身と同列の場所に並べて融合させ、その自立性を際立たせるという特質を指摘したが、この、モノ本来の在り方とそこに向かう青野の意識が相並ぶ様は、今回の展示作品について先ほど述べたような、モノ自体に本来含まれる時間と制作の過程で付加される彼自身の時間とがゆるやかなつながって一つの造形となることとの間に、深い関わりを見て取ることができる。
 こうした、素材となるモノおよび造形として「復元」された作品の在り方と、そこに含まれるであろう「時間」との関わりは、青野の表現を語る上では最も重要な要素だと思われる。なぜなら彼自身の主眼は、作品として現れた造形としての姿よりも、むしろ、彼とモノとの関係性にあるからだが、モノの「ありのままの姿」を露にしようとした、いわゆる「モノ派」の概念をさらに推し進めて、そこにまつわる関係性を、「復元」という時間軸を内に含みつつかたちとした青野の表現は、それ自体は絵画もしくは彫刻の体裁を取りながらも、その実「モノ派」が追求しようとした、人知を超えて現れるモノ本来の力強さを秘めるという、きわめて特異な存在だといえるのではなかろうか。
 一方、くわたの作品について記した事前の解説文では、そこで使われる「魚の骨」は、実際のリアルな「生」を宿していたモノが、作品のための素材という別のモノとしての性質を獲得することで、「生」も「死」もない永続する生命が象徴されるということを指摘したが、「魚の骨」が実際に動くことでイメージが表される今回の万華鏡の作品では、あたかも未知の生物をクローズ・アップしたような映像の中のゆるやかかつ瞬間的な動きが、彼女本来の「魚の骨」の作品に現れる凍結された時間に、概念の上では決して止まることのない時間の流れを持ち込み、永続する時間の凍結と流動とが一つのイメージの中に内在するこの作品からは、無窮の円環を象徴する自己完結性を感じ取ることができるだろう。

 以上、青野とくわたの表現に含まれる意味について考察を試みてみたが、片や彫刻的なもので片や映像という、相容れない質感を持つ二人の作品が同時に視界に入り込んでくるのにもかかわらず、私たちがさほど違和感を感じないのはなぜだろうか。その理由としては、破棄されたモノや生を失ったモノを美術家という一個人の意志をもとに再生するという独特のコンセプトを互いに表現の核とするゆえの共通性が、メディアの違いによる外見上の壁を解消させるに足りる力を生み出している点がまず思い当たるが、くわたの映像に現れる生命体を暗示するようなブラウンの色彩(くわた本来の作品と同様の色調でもある)が、右側に並列して設置された「椅子」をもとにする青野の作品のブラウン色と類似している点も指摘できるかもしれない。
 いずれにしても、かつて「死」したものが素材となっているにもかかわらず、同じく作品から豊かなイメージを感じ取ることができるのは、それぞれの素材へのアプローチを通じて造形に向かう彼ら二人の視線と意志が、モノに本来含まれるイメージを異なる別の存在へと昇華させているからであるように思われてならないのである。
vol.33 石田敦子 × 小林真理 『はこやのやま園』 (2004年3月16日〜3月21日に開催済み)  【目次に戻る】
 動物園や植物園、果樹園に幼稚園など、世の中に「園」と付く場所数々あれど、「はこやのやま園」というものを知る人はまずいないだろう。それもそのはずで、これは、石田敦子と小林真理の展覧会タイトルとしてつくられた造語で、「はこやのやま(藐姑射の山)」とは辞書を引くと、中国古来の言い伝えで「仙人が住む山のこと」と出ている。
 古今東西の人々は、現実の世界の苦しさや厳しさを忘れるために、空想の中で多種多様な理想の世界の姿を考え出してきた。たとえば西洋では、いわゆる「ユートピア思想」がもとになってつくられたさまざまなかたちの天上の世界が、日本では「極楽浄土」の信仰や「桃源郷」などがあり、中国の「藐姑射の山」もその内の一つだと思われるが、これらの理想郷は、その時々の芸術家によって、絵画や詩など具体的なかたちで表され人々の心を癒してきた。イタリア・ルネッサンスを代表するラファエロやミケランジェロの壁画に描かれたキリスト教的な天上の世界や、『愉楽の園』で知られるボッシュが描いた空想世界、中国では李白などが漢詩に詠った永遠の中の世界はもとより、現代に目を移せば、針金などでつくった緻密なユートピアが天幕の中に現れる作品で知られる内藤礼をはじめとして、その姿かたちは千差万別だが、本来、人の空想力の産物である芸術が、現実とは違うもう一つの世界を求めて止まない人間の精神的な欲求に応えて理想郷のイメージを作品として創り出すことは、理にかなった自然のことといっても差し支えないのではなかろうか。
 さて「はこやのやま園」だが、ここでイメージされているものは神の国やユートピアではなく、私たちの意識の中にある空想の「遊園地」だ。それが石田敦子と小林真理の作品によってギャラリーの中に現れる。
 石田敦子は、主に木版画の技法をもとに、戦前のモダンデザインのイメージをほうふつとさせるような趣きをもって人や車などの身近なもの、身の回りの景色、出来事などを表した作品および、それらの絵でマッチ箱などの雑貨をつくったもののほか、皮籘の技法をもとにした鞄や椅子、小物類などを平行して制作している。先ごろ発表した、10点の版画を「本」のかたちにまとめた作品『landscape』では、街を表すようなイメージの刺繍が施された革の表紙を開けると「ゴンドラ」「夜の公園」「BOOK」などと名付けられた、主にモノクロームによる光景が展開するが、切り絵のような角張った輪郭で表される人や樹木などのかたちは、抽象的な文様にも見える道や丘の風景あるいは、本や椅子などの室内のものと組み合わさって、静かな情景をつくり出している。また、それぞれのモチーフは画面の中に距離を取って小さなサイズで配置され、それによってできる余白の部分は、どこか空虚だけれども何となくあたたか味があるような、不思議な雰囲気を生み出すのである。
 一方小林真理は、樹木の枝の先の本来実が付いている部分に、象やバク、ライオン、シマウマなど動物園で見かける動物や、トラ猫など身近な動物のほか、カモメや鳩、オウムなどの鳥類が、時にはたわわに連なって実った絵をもとにした銅版画作品を発表している。彼女の作品に現れるイメージはことばで説明すると非常にエキセントリックだが、実際に画面を見ると、違和感は感じずにその独特の世界に浸ることができる。それは、もとになる樹木や動物たちは銅版画特有の緻密な描写で図鑑から抜け出てきたかのように表され、さらに、モノロームとセピア色をもとにした色彩は、古き良き時代に西欧でつくられた植物学の図版のような感触を醸し出し、「世界の片隅にこんな植物が実在してもよいのでは」というような実感をかき立てるようなイメージがモチーフの奇抜さを打ち消してしまうのである。また画面には、彼女が考え出した「読むことのできない文字」でできたことばが綴られているが、これは、空想の中での「博物誌」にリアリティーを積み重ねる役割を果たしているといえるだろう。

 今回の展覧会『はこやのやま園』では、石田は版画や絵のほかに皮籘によるものも含めた人や動物、建物などを、小林は従来通りの銅版画による動物や鳥などを、ごく小さいサイズのものを多数つくり制作して構成されることになっているが、そうした作品をギャラリーのさまざまな場所に設置することで、動物園や遊園地が入り混ざったような二人の空想が交差するユートピアを出現させることを目指して、この企画は出発した。小さいながらもそれぞれが二人の空想世界を濃密に含んだ作品が集まってかたちづくられるこの空間の中で、私たちは自身の意識の内にある想像力をもって、どのように遊び戯れることができるだろうか。
 それぞれ版画を制作の中心とする石田敦子と小林真理の二人が、動物や植物あるいは架空の世界の情景などをモチーフとした作品をもとに空想の中の遊園地「はこやのやま園」をつくることを主旨として行われた展覧会。石田は61点、小林は69点の計130点という大小の作品によって展示は構成された。
 石田敦子は、和紙に紙版画で表したイメージをベースに、蜜蝋や油彩などで着色し、さらに「柿渋」によって樹木の皮のような茶色を定着させた作品のほか、「皮籐」を編み込んでつくったレリーフ状の作品を出品した。一点ずつ下記に列記してみよう。
 91×44cm横長の画面(上下幅約15cmずつ、3枚に分割されている)に、「旗」が立った不思議なかたちの島が浮かぶ「海」が、ワニや小舟、帽子をかぶった人と共に描かれ、周囲は幅1.5cmの皮籐のわくで縁取られている(「はこやのやま園」)/35×31cm横長の蜜蝋と柿渋を使った画面に、巨大なキノコと小さな人々が描かれている(「investigation」)/29×31cm縦長で一点は羊を(「ヒツジノキ」)、もう一点は人と鶏を(「ヒトトリ」)を描いた2点の絵/9.5×9.5cmの画面に、気球、三角の旗を持つ三角のイメージの人、道、旗の立つ塔などを描いた9点を縦一列に並べたもの(「ハタハタ地区」)/31×41cm縦長で蜘蛛および蜘蛛の糸のイメージが、和紙の下にワイヤーを敷いてローラーで紙版画を刷り線描した黒の線で描かれている(「旅の終点」)/9.5×9.5cmの画面に、ワイヤーを使った線描で、インディアンの神話などをもとにした太陽と月、樹木、犬を表したものを3×3列に並べた9点一組の作品(太陽と月」)/9.5×9.5cmの画面に、楽器を奏でる人々、古代文字などをモチーフとして部分的に油彩で着彩し、3×3列に並べた9点一組の作品(「四つの元素」)/9.5×9.5cmの画面に、記号と「虫取り女」をモチーフに、さらに柿渋で着彩した3×3列、9点一組の作品(虫取り女」)/9.5×9.5cmの画面に、朱色などの1mm幅の皮籐で虫のようなかたちの記号を表し、1.5cm厚のレリーフとした3×3列、9点一組の作品(「no title」)/15×15×1.5cm厚のものを縦2列、横6列並べて12点一組とし、内6点は紙版画をもとに植物をモチ−フとする風景が、残り6点では、主に5mm幅の黒、赤、茶色などの皮籐でを編み込んでさまざまな幾何学的文様としたものを、それぞれ交互に並べたもの(「no title」)。
 一方小林真理は、虫の頭部や植物の実の部分がさまざまな動物の姿にすり替えられたものに、時には彼女独特の読めない文字(「真理文字」)が添えられてイメージがつくられた銅版画作品による展示を行った。同じく一点ずつ下記に列記してみることにする。
 蝶の頭部が鹿や豹、シマウマ、虎などの野生動物となったイメージの、39.5×26.5cm横長(画面サイズ19.5×14.5cm)の作品を、3×3列、計9点一組としたもの/植物の実の部分が、燕などの鳥やウサギ、バクなどの動物となった39.5×26.5cm横長(画面サイズ19.5×14.5cm)の作品を、横2列×縦3列、計6点一組としたもの/蝶や蜂などの昆虫の胴体が、牛や鹿、キリン、虎などの動物のからだになった26×20cm横長(主に画面サイズ9.5×8.5cm)の作品を、横3列×縦4列、計12点一組としたもの/卵から「にょろっとした豹」が生まれてくる26.5×20cm横長(画面サイズ8×6cm)の作品を、横3列で3点一組としたもの/「にょろっとした豹」をモチーフにした26.5×20cm横長(画面サイズ8×6cm)の作品を、横2列×縦4列で4点一組としたもの/漆黒の背景に細やかな線描で、ヒヨコや植物、バクをモチーフとシタ絵を描写した39.5×27cm横長(画面サイズ17×12cm)の作品を、横5列で5点一組としたもの/11.5×9.5×4cm厚のクリーム色の紙の箱に、巻き貝から象やバク、豹、虎などの野生動物が這い出てくる絵に「真理文字」が添えられた、横長10点、縦長6点の作品を壁に並べて構成したもの/植物の花の部分がシマウマや犬のかたちとなった、26.5×39cm縦長(画面サイズ14×19.5cm)の2点の作品/「にょろっとした豹」が文字のようになった20×13.5cm横長(画面サイズ6×6cm)3点および13.5×20cm縦長(画面サイズ4.5×6cm)1点と、「真理文字」だけでイメージをつくった9.5×13.5cm縦長(画面サイズ6×8cm)2点横並び計8点を交互に並べて構成したもの。
 会場内は、石田と小林の作品が展示のスペ−スを区分することなく交互に整然と並べられ、渾然一体となって一つの空間がつくりだされている。そこでは、それぞれのモチーフや手法、素材、色彩は異なっているのに、なぜか統一したものに見えるが、それは、ところどころで幾何学的なブロックとなって並ぶレイアウトも影響しているだろう。それに加えて、小林の作品ではほとんんどモノトーンの版で表わされたイメージが、石田の作品における「柿渋」によるブラウンの色彩と絶妙にマッチし、またイメージの描画においても、細やかな小林の線と、大まかながらも繊細さを秘めた石田によるかたちがかみ合い、さらに、架空の物語ながらも妙にリアリティのある物語性が両者の作品を成り立たせていることのも、異なる二人の作品が違和感なく混ざり合う要因になっていると思われる。
 そして、こうした架空の物語をもとにしたさまざまなキャラクターを訪ねることで、私たちは、二人の空想の中に現れた遊園地「はかやのやま園」で、存分に心を遊ばせることができるのである。
vol.34 小林雅子 × 佐伯陽子 『The second contact』 (2004年3月23日〜3月28日に開催済み)【目次に戻る】
 「あなたにとって最初の記憶は何ですか?」
 私は、自身が主宰する批評誌「Infans」の中で、かつてこのような質問を幾人かの人々に投げかけたことがある。ここでは、「自宅とは別の家のおぼろげな姿」「下を見ていて階段から転げ落ちたこと」「初めて立ち上がって拍手されたこと」等の回答が寄せられた(ちなみに私自身の最初の記憶は「目の前に黒っぽい地面が大きく広がりその先のほうへとゆっくり進んで行く」というもの)。思えば人の記憶とは、本当に起こった出来事とかどうか実に曖昧なはずであるのに、たとえそれが後に家族などから聞いて知った話や当時の写真から得たイメージが入り混じっているかもしれないとはいえ、私にとってはどうしたわけか確信的な出来事として強く意識されるのであるが、それはなぜだろうか。
 「最初の記憶」が持つ意味について考えてみよう。人は(この場合乳幼児だが)この世界に生まれ出たからには、「最初の記憶」がもたらされる以前にも当然のことだが感情を表し、声やことばを発し、からだを動かし、時には体験したことの記憶を克明に語りながら日々を生きている。そうした中で、大人になっても思い返される記憶を得る瞬間は、自然の成りゆきとして誰の身にも訪れる。それ以降は意識の中で何かが切り替わったように、記憶されることも徐々に増えてゆくが、こうした記憶の「分岐点」について、私は次のように考えている。
 「最初の記憶」との出会いにおいては、母親と自分とを同一視してしまう行動にもその一端が見られるように、人を取り巻く現実の世界と意識の中に広がる内的世界は未分化で混ざり合っているが、身体の成長に伴う精神の発達によって、「自分が世界そのものである」という意識から、「自分のほかにもさまざまな人や者が存在している」という認識へと徐々に移り変わってゆく。さらにその認識は、「自分の周囲にはあらゆるものを含んでなり立つ世界という大きな存在がある」という自覚にまで広がりを見せるが、それは、人が「世界」の入口に立ちその中に分け入ろうとする場面にもなぞらえられるものであり、こうした状況の中で体験されることこそ、まさに「最初の記憶」となって、後々の思い起こされるのではないかと考えられるのだ。
 ここまで「最初の記憶」について思いをめぐらせてきたが、では、「あなたにとって二番目に覚えている記憶は何ですか?」と問われた場合、どのようなものが浮かんでくるだろう。おそらくそれを正確に答えられる者は、ほとんどいないのではなかろうか。「東京で二番目に旨いラーメン屋」の看板を掲げている店が多数あって本当の「二番目」と特定することは意味がないように、まるで答えの出ない謎解きのような質問だが、ここには、人の記憶の原点を知るための重要な要素が隠されているように思われる。
 ここでいう「二番目の記憶」とは、「最初の記憶」の次に思い起こされるもののことだが、それは、物心が付くか付かないかの時期に記憶されたさまざなことを総じて指している。この時期の記憶は、明確に思い返されるものもあれば、もやがかかったように曖昧なものもあるが、はっきりとしたかたちで思い出される記憶でさえ、実際には後から聞き知ったことや他の記憶が入り混じって別のものに置き換えられている場合も当然あり得るわけで、それは、渾然一体となったおぼろげな意識そのものが一まとめになって今蘇ったような印象をもって語ることもできるだろう。
 これを突き詰めて考えてみると、「最初の記憶」に関しては「世界の入口に立った状態」という比喩を使ったのに対して、はっきりしているようでどこか曖昧なこのおぼろげな状態は、「世界」の中に分け入った私たちが、その中に包まれて在る「自分」の存在を初めて自覚する、いうなれば「自我」の大もとが芽生える瞬間にたとえることもできよう。そこにおいては、「自分」という存在をようやく認識することができたとはいえ、現実の中にあるさまざまなものと自分自身とがどういった関係にあるかということを知るまでにはまだ至らず、そうした「関連付け」あるいは「意味付け」の不十分さゆえに、記憶自体は確かに残されながらも、実際にその中身はきわめておぼろげであるという現象が起こると思われるのだ。
 ところで、妙にリアリティがあるのにそれでいてどこかおぼろげな、幼い頃の記憶をかたちとして明らかにする術は、ことばで語る以外に何かあるだろうか。この時期の記憶をイメージとして表すことは、実に難しいものだ。なぜなら、記憶とは実際に体験した出来事がそのまま意識の中にしまわれているわけではなく、個々人が持つさまざな思考や過去の記憶と密接に結び付きながらかたちづくられるが、幼い頃には、意識の領域と現実との境界は曖昧で両者は一つに混ざり合っているために、そうした時期の記憶にかたちを与えるためには、記憶された個々の出来事だけではなく、それが収められる意識そのものを一つのイメージとして表されなければ不十分だからである。
 
 物心が付くか付かないかという時期の記憶を視覚的な表現としてかたちとすること。小林雅子と佐伯陽子によって行われる『second contact』は、企画の初動にそうした主旨を含んで開催される展覧会だが、二人がここで目指しているものは、そうしたおぼろげな記憶のイメージをかたちとすることだけではなく、自身の意識の奥底に隠された記憶の探究をもとにして、自己の存在はいかなるものかという、人にとっての普遍的な疑問を、造形的なイメージをもって表すことが、プラニングの段階では最終的な目標として設定されている。
 二人は、今まで以下のような活動を行ってきた。
 小林雅子は、布団、電気スタンド、ぬいぐるみが一体となって表された「部屋」や五段飾りの雛人形など、過去の思い出が鉄を素材にかたちとなったものや、飴色の油紙を主な素材として、ぬいぐるみの熊や乳幼児の服のかたちを表したもの、工場に置かれた機関をかたどったようなもの、コンクリートを素材に、幾何学的に文字を表した断片を集積して「要塞」のようなかたちを構成したもの、子供用に見える小さなサイズの実際の布団やベビーベッドの上に、おとぎ話に出てくるような西洋の城を砂でかたどったオブジェを置いたもの、コンクリートの「布団」から油紙の「ぬいぐるみ」が這い出てきたもの、油紙で彼女自身の服をかたどったものなど、さまざまな素材や形態による立体作品を発表してきたが、そうした多様な表現を通して見えてくる制作のテーマは、今回の展覧会の主旨とも共通している以下のようなものだと思われる。
 それは、彼女自身も含めた私たちの意識の奥底にある幼い頃の記憶、あるいは今現在の日常の中から生まれた記憶をもとにして、それらが含まれる意識自体や、さらには人の「存在」の在処という不可視のものをかたちにすることであり、そのことは、彼女の作品のタイトルに付けられた「旅する理由」「D.N.A」「幼いぬけ殻」「きのうのぬけがら」「絶対的な記憶」「不特別な日々」などといったことばからも察することもできよう。つまり、鉄にせよ油紙にせよ、小林の作品に現れる「くま」や「服」などは、確かなかたちを持ちながらも内部が空洞であるがために、具体的な記憶の姿よりもむしろ、意識の中に記憶という存在が空虚かつおぼろげかつ浮遊しているような状態を象徴し、さらに、鉄やコンクリート、砂をもとにした「塊」としてのさまざまなかたちは、記憶を含んで在る意識の姿そのものを表しているようにも思われるのである。
 一方佐伯陽子は、「鍵」などといったさまざまなものが著しく錆びた状態で、木の箱の中に集めるように収められた作品や、植物あるいは静物を、4×5インチサイズのカラーのポラロイドフィルムでクローズ・アップして撮影しながらも、本来のプリントを剥離した後に残る乳剤面の方を樹脂で固めて、ネガとポジの部分の色彩が入り混じって表されるような作品を制作した後、今では以下のようなイメージで語ることができる作品を、プリントや版画のほか、時にはインクジェットプリントも駆使して発表している。
 水の中で激しい動きが起こると、大小無数の泡が発生したり内部の光景が瞬時に変化し続けたりするが、有機的ともいえるそうしたかたちが組み合わさってできる複雑な様相が、高倍率のクローズ・アップ撮影によるカラー写真の画面の中で表されている。ここでは、スカイブルーやエメラルドグリーン、オレンジ、赤褐色、シルバーなど、淡いながらも彩度の高い色彩が使われ画面が彩られており、それは非現実的な未知のイメージを印象付けるが、そのイメージはきわめて緻密な描写によるリアリティに強く支えられ、互いに相容れないはずの二つの要素が、色彩と形をもとにした造形性にコントロールされることで、一つの鮮明なイメージがつくり出されるのである。
 ところで、佐伯の作品が示すものは、色や形をもとにした造形性だけではない。クローズ・アップによってつくられれるその画面からは、「時間」が凝固するように停止したイメージを読み取ることができるが、視覚表現としてつくられたそうした擬似的な「瞬間」は、時間の存在しない光景を前に佐伯自身もしくは私たちが永遠に立ち尽くす姿を想像させ、それは翻って、「今、ここに、確かにいる」という、人が「絶対的」に存在する状況を象徴するのである。

 小林雅子と佐伯陽子の作品は、表現法方もテーマも大きな異なりを見せつつも、「世界の中での人の在り方」への探究がその根本にあると思われる点では、重要な部分での重なりを指摘することができる。
 ところで、この展覧会のタイトルにある「second contact」という語は、私たちの周囲に在る「世界」の存在を知る最初の接触の次に訪れるであろう、「世界」に包まれた自己の存在を認識する「第二の出会い」と呼べるものを指しているが、そうした「出会い」の場面を暗に象徴しつつ、眼には視えない記憶あるいは意識の姿をかたちとして表そうとする二人の作品で構成される空間の中で、私たちは、自身についてどのような記憶を思い起こし、そこから、自己の存在についていかなる思考を促されるだろうか。
乳児が外界の存在を認識する瞬間を「世界との最初の出会い」だとすれば、物心が付くか付かないかの時期に心に刻まれたもやがかかったように朧げな記憶を、仮に「世界との第二の出会い」と位置付け、そうした記憶を象徴するようなイメージを造形として表すことを主旨として、小林雅子の立体作品と佐伯陽子の平面作品によって構成された展覧会。

 小林雅子はギャラリーの床に4点の立体作品を設置した。ギャラリーのほぼ中央には、飴色の油紙を素材とする、衣服をかたどった大小二点一組のもの −大人用と目される長袖の上着とズボンのセット(140×110×厚み15cm)の右脇に寄り添うように、子供用の半袖ベストとズボン、ネクタイのセット(70×30×厚み20cm)が対になっている− が置かれている。それぞれはある程度の膨らみを持つとはいえ、こうした作品にありがちな「人の抜け殻」のようなイメージは感じさせず、ある「空気」が内部に含まれているような印象を感じさせるが、その「空気」とは何かと考えるにつけて、「服」の襟や袖からわずかに覗く、上着の内部にプリントされたカラー写真のイメージが手がかりになると思われる。
 これは、「大人用」では団地のような建物の写真が、「子供用」では山並の景色がもとになっているが、種明かしをすれば、「団地」は小林自身が現在住んでいる場所の屋上から撮ったもので、「山」は彼女が生まれた地から見える「浅間山」の景色をデジタル・カメラで撮影したものだということで、そこから、「子供用」のものは意識の中に沈殿する彼女の幼い頃の記憶の原型を、そのちょうど倍のサイズでつくられた「大人用」のものは、そうした朧げな記憶を今思い返して探ろうとする現在の意識の在り様を、何とはなしにであはあるが読み取らせてくれる。
 この「幼い頃の記憶」のイメージは、他の二点の作品ではさらに明確なものとなる。一点は、幅41.5×奥行29×高さ59cmの、天板がピンクであとは白い既成品のカラーボックスに付いた4つの引き出しそれぞれに、上の段から、「服」と同じく油紙を素材とした「おむつ」の真中に、固めた砂で6×5cmほどの階段の付いた小さな洞窟をかたどった小さなオブジェを置いたもの、引き出しにすっぽりと入るように収められた小さなサイズの幼児服(上下)の奥の方から、大勢の子供たちが遊ぶ声(砂場で収録されている)が小さな音で流れてくるもの、砂を固めてつくった3〜6cmほどの小さな「家」や「柵」を中に点在させたもの(彼女が幼い頃に住んでいた家や親の職場を象徴しているという)、油紙による子供服(上着)の上に、砂でできた二つの小さな「城」が置かれたものというように、人が徐々に成育して行く過程を上段から下段に向かって表し、それらを来場者が自由に開けて覗くことのできるという作品で、もう一点は、幼稚園児が通園用に持つような、24×10×高さ8cmの既製品による真紅のカバンの中に、砂糖にも見える白いつぶでできた6×4×高さ6cmの「城」と、いろとりどりの38個のドロップ飴が入れられたものである。
 ここでは、彼女の幼少期を象徴するような異なるサイズの「衣服」や実際の「砂場の音」、「通園バッグ」「飴」、「砂遊びの城」、記憶の中の身近な「家」などといったイメージが扱われているが、「通園バッグ」を除いてそれ自体があるイメージを呼び起こすような素材によるモノたちは、引き出しの状況や写真の中で設定された物語と結び付くことで、彼女の意識の内側に沈殿しているであろう記憶を象徴している。そして、作品の中では唯一「現在」を表す「大人用の服」があたかも放置されたモノのように扱われる様は、そうした個人的な記憶を彼女がが自ら客観視するような視点を持ち込み、それは、作品に接する私たちの意識の中に内在する記憶をも象徴するという、普遍性の源になり得ているのである。

 一方佐伯陽子は、スカイブルー、エメラルド・グリーン、オレンジ、イエロー、ウルトラマリンブルー、赤褐色、シルバーをはじめとする色とりどりの色彩が有機的ともいえるようなかたちで表された19×24cmのカラープリントの表面に、透明アクリル板を圧着させる加工(アクリルマウント)を施した計21点(縦長19点、横長2点)を壁面に整然と横並びさせて展示を行った。これらは、透明ガラス製のペーパーウェイト(内部には大小さまざまなかたちの「気泡」が装飾として封入されている)を、35mm一眼レフカメラでの超近撮撮影で撮ったカラー写真によるものだが、ここでは、本来は無色透明であるはずの被写体の裏側にさまざまな色のカラーセロファンを撮影の際に置くことで、未知の世界の非現実的な光景にもたとえられるような、鮮明かつ複雑なイメージが生み出されるのである。
 一点ずつのイメージをみてみよう。展示の順に右から、宇宙空間のような濃い藍色の単色を背景に透明度の高い大小無数の白い「泡」が寄り集まりながら浮かぶ3点の作品(1点は横長)、画面のほぼ中央にオレンジとグリーンによる植物の繊維質のような「柱」が縦に横切る作品、「宇宙船」ような「つぼ」のかたちの中で6つのいびつな球体と無数の小さな球がテーブル状のかたちを構成し、それぞれブルーとグリーン、ブルーと赤褐色、グリーンと赤褐色というように主たる色彩を違えた4点の作品(1点は横長)、画面の横方向を渡る波のようなかたちが縦に連なったものと、そこに付随するような比較的大きな球体によってつくられたイメージが、ブルー、エメラルド・グリーン、オレンジ、シルバー、ブラウンなどの色彩の組み合わせにをもとに大きく様相を変えられた、大気の中をイメージさせるような5点の作品(すべて縦長)、大きく開いた花弁のようなかたちや、その花弁を真上から見たようなかたちといった、顕微鏡写真にも見えるものを交互に並べ、スカイブルーやイエロー、オレンジなどと色彩を変えつつ織り交ぜてイメージをつくり出した8点(すべて縦長)となっている。
 これらは、藍色とシルバーによる最初の2点を除けば、2〜3色もしくはさらに多くの色が画面に現れることでイメージがつくられているが、ここでは、かたちは同じでも色彩の異なるバリエーションとして表されたものと、異なるかたちの中に類似した色彩が表されたものの2種類に大別することができる。こうした、色彩が表すイメージとかたちが表すイメージという二つの要素がつくるバリエーションは、21点の展示全体を通じて透明かつ複雑な未知の光景を私たちに見せるが、この、鮮明なリアリティを発しながらも決して現実の中に存在しないイメージは、私たちの意識の中に在りながら表にかたちとして現れることはない朧げな記憶を象徴しているようにも思われるのだ。
 
 今回の展覧会では、床には小林の作品が、壁には佐伯の作品が置かれるというように、同一の視界で両者を含みながらもその領域を明確に隔てて展示が行われたが、私たちは小林の「カラーボックス」の引き出しを任意に一つ開けた瞬間、手法もイメージも全く異なる佐伯の作品との間に合い通じるようなイメージを感じ取ることができた(来場者の中には、小林の「砂場」のイメージと佐伯の「海」のイメージとのつながりを指摘したものもいたが)。それは、小林の作品の素材である油紙が表す飴色の鮮明さが、佐伯の作品中に多く現れる赤褐色もしくはブラウンの色彩と重なり合うという外見上の類似が及ぼす影響もあるかもしれない。しかしそれと共に、小林の作品の引き出しを順に開けてゆく内に心に沸き上がる、具体的にそれが何を表すかは定かでないけれども、そこには確かにモノのかたちや外見が発する以外のイメージ(ここでは小林自身の記憶)が朧げながら存在するという、ことばでは説明しがたい曖昧な心情と、佐伯の作品における、決してありえない光景をリアルに感じさせるようなイメージが生む、やはりことばにならないような複雑な心情とがぴったりと重なり合うことが、私の感じた共通点のおおもとにあるのではないかと思われるのである。そして、この「ことばにならない心情」こそ、今回の展覧会のテーマとなるべき、意識の奥底に隠された「朧げなる記憶」を象徴する存在だといえるのではないだろうか。
vol.35 水野圭介 × 矢尾伸哉 『resonance room』 (2004年3月30日〜4月4日に開催済み)【目次に戻る】
 ある風景の中に身を置いた自分の姿を目に浮かべてみることにしよう。それが街なかなら、ビルをはじめとする建物や道を行き交う人々が、森の中なら木々や足下の草むらが視界を占めるが、これらの風景は、目の前にある無数のものが集まってかたちづくられるだけではなく、その他のさまざまな要素が複雑に絡み合いながら一つの「場所」として認識されると私は考えている。そして、その中でもとりわけ重要なものは、「時間」という存在ではなかろうか。
 「空間軸」と「時間軸」ということばがあるように、一つの空間として表される光景や場所は、いうまでもなく「時間」と密接なかかわりをもって成り立っている。私たちは風景の中に立ち尽くすとき、自身も含めてその中に存在するあらゆるものが、一瞬も止まることなく刻まれる「時間」の中に在ることを体感するが、そこでは、中に含まれるもの自体は空間を構成する役割を担うのに対して、そこに「時間」の要素が加わることによって、そうしたものたちは「今まさに、ここにある」という意義を伴って、私たちが立つ「場所」と結び付いた固有の存在となり、一つの光景をかたちづくるのである。
 ここまでは、「私」という存在を中心に考察してきたが、ある場所や風景を構成するもう一つの重要な要素として、人が周囲の風景を認識しようとする意識そのものを挙げることができるだろう。私たちは、視覚や聴覚、触覚などを通して、自身を包む風景を意識の中に瞬間的に取り込んだ末に、はじめてその存在を認識するが、認識しようとする「私」という主体と、認識される側の「風景」という客体との関係は、「私」がいなければ認識されるべき風景は存在せず、逆に、認識の対象である「風景」が無ければ「私」の居場所も確定されないというように、どちらか一方が欠けても成り立ち得ないと思われるのだ。
 ところで実際の風景の中には、主体である「私」以外にも、たとえば街なかの雑踏では、自分と同じように道を行き交う大勢の人々など、同時に時間を刻み続ける無数の存在が相並んで含まれ、そのすべてが「私」と同様に、「風景」と主客の関係を結んでおり、そうした無数の関係が集積して一つの「場所」が成り立っているといえる。そこでは、性質を異にする時空が「場所」を認識する主体の数だけあって、それは互いに透過し合うように重なり合っており、私たちは認識の対象としてとある「場所」を選んびながらも、実際にはそこに含まれる無数のものの中から唯一選ばれた、確かに「ここにいる」自分という存在を発見することができるのである。
 これまで述べてきたような、人と空間、さらには「場所」をめぐる関係は、私たちを包んで存在する「世界」の在り方をそのまま表しているともいえるが、思えば、ギャラリーや美術館をはじめとする「展示空間」も、そこに設置される作品にまつわる造形空間だけではなく、たとえばギャラリースペース自体の空間や、観客が作品を通して意識の中に感じ取る空間といった、互いに密接な関わりをもちながら性質の異なる3つの「場」が一つに重なり合って認識されるものだといえるだろう。
 つまり、認識の対象となる「場所」そのものをギャラリーなどの空間に、そこに含まれるあらゆるものを、作品もしくはそのもとにある制作者自身の存在に、認識の主体となる「人」を観客に置き換えてみると、人が「世界」を認識する際に必要不可欠な要素を一通り満たさしており、さらに、作品を引き立てるために余分なものが置かれずシンプルな造りになっているギャラリーなどの空間では、そこに展示される作品の性質にかかわらず空間と人との関係が見えやすいと思われるが、今回水野圭介と矢尾伸哉によって行われる『 』は、展示空間と制作者の意識の中の空間、そして私たち観客の三者をめぐる、通常は意識されなとの少ない空間の在り方をテーマに含んで企画がなされた展覧会である。
 この展示では、「箱」としての本来のギャラリー空間に、二人の作品にまつわる二つの造形空間が重なり合って、一つの展示空間が創り出される。それは、互いに独立しつつも一つの場で透過するように重なる、さながら「レイヤー」のようなイメージをもって語ることができると共に、さまざまな意味を担うものが多層をなして重なることでかたちづくられる現実の光景の姿をも想起させるのだ。
 ここで二人を紹介しよう。水野圭介は、一つの電灯のスイッチ、あるいは一つの自動販売機のボタンを男女二人が同時に押す様を題材とした映像作品や、どれを押してもスイッチが入る数百個の電灯のスイッチ・ボタン、あるいはチャイム・ボタンが展示空間に並べられたインスタレーション作品など、人のある意志がもとになってなされる行為の帰結が予測できない、もしくは意志を持つ前から否応無く決定されている状況を示すことで、意識と現実とのずれを体験させる作品および、「時」と「分」を示す針は正常に働きつつも、文字盤と秒針が一緒に動くことで「時計」の意味、さらには「時間」という概念をも解体しようとする作品、水野自身の名刺を、横から見てちょうど名刺サイズとなるまで多数積み上げた断面に文面となる文字を印刷し、それが人々の手に取られ、彼の「名前」が広まってゆくのにしたがって印刷された「名前」は消失してゆくという、彼自身の存在をめぐる逆説的な作品などを発表してきたが、私が実際に展示空間の中ではじめて体験した彼の作品は、以下のようなものだった。
 会場には、サイズが異なりながらも色やかたちが統一されたテーブルが3つ置かれており、各台上には、大小さまざまなサイズや色の「付箋紙」の束を並べてそこから何枚かがランダムに引き出されたもの、「札束」を模したように一組の「トランプ」をいくつかの束に分けて積みんだもの、英和辞典や国語辞典など計10冊の古びた辞書を、幅を広く取ったブックエンドの間にある規則性を持った間隔で置いたものという3つの作品がそれぞれ設置され、部屋の脇には、ある店で販売していた分すべてを買い求めたという多種多様な種類のコンセント・タップ計103個をへびのようにつないでその端をコンセントに差し込み、それを壁際に沿わせた作品が設置された。この展示から私が受けた所感は、作品の素材となるモノたちが発するイメージが、展示スペースの余白が目立つ閑散とした空間の中でゆるやかにつながって、観るものの意識の内にモノを通じてのある感情を呼び起こすというものだった。
 ところで、この展示に限らず、普段見慣れた既成のモノがほぼそのままの姿で素材として使われることが多い水野の作品では、彼自身の意志や思惑とは無関係にモノが発するさまざまな性質が深くかかわって造形空間がかたちづくられるが、私たちは、水野のある意識をもとに設定された「場」が匂わせるイメージと、そこから現実の中に投げ出されたようにして孤立するモノにまつわるイメージという、作品をめぐって展示空間に相並ぶ2つのイメージのはざまで、両者のつながりを自分なりに認識して「場」を完成させる仲立ちとなることで、自分でも気付かぬ内に展示空間の一部と化すのである。
 一方矢尾伸哉だが、私がはじめて対面した彼の展示は、割れた隙間から植物が生えたコンクリートの壁や光に照らされたアスファルトの路面、幾何学的なかたちの陽光が伸びる屋内の光景、中心の消失点に向かってパースペクティブが強調された風景、路面や壁面のディテールを追ったものなど、「どこにもないどこか」という言葉で表されるような場所が特定されない対象を、6×6cm判のモノクロフィムで撮って110cm幅のロール印画紙に大伸ばしにプリントした写真を、9cm長の大型の釘でギャラリーの壁面に直に留めたり直接床に敷いたりして構成された展覧会だった(2003年、Gallery ART SPACE)。
 ここでは、写真が本来担う、ある特定の光景や状況の記録という要素は見当たらず、1m四方のサイズのモノクロのトーンによる新たなイメージがつくり出されるが、被写体となる場所の固有性がそうやって排除された彼の作品においては、矢尾自身が撮影の対象となる場所と向かい合った「瞬間」が、ことさら色濃く浮かび上がるのである。
 さらにその後観た矢尾の作品は、撮影される場所の匿名性はそのままにして、たとえばある光景を、一目見ただけではその差異に気付きにくいほどに、撮影の際の立ち位置を前後にずらしたり角度を微妙に変えて撮った2点もしくは複数点のモノクロプリントを並置したものだった。そこでは、ある時間差が風景の中から抽出されるように表現されるが、ある場所で撮影される複数の瞬間やその狭間に立つ矢尾自身の姿を想像するにつけて、作品に現れるこうした時間の差は、彼が風景と向かい合った際の視線、もしくは身体を移動させる動作や距離を推測させ、それは、前出の大伸ばしのプリントで表されるもの以上に、彼の存在そのものを私たちに強く意識させるのである。

 二人の表現の相違としては、以下のようなことがあげられる。今述べたような矢尾の作品では、写真を用いることで風景の中のある「時間」が表されるが、それは、彼の作品の被写体が特定の場所を指し示さないのと同様に、特定の「瞬間」を記録するわけではなく、彼があるときに風景と向かい合った時間がかたちとしたものであることにおいて、表現の核として作者自身の存在を浮かび上がらせるための重要な要素となっているといえる。一方水野の作品では、素材となる既成のモノが持つ固有のイメージと彼の意志とが付かず離れず混ざり合うことで、ある「状況」が生み出されるが、そこでは、モノの意味とイメージとのかかわり、そして、これらのモノとのかかわりをめぐる水野自身の意識の在り方を探る私たち観客の存在そのものが、ことさらクローズ・アップされる。そこには、矢尾の作品に見られるような「時間」の要素が入り込む余地は見当たらず、作者自身と来場者などという違いはあるにせよ、人の存在を意識させることをゆるやかな共通点に、一方「時間」をめぐっては、片や重要な要素となり、片や介在しないという大きな隔たりを持つことにおいて、また、写真とオブジェというまったく別のメディアによるものであることにおいて、互いに相容れない存在に見えながらも、人の存在と空間との関わりという重要な部分では深くつながっているように思われてならないのだ。
 今回の展覧会は、異なるいくつかの要素を一つの空間で互いに素通しの状態で重ね合って、新たな空間を創出を想定させることを目指しているが、実際に水野と矢尾の作品にそれぞれ含まれる、異なる「時間」の在り方や空間に対する感覚が重複することなく重なり合う様は、その内に私たち第三者の存在を取り込むことでさらに複雑な様相となりながら、無数の要素を含んで成り立つ現実の「世界」の姿を、仮設された展示空間のかたちを借りて象徴するのである。
 タイトルの『resonance room』は「共振空間」あるいは「共振する場」などと訳されるが、、水野圭介と矢尾伸哉によって行われたこの展覧会は、いわゆるレディ・メイドをもとにした作品と写真作品という、本来は相容れないような要素が同一の空間の中で重なり合うことで、果たして新たなるもう一つの「場」が生まれ得るだろうか、そして、そうやって生まれた「場」とはいかなる性質を伴うのかということを見極める目的をもって企画がなされた。二人が行った展示はそれぞれ以下の通りである。
 水野圭介は、市販されているモノをもとにした2点の立体作品と、モニターに映し出される映像作品で展示を構成した。一点は「坂」と題された作品で、50×50cm、高さ65cmの木のテーブル(普段ギャラリーの入り口脇に置かれ芳名帳やDM類が乗せられている)の中央に、どこにでも見かけるような4×1.7×厚さ1cmの消しゴム(トンボ製の「MONO」)6個を、未使用の状態でテーブルの面から45度傾けたラインに沿って、無造作ながらほぼ一線に横並びさせ(内2個は、ライン状にはありながら角度が著しく曲げられている)、そのラインから3cmほど突き出すかたちで、透明アクリル板によるやはり市販の下敷き(三菱製)を裏返したもの(三菱のマークでそれが確認できる)を、高さ4cmの「消しゴムの列」に乗せることで、その上端とテーブルに接する下端の間には150度ほどの傾斜が生まれ、さらに下敷きのほぼ中央には、先ほどと同じ消しゴムが製品名を印刷した上のカバーを取り除いた状態で無造作に置かれている。
 もう1点は「ロック・バンド」と題された作品で、市販による大小2本の「つっぱり棒」(縮めたサイズは大が長さ66cm×直径1.5cm、小が長さ38cm×直径1.5cm)をそれぞれ適度に伸ばした状態で固定し(116cmと55cm)、「小」が「大」に15度ほどの角度を持って寄り添うように触れるか触れないかくらいで接するように床に並置され、さらに、ポールの端から端まで伸ばすようにして、「大」では黒の、「小」ではアメ色のゴムバンドがやはり適度に伸び切った状態で張られている(「大」では真っ直ぐに、「小」では途中で90度ねじれて張られている)。
 3点目は「ブラインド・タッチ」と題されたDVDメディアによる映像作品で、14インチの黒のテレビ・モニターの左脇にDVDプレーヤーが置かれ、映し出されているのは、水野自身が自室と思われる場所で目の前に置かれたコンピューターと相対してキーボードを打ち続けている姿が、1サイクル6分半ほどでループされて延々と反復するというものだが、映像をよく見ると、彼が着ている黒い衣服につながるように背中の部分が大きく膨れ上がり、両手が出ている位置も不自然な様から、背中の黒い布の中には別の人物が隠れており、そこから伸びる手が実際にはキーボードを叩いているという、つまり、落語や演芸で行われる「二人羽織」の状態でテキストを入力していることに気付かされる。ここでは、キーを打つ者が目の前を完全に塞がれるという、文字通り「ブラインド・タッチ」で入力されたテキストは、映像の中のコンピューターのモニター画面に映されていないために、何が入力されているかは知ることができないという作品である。
 それぞれの作品からは、いかなる意味を見出すことができるだろうか。まず「消しゴム」の作品だが、これについて水野は、「消しゴムの上下を知らせるケースを外すことで、下敷きがつくる「坂」に置かれた消しゴムが上に昇っているのか下に向かっているのかを判別できないようにした」ということを語っている。この作品を構成する要素は、展示台として使われたテーブルを除けば実質的には6つの未使用の消しゴムと、そこからケースをとった1つの消しゴム、透明の下敷きの3種だが、消しゴムと下敷きがつくる「坂」に、「登り降りを不明にさせる」という水野の意志を受けたものが置かれて現れる状況は、そこで使われる全てのモノが既製品であるからこそ、彼自身がある状況を設定しようとした意志が際立ち、なおかつこのような意志が無から空間をつくり出すことにおいて、これらのモノたちの間には自己完結的な関係性が生まれるといえるのだ。
 「つっぱり棒」と「ゴムバンド」の作品でもその片鱗が伺える。水野によると、二本のポールを包んで伸びるゴムは、さらに伸びる可能性を残しつつ適度な張力で張られているとのことだが、そうした張力を設定する意志が作品のサイズ等の外見を決めることにおいて、「消しゴム」の作品と同様に、「意志を顕在化すること」と「イメージからかたちを表わすこと」の産物としての自己完結性を読み取ることができる。
 「二人羽織」によるキー入力を延々と映した映像では、他の2点に見られるような彼自身の意志に基づくはずの行為は、姿を見せない他者に肩代わりされ、映像ではそうした行為の結果としてモニターに次々と表示されるであろうテキストを見つめる水野の意志だけが見て取れるが、この映像は、自己とは無関係に進んでゆく行為を、自身の行為に置き換えて設定するという状況を示しており(「二人羽織自体が本来そうした意味を持つ演芸だが)、他の2点との関連でいえばこの作品は、これまで述べてきたような、ある状況を無から生み出す源となる「意志」そのものを客体化し、それを映像という手法を通じてかたちに表わしたものだと思われるのである。

 水野の3点の作品を包括する説論は後回しにして、次に矢尾伸哉の作品についてみてみることにしよう。矢尾は、市販されているものの内では最大サイズの110cm幅の印画紙に、90〜92cm角ほどの画面サイズ(その周囲には幅2cm分ほどでフィルムの黒い外枠がプリントされている)で6×6判フォーマットによるモノクロ写真をプリントしたものを、長さ7cmの特大の釘を印画紙の上端に左右二本打ち付け、下端は何もせずに垂れ下がったままにするという方法で壁に固定したもの8点で展示を構成した。
 それぞれのモチーフを展示の順に右から記すと、暗いトンネルのような場所の出口から光が注ぎ、その向こうには一本の電柱が見える光景、画面の過半数を占める壁(右端には「東京商船大学」という標識が見える)の上方には木の茂みと空が、下方には工事用のコーンが一本立つ路地が見える光景、画面のほぼ全面を覆うグレーで表されたコンクリートの壁(白のチョークで手書きした「95-63」という文字が見える)の一部が、三角形を重ねたような幾何学的なかたちの影に浸食されるように覆われた光景、がらんとした倉庫のような部屋の中央に2連のサッシ窓が並び、そこから、空間を浸食するように光がじんわりと差し込んでいる光景、石もしくはコンクリートの小さな破片が点在する床と、そこに続く同じくコンクリートの壁をもって、画面全体がグレーの色彩で覆われた光景、建物の屋上のような場所から天地を貫くように立つポールから下に向かって、船上のマストのように4本のワイヤーが伸び、その背景にはグレーの空が大きく広がる光景、表面が割れところどころに小さな溝や穴が見えるコンクリートの壁と、その下に続く側溝、さらに地面をもって、やや濃いグレーの色彩が画面を覆う光景、ところどころが細かくひび割れたコンクリートの床の上面をやや薄めの影が、下方を何かの支柱や手すりを表わすような濃い影が覆う光景となる。
 これらの写真を見渡すと、黒と白、その中間を占めるさまざまな.濃度のグレーのトーンが組み合わさる中でコントラストとグラデーションがつくる抽象的なイメージを読み取れるが、そのイメージのもととなるのはモチーフを照らす陽光であり、そうした点では、これらの作品に表れているのは矢尾自身を包んでいたであろう「光」、さらにはその場にあった「空気」そのものであると考えられる。
 ところで、そうした特徴を画面から読み取らせるのは、110cm幅というプリントサイズが強く関与しているといえるだろう。矢尾は、Gallery ART SPACEで行った個展(2002年3月)においても今回と同じサイズのプリントによる展示を行っているが、そこでは視覚を通じて得るイメージに加えて、身体によっても写真のイメージをとらえられるという感覚を体感することができた。私は今回の展覧会ための解説文の中で、そうした身体的な感覚を呼び起こす矢尾の写真は、彼自身と被写体との距離感覚や、対象と相対した時間そのものを含んで成り立っていると評したが、それとの関連で今回展示された作品を考えるにつけ、写真に現れる「距離」や「時間」のもとになっているのが、矢尾自身と彼に撮られた個々の「場」にまつわる「光」や「空気」ではないかと推測するにいたったのだ。

 今回の展覧会では、冒頭でも記したように、写真のプリントと既成のモノという本来相容れない性質の要素が一つの空間に同居しながらも、それは、なぜか違和感のない必然的なものとして感じ取ることができたのだが、その理由を掘り起こしてみることにしよう。この企画はまず、矢尾の写真が壁面を覆うというプランが最初に提出され、そこに水野の作品がつくる別の空間を重ね合わせるという道筋をとって進められた。つまり、矢尾の8点の写真が発するイメージによって視えない舞台のようなものがギャラリーの中に構築され、その後に、水野の意志がかたちとなったもう一つの「場」がその内部に収まるように付加されるわけだが、一つには矢尾の作品に含まれる「時間」と「距離」という物質ではないものの存在感と、逆にそれらの要素を排除して、モノ自体や一個人の意志によって自己完結的な存在として表される水野の作品とが、あたかも異なる次元の重なりが一つの「場」をかたちづくるように互いを補完しながら空間が構成されたことが、異質な要素が違和感なく重なり合ったことの理由として挙げられるだろう。
 また、二人の作品の共通点としては、ある対象に向かう意識もしくは意志をもって、そこから発生する何かを視覚的あるいは概念的なかたちとするという手法を指摘できるが、ここまでみてきたような相違点、そしてこうした共通点を持つ二人の作品が重なり合う空間とは、展覧会のテーマさながらの「共振する場」であり、私たちの目には視えないであろうこうした「共振」が、不可視ながらも観る者の意識に何かを訴えかけてくるという事実が、この妙にしっくりとくる展示空間における一体感の源になっているように思われてならないのである。
vol.36 久保透子 × 洞野志保 『森の天上』 (2004年4月6日〜4月11日に開催済み)【目次に戻る】
 森は、他に代わるもののないような独特の空気に満たされている。
 実際に森の中を歩くと、視覚に入ってくるもの、想像の中で捉えられるものを合わせて、実に多くの存在が森の全体像をかたちづくり、それが独特の空気となって私たちを包み込んでくることに気付かされる。たとえば前方を見れば、視覚を遮りつつも遠くの景色をわずかにのぞかせる樹木の枝の連なりを、足下に目を移せば、柔らかな土壌を覆う草むらや無数の落ち葉、そこに折り重なって複雑に絡み合う、朽ちて落ちた枝の塊、さらにそれらを覆い隠すような低い灌木の群を、上を見上げれば、遠く離れるほど細かく密になる枝の複雑な重なりの隙間から、森の外の景色とつながっているのになぜかそこだけ切り取られて異なる性質を示すような空を捉えることができる。また私たちは、落ち葉の下や土壌の中、樹木の幹の内側には、大小さまざまな虫たちや目に見えない無数の微生物が隠れていることを知識で知っている。想像の中で察知されるそうした生き物たちのほかにも、樹木が発する匂いや、木々の隙間を通して注がれる陽光を感じ、森という場所そのものを実質的に成り立たせる「水」の存在を想像もしくは察知することができるが、こうした想像力が意識の中にもたらす情報と、実際に視覚が捉える情景が組み合わさることで、森はその独特の濃密な空気を伴って私たちの体を包むのである。
 今回久保透子と洞野志保によって行われる『森の天上』は、二人がそれぞれ「森」に対して抱くイメージをもとにつくられた作品で空間を構成することで、植物も生き物も無いけれどもそうしたイメージがかたちとなって「森」の概念をより明らかに示す、造形としての「架空の森」をギャラリーの中に出現させることを目指した展覧会である。
 二人を簡単に紹介しよう。久保透子は、種や葉などの自然物を素材としたレリーフ作品や、同様の手法によるものを「箱」に収めたオブジェ作品を主に制作しいているが、そこには時折、彼女自身が記したことばや文章が添えられることもある。たとえば「オルゴール」と題される作品では、長い年月にさらされたような扉付きの古びた木の箱の中に、貝殻や星の砂、使用済みの海外の切手、古地図、古書のページなどが収められ、それは、ある人物の長い旅の記録を表しているようでもある。また、同様の木の箱に貝殻などのほか、実際のオルゴールが仕込まれた別の作品では、海辺の出来事を題材にした短編小説ほどの物語をまとめた本が収められ、そこでは、彼女が意識の中で思い描いたものが、視覚と言語の両面で同時にかたちをなって表され、通常の造形とは質の異なる具体性を伴ってイメージが立ち上がるのである。
 一方洞野志保は、リトグラフや銅版画などの手法をもとにした、繊細な線と淡い単色が印象的な外観をもって、人の「耳」と「手」、あるいは「頭」の部分にとりわけ執着して描き出したような作品を主に制作している。さらに詳しく見てみよう。作品の多くはセピアや淡いグリーンおよびオレンジ、ブルーなどで彩られることが多いが、金属の錆に見られる美しさにも通じるこれらの色彩は、細やかな線をもとにした写実的な質感とマッチして、見知らぬ世界の情景をリアルに示すような、それでいてどこか懐かしいような独特の空気を画面に生み出している。また彼女の作品では、ほぼ球形にデフォルメされた頭から樹木が生えたものや、人がろうそくになったものなど、擬人化されたキャラクターが時折現れたり、クローズ・アップされた「耳」や「手」自体が人格を伴うようなものが多く見られるが、これらは、彼女自身の内面が、触れたり聴いたり思索することで現実の世界と接点を持つための入口を暗に象徴しているようにも思われるのである。
 こうした二人の作品で「架空の森」がつくられる今回の展覧会では、洞野の作品に現れる「耳」によって捉えられる「音」、あるいは「手」によって触れられる「モノ」のかたちを、久保がイメージして作品に表すことを当初のプランとして企画が出発した。『森の天上』というタイトルは、森の中に身を置いて見上げた枝の隙間の空に、陽が落ちれば輝き始めるであろう満天の星を夢想する「私」の姿をイメージして付けられたものだが、具体的なものやことばからイメージが紡ぎ出される久保の作品と、紙の上に表されたイメージを通じて架空の現実の姿が時として空想される洞野の作品が組み合わさってできる空間は、森の景観自体を表すものではないにしても、人が森に包まれたときに味わう独特の空気や意識の中に沸き上がる空想を、その中で心を開く私たちに感じ取らせてくれるだろう。
 森の中に身を置いたときに感じるであろう空気の匂いや湿度、あるいは光や色、さらにそれらから想起されるものなど、個々が感じた「森」のイメージをかたちとして表すことを目指して、久保透子と洞野志保の作品によって構成された展覧会。二人はそれぞれ以下のような展示を行った。
 久保透子は、種や葉などの自然物を素材にレリーフのかたちや「本」のかたちとして表される作品を制作してきたが、それはここでも、作品の素材である自然物がそのイメージを空間全体に広げてゆくことにおいて、着実に踏襲されているといえるだろう。展示の状況をみてみよう。
 ギャラリーの入り口に近い壁面には、グリーンやブラウンなどに染めた10×15cmタテ長の紙に透けた葉脈を置き、その上にそれぞれ「葉」と「蝶」のイメージや英文を黒のインクで刷ったものをもとに21×28.5cm縦長のケース状にした2点の平面作品が設置され、その下の壁に取り付けられた4つの白い台には、左から、古びた樹皮を模したような表紙の「本」をかたどったものに、木の実や、「ネムの木」を題材とした16×21cm縦長の小さな冊子を藁ひもでくくりつけたもの、土のようなイメージの蓋付きの古びた木の箱に、英字を刷ったものと葉脈を収め、その右脇にはさまざまな石をつめた小さな箱が添えられたもの、毛が貼り付いたような三つの小さな箱と、それぞれ「SAPIN」「COFFEE」「POLLEN」という文字が刷られた紙を入れた長さ7cm、直径1cmの3本の試験管を収めた箱とを並置したもの、オルゴールの箱にヒトデや貝などを収めたものが置かれた。
 その向かいのギャラリーの奥の壁には、細い木の枝をレイアウトした周囲にカッティング・シートによって、「森の天上/故郷/土の温度/ムカシネムノキ/近くの森といずれの街/耳と翼/透明な水の枝/ゆずり葉/万華鏡/虹羽衣/星を蒔く人/という黒の文字が貼られ、その下には、グリーンやブラウンの色彩をもとにした模様を施した3cmの木の立方体に、細い針金の手足を付けたもの10個が並べられた。
 床に目を向けると、窓の下からギャラリーの奥に向かって円弧を描くようにして、50×40cmほどの和紙が敷かれ(久保と洞野の共同作業によって鋤かれたもので、さまざまな種類の葉が混入されている)、その上には、同じくさまざまな種類の大小無数の木の実や松ぼっくり、そうした自然物をもとにつくった小さなオブジェ、貝殻、染めた和紙に穴があけられている薄い板に足を付けた6×6cmの立体、細い木の枝を並べて紐で結び「筏」のようにしたものなどがところどころで組み合わさって、久保が思い描く自然の情景のイメージをつくりながら点在している。また窓の部分にも、二人の共同作業による和紙が、外からの光に透かされて葉のかたちを美しく立ち上がらせながら、2×2列で計4枚分並べて吊るされている。
 一方洞野志保は、リトグラフや銅版画などの版の手法をもとにして、繊細な線と淡い単色が印象的な、人の「頭」や「耳」、「手」などをモチーフとした作品のほか、トンボをはじめとする昆虫を題材とした作品を制作してきたが、今回の展覧会では、そうしたモチーフによる銅版画を扉絵としてその下には空白の上を十数枚束ねて置き、それを銅の板による表紙、裏表紙、背表紙の3枚を蝶番でつないで「本」のかたちとしたものに収めた作品計19点による展示を行った(それぞれのサイズは最少のもので10.5×8.5cm、最大で33.5×18.5cmで、内5点では「扉絵」の下は白紙ではなく、久保による詩のことばのようなテキストを記した紙が続いてゆく)。
 これらの表紙となる銅板には、さかなや植物、蝶、昆虫、トンボ、樹木などのイメージが掘り刻まれてそのかたちに穴が開けられ、下からは銅版画による扉絵のイメージ(人の耳や口、背中から植物が生え出したもの、トンボ、カタツムリ、樹木など)がわずかに覗くが、表紙では具体的なイメージが穴のかたちとして象徴的に表わされ、内側の版画では非現実的な光景がリアルに表されて一組になった、異なる二つの要素がつくる関係は、人の意識の表層が感じ取るイメージと無意識の領域に巣くうイメージとが非条理に共存して成り立つ人の心の在り方を暗に表しているようにも思われるのだ(それぞれの作品のイメージの組み合わせ方は、ここにすべては記さないが、「かげろうと枝」「植物足(とんぼ)」「蛍の袋(花むぐり)」など、それぞれの作品のタイトルに反映している)。
 これら19点の「本」は、彼女自身が拾い集めた、古びたさまざまなかたちの板をL字金具で壁に固定したものに1点〜複数点ずつのせ、それをギャラリーの入り口に近い箇所の床を起点にして、それぞれの間を高低差50cm、幅30cmほどを開けて、中央の柱に向けて反時計回りに登ってゆき、そこを最高地点としてギャラリーの壁を一回りして入口の左側の床を終着点に下りてゆくような展示がなされた。ところで、これらの作品のもとになっているのは、森の中の大気が渦を巻きながら樹々の隙間に覗く空へと立ち上ってゆくイメージであり、それは、久保の作品を置いた和紙が窓から床へと移り、やはり反時計回りに渦を巻くようにギャラリーの奥へと続いてゆくイメージとつながり、この二つの「螺旋」が視界の中で重なる中から生まれる空間は、目に視ないものも含めて無数の存在が静かに渦巻きながらかたちづくられる、「森」の情景を象徴しているようにも思われるのである。
 そして、そうした印象の源になっているのは、久保の展示で使われているさまざまな自然物、あるいはそうしたものをもとにつくられる作品による、森の様子を暗に表すような色合いや手触りと、洞野の作品が置かれる台として使われた古びた木の板および、表面が腐蝕したり焼かれたりすることで自然の中に埋もれたような風合いが表された銅の板という、互いに土の色を想起させるような色彩や質感で展示がつくり上げられていることも大きく関与しているだろう。 この展覧会では、日中はギャラリーの窓から差し込む外光が作品を明るく輝かせ、陽が暮れゆくと共にその輝きは、天井のスポットライトに譲り渡され翳りを帯びてゆくという光景を毎日目にすることができたが、それは、私たちが一日を森の中に身を置くことを想像したときに感じるであろう、時間の経過に伴う空気や光の移り変わりを、わずかばかり夢想させてくれるのである。
vol.37 林瑞穂 × 福永佳代子 『カタチにまつわる言の葉』 (2004年4月20日〜4月25日に開催済み)【目次に戻る】
 「世界」は無数のモノたちによってつくられているが、それらの一つ一つは固有の「かたち」を伴っており、さらにその「かたち」はそれぞれ独自のイメージを発しながら「世界」の中に点在している。そしてそのイメージは、何かのはずみで偶発的に、あるいは否応なく必然的に私たちの意識と結び付き、その瞬間、「世界」の中から見出された特別な存在としてクローズ・・アップされる。
 ところで、ここでは「世界」ということばを使っているが、それは私たちが生きている今現在の中で、実際に目に触れるもの、書籍や映像などさまざまなメディアによって知り得るもの、想像の産物として捉えられるものなど、直接、間接的なつながりを持つ存在を指すだけではなく、歴史の中に埋もれて消え去った過去の無数の出来事や、そこに現れた人やモノなども含めたあらゆる存在を要素とした集合体を暗に指し示しており、そこでは、今「私」の目の前にある一個の消しゴムも、宇宙空間に浮かぶ人工衛星も、人の目に触れることなく地中の奥深くに眠る恐竜の化石も、「世界」をかたちづくるものという点では同じ意味を担っている。
 話を冒頭に戻すと、そういったあらゆるモノが、あるときに私たち一人一人と結び付いて特別な存在となる際には、その「かたち」が想起させるイメージが受け入れられるだけではなく、モノのイメージを他者と共有するための「ことば」が多くの場合介在する、たとえば、犬や猫、人、ペンや紙、土や石など、モノの種別および名称を表すことば、あるいはそれらの色や外観をなどを表すことばがあり、それは、日本語、英語、独語、仏語など多種多様な言語に枝分かれすることで無数に増殖してゆくが、私たちが「世界」の中から見出し気に留めた存在は、「かたち」などの外見やその性質をもとにつくられるイメージをもって認識され、そこにさらに「ことば」が当てはめられることで、「かたち」は一個人の意識を抜け出して固有のイメージを放つ存在になることができるのである。

 モノの「かたち」と「ことば」という、片やモノにまつわるイメージの源になり、片や記号でしかないにも関わらすモノが認識される際には重要な働きをする、人の意識を仲立ちとして密接なつながりを持つこの二つの関係。それを美術などの造形に当てはめてみると、その在り方はより明らかになるだろう。
 造形では、「かたち」は「作品」に、「ことば」は作品の「イメージ」に置き換えることができるが、ここで現れる「イメージ」は、モノに与えられる「ことば」のように、単に認識のための記号として当てはめられたわけではなく、作者が意識の中で思い描いたものを象徴する存在であるという点では、「かたち」との関係は不可分なほど密接で、作品の「かたち」は作者のメッセージが込められたある「イメージ」を生み、そうした「イメージ」は、作品の外観と結び付いて「かたち」として現れ、そこに向かい合う私たちに、作者の意識の中のメッセージを語りかけてくるのだ。
 それぞれ版の技法をもとにした作品を制作する林瑞穂と福永佳代子によって行われる『カタチにまつわる言の葉』は、造形が生まれるためには決して切り放すことのできない作品の「かたち」とそれにまつわる「イメージ」との関わりをクロー・アップすることを主眼とした展覧会である。この企画の初動では、二人がつくる作品を架空の遺跡から掘り起こされた出土品に見立て、それらを陳列する「考古学資料室」をギャラリーに出現させるというプラニングがなされたが、それはさらに、それぞれが想起した作品のかたちやイメージを相手から受け取り、そこから新たに作品を生み出すことや、ある一つのかたちからそれぞれがイメージを思い描いて作品をつくることへと発展し、架空の歴史から掘り起こされた遺物のような作品のほかに、そうした作品に含まれるイメージ、もしくはかたちを互いに交換し合うことで生まれたものも合わせて空間が構成される。
 二人を簡単に紹介しよう。林瑞穂は、シルクスクリーンの技法をもとに制作を行っているが、顔料や岩絵具などをインクに混合し、それを紙に何度も重ねて刷ることでその表面に厚いマチエールを発生させ、最終的にそこからある「かたち」を切り取るという方法は独特で、錆びた青銅をはじめとして腐蝕した金属を思わせる古色に満たされた色彩や、同じく木や金属でできた何かを朽ち果てさせたような不定形のかたちおよび手触りは、遠い昔の遺跡から掘り起こされた出土品、もしくは化石の破片のも思われるような不思議な質感を持ち合わせている。またこれらの作品は、やはり古色を加えて彼女自身がつくった木の箱に収められて展示されることも多いが、それは、化石などの考古学資料が収められた標本箱の姿を暗に象徴し、作品に込められているであろう古の時間にまつわるイメージをことさら増幅させ、今回の展覧会の初動のプランである「考古学資料室」を装ったギャラリーの姿も、もともとは林がつくるこうした作品のイメージから引き出されている。
 一方福永佳代子だが、彼女の場合も、銅版画の技法をもとにしながらその方法は独特で、グランドに牛脂を混ぜたものを銅板に塗り、表面が乾いた後に薄手の紙を置いた上から鉛筆などでイメージを描画する工程をもとにした、「ソフトグランド・エッチング」と呼ばれる、描かれた線の柔らかさや軽さが強調される手法によって制作を行っているが、そこでは、版を不定型に切り取る作業が併用されることで版がエンボスとなり、柔らかいながらも鋭いという独自の線描がなされるのである。
 そこで表されるイメージは、西洋の架空の聖人や、魚や鳥と人が一つの胴体を共有する姿など、いずれも妖しげなキャラクターをもとにしたものだが、シアンやマゼンタ、グリーンなどの彩度を落としたような色彩が主に単色で一つ一つの図柄に適用され、それらが色を代えて反復するように多数組み合わさって展示されることも多い彼女の作品のイメージからは、西欧の古代宗教の遺跡から掘り出された古代神のイコンにも見えるような趨きを感じ取ることもできる。
 二人の作品が持つ「かたち」、そして「イメージ」は、遠い歴史の中に埋もれて消え去った遺物の影をたたえているが、互いのイメージが交換されて新たなかたちが生まれる今回の展覧会では、それぞれに含まれるであろう架空の時間はギャラリー空間の中で混ざり合うことで、世界のどこにも存在しえない唯一無二の時間軸が生み出され、そこに醸し出される濃密な気配は、その中に立つ私たちを、いつ晴れるともしれないもやのように包み込むのである。
 モノの「かたち」とそこから想起されるイメージを表すための「ことば」との関わりをテーマとして、ある架空の遺跡から発掘された出土品を陳列する考古学資料室をつくるという想定をもとに、共に独自の版画表現を展開する林瑞穂と福永佳代子によって行われた展覧会。
 林瑞穂は、シルクスクリーンの技法をもとに顔料などを厚く重ねて刷った紙をある「かたち」に切るとることで、錆びたような質感の金属を思わせるような作品を制作しており、今回の「考古学資料室」というプランの発案も彼女の作品が一つのきっかけとなっている。一方福永佳代子は、ソフトグランド・エッチングと呼ばれる描かれた線のやわらかさが強調される技法で、西洋の架空の聖人や、動物と人あるいは異種の動物同士を組み合わせたようなあやしげなキャラクターをモチーフとする作品を制作してきたが、今回の展覧会では、そうしたイメージを刷った紙を小さな半球や棒状ものに貼り付けてオブジェとしたものや、独自のキャラクターをもとに小さな人形のかたちとしたものを中心にして展示を行った。
 会場全体を見渡してみよう。床には二人が共同制作した、茶色に塗装した板を素材とする浅底の箱の展示台(30×150×深さ7cmに同様の塗装を施した角材を組んで70cmの足を付けて支えたものが2脚、同様のつくり方で箱部分が45×120cmのものが2脚、同じく箱が60×60cmのものが1脚)計5個が壁や柱に沿ったり床に置かれたりして設置されている。
 一つ一つの箱の中を見てみよう。ギャラリーに入ってちょうど正面の壁に沿って置かれた箱(30×150cm)には、出土した銅剣のようにも見える20×3cmほどの細長い板の作品が12個1組で並べられており、「時の狭間をさまよう」と題されたこれらの作品は、錆びた金属のような青や赤緑などで彩られ、銀箔による幾何学的なかたちが表面に浮かび上がっている。そのとなりの、中央の柱から続くように縦に置かれた箱(45×120cm)では、福永による木のような質感になる粘土でできた高さ7cm、太さ3cmほどの、顔やさまざまな帽子をかぶった妖精のようで(一つは馬の顔)身体は小さな人や不思議な動物の絵、あるいは文様が描かれた人形が、身体のイメージとつながる色や図柄の箱の蓋と一体化し、その下の箱(14×14×深さ4cm)は、福永によるさまざまな人形から受けた印象をもとに林が制作した計5点の作品となっている。
 また、その左側の壁に沿って置かれた30×150cmの台が柱をはさんで右側のものと対になって置かれ、その一つには長さ20cm、太さ2cmの木の棒に雁皮紙を貼り5本一組としたものを、オレンジ色、水色、赤、緑、青の5種類、計25本並べた福永の作品が並べられている。その向かいの壁には45×120cmの台が縦に置かれ、そこにはまず、10×10×高さ5cmで布張りをした箱の中に、林による、銀箔を効果的に使って植物や風景などのモチーフをさまざまな形に切り抜いた作品(二葉や蝶のかたちもある)を計6点並べたものおよび、37.5×31.5cmの横長の額に林がつくった「鳥居」のようなかたちなどのものと、そのイメージをもとに福永がエッチングで作品化したものを同時に並べて収めた2組の作品が展示された。
 最後に、入口の近くの床に置かれた60×60cmの台には、7×7×高さ3cmの黒い板および同サイズの鏡を格子状に並べた上に、木の質感になる粘土を使って直径2cmほどの半球の表面にさまざまな模様を、断面には独特のキャラクターを刷った紙を貼った福永の作品が(中心には小さな穴が開いている)70個ほど散らして配置され、一方林は、直方体や楕円のかたちをした木や紙による箱に、パイプや塔のようなかたちに十字をイメージさせるようなものを銀箔で表した作品5点を配置したが、それらは台の中で互いに混在するように収められた。
 さらに、18×24×深さ6cmの黒塗りで表はガラスの標本箱に、林は、一点は凱旋門とエッフェル塔をイメージさせる2点を収めたものを、もう一点は潜水艦や船をイメージさせる2点を収めたものをつくり込み、福永は、聖人が子供を抱きかかえるようなイメージのエッチングを一点ずつ収めた二つの箱それそれ並べてギャラリー入口の奥の壁のものと対面させるように展示した。
 これまで見てきた5つの台、そして小さな4つの標本箱が置かれて構成された空間は、確かに実際の「考古学資料室」のような古さや黴臭さは伺えないが、100点におよぶ個々の作品が発する、それぞれが何かの由来を宿しているような不思議さは、林と福永という二人のキャラクターの区別を超えて、この架空の「遺跡」に隠された物語に基づく謎めいたような雰囲気の源となっている。そして、展示空間に入り込み作品の中の視えないさまざまな物語をめぐる内に、私たちはそこに置かれた一つ一つの作品に含まれる情景あるいは人格に、時として心魅かれてゆくのである。
vol:38 安藤順健 ×森村誠 『trans-(Eidos/Hile)』 (2004年5月4日〜5月9日に開催済み) 【目次に戻る】
 「transfar」(移す)/「transform」(変化させる)/「translate」(訳す)/「transmit」(伝える)/「transport」(輸送する)など、「trans」を語根とする語は、それぞれ様々な「変化」の様相を表す。これは、物体の移動や変容だけでなく、思考や思念あるいは言語そのものなど、物質ではないものにまつわる変化を指す場合も多い。その中でも、たとえば「ことば」を例にとると、日本語から英語など多種の言語への変換(=翻訳)や、電話による音声としてのことばの送信、書籍などの紙媒体やファクシミリなどの電気信号、インターネット等のデジタル信号への変換をはじめとして、それは、思念という非物質から文字としての物質へ、もしくは別の形態の非物質へと変容を遂げるが、さらにコンピューターで扱われる「テキスト」としてのことばに限定して話を進めると、意識の中の思考が生んだ「ことば」が他者に伝えられるための過程は特異で、そこには、概念や人の思念が物質となる道筋が視覚化される様を見て取ることができる。
 ところで、コンピューターで扱われる情報が「0」と「1」という二進法をもとにしたデジタル・データで構成されていることは一般的にも知られているが、テキストや映像といったメディアを問わず、いったんデジタル・データとなることで物質としての性質を完全に失った各種の情報は、ディスプレイに表示されることや紙にプリントされて再び物質としてのかたちを表し、人に享受される存在となる。そうしたコンピューターにおける情報の在り方の中で、その存在をとりわけ特異なものとしているのは、デジタル・データがインターネットあるいはMOやCDディスクなどの外部メディアを通じて、一切劣化することなく送信や複製されるという点ではなかろうか。
 たとえば、「私」がある文章をインターネットを使って他者に送るとすると、デジタル・データとなって「私」の側のディスプレイ上に表示された文章は、メールソフトやワープロソフトによって瞬時に相手側に送られ、最後には再びテキストとなって他者のコンピューターのディスプレイ上に表示されるが、テキスト送信に際して視えない存在となった「私」のことばは、他者に読み取ってもらおうという意志によって視覚化され、再び解読可能な文字となって現れることになる。そして、不可視への解体と可視への再生というこの二つの作用の中で人の意識が生んだ「ことば」が変容を遂げてゆく過程においては、実際の物体にまつわるものとは全く性質の異なる、デジタル上での仮想の「質量」が介在し、スキャンなどでモノがデジタル化される、もしくはデジタル・データが印刷等によって物質化される際には、実在のものと仮想のものという異なる二つの「質量」への移行がそれぞれ行われる。しかし、そうした「質量」の差異はあくまでも不可視のものであるがゆえに、視覚的にはデジタルの領域を通過しても全く同一の状態が再生されるといった、モノの固有性の保持がなされると考えられるのだ。
 ここまで、デジタル・データにおけることば(=概念)あるいはモノ(=物質)の在り方とその変容についてみてきたが、安藤順健と森村誠によって行われる『trans-(Eidos/Hyle)』は、デジタルの領域と現実の中でやり取りされるモノの在り方の差異やその変容を、造形という第三のかたちで表そうとする試みである。彼らは、この展覧会のテーマを「デジタル情報の形相と質量」ということばで言い表しており、デジタル・データが可視のかたちとなる際に帯びるであろう物質性を露わにすることを念頭に置いて二人がインターネットでやり取りをした結果、そのデータが物質性をまとうにいたった姿が、一種のコラボレーションとして提示される。
 ここで二人を簡単に紹介しよう。安藤順健は、ある文献から抜粋した既成のテキストやイメージをプロジェクターによって映像として空間に投影した作品や、同様に既成のテキストをワードプロセッサーによって紙に印字した後の、テキスト部分がそぎ落とされたインクリボンをもとにした作品など、あるモノが本来持つ意味を、メディアの変換等を通して別のかたちに置き換えて表すような表現を行ってきた。
 たとえば須田亮と行ったコラボレーションでは、大岡昇平やサミュエル・ベケットの文章をもとにしたテキストを映し出すプロジェクターの光によって空間がつくり出されたが、そこでは、ことばが光に変換されてイメージとなることで、ある人物の思考の表明という本質とは異なる別の意味が、一種の物質性を伴って表され、また、インクリボンを使った作品では、元のテキストの痕跡を残しながらも解読できない文章では、本来の意味性が失われている分、そこにまつわる物質性はより強調され、それは、「概念」という目に視えない存在が現実の中でかたちを得る道筋を象徴しているようにも思われるのだ。
 一方森村誠は、作品が観客に対して攻撃的に働きかけるイメージを持って、「ねずみ取り」に彩色したり顔の造作を描き入れたものを並べたインスタレーション作品や、使用済みの切手を折り紙のように折って小さな紙飛行機のかたちにした作品など、既成のモノをもとにしながらも、その意味を全く異なる存在に上書きすることで新たな意味を伴う存在をつくるような作品を、他者との関わりをテーマに加えつつ制作するほか、海外の辞書やペーパーバッグなどに印字された文字やテキストを、ページ中の特定のアルファベットに白の修正液を塗って覆い隠すなどして、記された文章さらには書物固有の意味を解体させ、モノの意味のそうした変容をもって、モノとそこにまつわる概念との関係を問い直すような作品を制作している。
 また彼は、ある画像をコンピューターのワープロソフトで強引にテキスト・データに変換させようとする際に否応なく起こる「文字化け」をもとに、誰もが解読できないという共通性をもって「世界共通言語」をつくり出そうとした作品を発表しているが、これも、概念の変容が新たな意味を担った末のものとしてとらえることができ、今回行われる『trans-(Eidos/Hyle)』のテーマが含むデジタル情報における概念と物質性との関係性の探求も、森村によるこの「文字化け」の表現が一つの発端となっている。
 それぞれ、モノを成り立たせる概念と物質性との関わりに着目し、本来の意味を変容あるいは解体させることで新たな意味を確立しようとする二人が、インターネットでつながれたコンピューターを使い、互いが住む東京と大阪に分かれて、画像やテキストの相互の交換によって制作した作品をもとに開催されるこの展覧会では、それぞれモノ本来の意味の解体を目指すゆえに、そうしたやり取りを通して「変容」の進度および振幅は倍加し、さらに二人の思惑のズレも重なって、思いもしなかったようなイメージの形態が生み出される可能性を多分に孕んでいるといえる。そして、そうした新たなイメージがかたちとなった作品と相対することで、私たちは、人の生んだ概念が現実の中に現れる際に帯びる質量(=物質性)の存在を目の当たりにすると共に、自己の意識の中の思念がモノとなって空間に立ち上がる姿を、しばし想像するのである。
 「ことば」あるいは人の思念は、それが他者に視覚的に享受される際には、紙にプリントされたりモニターなどに「文字」として表されることである種の「物質」となるが、そうしたことが造形として表されるにいたっては、そこにどのような物質性が生じるのだろうか。こういったテーマをもとに安藤順健と森村誠によって行われるこの展覧会では、二人がインターネットを通じてテキストデータをやりとりする作業を通して、、以下のような作品が制作・展示された。
 まず展示の状況をみてみよう。照明を落としたギャラリーの床には、乳白色のアクリル板の天板をはめ込んだ下から白色の蛍光灯の光(20W×2本)が発せられ、側面を濃いブラウンの塗料で塗られた板で囲んだ、120×120×高さ60cmの巨大な「ライト・ボックス」2つが、約1mの間隔を開けて暗い部屋に浮かぶように設置されている。この天板の上には、片や入口の方向から向かって無数の黒いラインが積み重なってゆくように間隔を少しずつ変えつつほぼ平行に並び(入口付近の箱)、片や同じく黒のラインがある1点に収束して密度の濃い塊となり、そこから外側へと拡散してゆくようなイメージがかたちづくられている(ギャラリー奥のもの)。これらの黒いラインの正体は、熱転写型のプリンター(アルプス電気製)用のインクリボン(1.2cm幅)をアクリル板の表面に貼った上から5mm厚の別のクリル板を乗せてはさんだもので、箱の側面を見ると数センチほどインクリボンがはみ出して垂れ下がっている。さらにこのインクリボンを間近から凝視すると、黒の中に白い細かな文字がびっしりと並び、それは下からの照明に照られることで、くっきりと浮かび上がって見える。
 この文字は、コンピューターのワープロソフトで作成されたテキストデータだが、それはたとえば、「7cキメ)〜ヌセ牌−」「'キ※'メ符3B_J_−_下)GZ−」「セTモ3竹〇リ意」「WvnQ宏レネキWヤ又」などといった、テキストとしての意味を全くなさない文字や記号が途切れることなく続く(1.2cm幅の中に上下3行分並んでいる)、いわゆるコンピューターの「文字化け」をプリントした後に残った使用済みのインクボンであり、ところどころでは見たこともないような複雑なかたちの漢字が現れ、またある部分では表裏が反転しており、私たちがここに何らかの意味を見出そうとする意志はさらに強く拒まれるのである。
 再び展示の全景に視点を戻すことにしよう。二つの台の間に見えるギャラリーの柱には、右側の一枚では黄緑色の円弧が画面左半分ほどを覆う画像(あるものをデジタルカメラで接写している)を、左側の一枚では黒の手書きの絵で四角いかたちの中に人の顔と小さな数字の「6」が描かれた画像(マティスの黒い絵画を引用している)をもとにしたインクジェット・プリントによるポストカード大の紙が、やや高低差を付けて2枚並べて貼られている。実はこの2つの画像が、インクリボン上の「文字化け」テキストのもとのになったデータで、これは、大阪に住む森村が制作した絵をインターネットで埼玉に住む安藤に送信し、その画像データを安藤がワープロソフトで開くことで「文字化け」をあえて発生させる(画像データをテキストとデータに変換しようとすると必然的に「文字化け」となり、ここで現れる「文字」の量はもとの画像のデータ量に比例し、この作品では、それぞれ500KB程度の画像データが使われている)というプランをもとに制作がなされており、この二つの「ライト・ボックス」の制作自体は安藤が行っているが、直線で並ぶインクリボンは森村が、それに反してランダムなものは安藤がレイアウトして最終的にイメージが生み出された。
 ところで今回の作品は、本来の制作でインクリボンに残されたテキストの痕跡をもとにしている安藤の表現と、ポートレートなどさまざまな画像をテキストデータに変換することをもとにした森村の表現の接点を探る中でプラニングがなされている。ここでもとになる画像とインクリボン上でのテキストは、「変換」作業を通じて視覚的な情報が文字や記号などに置換されるという関係にありながらも、見かけの上では当初何らかのつながりを見出すことができず、そこにはこの展覧会のテーマである、「デジタルデータにおけることばや情報などが、イメージを伴わない単なる「質料」へと変換もしくは移植された様相を、視覚的な情報としてだけではなく、「ライトボックス」から発せられた光が部屋全体を照らしてそのイメージが波及することにおいて、展示全体が私たちの身体を包んでとらえるような感覚を体感することができるのである。
 またこの展覧会では、同じく印字済みのインクリボンをもとにした安藤による29×21(横長)×厚さ10.5cmの3点の作品が壁面に並べて展示された。それぞれの作品では、金属板に小さな蛍光灯が取り付けられ、その上に重ねた2枚のアクリル板(下は乳白色、上は透明)との間にはさまれた透明フィルム上の画像とインクリボンが下の光に透かされるというものだが、ここでのテキストは「文字化け」はしておらず、ある既成のテキストを和文と英文でプリントしたもので、右側の作品ではマルグリット・デュラスの「アガタ」のテキストを、中央では「新約聖書」の「パウロ伝」のテキストと聖骸布のイメージを画像としたものを、左側の作品では3インチの小さなモニターにキリストの顔のイメージが浮かんでは消えるというヴィデオ映像を白い和紙の繊維越しに見るというものであった。
vol:39 高久千奈 ×古厩久子 『語らう皮膜』 (2004年5月11日〜5月16日に開催済み) 【目次に戻る】
 私たちは「皮膜」ということばから何を思い浮かべるだろうか。「皮膜」を辞書で引いてみると、「皮膚と肉を覆う粘膜」「皮のような膜」等とあるが、実際に日常の中で目の当たりにするものとなると、ホットミルクの表面にできる膜や、水に浮かぶ油がつくる油膜、卵の殻と卵白の境にある薄い膜、日焼けや火傷の痕からはがれる皮膚などがあげられるかもしれない。そういったものの質感から受ける印象は人によって千差万別だが、私自身に関していえば、世にあるさまざまな種類の膜と比較してみると、「皮膜」とは、それ自体は物質性を示すことなく、あるモノと他のモノ、もしくはその周囲にある外界との境界にあって互いを分け隔てる、一種の触媒のような中間的な存在としてのイメージを、ことさら強く感じている。
 先ほど引き合いに出した例をそのイメージに照らし合わせると、ホットミルクは牛乳と空気を、油膜では同様に水と空気を隔てるもの、卵の膜では卵と殻との境界となるものということになるが、私にとっての「皮膜」とは、こういった目に見える存在に加えて、自身の体内に在って内臓を包んで分け隔てたり、組織の一部となったり、さらには意識の内側に在って、私自身の周囲を取り巻く外界(=世界)と「私」の自我とを隔てその仲立ちとなるものなど、想像によって感知し得るような不可視のものに対しても、仮想の質感を感じ取ることができるのである。
 ところで、この「視える皮膜」と「視えない皮膜」とは、視覚的なイメージと想像上の質感が互いに影響し合うという、実に微妙な関係の中でそれぞれが成り立っていると思われる。つまり、現実の中のモノとしての「皮膜」は、その向こう側が見えそうで見えないような、希薄ながらも最低限の物質性を残す半透明のイメージで語ることができ、それは、体内や意識の内側の視えない「皮膜」の質感を私たちに想像させ、一方、仮想の「皮膜」にまつわる包容性や浸透性は、実際のモノとしての「皮膜」に、それ自体が呼吸をするかのような存在感を植え付けることで、私たちは異なる二つの「皮膜」のかたちをそれぞれ明確にとらえることができるといえる。
 高久千奈と古厩久子によって行われる『語らう皮膜』は、現実の中のモノとしての「皮膜」と意識を覆う視みえざる「皮膜」という、互いに影響し合いその存在を成り立たせる二つの「皮膜」それぞれの在り方や、両者の関わりの中でつくり出される空間の様相を、造形というかたちで表すことを主旨として行われる展覧会である。私がこの二人の作品をもって「皮膜」を主題とする企画を思い立ったのは、両者が本来つくる作品に、種類は違えどもそれぞれ「皮膜なるもの」の姿を感じたことが発端になっているが、その様相を比べるにつけ、「皮膜」に対する意識の違いや、それが造形となったときの手法および外観の相違が際立つ反面、人の身体や意識と外界との境界に在って、その往き来(=コミュニケーション)のための仲立ちとしてなくてなはらない「見えざる皮膜」の存在を造形に結び付けようとする共通の認識を、それぞれの表現の中に確認できたからだ。

 この二人の内、私が最初に「皮膜」的なものを表現に見出したのは、古厩久子の映像作品においてである。彼女は、私自身が1999年にGallery ART SPACE で企画した展覧会『光触』で、「白い雲が浮かぶ青空」をカラー写真を天井から床に向かって投影するスライド・プロジェクターの光を、来場者が手ですくいあげるようにして見る作品や、「まざざし」「会話」など、コミュニケーションの手段を表す語を記したノートを机上に置き、その上からそれらの文字とほぼ同色の両腕の映像が現れ、ある地点で両者が重なり合うことで文字を消失させた後に、ことばの群れを撫でるような動きの腕の映像が再び画面の外に消えてゆくというヴィデオ・インスタレ−ションによって展示を構成した。
 この作品の中で光によって表された「雲」や「腕」は、実際のモノには触れていないにも関わらず、私を含めて多くの観客が自らの掌や映像の指先にある「触感」を感じさせが、それは、全く同じ対象に触れたとしても、目を開いているときと閉じているときでは触感は同一になり得ないことをみてもわかるように、「触れる」ことが単に身体的な行為であるだけではなく、「視覚」を通して意識の中にイメ−ジを「想像」することによってもリアルな触感が成り立ち得ることを示している。そして、意識の中での他者への問いかけがもとになった行為であるという点において、彼女の作品の中核をなす「触れようとすること」の視覚化は、映像という「光」をもとにした、意識の中に在るコミュニケーションの手段としての視えない「皮膜」の姿を露にさせる行為だともいえるのである。
 一方高久千奈は、和紙の表面に線香で無数に穴を開けたものや、それをさらに極細に縒って編み込んだものを空間を横切るようにスクリーンのように天井から吊るし、その背後の光景全体が透けて見えるような作品や、パルプを使ってさまざまなサイズの球体をつくり、内部が皺を寄せたロールぺーぺーで埋められた様が上部に開けた穴から覗くかたちのオブジェを多数空間に配置した作品、パルプによる半球体の層を多数積み重ねてつくったオブジェで空間を埋めた作品など、紙の素材そのものを生かした、きわめて繊細な質感、色彩を伴う作品を発表してきた。
 和紙の地色そのままのスクリーン状の作品においては(『紙の森』『自然の系』,2000年制作)、背後に透ける展示空間は紙の素材の白色と混ざり合い、濃い霧の中から現れたようで、それでいて色やかたちなどの視覚上のリアリティーは損なわれないという不思議な印象を感じさせ、和紙を縒った後に朱色で染めたものを、空間の壁面全体を覆うように若干の距離を取って壁際に吊るした作品(『胎内』,2001年制作)では、朱色の「スクリーン」を照らす照明は壁面全体を、そしてその反射光は空間全体を赤く染めることで、和紙による作品を目の前にしながらも、その向こう側にあるはずの赤い影が私たち自身の視界や身体を覆いさらに体内に浸透してくるような、視覚におけるリアリティーの逆転を感じ取ることができたのである。
 こうしてみると、高久がつくるこれらの作品は、それが展示される空間を覆うことで元からの光景をある意図に沿ってひそやかにしかし大きく変化させるの役割を果たしているように思われる。そういった変化は、あたかも「皮膜」のような外観の作品と、その背後に透けて見える、もしくはその原型を想像し得る展示前の本来の空間とが、観る者の視覚の中で混ざり合うことによって起こるものだと思われるが、それは、前に述べた古厩の表現における意識の中の「見えない皮膜」が外界へと放出される作用とは対極にありながらも根底では重なり合う、「モノとしての皮膜」が視覚を通じて人の意識に入り込んだ末にさまざまな記憶や思念を呼び起こす作用としてとらえることができるだろう。
 
 意識の内にある「皮膜」の発露と、外界にあって意識に働きかける「皮膜」。表裏一体の関係にあるこの二つの存在は、古厩と高久の表現の核の部分でもあるが、今回の展覧会のプラニングの際に私が二人に投げかけた「皮膜」をめぐるいくつかの質問の答えにも、その一端を伺い知ることができる。
 まず、「皮膜に対して何が具体的にイメージされるか」という問いに対しては、古厩は「感じれるか感じれないかの薄い膜、見えるか見えないかの半透明のような膜、触れるか触れないかの触感、なんとなく包まれている柔らかさ。いくつもの情報が過ぎこしていき、かえってくる、そのあいだにあるもの」と答えており、一方高久は「何か動物的なもの、皮脂を含んだ乾いた膜、あるいは潤った膜、皮膚、腸・大腸・小腸なとの内臓、医学的なもの、脱皮、ぬけがらなど」と回答している。また、「自分の身体の中に皮膜の存在を実感するとしたらいかなるものか」という問いには、高久は「コールタールのような色の、ぶ厚い膜、あるいは塊」と述べているのに対して、古厩は「自分の界(=自分の世界)から外へ働きかけようとする瞬間、その界のぎりぎりのとこに存在する膜」と言い表し、さらに、最近出産を経験したことを受けて古厩は、「皮膜にまつわる記憶」の一つとして「赤ちゃんが手をそっとのばして確かめるようにわたしの手に触れようとしたこと」を挙げている。
 これらの発言をみるにつけても、二人がイメージする「皮膜」の在り方は、写真のネガとポジのように深く関わり合っていると思われるが、今回の『語らう皮膜』では、「モノとしての皮膜」を象徴して空間に設置される、和紙を主な素材とするカーテン状の高久の作品に、自身の意識の領域の発露でもある「見えない皮膜」を象徴する古厩による映像を投影することで展示が構成される。
 一個人の意識がかたちとなって一つの現実として空間に現れた「皮膜」が、確かなリアリティを秘めながらも想像の中でしか触れることのできない「皮膜」を受け止めた情景。そこには、私たちの意識の内と外に在る「皮膜」が統合し、新たなもう一つの「現実」となって息づく姿を見て取ることができるのである。
 私たちはすべからく、体内に「皮膜」を含んで生きている。もちろんそれは、実際の内蔵を包む膜を指す場合もあるが、自身の身体そのものと外界とを分け隔てる「皮膚」、さらには身体から離れて意識そのものと外界、つまりは「世界」との境界となる概念の上での膜にも、人にまつわる「皮膜」の名を与え得るだろう。
 高久千奈と古厩久子によって行われた『語らう皮膜』は、私たちの身体そして意識の内に含まれる「内なる皮膜」のイメージをそれぞれが造形として表し、そうやって「モノ」のかたちを得た異なる二つの皮膜がギャラリーの中で出会うことによって生まれる空間をもって、私たちの意識そのものの在り方を探ることを主旨として企画がなされた展覧会である。それぞれの作品は以下のようなものであった。
 ギャラリー内の照明は暗く落とされており、奥の空間には高久による和紙を素材とした朱色の塊のようなものが暗がりの中に浮かぶように吊るされた。これは、典具帖(てんぐじょう)と呼ばれる和紙を173×73cmほどに切り取って朱色のアクリル絵具で染めたものを、一枚は表面にさらにニスを塗り、もう一枚は生のままにした二枚を、1cmほどの隙間ができるように表裏で合わせて、ほぼ半円となる弧を描くようにカーブさせて天井から吊るしたものが一つのピースとなっており、それを計6組使い、それぞれの円弧が互いに対になって重なったり内側同士が連なったりして、視えないどこかの空間へ入り込んでゆく「通路」のような場が、ギャラリーの奥の空間に収まるようにかたちづくられたのである。
 一方古厩だが、8カ月前に生まれたばかりの自身の子供をモチーフとした3つのヴィデオ作品を、高久が制作した和紙の立体作品の一部に3台のヴィデオ・プロジェクターを使ってそれぞれ投影するという展示を行った。映像の一つは、投影面が120×90cmほどの3つの中では最も大きなもので、モチーフとなる子供の、怒ったり笑ったり泣いたりするなどといって感情が目まぐるしく移り変わりながら上下に緩やかに揺れているところ(おそらく揺り椅子に座っているのだろう)をとらえたもので、もう一つは、目をつぶって寝ている子供の口の動きをとらえて32×24cmの投影面に延々と映し出したもので、最も奥の壁に投影されて表からは見えない36×28cmほどのもう一つの映像は、指をくわえたり体を揺すったりする姿がスローモーションで進むというものである。
 これらの内で奥のものを除けば、映像は高久の作品に向かって投影されているが、これらは高久が設営した2枚の「紙」の表面にはもちろんのこと、その裏側からも視認することができる。この裏側から視える映像には、紙の繊維や朱の色彩を透過することでその質感や色合いが加味されるが、そうして生まれたもう一つの画像と表側の「正像」との対比は、赤く皺のよったこの画像が、あたかも私たちの意識の中もしくは身体の核の領域に触れたときにもよおすであろう不思議な感触を呼び起こすのである。
 ところでこの展覧会では、通常の光源は何ら設置されておらず、ヴィデオ・プロジェクターの光のみによって高久の作品が照らし出されているが、映像が当たって透過することで立体の隙間にできたの「通路」に拡散する光は、微弱ながらもこの作品空間全体を満たし、そうしたやわらかい光で透かされた、紙の組織の皺や絵具の塗りの濃淡が浮かぶ朱色の作品の表面は、高久が今回の展示に対するイメージの核として語っている「血管が透る身体組織」を思わせるような、身体の内側の視えない領域の象徴ともいえる様相を表しているともいえる。
 また、高久はこの作品について、視えない部分の内側に入り込んでゆくようなイメージも語っているが、実際に私たちがこの「通路」の中に分け入ってゆくときに感じることは、自身の身体さらには意識の表面に何かがまとわり付くような感覚である。しかしそれは、何かが覆いかぶさるような重々しいものでは決してなく、自身を包み込んでなお「空気」が回りにあるような、浮遊感を感じさせるもであるであると私には感じられた。

 さらにこの作品は、Gallery ART SPACEの空間ではかつてほとんど感じたことのないような印象を私に与えることとなった。それは、来場したほとんどの女性が作品に対して強い共感を感想として語り、一方男性の中では賛否が大きく分かれるという、作品自体があたかも性別を持つような不思議なものであった。
 その理由を考えてみると、ここでは単に音声を伴う乳児の映像が女性の意識に働きかけるだけではなく、高久の紙の作品を通して空間に現れる朱色の光(「温度」を感じるという感想を語った者のもいる)や、うなり声や時おり口を動かすぴちゃぴちゃという音をはじめとする乳児の声がつくるあるリズム、「揺り椅子」の映像での乳児が動くリズムが表す、紙の立体を通した光の、心臓の鼓動のようにもみえる微妙な強弱の変化などが、視覚を通してではなく身体的な感応をより強く視る者の意識に働きかけ、それが、身体的なことからイメージが呼び起こされる場合の比較的多い女性の意識に受け入れられやすいのだはないかと思われてならないのだ。
 高久と古厩の二人によってつくられたこの空間は、視覚や聴覚を出発点としながらも、意識の奥底にやわらかく、しかし深く働きかける力を持っているといえるが、それこそが、私たちと「世界」との間に在って私たち自身の自我を支える、概念としての「皮膜」を象徴するものの一つとしてとらえられるのではないだろうか。
vol:40 ミツイタカシ × ジルケ・フォス 『City Hopping Frankflut-Tokyo』 (2004年5月25日〜5月30日に開催済み) 【目次に戻る】
 フランクフルト、そして東京。いずれも日本とドイツを代表する大都市である。そこには、世界中の近代都市がそうであるように、政治、経済、モードなどが発展の極みに達しながらその表層がかたちづくられた姿をみることができるが、その中でもフランクフルトと東京との関係は、ドイツと日本の両国間に横たわるさまざまな共通性を象徴しているようにも思われる。
 敗戦からの復興と経済の急激な発展・肥大化は、一般的に指摘される日独間の共通項だが、その中心となってきたのは、一国の首都として近代都市のあらゆる機能が集中する東京と、ヨーロッパ全体の経済をリードしてきたドイツにあって、商業、金融の中核の一翼を担うフランクフルトだった。確かに現在の両都市をみれば、近頃盛んに叫ばれる「グローバリズム」の波にさらされた景観そのものといってもよい。しかしその内実に目を向ければ、両国の繁栄が残した足跡や、そこに集まって繁栄を築き、それを享受してきた無数の人々の存在に思いを馳せることができ、それは、都市のアイデンティティとさえいえるような明白な個性を導き出す原点となっているのである。
 いずれもドイツに在住するミツイタカシとジルケ・フォスによって行われるこの展覧会は、フランクフルトと東京という二つの都市における、近代都市特有の共通点および、その中にあって独自性を放つ相違点を、美術家の視点をもって洗い出し、そうやって露わにされた都市の景観あるいは都市そのものと人との関わりの本質を、造形として表すことを主旨に据えて企画がなされている。

 二人はそれぞれ以下のような活動を展開してきた。
 ミツイタカシは、自身がある状況の中で採取した音や映像を、エフェクト機能を担った立体およびインスタレーション作品を通して別のものに変換させることで、人が現実の在り方を探求する意識を増幅させるような表現を行っている。
 たとえば、彼が日本で開催した唯一の個展『Symphony Room 00』(2003年,ART SPACE LAVATORY)では、配水管などに使用されるグレーのプラスチック製パイプが展示空間の中で組み上げられてある構造が構築され、パイプに内蔵されたスピーカーから人のくしゃみや足音、電話の声、ノイズ音などをもとにした音が流れ、会場内に設置された音響装置によって音の出る位置がランダムに切り替わることで、常に音声の出所が移り変わる空間にいる私たちは、「音」自体がある「かたち」を伴って絶え間なく移動してゆくような感覚を体感できるという展示が行われたが、ここでは、外見的にはパイプが交差する構築的なかたちとして現れた空間と、時として耳障りなノイズ音が移動し続ける流動的な要素との相乗効果は、私たちの意識の中に「ゆらぎ」ともいえるような波紋を起こし、この空間に長く滞在し続けるうちにそれは徐々に増幅し、私たち観客の意識を浸食していったのである。
 一方ジルケ・フォスは、造形における「内部空間」と「外部空間」の統合など、その相互作用の在り方を探ることをテーマに、日常の中で使われるさまざまなモノのイメージを抽出して独特の空間生を持つオブジェに転化させたような作品を発表している。
 彼女がフランクフルトで2003年に行った個展『Let's Dance Tonight』(Galerie Perpetuel)では、何の変哲もない屋根用のアスファルトが空間に敷き詰められ、日曜大工で使われるような組み立て式の戸棚には、ゴミ入れ用のスチールのバケツが買ったままのパッケージに包まれた状態で反復するように並べられ、また、日傘やピクニック用の敷物などが置かれて展示が構成されたが、本来、私たちが購入した後にプライヴェートな場で使われるこれらのモノたちは、ギャラリーというパブリックな性質を持つ場所に置かれることや、さらには店に飾られていたディスプレイの状態さながらに設置されることで、プライヴェートとパブリックとの接点もしくは「中間領域」といえるものの存在を示唆し、そこには、社会の中での人の在り方の本質とは何かという問いが含まれているよう思われてならないのだ。
 
 今回の展覧会では、フランクフルトと東京において、ミツイタカシとジルケ・フォスがそれぞれの都市の景観と関わりつつ撮影した写真画像を中心に展示が構成されるが、そこから私たちは、都市という概念を成り立たせるものの招待や、そこに生きる人々との間に横たわる関係性など、「都市」をめぐる本質をどのように読み取ることができるだろうか。
フランクフルトと東京という、ドイツと日本を代表する都市それぞれの特質や、そこから呼び起こされる都市特有のイメージを起点として表現された作品による展覧会。展示は以下のような3点の作品によって構成された。
 一点は、「都市の地平線(Urban Horizon)」と題されたもので、そこでは、ギャラリーの壁面に29×25cm×厚さ2cmの白い木の板が4cmの間隔を開けて101cmの高さで横並びに取り付けられ、それぞれの板には、ミツイがフランクフルとから持参してきたさまざまな既成の商品が、「FRANKFURT」という文字をそれぞれ絵文字として板一枚につき一文字ずつ示すようにレイアウトされている。以下でそれぞれを解説しよう。
 F:「ヘキスト」というフランクフルトを代表する化学製品会社製のマニキュア。/R:フランクフルトの架空の製品をつくるというテーマのもと、フランクフルト市内のさまざまな風景の写真をプリントしたキャンディーの包みにマイン川の川原の小石が入れられている。/A:おもちゃのビリヤード台の上でボールが「A」のかたちをつくることで都市の娯楽が象徴されている。/N:フランクフルトゆかりの哲学者フランク・アドルノ、フォークマイヤーおよび文学者のゲーテの書物を立てたものによる。/K:都市のモード、ファッションを象徴するものとして、セカンドバッグ、サングラス、コロン等を使用。/F:フランクフルトがドイツ一外国人の割合が多い(29%)ことを象徴するものとして、各国人の写真のプリントが前面に表されたミニチュアの「象」によって「F」がつくられたもの。/U:フランクフルトを代表するビール「BINDING」の瓶と6個のビアグラスで「U」をつくる。R:フランクフルトがドイツの金融の中心地であることを象徴するものとして、近年導入された「EURO」の貨幣を並べたもの。/T:フランクフルト名産のソーセージを並べたもの。
 もう一点は、5cm角、長さ180ccmの角材を黒く塗ったものを中心とした棚に、45cm角の透明ガラスを約30cmの高低差で5枚設置し、それぞれに、上から「TOKYO」の文字をガラス板一枚で一文字ずつ表しながら前出の作品と同様にさまざまな商品を使ってレイアウトしたもので、「五重の塔(Five-Stonied Pogoda)」
と題されている。再びそれぞれ解説しよう。
 T:東京特有のものではないが、都市に物質が溢れる状況の象徴として、5個のティーカップがそれぞれ種類の異なる紅茶の茶葉で溢れている。/O:産業が生んだ規格品の象徴として、フジ(日本)、コダック(アメリカ)、アグファ(ドイツ)、イルフォード(イギリス)など世界中の写真フィルムの箱が並べられている。/K:CDウォークマン、デジタルカメラ、携帯電話、電子辞書などといったテクノロジー系の工業製品をもって、テクノロジー大国・日本を象徴。/Y:2足の靴でファッションを表す。/O:東京に世界各国の食べ物が集まる状況を、中華、インド、タイ、フランス(ブイヤベース)、ハンガリー(グテーシュ)など、各国の缶詰めを円環に並べて象徴。
 以上の二点はミツイタカシの主導によって制作されたもので、フランクフルトのものでは街特有のモノが並べられているのに対して、東京については、直接「東京」のアイデンティティに結びつくものは少なく、モノが溢れているけれども街自体の特徴がつかみにく部分を表されているのである。
 3点目はジルケ・フォスの主導による「Let me know at what time you're leaving」と題する、20×26.5cmのカラープリント11点(大まかに3点、3点、4点の3つのブロックに分けて構成されている)による展示である。
 これは、ジルケ・フォスの居住地近くで日常に密着している、フランクフルト市内のある公園において、彼女は真紅のドレスで、ミツイはグレーのスーツを着用して正装し、さらに、白いテーブルクロス、ワイングラス、マリリン・ モンローのポートレートなど、彼女がかつて制作した作品で使用した「キッチュ」なイメージを表すための小物を持ち込んで撮影したもので、彼女の作品の特徴でもある、制作の現場でインプロビゼーションが挿入されるという手法が、たまたま居合わせた大道芸のグループが撮影に加わることで、ここでも生かされている。
 ところで、ミツイとフォスの二人が同時に写っているもの(セルフタイマーで撮影)、二人がそれぞれ別個に写っているもの、そこにさらに大道芸のグループが加わったもの3種に分類できるこれらの写真は、前述したように、フォスが日常的に過ごす思い入れの強い場所でのアクションのドキュメンテーションを撮ったものであり、色彩に関して共通の要素として現れる白いテーブルクロスは、彼女がフランクフルトという自身が住む地の中でのある一地点をしぼり込んで特定することで、このフランクフルトという街と彼女自身の接点そのものを客体化してみせるための意味を持つように思われるのである。
 また、それぞれの写真はきわめて雑にボードに貼られて展示されたが、それは、フランクフルト特有ともいえる「ジャンク・アート」の在り方を意図的に表したものでもある。

 ここで再びミツイの作品に戻るが、ジルケ・フォスがフランクフルトの中での一地点を特定する行為として写真を提示したのに対して、ミツイは、彼がフランクフルトおよび東京について持つイメージを象徴するさまざまな商品を自ら東京に持ち込み展示に取り込むことで、もともとは東京で生まれ育ち今はドイツに住む彼の「現在」と、東京の記憶で飾られた「過去」とを、今のこの東京の景観の中で混ぜ合わせ、自身と東京およびフランクフルトとの対比の中でそのイメージが抽象化される点において、「都市」に対するイメージを確認し客体化することが目的として達せられているように思われるのだ。
 そして観客にとっては、かつてドイツを訪れたことがあるかないかでこの作品のイメージは大きく異なってくることが予測される。つまりここでは、写真の作品における赤および白や、展示台に置かれたさまざまな商品の彩度の高さと、展示台の黒がマッチングして一つのイメージがつくり出されているが、その色彩は、ミツイをはじめドイツを知る者にとっては、「ドイツ」のイメージの一つを示すものであり、そうでない者にとっては、想像の中での「ドイツ」のイメージを表すと共に、象徴としてのこうした色彩と展示された作品との差異や重なりが、視る者それぞれの意識の中である特有のイメージに結実するのである。
vol:41 阿蘇山晴子 × 篠原誠司  『時連れの形相』 2004年7月13日〜18日に開催済み 【目次に戻る】
 阿蘇山晴子との出会いは1985年、私が19歳の時だった。そのときに参加したグループ展にたまたま彼女も出品していて、オープニング・パーティーだったか、それとも展示のためのミーティングだったか、どのようなきかっけで互いに会話を交わしたか今では定かでないが、ともかくその展覧会以降、彼女は年の離れた知人の一人となった。その後大学を卒業して、ギャラリーに勤める傍らカメラマンを始めた私は、彼女がギャラリーや美術館などで行う展覧会あるいはパフォーマンスの撮影を請け負うようになり、Gallery ART SPACE のオーナーとなってからは、個展の企画に立ち会う間柄にまでなった。
 最初の出会いから早くも20年近くが経ち、すでに私もその当時の彼女の年齢を上回ってしまったが、この長い時間の中で時に途切れつつも続いた私と阿蘇山との関係は、果たして私に何をもたらしたのだろうか。そして、阿蘇山の表現あるいは彼女自身にかくも魅き付けられるのはいかなる理由によるのだろうか。
 ひとまず彼女が行っている表現について振り返ってみよう。阿蘇山の作品を一言で表すと、彼女自身の人となりがそのままイメージ化されたものだということに尽きるだろうか。確かに大方の美術作品は、制作者の思考や生き方を少なからず含んで成り立っている。しかし阿蘇山の表現は、思考や世界観の産物であるということを超えて、彼女の日常やその中に生まれた感情、さらには生きること自身があるかたちを伴って私たちの前に現れたものだと私は考えている。彼女の表現の際立った部分は何といっても、その特徴ある字が造形化されさまざまなイメージが広がってゆくという点だ。一般的な「書」の作品でも激しさや哀しみ、楽しさなど、作者の心情を込めてかたちをくずした字が記されることがある。しかし、時には十数メートルにもおよぶ布地に、赤や黒、緑色などの絵具をもって大胆に激しく書き付けられる巨大な「文字」のイメージは、「書」で表される文字さながらに彼女の感情やメッセージを表しており、しかも、巨大な画面サイズゆえに作者の身体全体の動きなくしては描き切れない分、制作の過程で生まれたその想いは増幅し、そこにはことさら強いメッセージがかたちとなって定着するといえる。
 思考を超えて身体で表される、文字とも絵とも判別の付かないイメージの放出と定着。彼女の作品の特徴を評論調で語るとこのようなことばが当てはまるが、そうやってイメージが描かれた大量の布が時には天井から垂れ下がり、壁面や床を縦横に覆ってつくられる空間そのものもまた、彼女自身の生の在り方を象徴する存在になり得ているといるだろう。
 ここまで阿蘇山がつくる造形について思うままに記してきたが、彼女の表現のもう一つの核となっているパフォーマンスを抜きにして、その本質を語り尽くすことはできない。ところで今、便宜的に「パフォーマンス」ということばを使ってはみたが、それは、絵として現れたイメージのもとになる彼女の心情を、より直接的に露にするための身体表現ともいえるもので、造形で使われる赤や黒の布をアレンジした衣装を身に纏って、所定の動作をこなしながら展示空間を舞うように渡り歩いてゆく姿を見ている内に、私は、阿蘇山が自らつくった展示空間と同化して、そのもととなる彼女の意識の中のある部分に回帰してゆくような印象をしばしば感じるのである。
 私が彼女と出会った当時、芸術と何のためにあるのか、人が必要とする芸術とはいかなるものであるべきかという、表現することの根本的な問題に心をとらわれていた。若さゆえのそうした思い悩みの日々の中で目の前に現れた、「生きること自体が表現だ」と語りかけるような阿蘇山の存在は、芸術の意義に対する答えの一つとして私の心に響き、そのときに生じた彼女の表現に対する興味の持続が、20年近くにわたる阿蘇山との親交を繋いできたと思われるのだ。

 今回阿蘇山晴子と私・篠原誠司によって行われる『時連れの形相』は通常の二人展と異なり、展覧会の企画者でもある私が阿蘇山の姿をカメラで追い、そうやって撮られた写真をあたかもスターの「ブロマイド」のようにしつらえたもの中心として、そこに彼女の造形を加えて空間をつくることで、私が運営するGallery ART SPACEという場所において、阿蘇山に対する私自身のオマージュを出現させるという主旨をもって開催される(この文章が阿蘇山についての記述で終始するのもそのためだ)。
 撮影はまず、阿蘇山が住む家にほど近い秩父の名刹・四萬部寺で、彼女が真紅の衣装(本人の言うところの「ベラスケス調ドレス」)を纏う姿を捕らえることから始まりさらに今後は、私が長らく仕事してきた原宿の中のの名所の一つ、明治神宮から代々木公園にかけて広がる森の中で、同様に彼女の姿を撮影することが予定されている。
 私自身はここ十数年にわたり、沖縄や東北など、いまだ土地と結び付いた古い信仰が色濃く残る地で、そうした信仰の対象にもなっている場所を歩きながら、その「道」自体を信仰が象徴される風景としてとらえたモノクロ写真を制作・発表してきたが、この展覧会では、モチーフを「阿蘇山晴子」という一個人に変え、私が心魅かれる興味の対象として彼女に向ける視線そのものを写真として表すことを目指して企画を進行させている。そこでは、普段発表している作品に含まれるような写真としての造形性を表すことは困難だと思われるが、風景との関わりを追求してきた私にとって、「人」との関係を視覚化することになるだろう今回の制作は、阿蘇山との親交をさらに深めつつ、今まで知り得なかった表現の場に私を誘ってくれるかもしれないという期待を募らせるのである。

(Gallery ART SPACE 篠原 誠司)
 阿蘇山晴子のポートレートを篠原が撮ったカラー写真と、篠原が阿蘇山に対して書いたテキストと、それを受けて阿蘇山の側から篠原に対して書いたもの、阿蘇山がこれまでに行ってきた展示(シリーズ「怪物覚変身場」)のタイトルを布に描いたものを中心に構成された展覧会。
 壁には篠原の作品が展示されたが、一つは阿蘇山の自宅がある秩父で、もう一つは篠原の本拠地である神宮前近くの代々木公園および明治神宮において、阿蘇山が真紅の衣装を身に纏って(本人は「ベラスケス調ドレス」と呼ぶ)時にはポーズを決めた姿を、デジタルカメラおよび6×6cm判のポジで撮ったキャビネ大のカラープリント計21点を、黒のマップピンでピンナップしたものである。また壁面の一角には、阿蘇山が埼玉県立近代美術館で近年開催してきた個展シリーズ「怪物覚変身場」のタイトルを、黒の布には赤で、赤い布には黒で、文字自体が呼吸をするかのような力のこもった筆の手書きで、あたかも布に文字を彫り込むように絵文字のように描いたものが大小計13枚貼り付けられた。
 床に目を移すと、91×61cmの赤い紙に黒の墨文字で、20年近くに渡る篠原との交流について阿蘇山が綴ったテキストが20cmほどの間隔をあけて計6枚置かれ、その脇には、木成りの木綿布の麻布に詰めものをしてつくったヘビのように細長いオブジェ(直径30cm×長さ150cmほどのもの2点、直径20cm×長さ400cmほどのもの1点で、それぞれは先端に向かってすぼまっている)と、同様につくられたおっぱいの原型のようなオブジェ(直径70cm×高さ15cmほど)を2個積み上げたもの計5組が設置された。また床の隅には、埼玉県立近代美術館で阿蘇山がかつて行ったパフォーマンスを篠原が写真として記録したカラープリントを多数収めたA4大のファイル7冊が、来場者が自由に手に取れるようにして広げられた。
 ところでこの展覧会の核になっているのは、それぞれが相手方にあてて記した「賛美」のテキストである。阿蘇山が篠原に向けて記したものは前に述べたが、篠原が阿蘇山に向けたもの(順序としてはこちらが先)はプレスリリースとして前もって公表され、会期中は来場者に配布された。そこから端を発して、阿蘇山の「怪物覚変身場」をもとにしての文字と写真によるドキュメントおよび、篠原が撮るいわゆる「ブロマイド」風のポートレートなどがかたちとなって展示が構成されたわけだが、その中で、阿蘇山によって設置された木綿のオブジェを除けば造形としてつくられたものは無く、ことばの応酬とかつて行われたものの記録が置かれているのみだ。それにもかかわらず空間がある熱気を帯びていたのは、阿蘇山という一人の作家の個性と、それを前面に押し出そうとする篠原の意図がうまく絡み合って、ギャラリーの空間に一つの統一された空気が生み出されていたからにほかならない。
vol:42 尾形かなみ × 吉田チロル 『渡り鳥の夢想』 2004年7月20日〜25日に開催済み 【目次に戻る】
 「自分だけの国をつくろう」。子供の頃、そんな空想に心とらわれ高揚した気分に浸ったことはないだろうか。それは、さらに幼い頃のままごと遊びや砂遊びの延長でしかないかも知れないが、道ができ家が建ち、そうやってできた街の周りには川が流れ山をのぞみ、その先にはさらに別の街が現れ、空想の中で果てしなく続いてゆく大地の上には、白い雲がところどころに浮ぶ青空を夢想する。とはいっても、幼かった私たちが工作などで実際につくることのでき「国」は、せいぜいすごろくやゲーム盤ほどの大きさのものでしかなかっただろう。しかし空想の中で思い浮かべるとなると、その姿は、子供の目線から見た建物や街が実際のものよりも思いのほか大きく感じられるように、大人となった今の私たちが知識として知る「国」のスケールよりもはるかに大きく、あたかも果てのない世界のようにも感じ取られたのである。
 そして、そうやって意識の中につくられた「国」は、「私」が王として統治する「私だけの王国」といってもよいものだった。それは、混沌としていた世界を神がかきまぜて陸地さらには国をつくったという、各国に残る「国生み」の神話になぞらえることができるかもしれない。さらに、空想の中の「国」にとって「私」は、神話で語られる神のように唯一絶対的な存在であり、「私」が空想を止めれば、あるいはもし「私」自身がいなかったらこの「国」も無に帰するということにおいて、「我思うゆえに我あり」ということばで象徴されるように人の意識が「世界」の存在そのものを規定することをうたった、西洋の実存的な思想がさえ、この「意識の中の王国」は思い起こさせるのである。
 話が少し飛躍しすぎたが、尾形かなみと吉田チロルの作品によって構成される『 』は、私たちが子供の頃に夢想したであろう「自分だけの王国」を、大人になった今、造形のためのイメージとしてあえて解き起こし、それをもとに制作した作品をギャラリーに配置して空間を満たすことで、展示を行う二人が意識あるいは無意識の中で思い描く「世界」の姿をかたちとして表すことを主旨にすえて企画がなされた展覧会である。
 二人を簡単に紹介しよう。尾形かなみは、主に吹きガラスの手法によるガラス・クラフトの作品を制作してきた。それはたとえば、透明、あるいはオレンジ、グリーン、ブルー、イエローなどといった色彩をもとにした透明ガラスの小さな壺や瓶のようなかたちの容器の中に、「椅子」や「家」などをかたどった小さなオブジェを古びた質感の金属線を加工してつくったものが入れられ、容器の外から覗くとそれらの小さなモノたちは、ガラスを通して内部に注ぐ光によって、時にはさまざまな色に染まりながら照らされ、そこには、きわめれ小さいながらも独特の空気を持った空間が生み出されるというものだ。それらの作品はいくつか連なって、やはり彼女独特の空気を伴いつつ「街」のようにも見える場をつくることもあるが、今回私が二人の展覧会に対して「王国」というイメージを設定したのも、尾形の手によるオブジェが放つ独特の「空気」を伴う空間づくりが発案のきっかけにもなっている。
 一方吉田チロルは、デザインの手法をもとに表したイラストレーションと、彼の世界観を伺わせるようなことばとを組み合わせた「絵本」形式の作品などを制作することから出発したが、私が見た最初の作品は「ヨーグルト手帳」と題されたものだった。それは、使い古したように表紙にしわの寄った革の手帳をを開くと、青のボールペンの細かな字で「ヨーグルト」に関するありとあらゆる記述が全ページに渡ってびっしりとなされており、その文字は、あるところでは鏡文字になったり、またあるところではいつのまにか文字化けのように解読不能になるなど、「ヨーグルト」に関する単なる情報や思い入れなどだけではありえない、ことばあるいはテキストそのものによるイメージに大胆に覆われた表現だった。その後吉田は一転して、画面上に無数にアクリル絵具のドットを描いて配置することで、それらが寄り集まってたとえばある流れを持ったグレーのトーンのグラデーションを画面につくるなど、色彩と形をもとにするだけである空間を表すような作品も発表している。ところで今回の『渡り鳥の夢想』では、吉田がつくるこうした幾何学的なイメージをもとに、紙を素材にした白いタイルのようなものを組み合わせ、床置きもしくは壁掛けのレリーフを、彼の空想が生んだある「王国」の立体地図としてギャラリーに設置される。そこでは、時には道を、時には街の姿を想像させる「国」のひな型に、ガラスによってつくられ一つ一つが街の情景を表すような尾形のよる小さなオブジェが添えられることで、単にある「場所」の象徴であったそれらの「地図」は、人がそこに住む姿さえも想像させるような生気を放つのである。
 尾形と吉田の二人がつくる「王国」の風景。それは、私たちが幼い頃に夢想した意識の中の「世界」の姿を掘り起こすと共に、たとえ無意識であるにせよ、誰もが心の奥底で求めてやまない、自分自身が思い描く「世界」の姿を時として思い出させるのである。
  尾形かなみによるガラス・クラフトの作品と、吉田チロルの大きな台座状の立体作品によって、空想の中の王国「ティグラスシャス」の鳥瞰図を、あたかも渡り鳥の眼がとらえたイメージとして表そうという意図をもって企画された展覧会。それぞれは以下のような展示を行った。
 まず、台座となる吉田の作品だが、ギャラリーの窓近くに置かれたソファーの足下から、高さ7cm×幅(細いところで)25cmで、先端に向かって広がり最後には80cmほどとなる、白と黒、グレーを基調としてモザイクのような文様に全体を覆われた「ヘビ」のようにも見える細長い床置きのレリーフ(厚さ4cm)がギャラリーの中央に向かって伸びている。その終点では、黒っぽく塗られた幅5cmの角材を組んでつくった高さ32cmの台座に、厚さ4cmで90cm四方ほどの不定形のレリーフが置かれ、さらにその1mほど先の延長線上には、黒い角材を組んだ高さ52cmの台座上に、ギャラリーの奥の壁とその右隣の壁に接してほぼ三角形となるような3×2mほどの大きなレリーフ作品が広がり、その奥の隅には、そこから25cmほど上方に小さな作品が設置されている。
 つまり、ギャラリーの入口付近から奥に向かって、徐々に高度を上げながらサイズの異なる4点のレリーフをもって空間が構成されたわけだが、ここでは、紙を素材とする直径2.5cmの円形を3つつないで長さ10cmとした3連の「ひょうたん」のようなかたちが全ての基本単位となっているのだ。そして、床上の細長いレリーフでは、白と黒、グレー(白以外はプリントゴッコで彩色されている)が、互いの凹凸を組み合わせて一体化することでレリーフの表面全体を覆い(発泡スチロールのボードをベースにしている)、最後に広がる部分では、同様のかたちを3mmほどの厚さのピースとしたものが放射状に多数貼り付けられて一つのイメージをつくる。また、中央の一番高くに位置するレリーフでは、同じく発泡スチロールのボードをベースに、墨流しの手法によって表したイメージを貼ったものの上に、真中から周辺に広がるように前出の「基本ピース」を散らされ、奥の大きな三角形のレリーフの中央部では、墨流しによるグレーのイメージがところどころで「基本ピース」による螺旋や曲線を加えながら広がり、その周辺では、白く塗ったベースの上に「基本ピース」が整然と並んで、塩のような「白」を印象付ける二次元上の空間をつくり出しているのだ。

 次に尾形の作品だが、今回の展覧会では、吉田によるこうした床置きのレリーフ作品の上に、尾形によるガラスの瓶を模した高さ10〜20cmほど、直径5〜10cmほどの、大小17点のガラス・クラフト作品がところどころに置かれることで展示全体のイメージが完成している。
 これらの内部には、薄い金属板やワイヤーによって小さな椅子やベッド、鉄塔、傘、風車、ボート、ブランコ、スベリ台、テント、ハンガー、方位盤などが、水色やオレンジ色、レモン色、エメラルドグリーン、マリンブルー、赤、透明色などの水に浸るようにそれぞれ一つずつ封入され、瓶の口はコルク栓で密封されている。この「色水」に見えるものは、実は彩色されたガラスで、まず、この「水面」と小さなオブジェを組み合わせた部分と、その上に被さる部分を吹きガラスの手法で別々に制作し、その二つをつないだ上で炉に入れて接合することで一つの「瓶」がつくり上げられている。そして、それぞれの「瓶」に向けてあてられた照明の光は、その内部の透明感を引き立てると共に、下に設置された吉田のレリーフにそれぞれの色彩に彩られた影を薄く落とす。また、「基本ピース」の複雑な組み合わせがつくる幾何学的な文様がガラス作品の表面に映り込むことで、片や立体的なガラス素材で片や平面的な紙の素材という、本来遠く離れた質感のものが互いにイメージを補い合って一つのイメージがつくり出され、尾形の作品のイメージは、その下の吉田の作品が持つイメージに別のかたちで受け継がれて周囲の空間へと広がってゆくのである。
 
 ところで今回の展示は、冒頭で述べたように架空の王国「ティグラスシャス」の鳥瞰図を表すというテーマをもって企画がなされたものだが、吉田がつくるイメージは、「基本パーツ」の組み合わせをもとにしたかたちと白、黒、グレーのみのモノトーンで表され、あるところでは螺旋を描きあるところでは流れになりながら、実際の空中写真に写される道や街、川、地形の分布などを想像させる。また、4つの「層」(一番奥の小さな「層」には尾形の手による「国王」を象徴するオブジェと、吉田による「女王」を象徴するオブジェが一組となって置かれている)の段差は、土地の高低を立体的に表したものとしてとらえられるが、吉田のレリーフの要所要所に置かれた尾形の作品は、そうした「土地」の様子を示すイメージと組み合わさることで、内部に封入された鉄塔をはじめとするさまざまなものがそこに暮らすであろう架空の人々の日常を想起させ、幾何学的なものとして表される吉田の「国」のイメージに、その無機質さを打ち消した上である種の生々しさを与えているのである。
vol:43 大野明代 × 玉岡あかね 『in/out 感覚の呼吸』 2004年8月3日〜8日に開催済み 【目次に戻る】
 私たちの意識の内側には、無数ともいえる多様なイメージが秘められている。そしてそれらは、何かを見たり何かに心動かされたりするなど、外界からもたらされた働きかけへの反応として、思考となって意識の外殻に現れて顕在化し、そこで行われた思考はさらに別のイメージに姿を変えて意識の奥底に再び仕舞い込まれる。
 たとえばある日、しとしと降る雨の中を傘をさして歩いてみたとしよう。そこでは、とどまることのない雨粒の流れが頭上の傘の縁と共に視界を占め、降雨がつくるノイズのような音を耳が終始とらえ、濡れぞぼったモノたち特有の匂いが鼻から流れ込み、大気の湿り気を皮膚が感知するなど、五感を通して実にさまざまなものを感じ取ることで一つの情景が意識されるが、その様相は、「私」がたった今向かい合っている光景から全ての印象が出づるわけではなく、幼い頃から堆積してきた無数の「雨」の記憶にまつわる「何か」が、あるきっかけをもとに無意識の領域から呼び起こされて目の前の情景と結びつくことで、他の誰のものでもない、光景に対する「私」だけの印象がはじめて確定されるように思われるのだ。
 では、意識の奥底に堆積して眠る記憶たちは、いかなる契機をもって現実の中に再生するのか。再び「雨」の情景に話を戻そう。私自身にとってしばしば回顧される雨の記憶は、一つには雨の原体験ともいえるようなもので、小学生の時の通学路で見た、アスファルトの道路に落ちた無数のしおれたはなびらが広がる光景や、車にひかれてつぶされた蛙の遺骸が発する独特の匂い、雨水が合羽の下にまで染み込んだ湿り気の妙に生あたたかい触感であり、もう一つは、二十代の頃盛んに通った沖縄の地で体感した、濃密な湿気を含みながら決して寒々しくはなく、常にあたたかな「芯」が体に触れているような南国独特の街の大気などが思い起こされるが、こうした記憶は、私が雨の中を歩いているときに一見何の脈力もなくフィードバックされることが多い。しかし、なぜそうしたものが意識の表面に現れるのだろうか。思えば、今まさに向かい合っている「雨」の情景は確かに五感によってその様相が感知されるが、十人いれば十人ともが微妙な異なりを見せるであろう光景の色彩や匂い、触感などは、当然ながら個々人の感受性に基づくものであり、そうしたものは生まれたときから無数に積み重ねられてきた体験やその記憶が源にあると考えれば、「私」は風景から何らかの印象を受動的に与えられるだけではなく、「今ここにある」風景の中から感じ取りたかった、もしくは体感したかった要素を自ら探しあてそれを記憶の中にとどめておこうとする意志が、「私」と「場所」との微妙な関係を築き上げるのだといえるのではなかろうか。
 これは、例としてあげた「雨」の情景をはじめとして、私たちが出会うあらゆる行為や出来事に対しても当てはまるといっても差しつかえないが、そこで新たに生成された記憶は再び意識の奥底に仕舞い込まれつつも、次なる「場所」との出会いの際にはさらなる新たな記憶のための素材となる可能性を秘めており、そうやって果てしなく連鎖する記憶の循環は、私たちと「世界」とをつなぐ媒体としての役割を担っているように思われてならないのだ。そして、光景や出来事との出会いをもとに果てしなく繰り広げられるこうした記憶の循環と、そこで構築される個々人の感受性が生み出す無数のイメージは、私たちが生命ある限り繰り返す「呼吸」にもたとえることができるのだろう。
 
 大野明代と玉岡あかねによって行われる「in/out 感覚の呼吸」は、私たちの五感がとらえる外界と私たちの意識そのものともいえる無数の記憶あるいは感情との、あたかも「呼吸」のようなやりとりがつくる接点で生まれるであろうさまざまなイメージを、造形という普遍的なかたちで表すことを目指して企画がなされた展覧会である。二人を簡単に紹介しよう。
 大野明代は、自身が撮影した風景および植物をはじめとする静物などの写真、あるいはそうした場所やモノと出会った際の印象を示すようなドゥローイング、そして時には地図などの図像を、拡大や縮小も駆使しながらカラーコピーコピーし、それらをシンナーによって透明アクリル板や鏡などの表面に転写させる手法(コピー面のトナーがシンナーで剥がし取られてイメージが支持体上に残される)を使って制作を行っている。
 素材となる写真は、旅先や日常の中で彼女が出会った光景が主だったものであり、これらは現実の中での彼女の時間軸や空間軸を超えて、さまざまな要素が画面上でコラージュされることで、他のどこにもない新たな一つの光景を生み出している。たとえばある景色の遠景が花のクローズ・アップと同サイズと重なり合い、そこにさらに地図などの図像が加わるといった、現実では同居することのありえないイメージがさらなる一つの絵画的図像となって現れる様は、彼女がある出会いをもとに意識の中に構築した「景色」を表すと共に、無数の体験の記憶が積み重なる私たちの意識の領域そのもの在り方を暗に示しているようにも思われるのである。
 一方玉岡あかねは、孔版の技法をもとに、水彩絵具と油絵具をインクとして併用するという独特の手法で制作を行っているが、そこでは、水と油が反発し合う性質上、水彩絵具で刷った上に油彩絵具をのせても否応なく下から水性のインクが浮き出てくることによって、性質の異なる層が必然的に重なり合い、その結果、複雑な色彩やかたちが多層をなして一つのイメージが構築される。
 そして、水彩絵具によってはじめに刷られた層が後に刷った油彩インクの層よりも手前に現れる点において、通常の版画の手法とは逆の手順を辿って制作がなされる彼女の作品は、日常の中で彼女が出会った光景や出来事、感じたこと、考えたこと、書物や音楽から想起されたことなどをもとに意識の中にイメージされた、ある内的「空間」にまつわる空気あるいは光を、造形的なかたちや色彩として表そうとした末のものだといえるが、このようにつくられたイメージの層が重層的に重なり合う様は、前に述べた大野の作品における、さまざまな時間や場所で彼女が出会った複数のイメージが重なり合って記憶の在り方そのものが示唆されることと同様に、玉岡自身が日常の中で感じ記憶にとどめた多様な場面の空気の感触が堆積する意識そのものを、一つの仮構の現実として切り出して象徴させたものであるようにも思われるのである。

 現実の中で出会った印象を、写真という客観的な視点とコラージュという主観をもとにする視点とを組み合わせて表すことで、自己の意識や記憶そのものを客体化してみせる大野明代と、日常の中で感じ取ったさまざまな「空気」のイメージや感触をかたちとして表すことで、それらとの「出会い」という視えないもの自体を、そうした出会いの場となった現実に再び還元させようとする玉岡あかね。現実の世界と人の意識との境界線上で、視えるものと視えざるものとを巡ってなされる二人の表現は、観客である私たちの意識の中にも積み重なって眠る記憶の内の「何か」を、時として覚醒させる契機となってくれるだろう。
 出会った光景や体感した思考がもたらすものと、意識の中に潜んでいる記憶とのやりとりが生む新たなるイメージを、視覚化・二次元化させることをテーマにして、大野明代と玉岡あかねの作品によって構成された展覧会。それぞれは以下のような展示を行った。
 大野明代は、板に水彩紙を張ったものにカラー写真やドゥローイングをシンナーによって転写したイメージをもとにする作品6点(79×169.5cm縦長4点、同サイズの2点を横につないで1点としたもの、57.5×76.5cm横長1点)を展示した。そこに描かれるイメージは、たとえば海辺の街並(今回使われたカラー写真は、彼女が最近訪れたヨーロッパで撮影がなされている)、緑葉の植物、カラーとモノクロで表された花のドゥローイングを同一画面上で組み合わせたもの、赤い屋根の家が続く異国の街並の上方に垂れ下がる植物を重ねたもの、花のドゥローイングと植物、街並と飛行機の翼を組み合わせたもの、カフェの光景、草原の風景、植物のドゥローイングを画面に点在させたもの(2点1組の作品)、緑葉の植物の上から花が垂れ下がるもの、十字架のようなイメージと植物が組み合わさったものなどである。
 これらは、写真にしてもドゥローイングにしても、縮小・拡大を駆使してカラーコピーを取り、シンナー系の転写剤を使ってトナーを支持体上に剥がし取る手法で制作がなされている。そして、彼女がこれまでに発表してきた作品の多くがそうであるように、画面に配置されたそれぞれの要素は異なる尺度のスケール感を持ちつつ、さらに写真とドゥローイングという別の質感のものがバランスを取りつつ混在することで、彼女が体感した「何か」が堆積する記憶の領域の一部分が抽出され、モデル化したような印象を感じさせるのである。
 ところで、大野の作品において視覚的に際立つのは、写真と手書きのドゥローイングが混ざり合い、そこに不思議な遠近感が生まれるという点である。それは、矩形に収まる写真のイメージと、それとは対照的に画面の外へと広がるような手書きのタッチとの対比がもとになっていることに加えて、紙への転写が強調する写真画像のザラつきがイメージの絵画性を高め、ドゥローイングの部分との違和感を持ちつつも融合し合うという質感とかたちとの微妙な関係性が、表されるイメージの存在感を強めているのである。また大野の作品では、支持体の地紙の余白部分も、写真やドゥローイングと一体となってイメージを成り立たせる重要な要素となっているといえるだろう。
 
 一方玉岡あかねは、シルクスクリーンの技法をもとにしつつも、水彩と油彩のインクを併用することで、性質の異なるいくつかのメディウム層が重なり合って複雑な色彩やかたちを支持体である和紙の上に生み出すという独特の手法による、計11点の大小の平面作品による展示を行った(60×90cm横長2点、25×33cm縦長2点、25×33cm縦長2点、19×63.5cm縦長3点、90.5×44cm横長1点で、それぞれは2mm厚の木の板ででつくったフレームに収められている)。これらの作品の内、比較的大きなサイズの横長の作品3点では、1cm幅ほどのラインが反復して画面の天地を貫き、あたかも「雨垂れ」を抽象化したようなイメージが表現されているが、その内の1点では、白に近いラインの隙間にできる背景の部分が、画面下端で10cmほど黒色に塗りつぶされ、その隣の作品では、緑色に近いラインを細かく並べつつも、画面下端では円をつくるように、和紙の地色を示すクリームイエローの色面が大きく広がり、中央左寄りではその先にも空間が開かれるようにイメージが描き出され、また、もう一回り小さなサイズの1点では、さまざまな淡い色彩によるラインの中央やや下を横切るように、緑色で10cmほどの帯で背景が塗りつぶされたようなイメージが表されており、その他の縦長3点では、赤く縁取りされた鮮やかな紫色のかたちが重なり合ってイメージが生まれ、最も小さなサイズの4点では、淡い色彩の小さなサークルから透明の円錐形が下がる2点と、紙の地の上に薄い色彩の小さなかたちがごく控え目に浮かぶ2点によって展示が構成された。
 これらから読み取れる玉岡の表現の特徴だが、3点の画面上に表される「ライン」は、紙の地色を含んで成り立つ背景と部分的にはきわめて近い色彩を持ちながらも、子細に見るとその境界線は明確で、それぞれが異なる次元のものであるようにも感じられる。そして、このようにかたちと色彩とが整然と、しかし複雑に入り組んでつくられるいくつかの層の重なりは、平面的でありながらも妙に深い奥行きを感じさせるという、不思議な光景を体験させるのである。また他の7点では、そうした複雑な遠近感こそは表されないが、描き出されるイメージの輪郭は同種の立体感をまとっており、単なる平面ではない独特の存在感を感じさせるのである。
 
 大野と玉岡との作品の共通点は、画面に現れる要素(=モチーフ)と背景との間に横たわる、かたちおよび色彩をめぐるある種の「ズレ」が、平面的な描写の中にあって独特の奥行きや立体感を生むということではなかろうか。そしてその奥行きは、大野の作品では、彼女の意識の中の記憶がつくる「ひだ」の中に一瞬滑り込むような、玉岡の作品では、彼女の直感がとらえて意識の奥底でかたちとなった「何か」に包まれるような感覚を、追体験させてくれるのである。
vol:44 中村通孝 × 丸山陽子 『赤にひそむ黒』 2004年8月17日〜22日に開催済み 【目次に戻る】
 私たちの日常は無数ともいえる色彩に囲まれているが、その中でも「赤」と「黒」は特別な性質を持っている。他の色が、「白い車」や「青い空」などといった形容詞として使われることが多いのに対して、「血のような赤」や「漆黒の暗闇」をはじめとする強いイメージをもって表される慣用句の中にも登場する「赤」と「黒」は、それ自体が何かの物質であるような存在感を感じさせる。
 「赤」と「黒」は、人の感情や心理を時として象徴することでも知られている。「赤」と「黒」にまつわる創作といえば、それがそのままタイトルに冠されたと文豪・スタンダールの名作『赤と黒』がまず思い出されるかもしれないが、それは、「赤」が象徴する私たちの「生」の衝動や感情の発露と、「黒」が象徴する意識の内側に秘められた様々な思念や記憶の存在を、文学という普遍的なかたちをもって暗に表しているような気がしてならない。
 また造形の分野においても、「赤」もしくは「黒」の色彩を主にした作品は多く見かけられる。「赤」の代表的なものとしては、マーク・ロスコによる壁画のような絵画に表れる内省的な深みのある赤や、草間弥生による様々な表現に現れる強い情感を示すような鮮明な赤が、黒の代表的なものとしては、斉藤義重の多くの彫刻を覆うつや消しの黒や、あたかも巨大な炭のようにも見える遠藤利克による黒い木の彫刻まで枚挙のいとまもない。それらについても文学などと同様に、それぞれの作品に含まれる意図やかたちなどのオリジナリティーが促すものに加えて、「赤」「黒」という特別な意味をまとう色彩が私たちの意識の中にある感情を呼び起こす効用をそこに見て取ることができるが、多くの創作者がこうした表現に踏み込んできたのは、そういった効用に彼らが強く魅かれたことがその要因になっているのではなかろうか。

 中村通孝と丸山陽子による今回の展覧会は、中村が「黒」の色彩をもとにした立体作品を、丸山が「赤」をもとにした平面作品を制作し、両者の作品を合わせて一つの空間を構成することで展示が行われる。
 まず二人を簡単に紹介しよう。中村通孝は、ブロンズを素材としてつくられたあるフォルムが様々なイメージを呼び起こすような彫刻作品を制作することから出発したが、近年では、黒漆を塗った木製の台座の上に、同じく黒く塗装した直径6mmの鉄芯を密生させるように垂直に多数立て、それぞれの一部には白い点状のペイントをほどこすことで、それらの集合体があるイメージを浮かび上がらせるような立体作品を連作として発表している。「点」がつくるこうしたイメージの源について中村は、現実の中のあらゆる事象はそれぞれ絶対的なものとして存在しているわけではなく、周囲を取り巻く他の無数の事象との関係性の中でその存在がかたちとなって表わされるもので、互いにある距離を持つ点と点とをつなぐことで現れるイメージは、私たちが様々な事象を認識する際の、個と対象との関係を象徴しているという意味の発言をしている。
 そのことばを裏付けるように、中村の作品では、観る位置を変えてゆくことでイメージの観え方も移り変わり、視線のベクトルの数だけ異なった無数のイメージが現れるが、それは、私たち自身も含む世界の在り方の本質を暗に示しているようにも思われるのである。
 一方丸山陽子は、具象および抽象の絵画作品のほか、角材を組み合わせてつくった「枠」のかたちをもとにしたレリーフ作品や、さまざまな手法によるオブジェ作品などを制作しているが、それらは一貫してほぼ同じトーンによる鮮明な「朱色」の絵具で塗られており、それは、「赤」という色彩が持つ特別なイメージや存在感をことさら強調する役割を果たしている。
 彼女のほとんどの作品が赤の色彩で印象付けられることについて、さらに考えを進めてみよう。それぞれの作品は、具象・抽象を問わず何かのイメージが描かれていれば私たちはまずそれに目を向け、具体的には何も描かれていなければ、支持体のかたちやそれが置かれた状況からあるイメージを読み取ることになる。実際に彼女の作品では、造形として現れるおおもとのイメージのほかに「赤」という強い要素が並び立つわけだが、それらはどちらも丸山自身から発したものであり、さまざまなかたちや図像は彼女が現実の中で出会ったさまざまな事象に対する反応を、赤い色彩は変わることのない彼女自身の内面的な意識の在り方を象徴し、両者が統合されて普遍的なかたちとなった状態が、この赤い造形シリーズの本質なのではないだろうか。
 
 ところでこの展覧会は、作品として表された二つの色を並列させて行われるものであるのに、「赤と黒」ではなく『赤にひそむ黒』というタイトルが付けられているが、そこには以下のような意図が込められている。
 「赤」と「黒」が単なる色彩を超えた強い個性を含んでいることはすでに述べたが、「赤」を担う丸山の作品と「黒」を担う中村の作品が視界の中で重なり合う今回の展覧会では、壁面を丸山の作品が覆い、ギャラリーの床には、数多くの黒く塗られた鉄芯が林立する中村の作品が設置されて空間がかたちづくられる。中村の作品に視界を遮られながらも、その向こうには丸山の作品が透けるように見える様は、中村の「黒」が丸山の「赤」の中に吸い込まれてゆくかのような錯覚を生むことも予想され、これがこの展覧会のタイトルである『赤にひそむ黒』のもとになっている。そこからさらに想像を膨らませると、「赤」の内部に「黒」が取り付くように含まれる様は、相反するさまざまな感情を同時に内在させて成り立つ人の意識の在り方を象徴するようでもあり、そうした二人の作品と向かい合うことで、私たちも、赤と黒がかき立てる様々な感情の発露をもとにして気付かされる自己の意識の在り方に、しばし心とらわれるのである。
 「赤」の絵画表現を行う丸山陽子と、「黒」の色彩を基調とした立体作品を制作する中村通孝の作品によって、「赤」と「黒」の色彩が支配する空間をつくることを目指して行われた展覧会。それぞれの作品は以下の通りである。
 中村は、91.5×91.5×厚さ3cmの板を、黒光りして周囲を映し込むような漆素材で覆ったものを、一組は床に4連で縦に並べて約90×360cmに、もう一組は2×2列に並べて約180×180cmとして、この二組が45度ほどの角度で開くように床に敷き、それぞれのグリッドにはほぼランダムに各100個ずつの穴が開けられ、そこには長さ2mで直径6mmのちや消しの黒に塗装された鉄芯が突き立てられており、各組400本ずつ、計800本におよぶ棒があたかも幾何学形の「森」のように垂直に林立して視界を遮っている。また、この黒い棒の一部には、幅6mmの銀色に光るアルミニウム・テープが、縦4連のグリッドでは50cmほどの球体をかたちづくるように、床すれすれ、80cmほど、160cmほどといった3段階の高さで一固まりになって巻かれ、方形のグリッドではほぼ中央部で高さ150cmほどのところに、60cmほどの球をつくるようにして同様にテープが巻かれている。これらのテープは、会場のライトが当てられきらきろとした光を放っているが、この光は、鉄芯の群を経て床に無数の直線的な影を落とし、その光と影との対比は、強烈な立体感を演出するのである。
 一方丸山は、幅28〜98cm×高さ205cmの赤い色面をベースにして、厚さ5〜45cmの箱に近い形のレリーフ作品9点を(作品によっては上限二段に分割して設置)、隣り合うなったギャラリーの壁面2面にほぼ均等に配置して展示を行った。それぞれは、板に直接朱色のアクリル絵具が塗られて側面は白の絵具によるもの、全面が朱色のもの、180×45×厚さ4.5cmのパネルの内1点は前面が朱色で側面が白、もう1点は全面朱色のもの(これらは板に直塗り)、残り5点の内3点は、板の上に和紙を張った上から同様に全面が朱色、側面が白で塗られたもの、あとは「箱」とパネルを組み合わせて「椅子」のような形にしたもの(1点は下の「箱」部分が全面白、もう1点はこの部分が朱色で側面が白)というように、全ての作品で朱と白のすり代えや、同サイズの直方体でも厚みやプロポーションのすり代えで形状がさまざまに変えられており、そこで使われる「朱」の色彩についても、微妙に色身が異なったり、和紙を通すことで色調がソフトになったり、タッチが付けられることによって、これらの中には中村の作品と同様、思いのほか強い立体感が生み出されているのである。
 色彩とかたちなどをもとに幾何学的な立体感が生まれることを共通の要素とする中村と丸山の作品が相並ぶ様は、常に中村の作品を通して壁面に丸山の作品が見えるという、赤の色彩と黒の色彩(そしてギャラリーの壁面と天井の白)との重なりによって造形的な空間が創出される。そして、その空間の中を私たちが歩いて移動する度に、二人の作品の重なりや、中村の作品の床部分に映り込む鉄芯部分および(その映り込みが光景全体の容量を倍増させる)、丸山の作品の赤いかたちが瞬間的に変化してゆくことで、赤と黒(と白)の色彩と矩形のかたちとの無数の組み合わせが生まれ、その中で見て取れる無数のイメージや照明をもとにつくられる光と影とのコントラストももって、色彩の「森」のような、まさに今ここにしか生まれ得ない風景が私たちの前に立ち現れるのである。
vol:45 浅野敦司 × 三溝利恵 『裏日和』 2004年8月24日〜29日に開催済み 【目次に戻る】
 私たちの日常は、それがたとえ平穏で明るさに満ちたものであったとしても、外目には現れないような「影」がその裏側にすべからく潜んでいる。
 そもそも「日常」とは何であろうか。そのことばからは、食事や睡眠などといった欠くことのできない日課や、毎日の習慣がもたらす惰性と快感などが思い起こされるが、この「日常」という概念は、その対極にあって様々な特別の出来事を指し示す「非日常」によってはじめて明確に定義されるような気がしてならない。では「非日常」とは、私たちの生活の中のどのような場面を指すのであろうか。
 「乗っていた電車に人が飛び込んで待ち合わせに遅れる」「10年ぶりに偶然知人に会ってそのまま飲みに行く」「長い間捜し求めていた絶版の本が何気なく入った本屋の棚で見つかる」などといった予期せぬ出来事から、「慢性的に体調がすぐれず何か重大な病気に陥りそうな予感がある」などの心の不安や、「まもなく海外旅行に出かける」等の期待、さらには「自宅の家電製品が壊れかかっている」「宝くじの抽選を心待ちにしている」などといったことまで、日々の生活の中で出会い芽生える大小様々な変化および、それによって引き起こされる感情の動静が、「日常」の中にあっての「非日常」の正体といえるだろう。
 ところで前の例では、悪い出来事にまつわる不安と良い出来事にまつわる期待とをほぼ均等に引き合いに出したが、「非日常」ということばの響きは、どちらかといえば様々な不安に基づくネガティブな感情の発露を匂わせることが多いのではなかろうか。思えば私たちの生活は、さきほど例に出した病気への不安ほどではなくても、「指先に刺さったとげが取れないままになっている」とか、「ゴミの収集日に生ごみを出し忘れてその保管に苦慮する」などといった他人にとっては取るに足らないような心配も含めて、大なり小なりの無数の不安で覆われている。
 日々の生活を営む中で、全く何の不安もなく時が過ぎて行く人は皆無といってもだろう。しかし裏を返せば、神経症的な状況を除けば不安のみに覆い尽くされた生活もまた皆無で、光があたる場所には必然的に「影」が現れるように、何でもなく通り過ぎる「日常」に付随してその裏には大小の「非日常」が姿を現すのであり、それと同時に、「非日常」なくしては「日常」の真の姿は見出すことはできないのではないかと思われるのだ。
 浅野敦司と三溝利恵の作品によって構成される「裏日和」は、「日常」に付随する「非日常」や、「非日常」を通して導き出される「日常」、さらにはそこに見え隠れする私たち自身の真の姿を視覚的に表すことを目指して行われる展覧会である。このテーマは、事故や事件の現場写真をもとに制作を行うことで日常につきまとう影の部分を表そうとしたアンディー・ウォーホルの作品などに代表されるように、多くの芸術家が取り組んできたものではある。しかし文学作品に目を移せば、人の心の裏側を深くえぐるように表した、たとえばトルストイのような文豪の名作を引き合いに出すまでもなく、現在出版されているコミックの秀作なども含めて、実に多くの創作者によって無数の作品が生み出されており、そういった点では、このテーマは視覚的に追求されるよりも、どちらかといえば「ことば」を媒体とする言語的な要素を少なからず含んでいるといえるだろう。そしてそれを裏付けるように、浅野と三溝の作品は、ことばとの関わりの種類は違えども多分に言語的だ。

 ひとまず二人をそれぞれ紹介しよう。浅野敦司は、クラッカーなどの食べ物や掃除用具などの日用品をはじめとする市販の既製品をモチーフとしてリアルに描いた絵画や、そうした表現にさらにコラージュを加えたり、写真をはじめとするさまざまなメディアや手法をもって、箱形のオブジェあるいはインスタレーションとした作品を当初より制作する一方で、「家族」や「死生感」といった、人の「生」を根本の部分を規定するテ−マをもとに、あざやかな色彩と影のある暗さを同居させて表したアクリル絵具による絵画作品を発表するほか、自身が日常の中で関わった光景を切り取った写真と、やはり日常の断片をもとにしたようなことばとを組み合わせた「本」の形式の作品を発表してきた。
 浅野の作品には、彼自身が体験した日常の断片と共に、浅野が思い描くリアルな日常、さらには「生」そのものが表されているように感じられるが、それは、前に述べた「日常」の影の領域に必然的に付随する不安な心情をどことなく示唆するものであり、そうした要素は、絵画などにおいては明るさの中にやや影を引きずる色彩で表され、「本」においては透明感をまといながらも抑揚を押さえた写真および作中のことばのトーンが醸し出す、やや濁りを含む気配からも察することができるのである。
 一方三溝利恵は、木版画やリトグラフなどの版の手法を元にした作品を一貫して制作しているが、それらは黒いカラスや人の横顔のシルエット、積み上げられたそら豆、足の指先のアップ、砂丘のような腹に表されたへそなど、人体にまつわるものをはじめとして私たちにとって身近なものを登場させつつも、例えばカラスを描いたものでは、黒と白で表された背景の上に、黒のカラスと、それをネガとポジのようにトーンを反転させた白のカラスを同時に配したり、3つのそら豆を描いたものでは、モチーフが台座の上で今にも崩れ落ちそうで崩れない微妙なバランスを保っていたり、足の指の作品では、薬指が途中から切り取られて二滴の血がしたたり落ちるなど、構図が安定と不安定のちょうど狭間にあるような微妙なバランスを取っていたり、細部の描写の中にどことなく不安定さをかき立てる要素を宿して画面が構成されている。
 そういったモチーフや構図の特徴に加えて、三溝の作品では使い古した布地のようなブラウンや深いブルーのほか、淡いながらもやはりどこかで不透明さを伴う、グリーンやイエローをはじめとするややくすんだ色彩によっても印象付けられることが多いが、あえて不安定さを強調する彼女の作品は、浅野の作品と性質は違えども、日常という現実の中で出会う物事に隠れた「影」の部分が、同じように表されているように感じられる。

 ところで今、両者の作品は性質こそ違えども同じく「影」の要素を宿していると述べたが、ここでいう性質の違いを私なりのことばで言い表すと、浅野の作品では、透明なモノや鏡の反射がつくる半ば透き通った「影」として、三溝の作品では、陽光の下ではなく人工光によってつくられる、周囲の他のものとの境界が明瞭ではない「影」として象徴されるということになるだろうか。それは、レディ・メイドや写真、テキストなどを使う浅野と、作品が版として現れる三溝とのメディアの違いも確かに大きく関与しているかもしれないが、根本的には、浅野が自己と周囲との関わりに主眼を置くのに対して、三溝の表現では自身の意識の内面により大きなウェイトが置かれていることの違いが、両者の作品の性質を違えていると私は見ている。また、この文の中で私は、二人の作品を「多分に文学的である」と評したが、両者の表現には、自己を起点に据えて遠心的なものと求心的なものに分かれながらも、視覚的な要素を補ってなおあまりある物語性を共通して見て取ることができるだろう。
 日常の裏に潜む「影」の要素と物語性という二つの共通性を持ちながらも、手法や主題が異なる二人の作品を並べて構成されるこの展覧会では、そうした差異がかえって「日常」に潜む「影」の存在と多様性を際立たせ、そこに向かい合う私たちは、「日常」と「非日常」という相反する要素があってこそ浮かび上がってくる、現実の真の姿を見つめ直す入口にしばし立つことができるのである
 日常の中で出会った光景や物事をもとにして生まれる感覚や、さらにそこから意識の中に解き起こされる、日常の「影」の部分ともいえる真実を作品として表すことを目指して行われた展覧会で、今回は浅野が写真と文章を、三溝が主に木版画による作品を展示した。会場は、両者がファックスや郵便を使ってやりとりすることでテーマやキーワードを設定するという方法をもとにした計14組の作品群で構成されており、話し合いの中で提案されたテーマに対して浅野は、薄いクリームイエローに塗ったA4〜B4大のパネルに自作のことばをさまざまなかたちにデザインしたもの1〜2点および、デジタルカメラで風景を撮ったカラー写真をOHPシートに出力したもの4〜5点で一組分を構成し、一方三溝は、版の手法(1点のみ黒のペンの手書きで描かれている)によるA4大の作品を、浅野の作品と相並べるように各組1点ずつ配置することで展示がなされた。それぞれの組をみてみよう。
浅野:「ジリジリバイバイ」という擬音が続く赤い字のことばおよび「胸に抱かれ」で始まる大きな字のことばと、線香花火、地表の花弁、南国の花弁、街灯の写真/三溝:線香花火の炎が逆さになって抱き合う二人の人になっている作品
浅野:「記憶に残らない日々」という金文字が印象的なことばと、猫、土管、夕景の写真/三溝:赤と青の丸いかたちに1〜9の文字が画面に浮かぶ作品
浅野:「青空とビートとあなたの笑顔に救われる」ということばと、青い空、斜光に染まる景色、バースデーケーキのロウソクの灯、長く伸びる影の写真/三溝:ロウソクの光を受けて緑色の画面に茎の長い植物が5本描かれた作品
浅野:「2本の、真直のレールを走る混沌列車と乳児」ということばと、ロウソクの光の写真/三溝:闇の中を一両の小さな列車が走る光景の作品
浅野:「いつも中心に行けないでいる」という赤の字が中心から周辺に広がるように360度幾重にも円を描くことばと、灯台、電柱の電灯、室内から漏れる光の写真/三溝:釘のようなかたちが2個並ぶ作品
浅野:「浮いたり沈んだり」が印象的なことばと、都市の中の街灯の光と花弁が並ぶ写真/三溝:錆びたような緑色で彩られた両足が天を向いて組まれた作品
浅野:「汚れて汚れて汚れ切った時奇麗になれるような気がする」ということばと、水面に浮かぶ一葉の赤い葉の写真/三溝:くちばしが尖った鳥の頭が付いた人の作品
浅野:「絡まりながら繋がっていつか切れる」ということばに糸のような細い線が絡まる様と、簾、板、夕景の写真/三溝:煙突から煙が上る作品
浅野:「ぼんやりとした輪郭をなぞるようにして始まる」というぼやけたような文字のことばと、東京タワーの夜景、夕景の街灯の写真/三溝:黄色の背景に人の顔のような楕円形が浮かぶ作品
浅野:「雑音を決してあとはフルボリュームで見たくないものを消してゆく」という、朱色の文字がときおり現れつつ字が徐々に消えてゆくことばと、夕景のクレーン、駅の景観、高架からのクレーンの眺めの写真/三溝:白い画面を黒いものが縦に横切り、そこにエンボスの円形が浮かぶ作品
浅野:「見つけてくれ」という文字が中央に浮かぶことばと、池の光景、緑の地面にできる樹木の影の写真/三溝:家のような緑の単色のかたちから煙のよなものが黒い線によって立ち上っている作品
浅野:「投げ放ったた槍が自分の胸に突き刺さる」ということばと、ブレた写真による彼自身のポートレート3点/三溝:瓶の上に人が固まってうずくまる作品
浅野:「無駄を省きたい!」ということばと「無駄」の文字が重なる様と、砂糖きび、砂浜の写真/三溝:黒の背景に耳のようなかたちの白いものが浮かぶ作品
浅野:「プツンプツン、途中からぶら下がって〜」ということばと、ビルの夕景、待機中の飛行機、外壁の窓、樹林と青い空の写真/三溝:鉛筆の芯の先から赤い血のようなものが一滴したたる作品
これらに加えて浅野は、ギャラリーの窓全体を覆うように、空の写真(主に自宅のベランダから撮ったもの)を縦6×横4列分、ギャラリーの外の実景と重なるように吊るした展示を行った。

 ところで浅野は、カラー写真をOHPシートに出力したものをクリップで吊るす方法で展示を行ったが、ここでは、フィルムと壁との間に1〜2cmの隙間が開けられ、会場のライトがこのフィルムを透過することで壁にできる色彩豊かな影をもって、写真の画像は二重に映り、この光景が現実の中のものではないような印象を生んでいる。また被写体自体も、夕景やロウソクの灯など「闇の中の出来事」をもとにしたものが多く、一方三溝の作品は、単色の背景にモチーフがぽつんと置かれるというシンプルな構図でありながらも、それは現実の中でクローズ・アップされて切り取られた断片として求心的な存在感を放ち、彼女が現実の中で出会ったものの「影」(=架空の現実)に成り代わるような、浅野の作品が示すものとは別種の非現実感を醸し出しているのである。
 ところでこの展示では、浅野が窓際に吊るした24点の「ベランダのシリーズ」のみが、リアルに現実を写したものとして置かれているように思われる。というのは、これらの写真では外景の光が色彩の変化を伴って刻一刻と移り変わるが、ここで表される架空の現実がギャラリーの外の実景と混ざり合う様が、展示された作品群に含まれる「非現実」と対比されることで、なおさら強く現実感を感じ取らせるように思われてならないからだ。
vol:46 内海聖史(絵画) × 田尻幸子 『界を縒る』 2005年1月11日〜16日 【目次に戻る】
 人は、瞬間ごとに性質の移り変わる「空間」に取り囲まれることでその存在を成り立たせている。そして、その「空間」の在り方は、まずは身体にその存在自体が無意識的に感知され、その後に視覚などを通して全体像が認識される。
 ある部屋に足を踏み入れたとしよう。人はほとんどの場合、空間を満たす光や色彩、音、匂い、空気の触感を、五感を通して知ることができる。しかし、そういった空間の様子を認める一瞬感手前に、身体が空間に包まれている、もしくは接しているという感覚を瞬間的に感知し、その部屋の奥に足を進めれば、元を同じくしながら微妙に異なる空間を、部屋を立ち去ればその先には全く別の空間を感じ取ることになる。そしてその感覚は、五感ではなく、私たちの身体にまつわる「何か」がもたらすものであり、おおもとをたどれば、私たちの意識の奥底に根ざすいわゆる「自我」が、「今」の瞬間自分自身と共に在るものとして周囲の「空間」を感じ取るからではないかと思われるのだ。
 絶え間なく、際限なく空間に包まれる私たちの身体と意識。そこで生まれれる人と空間との関係は、その一瞬後に五感がもたらす様々な空間に関する情報を加えて、たとえば足を一歩進めただけで別のものへとシームレスに更新され、時間が無数の瞬間の集積であるように、時を追うごとに無数の関係が結ばれては意識の彼方へと消却されてゆく。そして、そこで築かれる関係とは、私たちを文字通り丸ごと包み込んでその存在を成り立たせる「世界」との接点そのものであり、空間とのそうした関わりをあえて意識することで、普段は空気のようにしか感じられない「世界」、ひいては私たち自身の存在を深く内省されるのである。
 内海聖史と田尻幸子によって行われる『界を縒る』は、空間の壁面もしくは空間そのものを覆うことでその場を異化させるような巨大な絵画を制作する内海の作品と、細い繊維をあたかも蜘蛛の巣のように空間にはりめぐらせることで、同じく展示が行われる場を異化させる田尻の作品とを、ギャラリーの 中で視覚と物質の両面で重ね合わせることで異化された「第3の場」を創出させる、という主旨によって企画がなされた展覧会である。

 二人の作品をもう少し詳しく紹介しよう。内海は、緑色など基調とする油絵具で塗られたドットなどのパターンの反復と下地との組み合わせを主な要素として、展示空間の壁などにぴったりとはめこまれる、あたかも「壁」そのもののような大画面の絵画作品を主に制作しており、観客はそうした画面と向かい合うことで、視覚だけではなく、身体全体を通してそこに現れたイメージを感じ取るような錯覚を時として覚えるのだ。
 先日行われた個展(MACAギャラリー.2004年)で彼は、ゆるやかに弧を描く壁面に横幅17m、高さ約4mの巨大なサイズの絵画を展示したが、そこでは内海が頻繁に使用する明るめのグリーンのドットが無数に重なって統一されたイメージがつくられることで、視覚の上だけでなく、身体もが展示の空間そのものに飲み込まれる、あたかも自分自身が絵画空間の一部になったような錯覚をしばし感じたのである。
 一方田尻は、麻をもとにした「スタッフ」と呼ばれる生成りの細い繊維を素材に、壁や天井、床、柱などに接する部分と繊維の両端とをラテックス・ゴムなどで固定しながら、空間のところどころにあたかも蜘蛛の巣のようにをはりめぐらせることで、それらが囲む内側やその周囲に造形的な空間をつくり出すという展示を重ねて行ってきた。
 私が彼女の作品をはじめて目の当たりにしたのは、2003年にアートポイント・ギャラリーで行われた展覧会の際である。そこでは、天井と壁、あるいは壁と床が接する部分など、空間自体の造作を示す場のところどころに細かな繊維によるもう一つの空間がつくり出され、それらは、主に床から照射されるライトに照らされて光り、きわめて繊細な展示の中にも確かな存在感が主張されたが、そういった小さく区切られた空間が、ギャラリーのもともとの場と混ざり合って一つの大きな異空間をつくり、そこに足を踏み入れ私たちの身体や、五感を通じて影響される意識もろとも包み込んで、新たなる「場」を成り立たせていたのである。

 共に、作品を空間に設置することで自身の造形が支配する場をそこに発生させる二人の表現は、単に異化した空間を提示してみせるだけではなく、周囲の空間との関わりによってはじめて私たち自身の存在が明らかになるという、前に述べた「人」と「世界」との関係を思い出せてくれるような気がしてならない。そして、展示空間の中に入り込んだ私たちは、内海と田尻がつくる二つの異なる「界」が織りなす「場」の要素の一つとなることで、自身の存在をあらためて確認させられるのである。

 人は、瞬間ごとに性質の移り変わる「空間」に取り囲まれることでその存在を成り立たせている。そして、その「空間」の在り方は、まずは身体にその存在自体が無意識的に感知され、その後に視覚などを通して全体像が認識される。
 ある部屋に足を踏み入れたとしよう。人はほとんどの場合、空間を満たす光や色彩、音、匂い、空気の触感を、五感を通して知ることができる。しかし、そういった空間の様子を認める一瞬感手前に、身体が空間に包まれている、もしくは接しているという感覚を瞬間的に感知し、その部屋の奥に足を進めれば、元を同じくしながら微妙に異なる空間を、部屋を立ち去ればその先には全く別の空間を感じ取ることになる。そしてその感覚は、五感ではなく、私たちの身体にまつわる「何か」がもたらすものであり、おおもとをたどれば、私たちの意識の奥底に根ざすいわゆる「自我」が、「今」の瞬間自分自身と共に在るものとして周囲の「空間」を感じ取るからではないかと思われるのだ。
 絶え間なく、際限なく空間に包まれる私たちの身体と意識。そこで生まれれる人と空間との関係は、その一瞬後に五感がもたらす様々な空間に関する情報を加えて、たとえば足を一歩進めただけで別のものへとシームレスに更新され、時間が無数の瞬間の集積であるように、時を追うごとに無数の関係が結ばれては意識の彼方へと消却されてゆく。そして、そこで築かれる関係とは、私たちを文字通り丸ごと包み込んでその存在を成り立たせる「世界」との接点そのものであり、空間とのそうした関わりをあえて意識することで、普段は空気のようにしか感じられない「世界」、ひいては私たち自身の存在を深く内省されるのである。
 内海聖史と田尻幸子によって行われる『界を縒る』は、空間の壁面もしくは空間そのものを覆うことでその場を異化させるような巨大な絵画を制作する内海の作品と、細い繊維をあたかも蜘蛛の巣のように空間にはりめぐらせることで、同じく展示が行われる場を異化させる田尻の作品とを、ギャラリーの 中で視覚と物質の両面で重ね合わせることで異化された「第3の場」を創出させる、という主旨によって企画がなされた展覧会である。

 二人の作品をもう少し詳しく紹介しよう。内海は、緑色など基調とする油絵具で塗られたドットなどのパターンの反復と下地との組み合わせを主な要素として、展示空間の壁などにぴったりとはめこまれる、あたかも「壁」そのもののような大画面の絵画作品を主に制作しており、観客はそうした画面と向かい合うことで、視覚だけではなく、身体全体を通してそこに現れたイメージを感じ取るような錯覚を時として覚えるのだ。
 先日行われた個展(MACAギャラリー.2004年)で彼は、ゆるやかに弧を描く壁面に横幅17m、高さ約4mの巨大なサイズの絵画を展示したが、そこでは内海が頻繁に使用する明るめのグリーンのドットが無数に重なって統一されたイメージがつくられることで、視覚の上だけでなく、身体もが展示の空間そのものに飲み込まれる、あたかも自分自身が絵画空間の一部になったような錯覚をしばし感じたのである。
 一方田尻は、麻をもとにした「スタッフ」と呼ばれる生成りの細い繊維を素材に、壁や天井、床、柱などに接する部分と繊維の両端とをラテックス・ゴムなどで固定しながら、空間のところどころにあたかも蜘蛛の巣のようにをはりめぐらせることで、それらが囲む内側やその周囲に造形的な空間をつくり出すという展示を重ねて行ってきた。
 私が彼女の作品をはじめて目の当たりにしたのは、2003年にアートポイント・ギャラリーで行われた展覧会の際である。そこでは、天井と壁、あるいは壁と床が接する部分など、空間自体の造作を示す場のところどころに細かな繊維によるもう一つの空間がつくり出され、それらは、主に床から照射されるライトに照らされて光り、きわめて繊細な展示の中にも確かな存在感が主張されたが、そういった小さく区切られた空間が、ギャラリーのもともとの場と混ざり合って一つの大きな異空間をつくり、そこに足を踏み入れ私たちの身体や、五感を通じて影響される意識もろとも包み込んで、新たなる「場」を成り立たせていたのである。

 共に、作品を空間に設置することで自身の造形が支配する場をそこに発生させる二人の表現は、単に異化した空間を提示してみせるだけではなく、周囲の空間との関わりによってはじめて私たち自身の存在が明らかになるという、前に述べた「人」と「世界」との関係を思い出せてくれるような気がしてならない。そして、展示空間の中に入り込んだ私たちは、内海と田尻がつくる二つの異なる「界」が織りなす「場」の要素の一つとなることで、自身の存在をあらためて確認させられるのである。
 絵画とインスタレーションとジャンルは違えども、共に作品が展示空間の一部と化しそこに新たな「場」の広がりが生まれる内海聖史と田尻幸子の表現が交錯することで、さらに第三の場を創出させることを目指した展覧会。
 会場に入るとまず目に入るのは、目の前の壁面全体を覆って新たな「壁」となった内海の作品であり、その後一瞬間おいて、白くきわめて細い、あたかも蜘蛛の巣のような繊維を張り巡らせた田尻の作品が、前に空いた空間に構築されていることに気付かされる。
 まず内海の作品からみてみよう。ここでは、85×221cm縦長のパネルを8枚横並びにつなげて690×221cm横長としたものを支持体とし(ギャラリーにもとからある柱の手前にパネルの並べて迫り出すように「壁」が構築されている)、そこに油絵具をもって、明度は低く彩度は高い青色を基調としたドット(この青について内海は、ギャラリーの窓から差し込む外光に最も美しく映える色彩を選んだと述べている)を筆で描いたもの(直径3.5cmほどのサイズが最も多い)が無数に重ね合わされることでイメージが表現されている。淡いクリームイエローの地色を背景として、鮮やかな青色に加え薄水色から群青色まで明度を無数に違えて表される多様な青や、黄緑色から黄土色まで同じく明度を異にする多様な緑色、画面のほんの数ヶ所のものでありながら強い存在感を示す朱色(ライト・レッド・ブライトおよびバーミリオン)などのドットが、青によるものの背後に見え隠れすることで、このさながら「壁」のような大画面は、二次元的ながらも複雑な空間の奥行きと広がりを持つ存在として、私たちの視覚に強烈な印象を残すのだ。
 また、この作品の画面の右端から4分の3ほどまでは、若干の空白はありながらほぼ全面がドットのイメージで覆われ、左端の4分の1ほどは大きく地色が露出しているが、二つの要素のコントラストは、背景とドットが接する部分では円形の輪郭がややぼかされたような手法と相まって(丸筆の縦のタッチによることと、部分的にあえてにじみをつくっていることによる)、作品のイメージ全体が支持体から浮遊するような、つまりイメージそのものが一塊のものとして平面上に立ち上がるような独立性を、ことさら促すのである。
 一方田尻だが、空間に張られた「糸」は、「スタッフ」と呼ばれる麻をもとにした繊維素材(一般的には石膏に含まれる素材として知られる)で、今回の展示では、ギャラリーの天井から壁に向かって両端をラテックス・ゴムで固定するという方法でます数十本が張られ、天井から床に伸びるものについては、先端に直径4.5cm×厚み4mm×内径2.5cmの黒い金属のワッシャーを3枚重ねて重しとしたものを、床にほぼ等間隔に点在させるように計21個、床の高さぎりぎりで結わえ付け、それがファイバーによる空間全体の土台となっている。
 そして、天井から壁および床に伸びる二つのベクトルと枝分かれしながら、そのところどころをつなげるように、横あるいは斜め方向には数本の「糸」が、両端をメインのラインに結わえるように数十ヶ所渡され、この適度に枝分かれしたラインは張力を保つことで、ところどころで不定形の多角形を無数に生み出している(この「かたち」は見る位置や角度を変える度に視覚の中でシームレスに変わり続ける)。さらにこの多角形同士が、時にはねじれるようにある角度を付けて接し会うことで、空間は、多様な形と直線を集積させた一つの「場」となり、作品の周囲の光景がすべて素通しで見えるという希薄な視覚の外見を覆すような確かな存在感を主張している。

 展示空間全体に話を進めよう。ギャラリーに脚を踏み入れた刹那、内海のつくるイメージの上に、遠慮がちに白いライン(実際には生成色)が引かれたような印象を受けるが、足を進めて繊維を間近にとらえ、さらにところどころに口を空ける比較的間口の広い隙間から体を滑り込ませてみると、繊維に引っかかりはしないだろかという緊張感も手伝って、隙間の視界は内海の作品あるいはギャラリー内部の光景によって占められているのに、自身の身体さらに意志までもがこの素通しの空間に包まれているような不思議な感覚を味わうことになる。
 ところで、田尻の空間に向かって足を進めてゆくと、内海がつくる画面の中のイメージは、視覚と身体の両面できわめて間近に感じられるが、思えば内海の作品とは、大画面であるにもかかわらず、遠目に見る視線に加えて画面の間近に寄ることで、色彩とドットの組み合わせをもととするそのイメージを体感させて、観る者の意識の内に二次元的空間を構築するような特徴を持っている。この「近寄ることで体感させる」という距離感は、田尻の作品では必然的に生み出だされ(作品空間の中には入り込もうとしたときに限るが)、両者の作品空間を通して得られる二つの感覚が混ぜ合わされることで生成されるイメージと、二人の作品が重なり合ってつくられる視覚的な印象をもって、「今まさにここにしか在り得ない」第三の「場」が私たちの前に現れるのである。
 
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